寿司十五貫目 二つのセーラー服
「なんだあいつらは、全く使い物にならねえ!」
求人広告を見て訪れた面々を追い返し、忠七朗は叫んだ。
「仕込みどころか、市場に並ぶ魚から寿司にふさわしい物を選び取ることも出来ねえ。店の掃除も中途半端。握りに至っては目も当てられねえ悲惨な出来だ! あいつ等は本当に働く気があるのか!」
「シャリスラマトモにツクレマセンデシタネ」
『おいおいおーい。寿司酢も作り貯めてたのが無くなってきてるんだが、これから一体何を飲めばいいんだよ。もうあのオンナが作った寿司酢じゃねえと満足できねえ我が儘ボディなんだが?』
「くっそ、外食ばかりで金もなくなってきてるのに、まともに営業も出来ねえだなんて! あのクソフリーターどもがあまりに使えないばかりにこのざまだ! 少しは三春を見習え! あいつは何も言わなくても仕入れから仕込み、店の掃除から接客、料理、片付けはもちろん、俺たちの飯も作ったし、店の営業継続に必要な各種手続きも全部やっていたんだぞ!」
口にしてようやく、忠七朗は一つの真実に気づいた。
「――も、もしかして三春って、バイトとしてはものすごい優秀なんじゃ――」
「アレでジキュー、キューヒャクハチジューイェンデスカラネェィッ!」
『確かに、人間のオンナにしちゃああれこれ頑張っていやがったなぁ。手は寿司酢くせえけどよー』
三人は、失って初めて三春の尊さに気づかされたのだ。
あんな逸材は、よほどのことが無い限りバイトなんかしないのだ。それが何を思ってか店主が全く使い物にならない寿司屋に訪れたことは奇跡と言うほかなかった。
「ば、馬鹿な……。たかがバイトと侮っていたが、よく考えたらあいつがいなかったら俺たちは店の営業どころか、最低限文化的な生活すらまともに営めないのか――」
「タッタナノカ、イエジューゴミノヤマデスシネ」
『風呂も沸かねえし、洗濯物も溜まる一方……』
辺りを見渡すと、三春がいない一週間で恐ろしい姿になってしまった光景が広がっていた。
バイト候補達は店の中のゴミはなんとか片付けたが、忠七朗達の生活スペースは見るも無惨な姿のままだったのだ。
三春が働いているときはいつだってピカピカに掃除されていたというのに、いなくなった途端にこれなのだ。
忠七朗は呆然として、カウンターに置かれていた封筒を手にする。
封を切ってその中身を、低い、感情を殺したような声で読み上げる。
「――バイトの娘は預かった。返して欲しければ、一人で寿司屋『鶴沼』まで来い。『ツキヂ』十二支部長〈闇の岡田〉」
忠七朗の表情は、いまや怒りに満ちていた。
「これが『ツキヂ』のやり方か! 三春を奪うことで、俺たちの店をつぶそうという魂胆か!」
『汚え手を使いやがる! 〈握り手〉なら〈握り手〉らしく、正々堂々と勝負しろってんだよぅ!』
「オッオッオッオヮフッ!」
忠七朗達は、ついに〈闇の岡田〉と勝負することを決意した。
「こんな極悪非道な手を使ってくる奴を、寿司界に残しとくわけにいかねえな! 寿司文化を守るためにも、奴には死んで貰うほかねえ!」
「それはこちらの台詞だ!!」
ばんっと勢いよく『花勝見』の扉が開かれ〈闇の岡田〉が現れた。
敵意に満ちた目で忠七朗を睨み付けると、忠七朗もそれに答えるように睨み返した。
「こっちから出向いてやろうと思っていたところにのこのこ現れるとは、飛んで酢に入る秋の米とはお前のことだ! 三春は返して貰うぜ!」
「雪村さんを見捨てて新規バイト募集していた貴様が何を言うか! 貴様に雪村さんはふさわしくない!」
「カイシューシマシタ」
「なッ――いつの間に!?」
忠七朗と〈闇の岡田〉が檄を飛ばしている間に、師匠は見事に三春を奪還していた。
その素早さたるや、熟練の特殊部隊さながらの動きであった。
「流石ですお師匠様! 人質さえ戻ればこっちのもんだ! あとは寿司文化のため、貴様を粉みじんにしてぶち殺すだけだ!」
「あ、あの、三春は私です……」
今なお〈闇の岡田〉の背後にいた三春が、申し訳なさそうに口にする。
「騙されねえぞ。三春ならここにいるじゃねえか!」
「あれぇ? わたし三春ちゃんでしたっけ」
師匠によって奪還された小町はあごに指を当てて首をかしげる。
「白い親子線の入った前襟の浅いセーラーカラー。紺色のスカーフに校章の入ったスカーフ止め。セーラーカラーと同様の親子線の入ったカフス。吊りインナーベストつきの紺色の二四本車ヒダプリーツスカート。どこからどう見ても三春じゃねえか!」
「それ全部セーラー服の特徴ではないですか……。何処を見て人を判断しているのですか……。だいたい私も今同じ制服着ていますし」
「三春が――二人!?」
三春が自身の着ていたセーラー服を示すと、忠七朗は驚愕に目を見開いた。
確かに三春と小町は、同じセーラー服を着用していたのだ!! これではとてもじゃあ無いが、三春を見分けることは不可能!
「コレデハドチラガミヒャエルかワカリマァセン」
「どちらもミヒャエルでは無いです」
「こざかしい手を使いやがって!」
「貴様ぁ! これまで『花勝見』で一年以上働いていた雪村さんの見分けがつかないというのか!」
「つかん。つーか誰だよ雪村って。俺が探しているのは三春だ」
忠七朗はあっけらかんとしてそう答えたが、その回答は〈闇の岡田〉の怒りを買うだけであった。
「忠七朗! もはや貴様を許すことは出来ん! 〈握り手〉として、貴様に決闘を申し込む!」
「決闘だあ? 人質だなんて卑怯な手を使っておいて、今更何を言っていやがる!」
「元々貴様と一対一での決着をつけるため、わざわざこのような回りくどい手を使って呼び出していたのだ。だが貴様の傍若無人の行動のせいで全て水の泡だ! 決闘を受け入れるか、今すぐ店を畳むか、選ぶがいい!」
〈握り手〉にとって、決闘は特別な意味を持つ儀式。
決闘に敗れた者は、勝者の言うことをきかなければならない。
しかし決闘の申し込みを断った場合には、〈握り手〉の称号を返上しなければならない。
忠七朗は決闘を受けるか、〈握り手〉をやめるかの選択を迫られていた。
「ふん。貴様など相手にしたくはないが、ここまでなめた真似をされたのに黙っているのも癪だ。いいだろう、その決闘受けて立つ! 俺が勝利した暁には、どちらが本物の三春か教えて貰おう!」
「まだそのような事を言うか!! だが良いだろう、勝負を受け入れるとあれば〈握り手〉として戦うのみ! こちらが勝利した場合は、雪村さんをこちらに引き渡して貰う!」
「どうしてそうなるのですか」
「『私のために争うのはやめてー!』ってやつなのですかねぇ」
「なんだか違う気がします」
三春と小町の会話を余所に、二人の〈握り手〉は火花を散らす。
方や東京に本店を構え、東海地方、中部地方にまでその支店を開業し、今や東北地方に進出しようとしている新鋭寿司屋の勇〈闇の岡田〉。
方やドイツ人の師匠から〈握り手〉の極意を受け継ぎ、東北の片田舎で開業するものの、一般人相手に寿司を握ることを拒否し引きこもり生活を続ける寿司界の異端児、松波忠七朗。
二人の決闘の火ぶたが、今や切って落とされた!
「秘技、二連小手握り!!」
〈闇の岡田〉は先制し、用意していたシャリとマダイを片手の中で瞬時に握り、寿司を完成させる!
その早業たるや〈影の岡田〉を上回る妙技であった。
「無限寿司シールド!!」
あまりの速攻に守勢に回るほかなかった忠七朗は、床に手をついて瞬時に寿司の壁を築き防御する。しかし間に合わせの壁では〈握り手〉によって握られ、命を宿した寿司を完全に防御することは出来なかった!
爆発四散した寿司の壁が周囲に散らばり小爆発を引き起こす!
「あ、ああっ! 折角こしらえたカウンターが!!」
寿司屋の命であるカウンターが爆発によって破損したのを目の当たりにして、三春が叫ぶ。
そのカウンターは三春が『花勝見』でバイトを始めた際に、全く何も無かった店内をみて寿司屋をするとなれば必要だろうと材料を吟味し丹念に作り上げた渾身の一作であった。
「三春ちゃん本当に器用だねえ」
〈握り手〉の戦いを見せつけながらも相変わらずのマイペースであった小町が、慌てふためく三春の姿をみてのんびりとそんな台詞を口にする。
「そういう問題では無いですよ! ちょっと大将! 岡田さんも! 店内で暴れるのはやめてください!」
『そうだそうだ! 余所でやれ余所で! 騒がしくて昼寝も出来やしねえ!』
ガリを枕に寿司下駄の上で昼寝を始めていたマグロ寿司も三春と一緒になって抗議した。
「あなたはどうしてこの状況で昼寝を始めたのですか……」
「雪村さんがそう言うのであれば」
「確かに、店を壊されるのは御免だ。大家にまた怒鳴られる」
〈握り手〉二人も納得しその手に握った寿司を口にする。これは要するに、武士が抜いた刀を納めるのと同義である。この場においては一時的な停戦が交わされたのだ。
「では近くの決闘場で続きをするとしましょう」
「ここから徒歩一〇分の距離に石造りのコロシアムがある」
〈闇の岡田〉の提案に、忠七朗が答える。
「何故現代日本にそんなものが……」
そんな物騒な建造物の存在など知らなかった三春が驚く。
「最近人気だからねえ、決闘」
「そうだったのですか……。小町さん、物知りですね……」
ストレスをため込んだ現代日本人にとって、決闘する機会は増えつつあった。そのニーズを満たすため、各地では多くのコロシアムが作られていたのだがそんなことはどうでも良い。
とにかく忠七朗と〈闇の岡田〉。そして決闘の結末を見届けるため、三春と小町、師匠もその後に続いてコロシアムへと向かった。




