寿司十三貫目 お酢の香り
「大将、少しばかり手伝ってはいただけないでしょうか」
「うるせーな。仕込みはお前の仕事だろうが」
〈海の岡田〉との決戦から数日経つが、忠七朗は相変わらず店の仕事を全て三春に任せきりで、日がな一日ぼけーっとしていたりゲームしたりして過ごしていた。
持ち帰った駆逐艦寿司は地域住民に有償で提供し、その日のうちに全て平らげられた。
世にも珍しい駆逐艦寿司とだけあって、多くの人が集まったおかげであろう。
「それでは握りは大将の仕事ですよね」
「あぁん? 一般人相手にそう易々と寿司を握ってちゃあ、〈握り手〉の格が下がるってもんだ!」
「そうは言いましてもですね、皆さん大将の握ったお寿司を食べたいと思ってくれているのですよ。それに最近私、手からお酢の臭いがする気がするのです。女子高生として、非常にまずい状態にあるのですよ」
『酢の臭いとか最悪だな』
「あなたには言われたくないです」
三春はカウンターの上で湯飲みに入ったお湯につかって汗を流していたマグロ寿司を睨み付けた。
「酢の臭いくらい寿司握ってりゃ当然だろ。お師匠様なんて寿司の握りすぎで、脇からも酢みたいな臭いがするんだぞ」
「え、いや、それはたぶんお寿司関係ないですよ」
「チョットカイデミマス?」
「遠慮しておきます」
片腕をあげて脇を差し出した師匠を三春は適当にあしらって、仕込みの続きを始めた。師匠は残念そうな表情を浮かべて、しゅんとしてファミコン部屋へと戻っていった。
「と言うことがあったのですよ」
「へえ、そうなんだ」
小町はそういって三春の手を取ると、その指先の臭いを嗅いだ。
「別にお酢の臭いはしないと思うけどなあ」
「そうですかね? それならいいのですが」
「なめたらお酢の味がするかも!」
「なめないでくださいよ」
出しかけた舌を引っ込めて、小町は「だよね」と笑った。
「そういえば最近、隣町に新しいお寿司屋さんが出来たらしいよ」
「へえ、そうなのですか」
「うん。これがチラシね」
小町が差し出した寿司屋のチラシを眺めて、三春は表情を硬くする。
「そうなんだよね。また『ツキヂ』の関係者らしいんだよ」
「あー、嫌な予感しかしないですね……」
「この間は〈海の岡田〉さんを倒したんだよね」
「そうなりますね……。とにかく大将は『ツキヂ』が憎くて憎くてしょうが無いらしいのですよ」
「へえ、どうしてだろうねえ」
「自分より目立つお店があるのが気にくわないのだと思います」
「大将は仕事しないのに?」
「仕事しないのに、です」
三春が即答すると、小町は小さく笑った。
「なんでしょう」
「だって三春ちゃん、そう言いながらずっとあのお店で働いてるから」
「それは――そうですけれど、私にも目的があるのです――あるのですが、どうでしょう。あの大将を見ていると、もしかしたら私はものすごい無駄なことをしていたのかも知れません」
「悩める乙女だねえ。相変わらず女子力が高いなあ三春ちゃんは」
「女子力とは関係ない気がしますが……。そもそも女子力とはどういったものなのでしょう」
「さあ?」
「分からないのですか」
「言ってみたくなるじゃない。ね?」
ね? と言われても、三春にはどうにもその気持ちが分からなかった。
三春が俯いて考え込んでいると、校内放送のチャイムが鳴った。
『――二年C組雪村さん。至急職員室まで来てください。二年C組雪村さん。至急職員室まで来てください――』
校内放送が切られると、静かになった教室で三春と小町は顔を見合わせる。
「雪村さん呼ばれてますよ」
おちゃらけて小町が三春に声をかけるが、三春は首をかしげた。
「うーん、呼び出されるようなことした覚えが無いなあ」
「着いていこうか?」
「お願いしてもいいですか?」
「もちろん。わたしは暇人だからねえ」
三春と小町は連れだって、職員室へと向かった。