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寿司屋忠七郎  作者: あゆつぼ
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寿司一貫目 寿司文化の重み

世界に誇る日本の伝統料理〈寿司〉。

 そんな寿司を握る職人の中で、世界にたった二五六人しか存在しない〈握り手〉と呼ばれる能力者がいた。

 

 人口二万人に満たない小さな町で寿司屋『花勝見(はなかつみ)』を営む松波忠七朗(まつなみちゅうしちろう)も、長い修行の末師匠から〈握り手〉の極意を授かった能力者の一人である。

 しかし今、悪しき寿司文化を広めんとする闇の秘密結社『ツキヂ』の十二支部長の一人〈灼熱の岡田〉によって、忠七朗は放心状態にあった!


「大将! 大将ってば! もうっ! 唐揚げ寿司が熱くて舌を火傷してしまったからって、三日も放心してたら駄目ですよ! これでは営業も出来ません!」


 寿司屋『花勝見』でバイトをする少女、雪村三春(ゆきむらみはる)は、店内で立ったまま白目をむいて天井を見上げ放心している、後もう少しで大厄を迎えようという微妙な年頃の店主に声をかける。

 だがそれでも忠七朗は全く反応を示さない。


「オゥッ! オオウッ!」


 調理場から出てきた金色の立派なひげを蓄えた中年男性が声にならない声を上げた。

 頭頂部は禿げ上がっているものの周辺は白髪交じりの金髪に覆われており、鼻が高く目の辺りの窪んだ顔立ちも相まって、クラシックの作曲家めいた雰囲気を醸し出している。


「ああ! お師匠さんも大将に〈握り手〉の最終奥義を伝授する際に大将から溢れ出たエーテル寿司エネルギーの渦に巻き込まれてしまって以来、片時もゲームコントローラーを手放せないゲーム廃人になってしまったらしくて全然役に立たないし、どうしたらいいのでしょう」


 お師匠さんと呼ばれた、忠七朗に〈握り手〉の全てをたたき込んだ師匠――ドイツ人のホルーツ・バウアー――は、再び獲れたての秋サンマのような声にならない声を上げると、手にしたファミコンのコントローラーを振り「そんなことはない」と三春の言葉を否定しようとしたが、そんなことでは一般人の三春には伝えたいことは伝わらないのだ!


「うーん。なんとしてでも大将には元に戻って欲しいのだけれど、一体どうしたら……」


 そう一人呟いた三春の脳内に、かつて健在だった忠七朗が常々繰り返していた言葉が思い出された。



「困ったときは寿司だ。寿司を握っとけば大抵何とかなる」



 思い出したが、実際それってどうなのだろうと首をかしげた。


「ううん! 大将が言うからにはきっとそうなんだ! 大将のためにも、私のためにも、寿司を握ってみよう!」


 自分に言い聞かせるように言葉にして、三春は調理場に入り寿司を握る準備をする。


 一つ一つ材料・道具に問題ないことを確認し、すぐさま調理に取りかかった。

 まずは魚。

 忠七朗がいつ目覚めても良いように、三春は毎日市場に赴いては新鮮な魚介類を仕入れていた。


 〈握り手〉ではない自分でも忠七朗の意識を取り戻せるように、三春は少しでも寿司力の高いネタをと今が旬の秋サンマを選んだ。


「頭と内臓をとって、こうして三枚に下ろしてっと。小骨は包丁の先でくるっとカット。そしたら薄皮を引いて出来上がり!」


 常日頃からほとんど仕事をしない忠七朗に代わって『花勝見』をほぼ一人で営業しているだけあって、この程度の処理は三春にとってはなんの問題もない。

 綺麗にさばけたサンマの切り身を一度横へ置いておき、続いてシャリの準備を始める。


「ご飯はこれくらいで良いかな。寿司酢は作り置きしてあるのを使おう」


 棚から取り出した寿司酢は三春が作ったものだ。

 忠七朗は寿司酢にはあまりこだわらない主義らしく市販の酢をそのまま使っていたので、見かねた三春がレシピを考えたのだ。今では『花勝見』の味として、三春の作った寿司酢は訪れる客に受け入れられていた。


「すこーし固めに炊いたご飯を飯台に移して、ご飯が熱いうちに寿司酢をかける。かけたらご飯をしゃもじでさっくり切って、寿司酢がご飯全体に染み渡るように混ぜる!」


 白くほっそりとした腕ながらしゃもじを体の一部のように操り、湯気の立ちこめるご飯を底からすくってかき混ぜていく。


「ご飯がねばつかないよう切るように混ぜて混ぜて――よし、そろそろいいかな」


 ご飯から立ちこめる湯気の香りから寿司酢が十分にご飯全体に広まったことを確認した三春は、次の段階に移るべくご飯を飯台全体に広げた。


「一気に冷まして寿司酢をご飯に浸透させるように、うちわを使って風を送るよ! それワンツーワンツー!」

「オウッ! オウッ!」

「お師匠さん! うちわのリズムに合わせてAボタンとBボタンを交互に連打しても何も起こりませんよ!」


 寂しそうな表情を浮かべながらコントローラーの連打を続ける師匠を無視して、三春はうちわを使う手を休めることなくパタパタとご飯全体へ風を送り続けた。


「うん! そうしたらひっくり返して、もう一度同じように風を送るっと」


 しゃもじでご飯を返し、またうちわで扇ぎ始める。


「よし。湯気の具合から見て今が丁度良いタイミングだね! 水で濡らした手ぬぐいを敷いたお櫃に移して、水分が抜けるまで二時間ほど放置――で、二時間前に作っておいたのが、これだね!」


 三春は二時間前に準備していたシャリを棚から取り出して、どんと調理台の上に置いた。


「ここからは握りだよ。まずは手酢を両手に付けて、適量のシャリを玉状にする。そしたらシャリの玉の真ん中に窪みを作って空気を入れて形を整えたあと、用意しておいたサンマの切り身の内側にわさびを入れて、シャリと組み合わせる。続いてネタの両脇を軽く握って、反対側も同じようにしながら形を整えて――これで握りは出来上がり!」


 出来上がったサンマの握り寿司を寿司下駄に置くと、同じようにして作ったもう一貫をその隣に置いた。


「仕上げに刻んだネギとショウガを乗せてあげれば完成だよ! 秋が旬のサンマの握り寿司。旬のうちに一度は味わっておきたいお寿司だね!」


 出来上がった寿司を忠七朗の元へと運んでいくと、臭いを嗅ぎつけた師匠が声をかける。


「サスガのテナミデスネ。ミヒャエルサン」

「久しぶりに人語を喋ったかと思ったら人の名前を思いっきり間違えたよ!」

「オウオッ! オゥ!」

「また戻っちゃった! まあ良いか、この方が静かだし、今は早く大将の意識を戻さないと! ほら、大将。お寿司握りました。食べてください。もう三日も何も食べてないのですから、お腹すいたでしょう?」

「ス、スス……?」

「ススではなくて寿司ですよ。大将、お寿司好きでしょう?」


 寿司という言葉に反応し、喉の奥で小さな声を発した忠七朗に、三春は子をあやす母親のように優しい声で語りかけ、握りたてのサンマ寿司を一つ手に取ると忠七朗の口元へとゆっくり運んでいった。


「スシ? スシ……スシ…………す、寿司!?」


 口元に寄せられた寿司の香りを嗅いだ忠七朗は、目に正気が宿ったかと思うと目の前に浮かんでいたサンマの握り寿司をむさぼるように口に含んだ。

 少し租借して飲み込む。

 忠七朗の意識は既にはっきりとしているようであった。それでも忠七朗は何も言わず、目の前の寿司下駄に乗っているもう一貫のサンマの握り寿司へと手を伸ばした。

 寿司を口に運び、今度はゆっくりと、口の中で脂ののったサンマと酢飯の見事に調和した味を堪能する。


「――何てすさまじい寿司だ。このような寿司を無意識のうちに握ってしまうとは……。これが”握り手”の潜在能力という奴か……」

「意識が戻ったのですね、大将! ちなみにこのお寿司は私が握りました!」

「何!? 貴様が――一年くらい前にバイト募集したときにやってきた高校二年生の雪村三春が握ったというのか!?」

「はい! 具体的に言うとですね、身長一五二センチ、体重は恐らく身長にふさわしいであろう位で髪型は黒のショートカット。趣味はお菓子作りと写仏で、元気が自慢の女子高生ですよ!」

「確かに、地味ながらセーラー服とアンダーリムのメガネが似合う奴だったぜ! それはそうと〈灼熱の岡田〉の奴、よくもこの俺に唐揚げ寿司なんて熱い寿司を食わせてくれたな!」

「オッホィ!」

「そうですよね! この俺に握り寿司の全てを教えてくれた、ドイツ、ハノーファーの出身で、元は光学技士として来日。そこで知り合った日本人女性と情熱的な恋に落ちるも結婚直後に妻を病で失い、今までの人生全てを捨て妻の愛した寿司を握る道へ進み偉大な〈握り手〉の奥義を極めた素晴らしいお方であるところのお師匠様! 早速殴り込みに行きましょう!」

「オゥ!!」

「あの『ツキヂ』の小僧に、本物の寿司って奴を教えてやるんだ」

「そういえばそんな話でしたね」


 元はといえば忠七朗は『ツキヂ』の刺客、十二支部長の一人〈灼熱の岡田〉によって舌を火傷させられたがため、放心状態に陥っていたのだ。


「でもそこまですることなのでしょうか? そもそもなんで『ツキヂ』と争っているのでしたっけ」

「んなの決まってる。奴らは間違った寿司文化を広めようとする悪の手先だ。三春も見ただろう。あの唐揚げ寿司とか言う代物を。寿司ネタに鶏の唐揚げだぞ。あんなものを許していたら伝統ある握り寿司の歴史に傷がつく!」


 忠七朗は声を荒らげるが、三春はそんな忠七朗をなだめようと落ち着いた口調で語りかけた。


「でも今創作寿司っていろいろ流行っていますでしょう。子供さんも喜んで食べるので、低迷していた寿司業界に新しい風が吹いたとか言われますし」

「ガキは煮干しでもかじってりゃいいんだ! 寿司ってのは、芸術品なんだ! そこんとこを譲っちまったら、お師匠様から譲り受けた〈握り手〉の称号が泣くってもんだ!」

「オッ!」


 師匠も賛同したらしく、脂の良くのった養殖物のキハダマグロのように瞳を潤わせて答えた。


「そこまで言うのならば止めません。ですが、本物の寿司を教えるとは一体どうするのでしょう?」

「何、見ていれば分かる、ついてこい!」


 忠七朗は年甲斐もなく勢いよく店から飛び出した。

 三春と師匠もその後を追い、駅で電車に乗り、途中二回ほど乗り換えたのち、降車した駅からタクシーに乗り一五分ほどで〈灼熱の岡田〉の営む寿司屋、寿司ダイニング岡田へと辿り着いた。


 そのまま勢いよく営業中の店内に突撃すると、忠七朗と師匠は店主の〈灼熱の岡田〉の元へと迫った!


「寿司文化の重み!」

「オッ!」


 不意打ちの右ストレートをカウンター越しに喰らわせ、そこへ師匠が飛びかかり追撃する!


「寿司文化! 寿司文化!」

「オッオゥッ! オッオゥッ!」


 二人の追撃は更に続いたが、やがて〈灼熱の岡田〉がぐったりとして地面にへばりつくように倒れ込むと、二人は額にかいた汗をぬぐいとりさわやかな笑顔で宣言した。


「完全勝利だ!!」


「オッ!」


 そういうわけで、忠七朗は『ツキヂ』十二支部長の一人〈灼熱の岡田〉に完全勝利したのであった!




「これで、良かったのでしょうか……」

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