└襲撃者
――会議中。ましてや緊急会議中に、外部からの連絡が来るなど通常はありえない。
皆、一様に立ち上がる。
一番北端の魔道具に近かったヘリオドールが真っ先にそこへ走り寄り、箱を開ける。
響界内に設置されている連絡用魔道具は個人で持つものとは違い、相手方の声は周囲にも聞こえる。
その為、ヴァルトル達にもすぐにその『異様』さが伝わった。
『ヘリオドール様…ッ!』
「どうした。何があった!」
連絡を寄越して来たのは…とある部屋の警備に当たっていた筈の断罪者<ジャッジメント>。
半ば悲鳴のような相手方の声に、一同の緊張は一層高まる。
『――秘密指定書庫へ…侵入者がッ!!』
「!! 何だってッ!?」
その言葉に…皆自分の耳を疑う。
響界の秘密指定書庫には、他人の手に渡ってはならない書物を全て納めている。
そこへ至るには隠し部屋を見つけ鍵を開けて突き進み…最後に待ち受ける結界を破らなければならない。
『現在我々は、結界前で応戦中…!! 早く増援をっ、――うわぁああああ!!』
「! くそ…っ!」
悲鳴とともに、魔道具からは光が唐突に消え去る。
ヘリオドールは苦しみに耐えるように歯を食い縛りながら、急ぎ連絡用魔道具の効果範囲を響界全体へと切り換えた。
「響界内の断罪者は直ちに青区画へ出動せよ! 繰り返す、響界内の断罪者は全て、直ちに青区画へと出動せよ!!」
ヘリオドールの声が魔道具を通して拡声され、響界全体へと響き渡る。
「どういう事だ、リオ!」
「俺が知りたい位だよ! …くそ、俺達も現場に向かうぞ!!」
そもそも、秘密指定書庫へ向かう為の隠し部屋。
そこへ侵入者が入れば、その瞬間警報装置に引っかかり断罪者が出動する仕組みになっていた筈なのだ。
事前に警報装置の電源を切られていなければ、今のような侵入されてから此方に情報が伝わるなどという事態、起こる筈がない。
――なのに、どうして。
誰もが内心で頭を抱えながら、しかし今は何より事態の終息が最優先だ。
五人は、部屋の外で今の放送は何かと戸惑っていた護衛達も引き連れて、青区画――秘密指定書庫へと走った。
「――な…ッ!!」
ヴァルトル達は、飛び込んで来た光景に目を見開いた。
息をする事を忘れる程に、それは『信じられない』ものだった。
――秘密指定書庫への結界が、破られている。
…響界代表とギルドマスターの声紋で無ければ破られる事など有り得ない筈のそれが、呆気ない程に、侵入者に破られていた。
「…ヘリオドール…さま、」
「! 無事か!?」
跡形も無くなった結界の周囲で無残にも倒れているのは、二十人程の断罪者達。
彼等は皆血を流していたが、死んではいなかった。
気絶する事なく、必死に上体を起こそうとしていたのは、先程ヘリオドールに通信を寄越して来た断罪者の男だった。
「すみ、ま…せん、書庫に…侵入され…」
「いい、今は喋るな! …レスナとランジェルはここに残って彼等を医務室へ運ぶのを手伝ってくれ! ヴァルトルとナイクは書庫の中へ! …気を付けろ!!」
「ああ!!」
ヴァルトルとナイクは顔を見合わせ、頷き合い。
扉も破壊され本があちこちに落ちている書庫の中へと、突き進んでいった。
書庫の中は、かなり荒らされていた。
幾つもの本が乱雑に棚から落とされ、もはや何処の棚にどの本が入っているのが正解なのか解らない程に。
中には百冊以上入った棚ごと倒されているのもあり、歩くのすら困難を極めた。
埃っぽい匂いが充満する中、ヴァルトルとナイクは細心の注意を払いつつ侵入者の姿を探す。
「……」
否応なしに緊張感が高まり、ヴァルトルは知らず唾を飲み込んだ。
――その時だった。
「ッ!!」
気配は無かった。音も無く、並ぶヴァルトルとナイクを挟み込むように本棚が倒れて来る。
このままでは二人揃って押し潰されてしまう。しかし二人が慌てる事は無かった。
ナイクは両手を掲げながら、歌う。
それは魔術の術式展開の為の、紡ぎ歌。
「――聖なる杯を以て命じる。その源が落つる時まで、滝の奔流は全てを遮断せし護り手である。
…ログナ-ミリア!」
歌と共に、ナイクの手に集まった光は杯の形を取る。
それはギルドマスターが持つ『神の与えた叡智の欠片』のひとつ――聖杯。
金に輝く聖杯は更に光を集める。引き込まれるように、青色の粒が次々と聖杯の中へと入ってゆく。
ナイクの紡ぎ歌が終わった頃には聖杯の中から水が噴出し、床に軌跡を描いた。
そして水が床に落ちた途端――青の光が波を描き…ヴェールのようにヴァルトル達を包み込み、落ちてくる本棚から彼等を護った。
ヴェールに衝突した本棚は、力を無くしたようにゆっくりと床へ倒れていく。
「何処だッ!」
しかし、息を吐く暇など当然無い。
本棚を倒れて来たのは偶然ではないのだ。犯人は確実に侵入者――
「ヴァルトル!」
ナイクの声に、ヴァルトルはハッと見上げる。
二つの本棚が完全に床に倒れるまでには僅かに時間があった。
その為、挟み込むように倒れて来たそれはヴァルトル達の視界を遮っていた。
それは時間にしてほんの数秒。だがその数秒の間に、ナイクが聖杯を用いて行使した魔術の効力は消え失せていて。
――それを狙っていたのか。
突然降って来た雨のように、ヴァルトル達の頭上から降って来たのは――…白銀の剣。
「くっ…!」
ヴァルトルがそれを間一髪魔杖で受け止めた時、ようやく相手の全容を見る事となった。
「…チッ」
頭上からの突きが防御されたと知るや、その人間は魔杖を足場にし、宙返りをして後方へと跳んだ。
…襲って来たのは、灰色の髪を持った青年だった。
青年の憎悪を孕んだ鋭い視線と、煌めく白銀の剣を構える姿。それは青年が自らの剣をヴァルトル達に振るう事に、何の躊躇いも無いのが解る程。
「お前は何者だ! 何の為にこの書庫を…!!」
ヴァルトルの言葉に、青年は顔を歪める。笑みの形を取ってはいるが、それは嘲笑に他ならない。
「俺が何者か、だぁ? やっぱり魔術師ってのはそんなもんか。
…まぁそりゃそうか。いくら天下のギルドマスター様と言えど、全ての魔術師の名前と顔を把握なんて出来ねぇもんなァ」
「…貴方は魔術師なのね」
青年の口振りから察したナイクが呟く。しかし青年は何故か不快感を露わにナイクを睨みつけて。
「…テメェ等と同類にすんなよ。俺はもう魔術師じゃねぇ。
魔術を使うぐらいなら、自分から腹刺して死んだ方が遙かにマシだッ!!」
青年の叫びが部屋中に響き渡る。その声が空気に溶けるより前に、青年の姿はヴァルトル達の視界から『消えて』いた。
「!」
「ッらぁ!!」
青年が姿を現したのは――…ナイクの背後。
そこから彼女を斬ろうとしていた青年の剣を、ヴァルトルは間一髪で防ぐ。
「ハッ、詠唱のヒマなんて与えてやらねぇよ!」
青年はその発言通り、何度も何度も叩き込むように剣を打ち込んで来る。
まだ若い青年だが、一撃一撃は重い。
「く…っ」
ヴァルトルは内心舌を打つ。ワンパターンの攻撃故に防ぐ事は出来るが、青年の動きはかなり素早い。
気を抜けば斬られる事は確実だ。
となればナイクが魔術を使うしかないのだが、彼女が距離を置こうとするのを青年は見逃さないだろう。
持ち前の素早さであっという間に距離を詰められ、最悪――…。
――ならば。
「…聖杯を以て命ず」
「――ヒマなんてやらねぇって言ってんだろ!!」
「!」
ヴァルトルの背後に立ったまま、紡ぎ歌を始めるしかない。
そう思ったのはヴァルトルとナイク、二人同時だった。
…しかし。
人を傷付ける事に躊躇いのない人間は、時に常人とはかけ離れた能力を発揮するのかもしれない。
――ヴァルトルは、自分の身体に鈍い痛みを覚えた。
「ヴァルトル…!!」
先程まで背後にいたナイクの声が、遥か後方から聞こえる。
ヴァルトルの眼前。青年の持つ剣は、まっすぐ伸ばされていた。
…ヴァルトルの腹を、貫いて。
「…ぐっ…!!」
むせかえるような感覚がヴァルトルを襲う。
勢いのままに吐き出したのは…血だった。
――青年はあの瞬間、ヴァルトルの魔杖を弾いて。
ヴァルトルもナイクも二人纏めて突き刺そうとしていた。
ヴァルトルはそれを瞬間的に察知し、咄嗟にナイクを後方へと突き飛ばしたのだ。
「…チッ」
結果、刺されたのはヴァルトル一人。それを忌々しげに見た青年は、舌打ちと共に赤に塗れた剣を引き抜く。
そこには当然、刺されている者への気遣いなど無い。
勢い良く剣は引き抜かれ、ヴァルトルの傷口から血が噴き出す。
力なく、ヴァルトルは座り込んだ。
流れる血が、瞬く間に血溜まりをつくっていく。
「…」
その時、青年は何を思ったのか。
剣に付着した血を乱雑に払い鞘に納めると、身を翻して立ち去っていく。
…行き先は…割られていた窓。
「待ちなさい!」
ナイクの声など青年は聞いてはおらず、そのまま無言で窓の向こう――外へと逃げて行った。
――唐突な終息。しかしそれは決して良いものでは無かった。
「ヴァルトル…ヴァルトル! しっかりして!!」
必死に声を掛けると、ヴァルトルから微弱な反応が返って来る。
「いい、気をしっかり持つのよ。今、人を呼んでくるわ!」
そう言いながら、ナイクは急ぎ駆け出した。
助けを呼ぶ事しか、今はもう出来ないから。
「セイル…そろそろ元気出して欲しいんだけど…」
「……」
「ほら、えっと、そうだ。リピートにお菓子でも買っていったら? そうしたらリピートも機嫌直してくれるかも…」
「……」
「う…」
時刻は日も落ちきって、月が顔を出した頃。
ロックは再び街に出ていた。
今度は朝とは違い、シングとセイルも含めた四人でだ。
一応、明日に行う『エリィ歓迎パーティー(シング命名)』の為にお菓子等の買い出しという名目になっているが…。
「ロック。火に油注いでるからな、その発言」
「えっ!」
生暖かい笑顔を浮かべたシングの発言に、ロックは驚きの声を上げる。
そんな二人のやり取りにも、相変わらず我関せずとしてセイルは沈黙を保っていた。
――結局のところ、男性陣は先程の事があり女性陣とは行動し辛く。
普段はこんな時はメンバー全員を誘うシングも、今回ばかりはロックとセイルの二人しか誘わなかった。
エリィは別にロック達が変態認定されようが気にしていなかったのと(というか変態の意味を正しく理解しているかも怪しいが)、朝にロックが話していた『市場』に行ってみたいと言い出したので同行している。
「今度は昼間に来ようか」
「うん」
やはり時間的にそろそろ店仕舞いだからか、昼間より活気はない。
今朝の事があったため、酒場もやっていないせいで尚更人が少なかった。
ロックと手を繋いでいるエリィは、しかしある程度は立ち並ぶ店をきょろきょろと物珍しそうに見回しながら頷く。
「色々と抜けてるロックも、エリィに対しては兄ちゃんみたいだな」
「え。ちょっとシング、抜けてるってなに?」
「自覚が無いのが最悪だな、馬鹿が」
「…セイル…」
ようやく口を開いたと思えば、出て来たのは罵詈雑言。
セイルはいつも怒る時は基本的に声を上げて怒るので、今のように静かに腹を立てているのは珍しい。
ロックはその事は理解している癖に、どうにも不必要な発言が目立つ。
それを踏まえてシングは『抜けている』と評したのだが、ロックは何でそう言われなくてはいけないのかいまいち解っていない様子だ。
「あのギルドマスターは、お前への教育をちゃんとしたのか。この馬鹿っぷりは致命的だぞ馬鹿」
「おーいっ。ヴァルトルさんの悪口言うなよ!」
「えっ、ねえ、それって僕への悪口?!」
ロックが心外だとばかりに声を上げる。セイルは畳みかけるように、「抜けているというレベルじゃないな。鈍すぎる」と目を細める。
その表情は怒る気力も失せてくると言いたげだ。
「そう言うなよセイル。ここは逆に考えようぜ?
ヴァルトルさんのお陰で、ロックがこんな純粋無垢な男の子になったのさ」
大袈裟な言い方をして、からからとシングは笑う。
「…シングの言い方、何かやだ」
「お前はシングの言葉から感じる悪意には敏感だな」
「だって、今まで何度もからかわれたりしたし…」
普段から色々とからかわれているせいか、シングの発言に対しては敏感に感情を読み取れるらしい。
付き合いの長さ故に、相手方の性格をよく把握しているからというのもあるだろうが。
「そうだなぁ。ロック、昔はオレの冗談とか全部信じこんでたっけ? 『オレは実は精霊なんだよ』ってな有り得ないものまで」
「うぅ、やめてよ…今思えば恥ずかしい…」
本当に恥ずかしいのだろう、ロックは顔を僅かに赤らめて俯いた。
しかしシングはそんなロックの挙動こそ面白がっているようで、声を上げて笑い出す。
「ははっ! さすがにそん時よりは純粋じゃなくなってるか?」
「当たり前だよ…」
「信じられんな」
「うっ、酷いよセイル! シングもそんな笑わないでっ!」
正直ロック自身も、また何か嘘や冗談を吐かれても一瞬で看破出来る気はしない為強く言い返せない。
…いや、寧ろ絶対に一瞬は信じてしまいそうだという可能性の方が濃厚に思えた。
けらけらと笑うシングと、目を細めるセイルをロックが精一杯睨みつけていると。
ロックの道具袋から、僅かに光が漏れ出している。連絡用の魔道具の光だ。
「あれ。誰からだろう」
とりあえず手に取り、箱を開ける。
と、光と共に声が聞こえて来た。
『…ロック君。聞こえるかい?』
「リーブさん? どうしたんですか」
声の主はリーブだった。ロックは魔道具からの声が自分にしか聞こえない為、一緒にいるエリィ達にも話の内容が解るように心掛ける。
『…落ち着いて聞いて欲しい。とにかく今すぐ、皆を連れてギルドに戻って来てくれ』
「今すぐギルドに戻る? はい、解りました…けど」
落ち着いて、だなんて。
何が言いたいのだろうか?
ロックがそう首を傾げていると。
『――響界が、何者かに襲われたんだ』
「……え?」
…その言葉を皮切りに、ロックの胸の鼓動が早くなっていく。
エリィ達の、何を話しているのか探るような視線にも、気付けなくなる。
まさか。
いや、そんな筈はない。
否応無しに不安がロックを襲う。
だって、今、響界には。
…リーブの言葉は、そんなロックの心を抉るように、重く響いた。
『…ヴァルトル様が、襲われて。今、意識不明の重体だと。…そう、連絡が入った……』
「ロック!!」
シングが叫び、力なく魔道具を取り落としたロックの肩を揺する。
「ロック、どうした! 何があったっ!」
返事をしないロックを何度も揺さぶり、何度も名前を呼ぶ。
そうしてようやく、焦点の合っていなかったロックの瞳が、シングを捉えた。
「シ…ング…シング…どうしよう、僕、養父さん…養父さんが…っ」
「大丈夫だ、落ち着け」
錯乱しているロックを宥めるように、力強く言い聞かせるシング。
何の根拠も責任もない言葉だけれど、それ以外に言う事は見つからなかった。
「…養父さんが…」
――壊れた人形のように、ただそれだけを繰り返して。
ロックの声は、瞬く間に消える流れ星のように、儚く潰えた。
end.