└こわいと思うのは
「――そんな事があったんですな!?」
テーブルを囲み朝食を取る傍ら、ロックは先程街であった事をセイルやリピートに話していた。
やはりというか何というか、アリアは在席していない。
「いや、びっくりしたぜ! ギルドにいなかったからもしかしてと思って外に出てみたら、ロックがオッサンに潰されそうになってんだからさ」
シディアンやカヤナと別れたあの後、シングは今にも崩れ落ちそうになっていたロックを慌てて助け、共に収容部屋へと男を連れて行った。
その時のロックの様子を身振り手振りで大袈裟に表現するシングに、ロックは返す言葉もない。
恥ずかしさに肩を竦めるロックは、(だから話したくなかったんだ…)と心中で呟く。
そもそもこの話を持ち出したのはシングなのだ。
「むむ〜、やっぱり酔っ払いはタチが悪いんですな! それにしても、その女の子を助けたっていう旅人さんは魔術師ではないんですな? もしそうだったら凄い人なんですな!」
リピートが興奮気味に声を上げる。実際それには誰しも賛同だった。
魔術師が世界を統べるこのご時世、今やこれからの世界を創るのは自分だと、魔術師になる人間は後を絶たない。
そんな中で魔術師ではない人間が、あてもなく旅をしているなど。正直天文学的確率と言っても言い過ぎではないだろう。
「でも、あの時は魔術を使える状況じゃなかったから使わなかっただけかもしれない。確かに、どうなんだろう…あの人、魔術師だったのかな」
一緒にいたカヤナという女性も、あの場はシディアンに任せて静観していたから実力の程は不明だ。
自分達のように、魔術を使えない状況だったから静観せざるを得なかったのかもしれないが…。
今更になって疑問が出て来たロックは、「聞いておけば良かったな」と呟いた。
またな、と彼は言ってくれていたけれど、かたや旅人、かたやギルドメンバーでは会う確率はかなり低い。
また会えたらいいな、と。
疑問の解消だけではなく、ただ単純に向こうの人柄に好感を持ったロックは、そう思った。
「…本当に、この後アリアに会うつもりか?」
会話が収束した頃を見計らったように、セイルがロック達…主にシングに問いかける。
「そもそもアリアの方に会う気が無い。話をするどころか、姿を現そうともしないんじゃないか?」
「姿を隠すにも限度があるって。まあ大丈夫だよ、多分な」
そもそもアリアに会えるかと危惧するセイルに笑いかけるシング。根拠の無い自信だが、ロックはそんな彼の言葉にも元気付けられる気がした。
…それに。
「わたし、がんばって…みる」
「うん。一緒に頑張ろう、エリィ」
自らの意思を示すエリィに微笑み、ロックはしっかりと頷いた。
セイルやリピートと別れ、ロック達三人はアリアの部屋へと向かう。
「昨日の夜、あの後偶然アリアと会って話したんだけどさ、アリアはエリィには会わないって言ってたんだよな」
やっぱ根気良く行かないと無理っぽい、とシングは頭を掻きながらロック達に伝える。
「そっか…」
頷くロックの声は自然と落ちてしまう。元々自分の意志を曲げる事の少ないアリア。
それは子供っぽく意地を張って、考えを変えないという意味ではない。
あくまで理性的に彼女の中で結論づけられた意志は、他の要因によって変えられる事はあれど揺らぐ事はないのだ。
つまり、今回は彼女の中の『エリィに対する猜疑心』を変えるもしくは緩和させる事が目的となる。
今までアリアを論破出来た事のないロックは、無意識に自分の気が重くなっていくのを感じていた。
(…でも)
これはエリィの為なのだから。
それだけを思い、歩を進めた。
アリアの部屋に辿り着いた三人。シングに目配せされたロックがドアを軽くノックした。
「は…はははっ、はい!」
部屋の中から返事をしたのはイメリアだ。ロックはドア越しに声を掛ける。
「イメリア。アリア、いる?」
普段ならすぐに出て来るイメリアが顔を出さない時点で予想が付いているが、一応聞いてみた。
暫くドアの向こうで逡巡するような、イメリアの小さな唸り声が聞こえる。
ややあって、ようやく返ってきた答えは。
「…アリアちゃん、今は部屋から出たくないそうです」
「何でだ?」
「……それは、聞いてないので…わかりません」
シングの問いに、申し訳なさそうに答えるイメリア。ドアの向こうは静まり返る。
彼女の答えにシングはぼそりと、ロック達にしか聞こえない声で呟く。
「……ふーん」
「シング?」
「…なあイメリア、アリアは今、どんな表情してる?」
「えっ?!」
シングが再度問いかける。ロックとエリィはどういう事だと顔を見合わせた。
かなり狼狽した様子のイメリアは、「ど、どうしてですかっ?」と問いに問いを重ねる。
…その答えに、シングは何故かにやりと笑う。まるでイタズラが成功した子供のように。
「いや、オレ達はアリアに避けられる理由は一応把握してるつもりだけど、何か別の理由があるのかなとか。部屋から出て来なくてもいいから、もしあるなら教えてくれればーってな」
「え、えっ…と…」
「ん、何?」
「…あ、あの…その……」
暫く、同じような問答にならないやりとりが続き。
「…すみませんでしたぁ…っ」
――観念したように、イメリアがドアから現れて。
ロック達に向かって、謝罪の言葉と共に頭を下げた。
「いや、イメリアは分かりやすいよなぁ! 色々とさ」
「ううぅ…」
からからと笑うシングにイメリアは半ば涙目になってしまっている。
「どういうこと、シング?」
何がどうなっているのか分からないロックは、とりあえず問いかけてみた。
「アリアは真面目な奴だし、身を隠すのに協力してもらうならその理由くらいはイメリアに話してるだろうと思ってたからさ」
昨晩アリアと話をした際に『明日会いに行く』という事をばらしてしまったので、姿を眩ましてしまう可能性があるとは思っていた。
なのでイメリアに軽く探りを入れてみれば、結果は見ての通りだったという訳だ。
「つまり、アリアはここにはいないってこと?」
「は! はい、そうです…すみません…嘘を吐いてしまって…」
ロックの問いにビクリと肩を揺らしたイメリアは再度頭を下げる。それを見たロックは慌てて「そ、そんなに謝らなくていいよ」と声を上げた。
「アリアに頼まれたことをちゃんとやろうとしたんでしょう? イメリアは悪いことなんてしてないよ。アリアはイメリアがちゃんと約束を守ってくれるって、そう信頼して頼んだんだろうし」
「そうだぞ、別に謝る事じゃないって」
シングもロックに同意する。と、イメリアは恐る恐る顔を上げ、いじいじと手遊びを始めた。
「そ…そうでしょうか…? わたし、いつもこんなで、暗くて、優柔不断で、覇気がなくて…アリアちゃんにはいつも迷惑かけて…呆れられてると…」
信頼だなんて、滅相もないです。
ぽつりと呟くイメリアの瞳は揺れる。
ネガティブな事を言いながらも、ロックの言う事を信じたい、期待してもいいのかという気持ちがありありと見て取れた。
「そんなことないよ。アリアは何だかんだで優しいところあるし、イメリアは素直な子だから呆れられてなんかいないよ」
「! …そっ、そんな…あ、ありがとう…ございます……」
微笑むロックの言葉の果たして何処にイメリアは反応したのか。
目を見開き顔を真っ赤にした彼女は、か細い声でありがとうございます、と言った。
そんな二人のやりとりをにやにやと見つめていた一人は。
「ふーん? ロック、それは口説いてんのか?」
「くどく?」
シングのからかい混じりの発言に、エリィは首を傾げる。
「えっ?! は、な、なに言ってるのシングくんっ!!」
「そ、そうだよ! 僕はそういうつもりで言ったんじゃあ…」
顔を赤くして否定する二人に、シングは「冗談だよ」と笑い、それじゃあ本題に入ろうかと促した。
「イメリア、アリアの居場所は知ってるか?」
「……う」
「ん、知らないんだな。じゃあ知らないでいい、何か心当たりはあるか?」
シングは問いをすぐに切り替える。最初の問いかけをした時、イメリアの表情があからさまに焦りと逡巡の色に染まったからだ。
シングの問いに、イメリアは絶え間なく手遊びを繰り返しながら。
「…はい。心当たりなら、あります。
アリアちゃんは…」
――イメリアの思いもよらない答えに、ロックとシングは驚きに目を見開き、エリィはぽつりと一言。
「そうなんだ」
そう呟いた。
「……シング」
「ん?」
ロックは後ろのシングに静かに問いかける。その声は深く沈んでいた。
一方、シングは特にそういった点は見られず。明るい声が、閑散とした一室に響いた。
「…どうして、こうなったんだっけ…?」
「そりゃあ勿論」
アリアが風呂にいるからだろ、というシングの答えに、ロックはがっくりと肩を落とした。
――イメリア曰く、つまりまあ、アリアは少し前に風呂に行ってしまったという事で。
まさかそんな答えが来ようとは思わなかったロック達だが、ならば出迎えに行こうではないかとなったのもその直後。
男女の湯は隣同士で、正直お互いの声も耳を澄ませば聴こえる。
だからといってわざわざ行かなくとも、風呂から上がってくるアリアを出迎えればいいではないかとロックは主張したのだが――…。
『…わたし、話してみる』
エリィがそう望んだのだ。
『わたし、アリアにきらわれてる。でも、わたしはアリアとともだちになりたい』
だから、二人で話してみると。誰でもない、エリィがそう望んだのならロックはもう何も言えなかった。
…けれど。
「これって半ば覗きじゃないかなあ…」
正確には覗いていなくとも盗み聞きだ。
しかしそんなロックの呟きもシングはどこ吹く風。
「よし、行くぞ」
何故か明るく呼びかけてくるシングに、この状況をどこか楽しんでいるのではないかと訝りつつ。
ロックはシングに続いて、脱衣所の扉を開けた。
「…そ、その、本当に…だいじょう、ぶ?」
頭飾りを外し、服を脱ぎ出すエリィの傍らで、イメリアは不安げに問いかける。
エリィは特に不安を感じている様子はなく、ごくごく普通に頷いた。
「うん。おふろの入り方はリピートに聞いたから」
「そ、そういう意味じゃなくて…」
「? …じゃあ、どういう意味?」
恐らく年下(のように見える)エリィに対し、しかしイメリアは困ったように目を泳がせる。
何だかんだで、面と向かって話したのは初めてだ。元来人見知りのイメリアは、エリィに対しても例外なくそれを発揮していた。
…エリィに対して尻込みしている理由はそれだけではないとも、イメリア自身分かっているが。
『――エリィと、友達になってくれないかな』
そこで思い出すのは、昨日のロックの言葉。
…友達。目の前にいる、この少女と。
その望みは叶えられるか分からない。けれど、心の奥底から聞こえる彼の声は、イメリアの力になった。
イメリアは小さな勇気を振り絞り、エリィに再び問いかける。
「アリアちゃんのこと、怖く…ない?」
口にして、目の前のエリィが首を傾げたのを見た瞬間、イメリアはああ言ってしまったと思った。
――ロックにはあんな風に言われて嬉しかった。けれど、イメリアの中にはアリアを怖がる気持ちも確かにあるのだ。
当時の自分よりずっと小さい頃からギルドの魔術師になって、すごい才能を持っていて。
一部の人間からは『天才』などとも囁かれる彼女は、イメリアにとって憧れ半分に怖さ半分で。
ロックには、彼には決して言えない。勿論、アリアのチームメイトであるシング達にも。
自分はそんなに素直な子じゃないのだと、言いたくなかった。
イメリアはつまり、羨ましかったのだ。
避けられて、拒絶されても、『アリアと友達になりたい』と言う事の出来るエリィが。
それが無知…純粋故だったとしても。
ただ単純に、羨ましかった。
だからつい、ずっと胸に仕舞っていた思いを問いかけてしまったのだ。
エリィの顔が見れなくなる。自然とイメリアは俯いていた。
問いかけに対する、答えが怖い。
「…アリアのこと、わたしはこわくない」
「……」
やっぱり、と思った。そして、やっぱり羨ましいとも。
「だって、わたしはアリアのこと、よく知らないから」
エリィの声は淡々と、ただ事実だけを述べていく。
「だから、ともだちになりたい。ともだちになったら、わたしもアリアのこと、こわくなるかもしれないけど。
…今は、そんなのわからない」
イメリアはゆっくりと顔を上げる。エリィの表情は初めて見た時と変わらない。
感情の起伏に乏しい、けれど完全な無表情ではない、筆舌し難い表情。
「…そう、なんだ」
けれど、イメリアのエリィに対する印象は変わらない。
やっぱり、羨ましいと。何度となく心の中で繰り返した。
「イメリアは、アリアがこわいの?」
「…うん」
言い逃れする気はない。今更どうしようもない。
素直にイメリアは頷く。
「イメリアはアリアのともだちだから、そう思う。だってリピートもアリアのこと、こわいこわいって、いっぱい言ってたから」
「え…?」
イメリアはエリィの言葉に目を見張る。
何故だろう、彼女言葉は先程までと同じ。
立場の違う自分とリピートを混同した、無知故の発言なのに。
――その響きが、まるで自分を慰めてくれているように感じたから。
エリィは服を完全に脱ぎ、最後に虹色のエレメントロックが付いたペンダントに手を掛けた。
自分の胸元から離れたそれを、まるで悩むようにじっと眺め。
何を思ったのか、いきなりイメリアに差し出した。
「え、え…?」
「おねがい。もってて」
戸惑うイメリアに、エリィは言葉を続ける。
「きのうはずっとつけてたけど、いろんなひとに見られたの」
それは昨晩リピートと一緒に入った時のことだろうか。
イメリアにはエリィの行動の意図が読めない。
「ロックはずっと持ってなきゃだめだよ、って言ってたけど。それは知らないひとに持っていかれないようにだから。
イメリアなら、だいじょうぶ」
「……」
言葉足らずに、しかし自分の意思を伝えてくるエリィ。
気付けば、イメリアはその手からペンダントを受け取っていた。
虹色に煌めくエレメントロックは、知らず見とれてしまうような美しさがある。
「じゃあ、行ってくるね」
「あ…! …う、うん」
エリィは脱衣所の扉を開ける直前、確かにこう言った。
「…イメリアとも、ともだちになりたいな」
と――…。
エリィが出て行き、部屋にはイメリアだけが残された。
「……」
彼女の去っていった扉を見守りながら、イメリアは人知れず、掌のペンダントをそっと…祈るように握り締めた――…。