└その夢は
「お、アリア!」
「……何」
決意を新たにした瞬間、遠くの視界に映ったシングに眉を歪めるアリア。
しかしシングは彼女の様子に気付いているのかいないのか、手を振って声を上げた。
「ヴァルトルさんからの伝言。俺達は二週間後の集魔導祭まで休暇だとさ」
駆け寄ってきたシングは普段通りの調子の良い笑顔を浮かべている。アリアがチームから距離を取ろうがお構いなしだ。
「どうせ明日会うんだし明日に話してもいいかと思ったんだけどさ、グーゼン今見つけたから」
「…そう。…?」
一端普通に返事したものの、すぐにシングの発言に不可解なものを感じたアリアは嫌な予感を覚える。
「明日…って、どういう事? 休暇なんでしょう。…私はあの子とは会わないわよ」
喋りつつも思考を重ね、何となく察したアリアは釘を刺すように目を細めた。
だがシングはアリアの感情を無視するかの如く。
「鋭いなぁアリア! でもそんな事言わないでくれよー、ロックもアリアがいないと寂しいみたいだしさぁ」
妙なタイミングでロックを引き合いに出すシングに、アリアはますます機嫌を損ねた。
「…何でそこでロックが出て来るの」
「何でもなにも無いだろ? チームメイトが寂しそうにしてるって話だよ」
「……」
進行しているようで停滞している実りのない会話に、アリアは大きな溜め息を吐いた。
「貴方だって、分かっているんでしょう? あの子は不可解過ぎるわ。存在自体が不可解」
言うなれば危険の塊。そんな少女の事を一切警戒しないのはあまりに無防備なのだ。
「なのに、ロックや貴方達は軽く受け入れようとしている。もし何かあったらどうするの?
あの子の力は膨大。もしもの事があれば、真っ先に危険な目に遭いやすいのはロックよ。
貴方だって、それは望んでいない筈」
アリアが放つ言葉を黙って聞いていたシングは、ややあって口を開いた。
その声からはアリアが思っていたより深刻さは感じられない。
「軽く、じゃないぞ。少なくともロックは今、エリィの為に色々考えてる。それは幼稚な考えだってアリアは思うかもしれないけど、オレは信じていたい」
「…つまり、貴方は」
ロックがあの子を認める限り、自分もあの子を認めるという事?
そう問えば、シングは満足げに頷く。その表情に迷いなど微塵も見られなかった。
「それにさ、オレ達にとって確かにエリィは不可解ではあるけど、エリィ自身も自分の事全然わかんないっぽいし。
誰かが悪い事教えない限りは大丈夫だと思うぜ」
「…そう。それが、貴方の考えなのね」
アリアはシングの意思を聞き、納得した。したが、それは彼がどういう意思で行動しているかという一点に置いてのみ。
エリィと名付けられた少女の処遇に対してに納得した訳ではなかった。
シングもアリアの表情で察したのか、悩ましげに頭を掻いて。
「んー……やっぱりオレだけじゃ無理か」
「は?」
ぼそりと呟かれた言葉はとても小さく、アリアは聞き取る事が出来なかった。
が、それはアリアに聞かせようと発した言葉では無いようで、シングはその言葉を再び紡ぐ事はなく。
「んじゃあな、アリア! また明日!」
「あっ…!」
片手を挙げ、さっさと去って行ってしまう。
呼び止めるタイミングを逃し、また呼び止めてどうするのだという感情も湧いた為に、アリアは不自然な声を上げてしまった。
シングがいなくなり、再び沈黙が訪れる。
彼がいなくなった方向を見つめ、アリアは深い溜め息を吐く。
「…全く、勝手なんだから」
いつもの事だけれど。アリアはそう心中で呟くと、そちらに背を向けて再び歩き出した。
(…?)
なんだろう。言いようのない違和感があった。
心の奥がざわざわするような、また逆に包み込まれるような。
――この世…は……のものだから…
――メントも……も…界を形作るものだから…
だから…だから…?
果たしてこれは、誰の声なのだろう。
よく知っているような、もしくは…――。
「…ん…」
ロックは唐突に目を醒ました。
やけにすっきりとした目覚めだ。が、起きてすぐに分かるのは今が朝ではなく、まだ夜中だということだった。
意識がはっきりしていて、このまま寝転がっていても暫くは眠れそうになかった為にロックは上体を起こす。
…なんだろう。何か、夢を見ていたような気がする。
(夢を見るのも、夜中に目を醒ますのも、すごい久しぶりだな)
しかし夢を本当に見ていたかは定かではない。実際、起きる頃にはいつも内容を忘れてしまっているのだ。
何とか思い出そうとした事もあったけれど、結果思い出したためしはない。
だから今回も、何とも言えない違和感のようなものを感じつつもロックは気にしないようにした。
「ロック?」
「! エリィ…」
その時、起こしてしまったのだろうか、隣のベッドで眠っていたエリィが起き上がっていた。
首を傾げて見てくるエリィに、ロックは謝罪を述べる。
「ごめん、起こしちゃったね」
「ううん」
エリィは首を振り、「どうしたの?」と問いかけてきた。
その問いに、僅かにロックは言葉を詰まらせた。だがすぐにありのままをエリィに伝える。
夢と思しきものを見たこと。でも内容は忘れてしまったのだと、簡潔に。
「夢の内容はいつも、起きた時には忘れちゃうんだけどね」
言って笑みをつくるロック。夢の内容が気にならないわけではないが、さして考え込む程でもないと今は思っているのだ。
エリィはロックの話を聞くと、「ゆめ…」とぼうっとした調子で呟く。
「わたしも…ゆめ、見るの?」
しかしその問いにロックは迷ってしまった。
…エリィを普通の子と見る反面、出逢った状況を鑑みてしまう自分もいる。
どう返答したものか悩んでいると、エリィはふとロックから視線を外した。
そしてそろそろとベッドから降りて窓の外を眺め出す。
背を向けられる形になったロックは、ただその背を見つめていた。
沈黙が下りる。明かりひとつない部屋の、夜の静寂はゆっくりと時を刻んでいる。
窓に仕切られた僅かな星の輝きは、傍に寄り添う月を質素に飾っていた。
それらはエリィの目に、どう映っているのだろう。
ロックはエリィへの視線をそのままに、静かに口を開いた。
「――エリィも、眠れない?」
ロックの声に振り向き「…うん…」と浅く返事をしたエリィは、「ロックも…?」と全く同じ問いを返して来た。
「うん」「そうなんだ」と、同じ問いに同じ答えを返す。
「それじゃあ、少し話してよっか」
言って手招きするロックにエリィはこくんと頷き、彼と並んで座った。
「そうだ。ねえエリィ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど…」
あの日崩れ行く洞窟から脱出出来たのは、エリィが精霊の力を借りる『耀術』を用いてウンディーネの力を得た為だ。
しかしウンディーネの力で洞窟ごと海中から浮上する際、どうにも不可解な点があったのをロックは覚えている。
「あの時エリィは、ウンディーネの力だけじゃなくて…」
洞窟全体を覆う膜をさらに包み込んでいた光は、エリィの虹色のエレメントロックから放出されていた。
エリィは水の耀術でウンディーネの力を借りると同時に、自らのエレメントロックの力をも行使していたのだろうか。
ロックの問いに、エリィはごく普通に「うん」と頷く。大したことではない、何でもないようなことだと言っているように見えた。
「『これ』はわたし、わたしのちから」
言って、エリィは服の下に隠していた虹色のエレメントロックを取り出す。それは暗闇の中でも輝きを失わずきらきらと自己主張していた。
「わたしが呼びかければ、こたえてくれるの」
「呼びかけ…る?」
エリィの言葉にロックは首を傾げた。エレメントロックに呼びかける、とはどういうことなのだろうか。
ロックの疑問が不可解なのか、エリィも不思議そうに首を傾げる。そして、ゆっくりと説明を始めた。
「精霊にも意思があるのは…わかる?」
「うん、だから自らが力を貸す人間を選ぶって言うよね」
精霊を喚ぶことが出来る人間が限られるのはそういった理由からだ。精霊が人間を選ぶ基準はよく解っていないけれども、精霊に選ばれなかった人間が精霊を喚ぼうとしても不発もしくは暴走してしまう可能性が高いらしい。
アリアがあの時ウンディーネを喚ぼうとしたが、彼女はウンディーネに選ばれている訳ではない。素質はあるとは言われているが。
危険な賭けだった。しかしあの場ではああする以外に助かる方法が思いつかなかったのだ。
「精霊は、それぞれのエレメントの意思が集束して形となったもの。意思の総意」
「…あ」
そこまで聞いて、ロックはエリィの言う『呼びかける』の意味が理解出来た。
それを伝えれば、エリィは「そう」と肯定して。
「エレメントには意思がある。エレメントロックは、エレメントの塊。
――だから、エレメントロックにも意思があるの」
精霊と違って、小さな意思の集まりであるエレメントロックやクリスタルには人に意思を伝えるすべはない。
けれど、確実に固有の意思が存在しているのだと、エリィは言った。
「ロックは『その子』に呼びかけないの?」
エリィの問いに、ロックは戸惑いがちに頷く。
…今まで自分のエレメントロックに意思があるなどと考えてもみなかった。
赤子だった自分の傍らにあった、虹色のエレメントロック。
それに意思があるならば…。
「僕のこと…どう思ってるんだろう」
呟きながら、ロックは枕元に置いていた道具袋からそれを取り出す。
エリィの物と同じく虹色に輝くエレメントロック…ロックとともに、ずっと一緒にいたもの。
「呼びかければ、こたえてくれるよ?」
意識の奥底から、呼びかける。そうすれば、エレメントロックは答えてくれる。
エリィの言うようにやってみるが、ロックのやり方がまずいのか何なのか、エレメントロックの意思と呼べるようなものは感じ得なかった。
「僕にはまだ、難しいみたい」
ロックは苦笑する。しかし、これからはエリィの言うように『呼びかけ』をしてみようと決めた。
もし話が出来なくとも、意思が…心が、感じられるのなら。
十六年間行動を共にしてきた自分のことをどう思っているのか聞いてみたい。
もし叶うのなら、話をしてみたいと思ったから。
「…それにしても。エリィ、エレメントのこと詳しいんだね」
普段はぼんやりとした口調で話す彼女が、この話題に関してはかなり饒舌だった。
「そう…?」
「そうだよ」
頷くロックはふと、思い出す。
――何も無い世界 泡沫の世界 世界が創るは 火 水 風 土 光 天 氷 冥
意思を持った世界 色の付いた世界 世界が創るは 虚ろな器 魂を持つ からっぽの人形――。
…初めて聞いたエリィの声。いや、詩。
聞いてみても、エリィはそんな詩を歌った記憶が無いという。
火、水、風、土は世界に漂うエレメント。
光、天、氷、冥は魔術や耀聖術における『上位属性』と呼ばれるもの。
やはりここでも、エリィはエレメントに関することを歌っている。
また、『からっぽの人形』というフレーズは彼女自身が自分のことをそう語った。
「エリィ…」
ロックはぼんやりと呟く。考えてもよく解らないことだらけだ。
でも、と思う。
「エリィは、からっぽの人形ではないんじゃないかな」
「え?」
ロックの言葉に驚いたのか、エリィは僅かに目を見張る。
「だって、本当に何もないからっぽの人形なら、エレメントの知識とかも無い…と思うんだ」
なぜ、彼女が自身のことをからっぽの人形と称すのか。
なぜ、あの詩を覚えていないのか。
それは解らないけれど、彼女がエレメントに関する知識を誰が教えるでもなく最初から持っていたのは確かなのだ。
だから、今更ながらにロックはエリィにそう告げた。
「…そう……なの…?」
対するエリィは戸惑っているのか、消え入りそうな声で呟き俯いてしまう。
「わからない…でも、僕はそう思うよ」
そう言葉を重ねるロックに視線を合わせることなく、エリィはやはりぼんやりと呟いた。
「…わたし…わたしが…エレメントのこと…知ってるのは……」
まるで何かを思い出そうとするように、エリィは手を胸に当てる。
けれど、待てども待てども、次の言葉が出て来ることは無かった。
「……おやすみなさい」
どのくらいの時間そうしていただろうか。
やがてエリィは一方的にそう言って、自分のベッドへ戻ってしまった。
そしてロックに背を向けるように寝転がると、間もなく静かな寝息を立て始める。
「…エリィ…?」
そんなエリィの態度に、ロックは妙な違和感を覚えた。
だがしかし、エリィを無理やり起こして追究するわけには行かず、もやもやした気持ちを抱えつつも眠ることしか出来なかった――…。