└ともだち
とりあえず準備は明日から。…明日、アリアと話してからだ。
「オレ達がアリアと話してる間、セイルとリピートは何かやりたい事を考えておいてくれな」
「りょーかいですな!」
「……」
元気いっぱいに返事をするリピートとは対照的に、セイルは不満そうな顔だ。
「特に無い、はナシだぞ」
彼の言いたい事を見越して、シングが釘を刺す。
「……後で文句を言っても知らんぞ」
嫌々だがセイルは承諾した。
それぞれが部屋に戻り、それぞれの時間を過ごし始める。
シング達はどう思っているか解らないが、ロックはあまり自分の部屋に居るのは好きでは無かった。
エリィが加わる今までずっと一人だったし、一人で居ると友達が居なかった頃の事を思い出すからだ。
ロックは自分のベッドに腰を下ろし、部屋を見回す。
一通りの家具は揃っているし、殺風景な訳でもない。
しかし、ロックから見てこの部屋には空虚感が漂っているように思えてならない。
それは昔の事が有るからだろうか?
(昔は…ここに閉じこもっていたくなくて)
日中はいつも部屋を出て、散歩をしたり、資料庫でひたすら本を読んだり、庭でぼうっとしていた。
…一人で。
養父はとても優しい人だけれど、同時にとても忙しい人だから、あまりロックは構って貰えずにいた。
さらに、義理とは言え『ギルドマスターの息子』という称号がついて回り、周囲の人間はロックに近付こうとしない。
交わす言葉は中身の無い挨拶、ただそれだけだった。
そういった環境が、元々気弱だったロックの性格をさらに暗くしてしまった。
同い年くらいの子供は少しは居たけれど、どの人も近寄り難い気がした。
だからロックは九歳の頃まで友達はひとりも居なかった――…。
「……ロック?」
「…あ。ごめん、どうしたのエリィ?」
いつの間にか隣に座っていたエリィに服の裾を引っ張られ、ようやくロックは追憶の海から上がる。
「…どうしたの?」
「え」
どうやら、『どうしたの』はこっちの台詞だ、という事らしい。
それに気付いたロックは曖昧に笑って。
「…ごめん。ちょっと、昔のことを思い出して」
「…むかし?」
「うん。僕が今よりも小さい頃のこと」
「どうして?」
「どうして、って…」
ロックは言葉を詰まらせる。
自分の小さい頃の話など、聞いても面白い話ではないからだ。
「ロック…?」
「ああ…ごめんね。…僕の昔の話なんて、聞かない方がいいと思うよ。何も面白い事はないからね…」
「…そう、なの?」
…何だろう。いつになく質問責めを受けているような気がする。
ロックは疑問に感じつつ、エリィの問いに答えた。
「…うん。だから…僕から言えるのはたった一つだけ」
言葉を切り、鬱々とした空気を切り替えるように息を吸う。
エリィはロックの一挙一動から目を離さず、ロックが口を開くのをじっと待っていた。
「…僕のことを『ギルドマスターの息子』として見ないで、初めての友達になってくれたシングには…とても感謝してる。昔のことでつまらなくない話は、それだけ」
一年後にギルドにやってきたセイルと引き合わせてくれたのもシングだったし、チームメイトとなってからもあらゆる面で彼には世話になっていた。
ロックにとって、シングとの出逢いは、短い人生の中でのターニングポイントだったのだ。
ロックの話を聞いたエリィは、呟いた。
「…わたし、つまらない」
「え?」
思いも掛けないエリィの言葉に、ロックは間の抜けた声をだしてしまう。
しかしエリィは至って真面目に言っているようだ。僅かに眉を顰めている。
「…だって、『ともだち』がいないひとは…つまらないんでしょ?」
わたし、ともだちなんていないもん。
エリィの言っている事を理解したロックは慌てて。
「えっ、あ! ち…違うよエリィ。僕の場合と君の場合じゃ、色々とその、違いが…」
「ちがいって、なに?」
「え…と、その…」
とりあえず違うとは言ったものの、エリィの更なる問いに答えられずロックは焦る。
「…やっぱり、わたし、つまらないんだ」
いつまでも答えないロック。エリィの声のトーンが少し落ちた気がした。
「エリィ…」
気まずい空気が流れる。やがてエリィは俯いてしまう。
(どうしよう…)
困り果てて、ロックは頬を掻いた。
「えーりぃ!」
その時。部屋の扉が勢い良く開け放たれる。
「?!リピート!」
ノックも無しに入って来たのはリピートだった。
「エリィ、リピートと一緒にお風呂入るですなっ」
「おふろ…?」
「すっきりサッパリ、すっごく気持ち良いですな!」
「…あ。そうだよエリィ、行っておいでよ」
ギルドの風呂は男湯女湯で分かれている。
流石に風呂にまで一緒に入る訳には行かないし、リピートの申し出はありがたかった。
「エリィ、女の子はキレイにしといたほーがいいんですな」
「…そうなの?」
「ですな!」
暫く考えている素振りを見せたエリィだったが、やがてハッキリと頷いて。
「…じゃあ、わたし、リピートとおふろはいる」
「やったぁですなー! 早速行くですな、エリィ!」
よほど嬉しかったのか、リピートは飛び上がり喜びを表現する。
「…うん。 …ロック、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい。リピート、エリィをよろしくね」
「アイアイサーですな!」
リピートはエリィの手を取り、風のように去っていった。
結果、ロックは一人になる。
「ひとりか…」
呟く。思っていた以上に小さな声は、あっという間に空気に溶けてしまった。
(……エリィには、置き手紙しておけば…いいかな)
やはり自分の部屋で一人で居るのは好きではない。心の中がざらつくような感覚に囚われる。
エリィに対する罪悪感を秘めつつ、ロックは暫く部屋を出る事にした。
目的地は…修練場だ。
ギルド内の『修練場』とは、九つの区切られた小部屋とそれを繋ぐ廊下を総称してそう呼ぶ。
小部屋の様子は外からは見えないようになっており、また簡易結界が張られているため中に居る人間が魔術を行使しても被害は及ばないようになっている。
ロックは空いている部屋が無いかと一つ一つ見て回る。
しかし、どの部屋にも誰かしらが居るようだ。扉の前には貼り紙がある。二つの枠線が引いてあり、そこにはそれぞれ現在の使用者の名前と、使用時間が書かれた貼り紙があった。
やっぱりか。ロックは肩を落とす。
そもそも、今は集魔導祭も近い。いくら修練場の使用時間は一回に二時間という規則があるとはいえ、九つしかない修練場の競争率が高いのは当たり前といえる。
落胆しつつ見て回ると、最後の部屋…突き当たりで、よく知る名を見た。
「…セイル」
紙に書かれた文字を指でそっとなぞる。見た事のある筆跡、間違いない。
と、その時予想だにしていない事が起きた。
「…え?」
突然、扉が向こうから開けられたのだ。
「うわわっ、――痛!」
貼り紙に注目していたロックは反応が遅れ、驚きのあまり身体のバランスを崩してしまう。
それでも何とか後退しようとするが、あえなく盛大に尻餅を着いてしまった。
「イたた…っ」
したたかに打ちつけた箇所をさするロックに、頭上から声を投げかける者が一人。
「…ロック? 何をやっているんだ」
勿論、部屋から出てきたセイルだ。首にタオルという出で立ちの彼は、訝しげにロックに声をかける。
彼からしたら、鍛錬を終えて部屋を出たら尻餅を着いているチームメイトに遭遇という訳が解らない状況だろう。
「や、やっぱりセイルは早いね。僕達と別れてからすぐ来たんでしょ?」
ロックは恥ずかしさを誤魔化すように苦笑を浮かべ、急いで立ち上がり話を切り出す。
セイルは汗だくで、髪の毛が額に張り付いているほどだ。
しかし息はそこまで荒くない。自分達と別れてからさほど時間は経っていない事を考えると、早めに切り上げたのだろう。
今は彼が前に立っているので確認することは叶わないが、扉の貼り紙にも30分程度しか借りない旨が書いてあったような気がした。
セイルはロックの質問に揺るぎない声色で答える。
「ああ」
ギリギリ、一つ空いていたのは幸いだったな。
「でも、珍しいね。いつもセイルは修練場に籠もるときっかり二時間まで入ってるでしょ?」
「まあ…そうだな。…今日に関しては例外だ」
曰く、此処に来た時の時間と夕食の時間を考えての事らしい。
…その答えを聞いて、密かにロックは喜びを感じた。
チームメイト同士で取っている食事。
セイルは鍛錬よりも自分達との時間を優先してくれた。ロックはそれがとても嬉しいのだ。
その気持ちが自然と顔に出てしまったのか、いつの間にか目の前のセイルは訝しげに顔を歪め。
「…なんだ、その顔は」
「えっ?」
「…まあいい」
ロックのことだ、シングやリピートのように妙なからかいでは無いだろう。
セイルはそう思い話を切り替えた。
「――しかし、毎度の事ながらシングの突拍子のない発言には辟易させられるな」
呆れたような声色。だが、口元は笑っていた。
「そういえばセイル、今度やる事考えてる?」
セイルは元々、友人と共に遊ぶなんてタイプでは無かった。
ロックやシングとつるむようになってからも、遊ぶ内容はシング(時々ロック)が言い出し、決めていたのだ。
本来遊ぶのが苦手なセイルが、一体何を自分達とやりたいと言い出すのか。
ロックは興味津々だった。
ロックの問いに、セイルは一瞬目を見開いたかと思えば、急に苦虫を噛み潰したような表情になり。
「……今から考える」
ああ、忘れてたんだ。
無愛想だと思われがちなセイルが、コロコロ表情を変えるのを密かに楽しみつつ。
ロックは「じゃあ、一緒に食堂まで行く?」と誘った。
「…リピート、そっちに来たか?」
「?うん、来たよ。エリィと一緒にお風呂入りに行った」
「そうか…あいつは、『エリィと風呂に入る』と堂々宣言して部屋を飛び出して行ったからな」
広々とした廊下を並んで歩きながら、セイルは話を切り出す。
ギルド内では基本的に男女別で部屋割りされているが、セイルとリピートは訳あって同室だ。
性格に全く共通点の見られない二人だが、何だかんだ仲良くやっている…らしい。
実際セイルはリピートと出会ってから、性格が丸くなったと思う(シングやアリア曰く、『セイルはリピートに甘い』。ロックも何となくそう感じる)。
リピートがギルドにやって来る以前は彼はどこかいつもピリピリしていて、今のように談笑など出来る雰囲気ではなかったからだ。
「…あいつは昨日の夜部屋に帰ってからもうるさかった。『エリィと友達になりたい』だの『友達になれたらどんなことして遊ぼうか』だの」
あいつの話に長時間付き合わされた。その時の事を思い出しているのか、セイルは額を抑え、疲労感たっぷりに溜め息をついた。
「…あ、でもちゃんと最後まで付き合ったんだ」
意外だ。例えばシングが夜中に絡んで来たって、セイルは一人で寝るだろうから。
ロックの言葉の意図を読んだのか、セイルは苦々しげに。
「……うるさくて眠れなかった。あいつの話を聞くのが、あいつを黙らせる最速最良の手段だと思っただけだ」
セイルはそう言って顔を逸らす。心なしか耳がほんのり赤く染まっている気がした。
(やっぱりシング達の言う通り、リピートには甘いんだなあ)
ロックは心中で零した。
「…ロック。お前、さっきから人の顔を見てニヤニヤと…。いい加減言いたい事があるならハッキリ言葉にしたらどうだ」
最初は大した事ではないと放置していたが、流石に何度もそれが続けば気になるというもの。
セイルは目を細めて、半ば睨み付けるようにロックを見つめた。
「えっ、僕そんなに変な顔してたの?!」
一方ロックはまさか自分がそんな顔を緩めているとは思いも寄らず、驚きに目を見開いた。
そんなロックの反応を予想していたのか否か、セイルは薄笑いを浮かべて「……無意識か。ある意味お前らしいが」と小声で言う。
…ロックとしては聞き捨てならない。主に最後のほうが。
「えぇっ…どういう意味!?」
「そのままの意味だ」
ロックの反応がよほど面白かったのか、セイルは今度は僅かに声を上げて笑った。
それはロックのような大人しい笑みでも、シングのような子供っぽい笑みでも無い。
自分の感情をセーブしようとしているが、耐えきれず口元から漏れ出てしまったような、そんな笑い声だった。
そうやって二人で談笑しつつ、歩いていると。
後ろから声を掛けられた。
「あのっ……」
躊躇いがちに紡がれたその声は、ロック達と変わらない年頃の少女のもの。
ロックとセイルは揃って振り向いた。
「イメリア。こんにちは…あ、こんばんはかな?」
「じ、時間的に言えば…もう少しでこんばんは、でしょうか」
もうすぐ夕方になるので、と言う少女はイメリア・フレル。
ロック達とは別のチーム『ウヅキ』の人間だ。
「何の用だ」
「ひッ、ぁ、あの…その…」
腕組みをしたセイルが冷然と言い放つので、イメリアは怯えたように肩を揺らした。
「…セイル、本当にもうちょっと愛想良くなった方がいいよ」
胸の前でせわしなく手を動かしているイメリアを見かね、ロックはセイルに言う。
「…必要になったらな」
「今すでに必要になってるよ! セイルは誤解されやすいんだから…」
「…俺自身が必要と感じない」
キッパリと返される。少しムキになっているような声色なのは、常日頃シングやリピートやらにも同じ事を言われているからだろう…。
「ごめんね、イメリア…セイルは本当は悪い人じゃないから…」
「…あっ、い、いえ…私が、セイルくんにとって気に入らない態度を取っているだけ、なので…」
ロックはセイルに今すぐ態度を改めて貰う事を諦め、イメリアに笑いかけた。
すると、ようやくイメリアの方も笑みを返してくれたのでロックはほっとする。
――しかし、頬を染めたイメリアの言葉は、ロックの胸に突き刺さる事となった。
「だから、…その、ロック様は、気にしないで…ください」
…ロック『様』。
その言葉に…一瞬だけ、笑顔が強張ったのが自分でも分かった。
自分と同じ年数しか生きていない人に、ギルドマスターの息子だからという理由で他の人間とは違う『壁』を造られる。
その事実がとてつもなく嫌だった。
この言いようの無い気持ち悪さはどうにも慣れそうに無い。
セイルの視線を感じつつ、ロックは平常心であるよう努めた。
「…あ、あぁうん。…はは、は」
…明らかに無理矢理作った笑顔になってしまった。
つくづく自分には嘘やごまかしは無理だと痛感させられる。ロックは心中で溜め息を吐いた。
イメリアもロックの様子に気付いているのだろう。何か言いたげに口を開閉し、手遊びを再開している。
だが結局ロックに言葉を投げかける事は無く、セイルに「…それで、何の用かと聞いた筈だが」と促されてしまい、イメリアは小さく溜め息を吐いてから話し出した。
「…その、アリアちゃんと…何かあったんですか?」
思いも寄らない言葉に、ロック達とは目を見開く。…が、よくよく考えてみればそこまで不自然な話ではない。
イメリアはアリアと同室の人間だからだ。
「えっ、と…アリアはね、…うーん…」
何と言えばいいだろうか、今の状況は。
頭を抱えるロックに対し、セイルは平然と言い放つ。
「…お前には関係な」
「セイルっ!!」
「……」
ホント、勘弁してくれないだろうか…。またイメリアが怯えているし。
「は、話したくないこと、なら…すみませんっ! 聞かないです…」
「ううん、そんな事ないよ。同じ部屋で寝泊まりしてる人が不機嫌じゃ気になるのは当たり前だよ、うん」
慌ててフォローに回り、ロックは簡単に説明に入る。
「もう知ってる…かな。エリィのこと」
「あっ、は…はい。あの…ロック様の部屋に暫く住むことになった女の子…ですよ、ね…」
さっきリピートちゃんと歩いているのを見ました、イメリアは手遊びをしながら言った。
…心なしか声に元気が(さっき以上に)無いことにはロックは気付かない。
「うんそう、その子」と普通に話を続けた。
「アリアはエリィのことを怪しんでる…っていうか、警戒してるのかな。エリィのこと、信用しないって…そう言って」
それきり、自分達から離れてしまったと伝えた。
「そう…だったんですか」
イメリアは目を泳がせて、何を言えばいいのか分からないといった様子だ。
「イメリアには申し訳ないけど…今はアリアはそっとしておいた方がいいかもしれない」
ロックが助け舟を出すと、「そう…ですよね。…ごめんなさい」とイメリアは頭を下げた。
「気にしないで。これは僕らのチームの問題だし……あっ、でも…」
そこまで話して、ロックは明日のことを思い出す。
明日はシングやエリィと共にアリアに会いに行かなければならないのだから、同室であるイメリアに何かしら迷惑を掛けてしまうかもしれない。
それを伝えれば、「あ、……私のことは、何も…気にしないでください」となぜかイメリアは綻んだ。
「…むしろ私の方が…ロック様やシングくん達に、…ご迷惑を掛けないようにしないといけません…」
かと思えば、喋っている内にさっさと元の緊張した顔に逆戻りしてしまう。
「大丈夫だよ。僕もシングも、イメリアを迷惑になんて思わないし、勿論アリアも……エリィも、多分」
エリィに関しては確実にそうだとは言えないのが何とも…だが、ロックは正直に伝えた。
実際イメリアは良い子だと思っているし、シングやアリアもそうだろうと感じているからだ。
「はっ、はい…! ありがとう、ございます…」
顔を真っ赤にして、イメリアは再び頭を下げた。
思い切り下げた為に、彼女のポニーテールが生き物のように勢い良く動いた。
「あ、頭なんて下げなくていいよ! ……あ」
そうだ。
あることを思いついたロックは、イメリアに顔を上げて貰ってから。
「あの…イメリア。もし、もし良ければ、なんだけど…」
「はっ! はい! わわ私で良ければ!!」
沸騰しているのではないかと思うくらいに顔を真っ赤っかにして、声を上げるイメリア。
セイルはその様子に密かに溜息を吐く。
なんというか、ロックの言いたいことが読めただけに彼女の様子が哀れに感じられたのだ。
そしてセイルの予想通りにロックは告げる。
「その、…エリィと友達になってくれないかな」
あ、いや、無理になってって言ってるんじゃなくて…その。
普通に話をしてくれるだけでいいんだ。
今はリピートがお風呂に連れて行ってくれてるけど、やっぱり女の子で話せる人はもっといた方がいいと思うし。
アリアは今のところ、それを頼むのは無理そう…だし。
「イメリアぐらいしか頼める人がいないんだ。…ごめん。できれば、でいいし、イメリアが忙しい時とかは無理しないでいいから」
ロックの言葉の一つひとつに、イメリアはあからさまに元気を無くした。
肩を落とし、僅かに眉を寄せている。
(……)
セイルは、他人事だがさすがに哀れに感じた。口には出さなかったが。
「……。…わ、わかり…ました。私のできる限りで、……そうして…みます」
「…! ありがとう!」
にこにこと笑うロックには、悪気など全く無い。無いのだが。端から見ると……である。
嬉しそうなロックの様子に、イメリアは僅かに口元を崩して。
「…そ、それでは……失礼…しました」
と足早に去っていってしまった。
イメリアを見送り、その姿が完全に見えなくなると、セイルは大きな大きな溜息を吐いた。
「? どうしたのセイル」
「……ロック、お前…。……いや、何でも無い」
忘れろ。
そう言って、セイルはさっさと歩き出してしまう。
「え? 何っ、ちょっと…セイル! 待ってよー!」
慌てて追いかけるロックには、セイルの考えている事は勿論、イメリアの事も全く分からなかった。
「ロックぅぅうううううっ!!! やっと見つけたですなぁああああ!!」
「ぅわあっ?! …り、リピート!」
食堂に着くや否や、後ろから強い衝撃。
まさかの不意打ちにロックはつんのめる。
ギリギリで顔面強打は免れたものの、寿命がかなり縮まったような気がする。
「リピートとエリィは、お風呂からあがってすぐにロックの部屋に行ったんですな。…そしたらなんと、ロックがいなかったですな! まさかエリィのことを放置して男二人珍道中してただなんて…リピートはショックですな!」
「……」
突然物凄い勢いでまくし立てるリピートに、セイルは頭が痛いとばかりに額を押さえた。
そして、お前が原因なんだから何とかしろとロックに視線を投げる。
「うぅ…ごめん…でも僕、部屋に置き手紙してたと思うんだけど…」
「ロック、修練場にいなかった」
リピートの後ろから進み出て、エリィは淡々と言う。
風呂上がりで火照った身体と、その無表情は何ともミスマッチに思えた。
「うっ」
…事実なだけに、ロックは何も反論出来ず。
「ご…ごめん…エリィ。リピートも」
「ですな!」
さも不機嫌と言わんばかりにリピートは鼻を鳴らす。
「…べつに、いい。ロックのこととか、いろいろリピートからきいたから」
「へっ!?」
エリィの予想外な言葉にロックは目を見開いた。
「…あと、セイルのことも」
「何だと?」
「あぁーっ!! それはダメですなエリィィィイイ!!」
エリィの発言はリピートも想定していなかったのか、かなり慌てた様子でエリィの口を塞ぐ。
「…? ふぁんで、くひ、ふひゃぐろ?」
口を塞がれても、エリィはリピートの意図を理解出来ていないのかもごもごと喋る。
「ロックについてはともかく、セイルのことはダメって言ったですなぁ!」
自分が墓穴を掘っていることに気付かないリピートに…。
「…ほう…? 俺の話なのに、俺に聞かれると不味い話なのか…」
「……う」
黒く重々しいオーラを感じる。
内心かなりビクビクしていながらも、リピートは勇気を出してロックの隣にいる人物に顔を向けてみる。
…一瞬だけ、目が合った。
「…ひ、ヒィィイイッ!」
すぐさま視線を外す。…あまりにも冷たい瞳で睨まれた。
(見なければ良かったっ! 怖い、怖すぎるですなぁ!!)
このままでは自分は捕って食われる!!
ロックやエリィのことは意識から外れ、その場にしゃがみこんだリピートは一人生命の危機を感じていた。
「…」
「ひぇぇえええ…」
大した距離ではないのに、セイルはゆっくりゆっくりリピートに近寄る。
…無言なのが怖すぎた。その身に纏った黒いオーラにはリピートだけではなく、ロックも怖くて手出しできない様子だ。
「おい」
「は、ハイ…ななな、なんですなっ?」
「お前、一体何を――」
突如頭に衝撃を感じ、セイルの言葉は途切れる。
「はいはい、ストップな」
後ろからセイルの頭にチョップをして止めに入ったシングが、やれやれと肩をすくめた。
後ろ…食堂側から出て来たという事は、ずっとこちらの騒ぎに気付いていたのだろうか。
そしていつまで経っても事態が収束する気配が無かったから、仕方なしに腰を上げたのか。
「お前らさ…未だに気付いてないのか?」
「「?」」
「後ろ」
呆れた様子のシングに促され、ロック達は揃って振り向く。
「………」
…食堂の入口で騒いでいた事を、すっかりと失念していた。
ロック達の後ろには、食堂に入りたくても入れない人で行列が出来ている。
「あぁあああ! ごめんなさいっ!!」
ロック達は、暫く食堂の入口脇で頭を下げ続ける事となった。
セイルやリピートが不満げで、待っていた人々がロックに対しては頭を下げないでくれと遠慮していたが、シングは全員に頭を下げさせた。
結局、五人が食事にありつけたのはそれから四十分後のことである…。
「全く、喧嘩するなら人様に迷惑の掛からない場所でやれよな」
チームの連帯責任だと言って、自分もロック達に混じって頭を下げていたシングが口を尖らせる。
シングの言葉にも、セイルはふんと鼻を鳴らし、リピートは自分は被害者だと言ってのける。
そしてそれに対し被害者は自分だとセイルが反論、結局また口喧嘩に発展していた。
「はぁ…駄目だこりゃ」
「シング、ごめんね…元はと言えば僕が原因なのに…」
「ロックはいい奴だよなぁ、ちゃんと反省するんだもんなぁ」
それに比べてこの二人は、と言いたげにセイル達を一瞥。シングの視線になど全く気付く気配も無い二人に、再び溜め息を吐いた。
「…それで。お前の心持ちに変化は無いのか?」
ようやく不毛な言い争いを止めたセイルが、シングに問いかける。
「ん? アリアの事か? そうだなー、他に良い手が思いつかねーし。明日の予定は変わってないな」
それとも、セイルは何か考えでも?
シングの言葉に、セイルは眉を顰めて静かに首を振る。
「…考えるのは得意じゃない」
だからお前やロックに任せる、とセイルは言い、「だが」と付け加えた。
「やはり、難しいぞ」
チームとしての任務なら、アリアは基本的にリーダーであるシングに従うが。
今回はチームなど関係無い、完全に彼女自身の感情が頑なにエリィを否定しているのだ。
そんな彼女を説得して、しかも普段ですらあまり付き合ってくれない遊びに誘うだなんて…寧ろ成功する図が浮かんでこない。それは誰もが同じだろうとセイルは締めくくった。
「…うぅー…アリアはエリィのことを誤解してるですな」
エリィは危険なんかじゃないですな。リピートは拗ねたように言った。
「…うん……」
ロックも、エリィがアリアの言うような危険人物には思えない。
確かに膨大な体内エレメント量を有しているようだが、あの洞窟で自分達が助かったのはエリィがウンディーネを召喚したお陰だ。
自分の力について自覚が無いというなら、傍にいる人間が教えていけばいいのではないかと思う。
…アリアが聞けば楽観的過ぎると切り捨てられそうだが、ロックはそう思えてならなかった。
(…何より)
出会ったばかりの人を、あいつはこうだと決めつけて欲しくなかった。それが仲間であるアリアなら尚更。
ロックとしては、自分の事を『ギルドマスターの息子だから』と必要以上に持ち上げたり謙遜するような人とアリアを一緒にしたくないという気持ちも強いのだ。
「まー、何とかなるだろ。多分な」
「お前はいつもそうやって適当な事を…」
「お、そうだ。いざとなったらロックが泣き落とし作戦だなっ!」
「えぇっ!? 何で僕がそんな事!」
シングの酷い思いつき作戦にロックは非難の声を上げた。いくら何でもそれはないと思う。
「ロック…なきむし、なの?」
「違うよっ! やめてよシング、エリィに勘違いされちゃうじゃないか!」
「ロックは結構涙もろいですな」
「リピートっ!」
勘弁してくれと嘆くロックに哀れみの目を向けるのはセイルだけだった(向けるだけで助けてはくれないが)。
シングはロックの反応に「結構いい作戦だと思ったんだけどなぁ」と不満げだ。
「俺が見るに、アリアはロックに弱い。ロックが苦手とも言う」
「そんなはっきり言わなくても…」
初めて会った時からチームメイトになって暫くの間、ロックはアリアに苦手意識を持っていた。
素晴らしい成長を遂げる魔術師として周囲に期待されているアリアと、魔術師としての才能は皆無と言って良いだろう自分とでは住む世界が違う。だから苦手だった。
けれど共に過ごしていく内に、アリアはアリアでお人好しな所があったり、面倒見が良く優しい面もあると気付いてからは変わっていった。
アリアがロックに苦手意識を持っているとすれば、距離を計りかねているというか…『自分とはあらゆる面で違い過ぎる』ロックに、どう接していいのか未だに解らないと言った所だろうか。
「ロックがこう…涙をポロリしちまえば、アリアも狼狽えて折れてくれそうだと思わないか?」
「お、も、わ、な、いっ! やめてよ本当に!」
「あー…悪いワルい。…悪かったって」
心の底から謝っているように見えないシングの態度にロックは精一杯睨みを利かせ、ようやくちゃんとした謝罪を言わせる事に成功した(当のシングは苦笑しているが)。
「もう…」
「いや、悪かったよ本当。ロックの反応がいちいち面白いからつい、な」
「同感ですなっ」
同調するリピートと顔を合わせ、シングは愉快そうに笑い合う。
ロックは口を尖らせたが、それ以上は何も言わなかった。
本気で怒っている訳では無いし、いつもの事だから。
「……」
…と、いつの間にか隣のエリィが食事の手を止め、こちらをじっと見つめていた事に気付いたロックは「どうしたの?」と声を掛けた。
自然と全員、エリィに注目する。
エリィはロック・シング・リピート・セイルの順に見回し、口を開いた。
「…ともだちって、そういうの?」
そういうの、とは。友達とはそういうやり取りをするのか、という意味だろうか。
「そうそう。友達ってのはいれば楽しいし、そこにいるだけで自分の助けになってくれるような存在さ」
辛い時にもお互いが支え合える関係。助けて助けられて、守って守られて。
少なくともオレにとってはそんなんだよ、友達は。
「エリィもこっちに来るか? 楽しいぞ、ロックをいじるの」
「もうっ、またシングは!」
「…わたしが…」
仲間に入らないか、というシングの誘い。
エリィはその突然の誘いに対して、自分がどうしたいかの判断がつかないらしい。戸惑いがちだ。
「リピートにとっては、もうエリィは友達ですなっ!」
シングに続きエリィを助けるかのように、リピートは満面の笑みを浮かべた。
「そうなの? じゃあ、わたしにとっても、もうリピートは…」
「友達ですな!」
「…そうなんだ」
エリィは顔を綻ばせる。嬉しいのだろう、さっきはロックの話に対して『友達がいない自分はつまらない』と言っていたのだから。
「良かったね、エリィ」
「うん」
頭を撫でてくるロックを見上げ、エリィは強く頷いた。
「…で、さっきから黙り込んでる奴が1人いるんだが…まあお前はシャイだからな、セイル」
「誰がシャイだッ!」
すかさず言い返すセイルだが、しかし黙り込んでいたのは事実。
「シャイ…セイルははずかしがりや、なの?」
「違うッ、断じて違う!」
先程と似たようなやり取りを繰り返してから、シングは何かを思いついたように切り出す。
「エリィ、セイルは昔は今よりもっとかたっくるしい奴だったんだぜ。その時と比べると今のセイルは本当シャイボーイ」
「おいッ、お前!」
「知ってるよ」
からかい混じりに話し出すシングと、それを止めようとするセイルに、…エリィ?
エリィの謎の発言に、全員が再びエリィに注目する。
…リピートだけが顔を真っ青にしていたのが、ロックの視界の隅に映った。
「さっきリピートから聞いたから。むかしのセイルは…いまよりもぶあいそーでつめたくて、いまみたいに、からかいがいはないって。だから」
「すとーっぷ! 頼むからストップして欲しいですなエリィィィイイーっ!!」
リピートが立ち上がって制止するも、もはや後の祭り。
「……なるほど。そういう事か……」
「!! …せ、せいる…ほっ、ほら、リピート達はさっきシングに怒られたばっかりですな。だから…ここでまたケンカとか事件起こしたら、みんなにメーワク掛けるですな! だからだからどうかここは穏便に物事を進めるべきだとリピートは進言してみるんですなっ…!」
冷や汗をだらだら流しながら、正面に座っているセイルに必死で懇願する。
「安心しろ。またここで騒ぎを起こしたりはしない」
「! よ、良かったですな! さすがセイルはオトナですな〜っ!」
ホッと一安心するリピート。しかしその次の瞬間、その安堵の笑みが静止画のように固まる事になる。
「その代わり、部屋に帰ったら…解っているな?」
セイルは笑っている。だが目は全く笑っていない。笑みのえの字も無かった。
…セイルは今、かなりキている。間違いない。
「ひ……ひぇぇえええあああ!!」
筆舌し難い叫び声を上げ、頭を抱えてリピートは机の下に隠れた。その叫びと挙動で再び5人は注目の的になってしまっていたが、当のセイル達は全く気付いていない。
シングは溜め息を吐き、ロックは居辛そうに肩を竦めた。
「ロック、シング」
「ん?」
「どうしたの?」
そんな二人を呼び、エリィが小さな声で先程言い掛けた言葉を紡ぐ。
「…『だからリピートは、いまのちょっとぶあいそーで、からかいがいがある…たまーにやさしいセイルのほうが、ずっとずっとすき』って、いってた」
「ふんふん、成る程な」
「あ、だから…」
リピートとしては、昔のセイルに対するある種の罵倒よりも、何よりもそれを聞かれるのが恥ずかしかったのだ。
だからエリィがそれを言おうとしたのに気付くとすぐさま遮ったのだろう。
「言っておくが、逃がさないからな。もし他の人間の部屋に逃げたら……さて、どうするか」
「かかかかかっ、勘弁して欲しいですなっ! ごめんですな、ごめんですなー!」
3人の会話など全く耳に入らず。
セイルとリピートは、(ロック達が見ている分には)微笑ましいやり取りを続けるのであった。
「アリアちゃん、ずっとここにいたの…?」
アリアはルームメイトのイメリアが部屋に帰って来るなり放った言葉に僅かに眉を潜めた。
「ごっ、ごめんなさい! で、でも、ろ、…シングくん達と一緒じゃなかったから、なんでかな、って…」
そんなアリアの反応に、すぐさま怯えきった声を上げるイメリア。
(まるで私が悪者ね)
アリアはそう一人ごちる。
自分が愛想がいい方ではない自覚はあるが、だからといってこんな反応を毎回されるのも困る。
…そう。こんなやり取りは、ルームメイトになった時から繰り返されている。日常茶飯事なのだ。
人の性格にどうこう言う気はない。が、彼女は些か臆病すぎると思う。
アリアは内心溜め息を吐きつつ(本当に吐くと彼女がまた怯える)、イメリアの問いに答えを返した。
「ずっといたわ。…別にチームメイトと必ず食事は一緒でなければいけないなんて規則は無いしね。
貴方、シング達に会ったの」
「あ、うん…何だかすごかったから、話は出来なかった…けど」
「? どういうこと」
意味が計りかねる。詳しく聞いてみれば、他愛もない。シング達が食堂の前で騒いでいたという話だった。
「人の迷惑を考えないのかしら…あの子達は」
リピートはもはや言うまでもないが、セイルやシングももう少し他人の目を気にした方がいいと思う。
ロックは…そんな彼らの暴走を止められたためしが無いし。
「私は今から食事にするわ」
会話を打ち切り、アリアは立ち上がる。
「い…いってらっしゃい」
そんな彼女を、イメリアはぎこちない笑顔を浮かべて見送ったのだった。
ひとり回廊を歩くアリアは思考する。
…何だかんだと言って、今日のように一人で食事をするなど久しぶりだ。
以前一人だったのはいつの事だったか思い出せないほどに。
いつだって、傍には彼らがいた。
(……)
アリアは感傷的になりそうな頭を切り替え、ロックが見つけたあの少女についてを考える。
少女を見つけた場所は、どう考えても普通の人間が出入り出来るような場所ではない。
しかもロックが言うには、彼が持つ物と同じ虹色のエレメントクリスタルの中で眠っていたという。
アリアからすれば、そもそもロックの所持するそれも実際にこの目で見るまでは眉唾物だったのだが。
今回の一件で、そんな代物が二つは存在すると判明した。
恐らく、ギルドマスターは今回の件について他のギルドと連絡を取り合う事になるだろう。
シングやリピートが何かを隠しているのが気になるのだが、いつもは口が軽いリピートも何ひとつ情報を漏らさなかった。よほど強くシングから口止めされているのだと考えられる。
(何にせよ、あの子は危険だわ)
少なくとも、彼女に関する真実が何も明かされない限りは。
警戒しなければいけない。
決意をさらに固くして、アリアは歩を速めた。