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element story  作者: 水風鈴
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●第一節『ニジイロ』



「――さあ、行くぞ」


壮年の男女達が、列を成して砂浜を歩いていた。

リーダー各らしき男が他の四人に告げた後は誰もが無言を貫き、ただひたすらに目的地へと向かう。



――彼等は、エレメントクリスタルを目指していた。


エレメント……それは全ての命の源。世界を構成し、生命を構成するモノ。それらが結晶化したものが、エレメントクリスタルだ。エレメント量が多い場所に群生し、世界にエネルギーを与えている。


この海岸の近くには『水』属性のエレメントクリスタルの群生地があるのだ。

この世界の源と言われるこのエレメントは、魔術師らが統べる響界きょうかいの管理下にある。


ここにいる彼等は、響界直下の魔術師団体であるギルドの人間だ。響界からの依頼を受け、エレメントクリスタルを採取する役目を負っていた。



彼等は砂浜を進みながら海を見やる。

太陽の光を受けてきらきらと輝く蒼。非常に美しい物だったが、その光景に心を奪われている場合ではなかった。



さらに彼等は砂浜を進む。と、岩山に隠された小さな洞窟のようなものが見つかった。

岩山の一つに、子供が作ったかまくらのような小さな穴がぽっかり空いているのだ。

穴の奥からは碧色の光が差し込んでいるが、穴を覗いてみてもその先に何が有るのか視認は不可能だった。



「入るぞ」


リーダー格らしき男が声を掛け、他の全員が頷いたのを確認してからその洞窟に入っていく。奥に足を進めるごとに、洞窟の奥からやってくる強い光に目が眩みそうになる。

しかし、歩みを止めるわけにはいかない。光にはやがて目が慣れる。ほんの少しの辛抱だ。


洞窟に入って五分もしない内に、彼等はエレメントクリスタルの群生地へと到着した。

地に根を張るように点在するクリスタルは相も変わらず眩い光を放っていたが、これには皆とうに目は慣れていた。


……その為、この場にいる『おかしな者』に気が付いたのも、ほぼ同時で。


そして誰もが、目を疑った。



――それは赤子だった。


産まれて数ヶ月とも経たないだろう、男児。


赤子は碧色のエレメントクリスタルに囲まれてすやすやと寝息を立てていたのだ。


「一体誰が……」


力が暴走したエレメントが創り出す魔物が、いつ現れてもおかしくはないこの場所で。

一体誰が、何故、この場に子供を捨てたのか。

目撃者達は哀れな幼子に目を細め、彼を捨てたであろう顔も知らぬ親に内心で憤った。


「とにかく、保護しましょう!」


ひとり女性が声を上げる。全員が目を合わせ即座に頷いた。足早に赤子の元へ向かい、リーダー格の男がそっと抱き上げようとする。


――その時。祈るように組まれた赤子の手の中に、何かが有る事に皆が気付く。

不審に思った彼等は、そっと赤子の手を引き剥がす、と。



「――これはっ?!」



一転して、この場にざわめきが生まれる。

無理もなかった。何故なら赤子は『この世に存在しない物』を持っていたのだから。


赤子が持っていたのは、虹色に輝く石。それは水のエレメントクリスタルから放たれる碧の光を反射するように眩く煌めいていた。



「……エレメント……ロック? でも、この色は……」


戸惑いがちに数人が顔を見合わせる。誰もが、自分達の直感に自信がないといった面持ちだった。


エレメントクリスタルが成長しきっていない頃の原石、エレメントロック。赤子が持っていた石は、形状のみならば彼等の知るそれに一番近い。

だが、問題は色だ。属性色を宿すエレメントには虹色など存在しないからだ。



「……」


赤子を抱いたままの男は、暫く黙り込んで眠る赤子を見つめる。


「――ヴァルトル?」


と、何の前触れも無く立ち上がった男に、話し合っていた仲間達が揃って顔を向ける。

ヴァルトルと呼ばれた男は、仲間達を振り返り、こう発言した。



「答えが出ねぇ事を考え続けてもしょうがねえだろ! 訳わかんねえ石より、今は生きてる子供だっ!」



――そうして今から十六年前、『虹色のエレメントロックを持った赤子』は東ギルドに保護された。

成長した少年は、現在もそのギルドの一員として身を置いている。

……しかし。誰も知る由も無かった。

この少年と、少年が持つ虹色のエレメントロック。

それらが、今、この世界に存在し。

それらが世界に齎すもの、その意味を――……。

――赤子はただ、眠り続けていた。

目覚めた先の世界に待っているものを、何も知らずに。




…………。



……。



……。





――十六年後――



「……それは灯火。灯火は彼の物を貫き、やがて焼き尽くす!イード-ガザ!」


空気中のエレメントが赤毛の少年が唱える『紡ぎ歌』に反応し、赤く染まる。

火のエレメントを纏う少年の周囲に赤の粒が舞ったと思いきや、一瞬の後にそれらは火の矢へと転じる。

そこから更に一本が二本。二本が三本に分裂していき、やがて少年の姿を隠してしまう程に集まった。


少年が魔術名を言い放った時、燃え盛る火の矢は少年の指し示した対象を寸分の狂い無く貫き、それを燃やし尽くさんと激しく燃え上がる。


対象――魔物は奇妙な声を上げていたがやがて燃え尽き、炎は自然と消えていった。

対象を無くした魔術の効力が消え、エレメントが空気中に戻ったためだ。

それを見届け、少年はふぅっと息を吐く。



「シング!」


そんな少年に駆け寄る三人の男女が居た。

シングと呼ばれた少年は彼らを認めると、嬉しそうに笑う。


「全員倒すのに一分か。まあ上出来だな」

「此処にいるのはまだ魔物に成り立ての物だけだったから当然ね」


歯を見せて快活な笑みを浮かべているシングに、何処か近寄り難い雰囲気を持つ少女が静かに言葉を返した。


「……この程度の敵に手こずっているようでは、ギルドの人間としてやっていけないからな」


少女に同意するように腕組みをしながら答えるのは、焦げ茶の髪の少年。こちらはシングよりも若干大人びてはいたが、一見冷ややかに感じられる切れ長の目が原因だろう。実際、彼等は同じ十六歳だ。


「リピートも何の問題も無かったのですな〜!」


最後に答えたのは、自らをリピートと称する少女。ふたつに結ばれた黄緑色の髪は彼女の背丈程の長さで、腕をぶんぶん振り回す毎に彼女の子供っぽさを表すようにあちこち動いて自己主張する。


「んで、ロックは?」

三人の様子に無事を確認したシングは、次いで質問を投げかけた。


「ここの手前に分かれ道があっただろう。そちらの様子を見に行くと」

「魔術が不得意な癖に、単独行動なのね」


すぐに答えは返って来る。曰く、一番手ごわそうな魔物をシングが相手している間に、もうひとりの仲間は単独行動を決め込んでしまったらしい。


「うぅっ。アリアのその台詞はリピートにもクるのですな……」


辛辣な響きを持つ少女の言葉に、リピートはさも胸が痛いと言うような大袈裟な仕草をした。

アリアはそれを見て溜め息交じりに言う。


「そうね。貴方は魔術の行使において大切な工程の一つである『構築』が下手だわ」



――先程のシングの場合、火属性の下級魔術の一つ『イード-ガザ』を発動する為、紡ぎ歌を唱えて体内の火のエレメントと空気中の火のエレメントと混ぜ合わせた。

これが魔術を発動する為の『構築』。紡ぎ歌の詠唱は、エレメントを利用する為のいわば入口なのだ。


構築を終えたら、後は魔術名を唱えれば術式が『展開』、魔術は発動される。

魔術名は言霊、ただ口にするだけで意味があるのだ。世界を構成するエレメント、そこに宿る精霊の言葉らしいが詳しくは分かっていない。


魔術はこの、『構築』と『展開』の工程を踏むことで初めて行使することが出来るのだ。


が、リピートは『構築』を非常に苦手とし、エレメントを利用する為の紡ぎ歌をよく忘れてしまう。

その結果、同じ魔術でも時によって威力がバラバラになってしまうのだ。


「だっ、だってだって! 文章とか覚えるの苦手なんですな〜……っ! リピートはアリアやセイル達みたいに頭が良くないんですなっ!」


リピートの魔術師としては致命的すぎる発言に、アリアだけではなく焦げ茶の髪の少年(セイル、と呼ばれた)も溜め息を吐いた。



「おーい、リピートいじりはその辺にしとけー」


一際大きな声で、しかし呆れた響きのシングの言葉に、三人は揃って彼を見やる(各々真顔になったり口を尖らせたり、反応は違うが)。


問題はロック……もうひとりの仲間が帰って来ない事。


元々シングをリーダーとするチーム『キサラギ』は、ギルドマスターであるヴァルトルの命で調査にやってきていた。つい最近発見されたこの洞窟にあると思われる、エレメントクリスタルの発見が主な目的だ。



シングは「仕方ないな」と息を吐いて、三人にこれからの行動内容を伝える。


「ここからは二手に別れるぞ。一つはこのまま道なりに進む。もう一つはロックと合流、その後は状況を見て各自判断して行動だ。


俺とリピートはこのまま探索を続ける。アリアとセイルはロックと合流してくれ」


シングの支持にアリア達はそれぞれ応える。

そんな彼女等にシングは満足そうに頷きかけたが、ふいに真剣な表情になって。


「よし、じゃあ最後にもう一つ。今回の依頼はエレメントクリスタルの発見が第一目標だが……。あまり無茶はするなよ」


シング達が所属する東ギルドとは目と鼻の先にある、人気の無い鬱蒼とした森。その奥深くに聳える山々の近くに、この洞窟はあった。

どれほどの深さなのかは不明。しかし地下にはかなりの量の水のエレメントが充満しているため、洞窟の真下には海がある可能性が非常に高いとのこと。


ともあれ、この洞窟の何処かにエレメントクリスタルと思しき強いエネルギー反応が感知されたらしい。


「言われなくとも承知しているわ」

「…当然だ」

「ですな」

「…よし。じゃあ行くぞ!」


今度こそシングは満足そうに頷き、リピートを連れ洞窟の奥へと進んでいった。そしてそれを見送ることなく、アリアとセイルは元来た道を足早に引き返す。


ロックが去った方の道へ、足を踏み入れた。





「……やっぱり、一人で来るんじゃなかった……かな」


この洞窟には全体的に弱い魔物が生息しているようで、下級魔術でも容易に倒せる程度だった。


しかし、ひとり呟いた少年…ロックは魔術を使わずに、レイピア――所持する者の体内エレメント量を増幅する『エレメントオーブ(エレメントクリスタルを削り加工した物)』がはめ込まれている――を振るいつつ、魔物から一心不乱に逃げていた。


(僕の体内エレメントはそんなに多くない。今魔術を使って、この後にもし強い魔物に出会ってしまったら……)


エレメントオーブで増幅しているとはいえ、いずれ絶対にスタミナ切れが来る。そうしたら……そこで終わりだ。



「…あ!」


ロックは立ち止まる。進行方向が行き止まりだった上に、地面が崩れ落ちていたのだ。


……そうだ。此処は地上と海中を繋ぐ洞窟。洞窟が崩れてしまえば、海水はいとも簡単に洞窟に入り込む。


ロックの立っている位置は既に海水で濡れていた。海は黒々としており、思わず吸い込まれてしまいそうな深淵を見せている。



(……皆に心配掛けてるよなぁ……)


――ごめん。


そう心中で呟くと、ロックは海に躊躇い無く飛び込み、迫り来る魔物達から逃れたのだった。




「恵みの水よ、我の下に集い彼の物を打ち砕け! ……イード-ルアーム!」


アリアの周囲に集まった水のエレメントが激流となり、アリアと魔物を繋ぐラインを描くように四方八方へと放出されていく。

激しい水の勢いに耐えられなくなった魔物は次々と力尽き、魔術の効果も消え失せた。


「……ロックが通った後にしては魔物が多い」

「魔術を控えているのでしょうね」

ロックと合流する為、アリアとセイルは洞窟内を駆ける。



「……!」

十分程走っただろうか。

唐突な行き止まりに差し掛かり、二人は立ち止まった。


「……海か……」

「此処に飛び込んだのね…『私達は』息が出来ないから追うことも出来ないのに」

アリアに同調し、セイルは言う。


「仕方がない……どうする?此処で待機するか、シング達と合流するか」

「そうね……」

アリアは海を見下ろす。底の見えないそれに、何となく心がざわめいた。


――嵐の前の静けさ。


……波紋を描く穏やかな水面に、何故かそんな感想を抱いた。





「――ぷはっ!」

水面から顔を出し、ロックは辺りを見回す。海に飛び込んですぐ目に入ったのは、シング達が居る洞窟に連なる岩山。

さらに泳いで伝ってみると、人一人が入れそうな大きさの穴ぼこが見つかった。どうやら、海中からではないと進入できない造りになっていたようだ。


中を覗き込んでみるが、暗くて何も見えない。躊躇いがちに進んでみると、どんどん道は狭くなっていく。


(これは……)

その時、奥から強いエネルギーを感じたような気がした。

もしかしたらエレメントクリスタルの群生地が此処にあるのかもしれない。そんな直感を覚える。ロックは悩みつつも水から上がり、重くなった服を絞りながら先へ進んだ。


(今みんなのところに戻っても、結局海中を進めるのは僕だけだ。だったらこのまま行って、エレメントクリスタルの群生地があるのかを確認してから戻ろう)


その方が、きっといい。ロックはそう考えた。

幸い、魔物は今のところ見つからない。

安堵の溜め息を吐いた。が、すぐに気を引き締めたロックはレイピアを抜き警戒しながら歩み始める。


道は狭く、暗闇。

耳に入るのは、自らの足音だけ。

不気味な程の静けさを感じながらロックは進んだ。

歩き出して何分経っただろうか。何時間も歩いたような、数分しか歩いていないような、奇妙な感覚に苛まれ始めた時。



――遠くに、光が、見える。

それは眩い虹色の光。

この世の物とは思えない程の美しい光。



「これは……まさか!」


虹色の光に誘われるように、ロックは足を早めた。

最初は早足に、段々と小走りに、やがて全速力で駆け出した。

光の下に辿り着いた時、一瞬だけ目が眩む。


そして視界が開けた際目にした光景に、ロックは思わず息を飲んだ。




目の前に広がった光景は、とても美しいものだった。

大部屋のあちらこちらに虹色のエレメントクリスタルがあり、その一つ一つがきらきらと輝いている。まるで星のかけらみたいだとロックは思った。



しかしロックの目にまず留まったのは、大部屋の最奥――天井まで伸びた巨大なエレメントクリスタル。それは、他のどのエレメントクリスタルよりも鮮やかな色合いに煌めいていた。

色も印象的だが、こんなに巨大なエレメントクリスタルなど見た事も聞いた事もない。


(…――きれいだ)


だがロックが何よりも見惚れたのは、この部屋の幻想的な光景では無かった。



――彼が見惚れたのは、たった一人の少女だった。

少女が、エレメントクリスタルの中で眠っていたのだ。

少女の姿が鮮やかな虹色に透けて、その神々しい姿はまるで神が創り出した天からの使いか、精巧な芸術品のようで。


ロックはレイピアを鞘に納め、そのまま惹かれるようにエレメントクリスタルの……少女の下へ歩み寄る。


「この子は一体……それに、このエレメントクリスタルは……!」

エレメントクリスタルに触れたその時、腰から提げた道具袋が光を放つ。


――慌ててロックが取り出したそれは、拳大の虹色のエレメントロックであった。


やがて、エレメントロックは少女の居るクリスタルと共鳴するようにお互い明滅し始めた。

間もなく他のエレメントクリスタルも明滅を始め、一つのリズムを刻むように明滅が段々と速くなっていく。


「……――っ!!!」

視界がニジイロに染まり、反射的に目を庇った。

そして鈴の音のような……透き通った音が辺りに響き渡る。



……――恐る恐る目を開けてみると、少女の居たエレメントクリスタルは――割れていた。否、跡形もなく消えていたと言った方が正しいだろう。周囲の他のエレメントクリスタルも同様だった。


エレメントクリスタルが消えたことで、少女は支えを無くした。

金色の髪を波のように揺らしながら、少女は落ちていく。


――その瞬間は、まるで全ての時間がゆっくりになったような、コマ送りで時が進んでいるような。

そんな奇妙な感覚を覚えた。



「――あっ!」


ロックは暫し呆けていたが、このままでは少女が地面に叩きつけられてしまうと気付き、彼女を慌てて受け止めた。


「…この子は…」


固く目を閉じた少女は、華奢な体型、小さな身体にたっぷりと蓄えられた金髪を持っており、その姿形からロックよりも年下の十四、五歳程に見える。


ロックはそのまま視線を顔から下に向け、驚愕に目を見開いた。


「…――!!」

それは、エレメントクリスタルの中に居た時と変わったことが有ったから。


――少女はロックの持つそれと同じ…虹色のエレメントロックを、ペンダントのように首から提げていたのだった。

「……ん……」

地面に横たえた少女は暫く眠っていたが、やがてゆっくりと目を開けた。

ロックは様々なことを聞きたい衝動を抑え、少女を見守る。


「……」

ぼんやりと、少女はロックには視線を向けず虚空を見つめた。

そして、おもむろに言葉を紡ぐ。――……否、それは詩<うた>だった。


――何も無い世界 泡沫の世界 世界が創るは 火 水 風 土 光 天 氷 冥


意思を持った世界 色の付いた世界 世界が創るは 虚ろな器 魂を持つ からっぽの人形――。


少女は高らかに歌い上げると、やがて瞳に光を灯す。

その様子は、まるで魂の無い人形に霊が取り憑いたような……。


「…………あなたは、だれ?」

光を宿した少女が、初めてロックに口を利いた。


「……ぼ、僕はロック。東ギルドのメンバーで、エレメントクリスタルの群生地を探しに……って分からないかな……」


エレメントクリスタルの中で眠っていた不思議な少女。

自分の身分や事情を話してもこの少女には通じないだろう、と思われたが。

意外にも少女はロックの言葉に反応を示した。


「エレメントクリスタルの? ……どうして?」

上体を起こし聞いてくる少女にロックは少々面食らう。


「え、いやその……採取するんだよ」


「それでどうするの?」


「大半は魔術師響界に、一部は僕達ギルドに。残ったのは街で売るんだよ」


エレメントクリスタルは地面に生えている時は常にエネルギーを放出しているが、一旦採取してしまえばエネルギーは中に留まる。

それらはエレメントオーブなど、主に響界の手によって様々な魔道具に加工されるのだ。


――魔術師響界とは、魔術師と名乗る者ならば必ず加入しなければならない組織である。


ギルドに入るにも世界の治安維持を担当する『断罪者<ジャッジメント>』になるにも、試験をクリアして響界公認の魔術師にならなければならない。

響界はギルドから受け取ったエレメントクリスタルを保存しているらしいが、ロックなどのような一介のギルドメンバーには全く分からない事だ。


「……そうなんだ」

「……ねえ、君はどうして――」

「わたし、人形なの」

「……え?」


少女の不可解な言葉に、ロックは首を傾げる。

真剣な表情で言う少女が嘘を吐いているようにも見えず、視線で先を促した。



「……わたし、『自分』がないの。からっぽの……うつわ」

どうして此処に居たのかも、何も分からないと言う少女。


「……記憶喪失、ってこと?」

「ちがう」

そう断言し、新たに言葉を紡ぐ。



「きおくが『なくなった』んじゃない、もともと『ない』の。わたしには」


だから自分という物を何も持っていない。自分の存在を示す物がないと、そう言っているのだ、この少女は。


無表情のまま淡々と言う少女に、しかしロックはどこか寂寥感を覚える。


――なんて哀しい事を言うんだろう、とロックは心中で呟く。そして、少女の境遇と過去の自分を無意識に重ねていた。



――目を覚ましても、自分のことを知っている人などいない。

自分の個性など存在しない、何も持っていない。それがどれだけ辛い孤独か、捨て子であったロックにとって想像に難くない。



「……でも、これからは違う」

勝手に口が動いていた。


「君は目覚めたんだ。全てはこれから始まるんだよ」

――自分が何をしたいのか考えて、自由に行動していいんだ。


ロックの言葉を聞くと、少女は深く俯いてしまう。


「……わたし、なにがしたい?なにをすればいい……? なにもわからないの……」


「分からなくていいよ」


――生まれた時から自分の意思を確立させている人間なんていないのだから。



ロックは少女の肩に手を置き顔を上げさせ、言い聞かせるように言った。

「全てはこれから、ここから始まる。自分のしたいことなんて、すぐには見つからないのが当たり前なんだよ」


――だから……――


「自分の好きなもの、自分のやりたいこと。少しずつ見つけていけばいいよ」


「……それでだいじょうぶなの?」


「うん。きっと大丈夫。僕も大丈夫だったから」

ロックは少女に微笑む。


「……わたし、ほんとうになにもないの。あなたみたいな『なまえ』も、なにも」


「……だったら今、付ければいい」


赤子の頃、養父がそうしてくれたように。ロックは、この少女に『名前』という『存在』をあげたかった。


「そうだな……」

エレメントクリスタルの中に居た、不思議な少女。



――……そうだ。

直感は、すぐさま訪れた。ロックはそれを、ゆっくりと紡ぐ。



「……エリィ」


「?」


「君の名前……エリィっていうのはどうかな?」


ロックが此処にやってくるまで、彼女はずっとエレメントクリスタルの中で眠っていた。

それがいかなる理由かは不明だが、エレメントクリスタルは彼女と密接な関係があるに違いなかった。

だからロックは彼女にエレメントと似た名前を付けたのだ。



「……エリィ……エリィ…わたし?」


「嫌かな?」


「ううん……いやだとかはおもわないの……ただ、ふしぎなきもち……」


自らの胸に手を当て、少女…エリィは反芻する。


「……気に入ってくれたかな?」

「……うん」

僅かに口角をあげたエリィの表情は、きっと『笑顔』と呼んでいい筈だとロックは思う。


エリィはロックの手を取り、言った。



「ありがとう……ロック」





時を同じくして。



「シングー!ちょっと待って欲しいですなー!」


「さっさと追い付いて来い!」


息を切らすリピートに、前を走るシングは振り向かずに返す。

そんなこと言われても、とリピートは悲鳴を上げた。


「そもそもっ、どうしてこんなにッ、急ぐんですな!」


「探索を早く済ませて、皆と合流する為だ!」


「それにしたってー…ひぇえっ!」

死角から突如獣型の魔物が飛び出し、驚いたリピートは尻餅をついてしまう。


「リピート!」

シングが振り返った時には、既に魔物は大きな爪をリピートに振り下ろそうとしていた。


「わっ……――我、風の友! 我の元に集いっ、切り裂け! イード・シュレルぅ!」


転がるようにして攻撃を避け、リピートは紡ぎ歌を唱える。瞬間、彼女が魔物に向かって突き出した掌から緑の光が出現した。

鮮やかな森色に光るそれは風の波動を放ち、魔物に鎌鼬を浴びせていく。やがて致命傷を受けた魔物は断末魔の叫びを上げ、霧散していった。



元々魔物というのは大量のエレメントで象られた異形であり、エレメントクリスタルから溢れる膨大なエネルギーから生まれるらしい。

時折人里に降りてそこにいる人間を襲う魔物もおり、ギルドの人間がエレメントクリスタルの採取を使命としている理由の一つとされている。


なぜ、魔物が人間を襲うのか。それは不明だが、自分と同じように大量のエレメントをその身に宿した人間に惹かれているのではという説がある。真偽は、誰にも分からない。



「大丈夫か?」

「へ、へいきですなー……」


リピートの声には覇気が無く、その気の抜けた様子はヘロヘロ、と表現するのがピッタリだった。

しかし先程の魔術、大した力の無い魔物が相手だったから良かったものの、やはり紡ぎ歌を間違えている。


「正しくは、『我、風の友。我の元に集いし友よ、彼の物を切り裂け』。だな」

「うっ……」

「アリアやセイルとコンビじゃなくて良かったな?」


からからと笑うシングだが、アリア達のように厳しく叱らずともしっかりと指摘する。


「全く。どんな状況でも周囲への注意を怠るなってヴァルトルさんが言ってただろ?」

「うぅー……」

「ほーら、行くぞ」


また口を尖らせ不満げにしょぼくれているリピートに言い、シングは再び歩き出した。


ギルドマスターであるヴァルトルを親しげに呼ぶシングは、十六年前ロックを拾った当時ヴァルトルが担っていたチーム『キサラギ』のリーダーを二年前に継いだ者である。

彼の養子となっているロックとも幼少より親しいシングは、幼い頃から彼の事を尊敬しているのだ。



「…ん…あれは」


ぼんやりとした赤白い光が見えて、シングは足を止める。後ろのリピートも同様に立ち止まり、シングの背中越しにそれを認めた。


「色が濃い……エレメントクリスタルの可能性がある。行くぞ」


光はごつごつした石段を登ったその先から差しており、此処からではそれがエレメントクリスタルによるものかどうかは把握出来ない。

シング達は警戒しつつ、今度はゆっくりと歩を進めた。

淡い光は眩しい程では無いものの、靄が掛かったように多少視界が悪くなる。

石段を登り切り、目を細めながら見たものは。



「……祭壇、か?」


岩で造られた、無骨な祭壇のようなもの。

ぱっくりと口を空けた四角い岩。その両端にはエレメントロックが置いてある。赤い光は、岩の口の中から放たれていた。

よく見てみると、その光は小さな石から放たれていた。

エレメントロックではなかったが、不思議な気を感じる。


「……ん?」

石には何か文字のような紋様が刻まれていた。全体に渡ってびっしりと刻まれた文字は、しかし何が書いてあるのかは全く分からなかった。


「リピート。これ、読めるか?」

周囲に罠が無いか確認してから、注意深く石を手に取りリピートに渡す。


「んー……よく、わからないですな」

「そうか……じゃあ仕方がないな」


とりあえず持って帰って、ヴァルトルに相談してみよう。そう思い、シングが石を仕舞った途端。


――それは、起こった。




「っ?!!」

「わっ……ぅわわ!?」


前触れなく、洞窟内を地響きが襲った。

いや――正確には洞窟よりさらに下、海底からそれは伝わってきていた。


突然の揺れによろめく二人。

シングは尻餅をついたリピートに手を貸しつつ、周囲の状態を確かめた。


「まずいな……この洞窟全体が崩れようとしてる」

「な……なんでそんないきなり……!」

「今はそれを考えている暇は無いな……」


天井が少しずつ、崩れ始めている。まごまごしていたら五分もしない内に生き埋めになってしまうだろう。

……それまでに、どうにかしなければ。



(洞窟の出口まで戻るのは無理だ)


せいぜい先程アリア達と話した所までが限界だろう。其処に着いた所でどうにもならない。しかも、いつ地面が崩れるかも分からないのだ。


(アリアもセイルも、ロックもいないこの状況下で)

ここから脱出する方法は……!!


「……そうだ」

「何か思い付いたんですなっ!?」

シングは、自分を心配そうに見つめていたリピートに頷いて。


「妙案とは言い難いけどな。正直博打だ。……でも此処で死にたかないだろ?」

「もちろんですな!」


リピートの強い言葉によし、と再び頷く。


「アリアは恐らく、水の精霊ウンディーネの力を借りる筈だ」


精霊の力を借りる『耀術ようじゅつ』のウンディーネの術の中に、水に属するあらゆる障害を打ち消す事が出来るものがある。

これを使えば、ロックと同じように水中でも呼吸をする事が可能なのだ。

耀術の素養があるアリアなら、恐らくこの術の使用を試みるとシングは踏んでいる。


そう、全ては仮定。シングが『アリアならこの行動を取る』と予想しているだけの話だ。

向こうで起きているかもしれない想定外の事態、その可能性を全て排除して導き出した仮定なのだ。


「だからオレ達は、体内の水のエレメントを空気中に発現させる事でアリアの支援をする。これは術式構築の要領でな」


魔術や耀術は、同属性のエレメントが多い場所では通常より強い力を発揮する。例えば山なら土、海なら水属性の術が強力であるというように。


幸いにも、ここ一帯には水のエレメントが充満している。

これに加えて自分達の体内のエレメントを空気中に送れば、アリアの術式構築が幾ばくか楽になる筈だ。


「むっ無茶ですな!」


シングの穴だらけの案にリピートは声を上げた。


「アリアがその術を使うとも限らないし、体内のエレメントを消費するのはキケンなんですなっ!」


術を使わずに体内のエレメントを消費する事は、実際問題かなり危険な行為である。

深く考えずとも当たり前だ。体内の、生きる為に必要なエネルギーを消費しているのだから。


術を行使した場合は、術式構築の際に体内エレメントを消費するものの、術の効力が消えた時使用した量の半分程のエレメントが体内に返ってくる為、ある程度消費を抑える事が出来るのだが……。

術を使用せずに、自力でとなると話は別だ。


空気中に送ったエレメントは返って来ないのに加え、エレメントは人体を構成し、人の生命活動に必要不可欠な物。

消費し過ぎれば死ぬのだ。



「だぁから言っただろ。博打だって」


「それにそれにっ、もしもアリアが術を使えない状態だったらどうするんですな! 魔物に襲われて怪我してたらッ」


「それは無い。アリアに限って」


アリアには絶対の自信と、それに見合う実力がある。

ちょっとやそっとの怪我では戦闘不能という事態には陥らない。


「例え負傷したとしても、あいつは怪我くらいで『術を使わない』という選択はしない。

……術を試みなければ、此処で死ぬしな」

言い、シングは諭すように優しく問いかける。


「…それにリピート、よく考えてみろよ。セイルが一緒に居るんだぜ? あの人一倍、負けを嫌うセイルが。あいつが一緒に居て怪我をするなんて事は無いさ」


「…確かに」


『負け』を嫌う。それは人に対しても、魔物に対しても同じなのだ。

そんなセイルの性格は、リピートもよく知っている。だからか、自然と納得していた。



「よし、やるぞ」


「うぅ〜…。やるしかないですな?」


「さっきお前、こんなとこで死にたくないよなって言葉に同意してただろ。……ほら、エイエイオー」


元気付けるように、しかし少し茶化すような声色で、掛け声に合わせて握り拳を上げた。

それを見たリピートはまたしても口を尖らせて。


「……コドモ扱いしないで欲しいですな……」





――仲間と離れた場所に居るロックやエリィも、この鳴動を感じていた。


「!! な、何!?」


よろめいたエリィを助けつつ、ロックは辺りを見回す。

震動は大きく、天井に亀裂が走る。ドーム状だった部屋が形を失い、たやすく崩れていく。


「まずい……このままじゃ」


洞窟が崩れ落ちようとしている今、自分にとって安全である海中に逃げなければいずれ生き埋めになってしまう。


――しかし、エリィはどうする?

彼女を置き去りになど出来る訳が無い。

抱えて泳ぐ事は出来るが、此処は海面よりも海底に近い場所。海面まで彼女の息が続くかどうか。


(どうすれば……どうすれば!!)


気は焦るばかりで、妙案は浮かばない。



「……ロック、どうしたの?」


その時、頭を悩ませるロックの耳にエリィの声が届いた。

そちらに顔を向ければ、何をしているのか分からないとでも言いたげに自分を見ている彼女の顔があった。


「どうしたの……って……」

「何かあったの?」

海を思わせる碧色の瞳にはただ目の前に居るロックを映すだけで、何の感情も浮かべていないようにも見える。


「……エリィには、僕が何をしているか分からないの?」

「うん」


首を傾げる彼女の反応は、まるで生まれたままの赤子のようで。

さぞかし自分の姿は滑稽に見えるのだろうな、とロックは達観したような気になった。

そのお陰か幾分冷静にもなる。


(僕が冷静にならなきゃ、ダメだもんね)

この少女は何も知らないのだから。


「……このまま洞窟に居たら、いずれ君も僕も生き埋めになっちゃうでしょ?だから早く脱出しなきゃいけないんだけど」


ロックがそう言い終えた時、崩れた岩盤が部屋の出口を塞いだ。


「……塞がれちゃった」

「?」

「エリィ、水中でどれくらい息止めてられる?」


未だきょとんとしているエリィにに問いかける。

しかしエリィは「いきを止めるひつようがあるの?」と即答。それどころか、「ロックは水の中でいきできないの?」と質問を重ねてきた。


「その言い方は……エリィも水中で呼吸出来るの!?」

こくり。エリィは確かに頷いた。

ロックは驚きを隠せない。自惚れている訳ではないが、まさか自分以外にもそんな人間が居たなんて。


――しかし、それなら話は早い。今ならまだ脱出出来る。

魔術かレイピアを使って、人ひとりが通れるくらいの穴を空け、そこから海中に出れば……!!


「この揺れじゃ、シング達の所も……」


「しんぐ?」


「僕の友達で、ギルドの仲間でもある人達。みんなは僕らみたいに水中で呼吸は出来ない」


この洞窟が崩れる前に脱出したとしても、彼等は溺れる可能性が出てくる。

いや、此処が海底に近い場所と考えればその可能性はかなり膨らむ。

――自分だけで、彼等四人を助けられるだろうか……。そうロックが不安を感じた時だった。



「そうなの?それじゃあ……――ウンディーネを呼べば?」





――エリィの言葉に、耳を疑った。

相変わらず鳴動し続けている洞窟の中で、その声は何気無くしていたら思わず聞き逃してしまいそうな声量。


「ぇ……ウンディーネ、って……」

しかしそれでもロックの耳には確かに、たしかに、ウンディーネという名が届いていた。


「そう。ウンディーネ」

平然と言うエリィは、「そうすればいいんじゃないの?」と続けた。


「……そう、だね。でも……」

正直耀術の存在を失念していた。確かにエリィの言う通りウンディーネを召喚すればみんな助かる。

――けれど。


「……エリィ。僕は耀術は使えないんだよ」


失念していたのも、そもそもの話自分には使えないからで。

それを聞いたエリィは「え……?」と不審そうに眉を顰めた。


「……ほんと?」

「ホントだよ。聖術も使えない。体内エレメントが圧倒的に足りないから」

「そう……なの……」


エレメントオーブで補強しても、他の魔術師と比べたらそれは天と地ほどの差があるだろう。そんなロックには耀術は勿論、高位魔術である聖術など到底扱える代物では無いのだ。



「……エリィ? どうし……」


今まで座って静聴していたエリィが突然立ち上がり、ロックを見上げた。


「……ロックは、そのなかまのひとをたすけたい?」

「それは当たり前だよ!」

聞くまでもない問いに、思わず声を上げた。


「あたりまえ……うん、わかった」

ロックの言葉をぼんやりと反芻してから、エリィは僅かに頷き、そして。



「――ッ!!?」

突然の事だった。

エリィが立っている位置を中心に半透明の紋様が浮かび上がったのは。

それと同時に、エリィの身体が光を帯びた。

空の蒼ではない。彼女の瞳と同じ、海の底のような、碧。

そこから同じ色の光の奔流が暴風のように押し寄せ、ロックは溺れているような錯覚に陥りそうになる。……絶対に溺れない身体であるというのに、だ。


「……う、くッ……」

それでも、ロックは何とか目を凝らしエリィを、彼女を取り巻く光を見ていた。

彼女の足元で半透明に明滅するそれはいつか見た覚えがある。


(そうだ、これは)

遠い記憶を辿った先にあった、これは。

昔、耀術書で読んだ――。


「ウンディーネのいん……!」

この紋様はウンディーネを示す古代語だ。

さらに彼女が立つ中心には別の何か模様が刻まれているのが見えるが、それは何か解らなかった。


ロックが見ている間にも、印の周囲にさらなる紋様が刻まれていく。

エリィはずっと目をかたく閉じ、人の愚考も罪も何もかも受け入れる女神のように両手を広げていた。

彼女の髪も、服も、頭飾りに付いた装飾品も光の奔流を受けてあちこちに靡き広がり、それはまるで波のよう。

首に提げられた虹色のエレメントロックも、鎖がはちきれんばかりに揺れ動き、眩い光を放つ。

その光だけが唯一、碧色ではなく虹色に煌めいていたのが酷く目に灼き付いた。


「…!」

空気が、変わった。

印が浮かび上がった時とは比べ物にならない何かを感じた。


「こ、……れっ、は…!!」


感覚でわかった。このぴりぴりと肌が灼かれるような感覚。この場所だけ別の世界の次元と繋がったかのような感覚。

これは、



「術式が……展開しているんだ!!」



無理に開いてた目がいい加減悲鳴を上げていたのも構わず、ロックは目をこれ以上無いぐらいに見開いた。

碧の光も虹色の光も目に痛い。痛かったが、しかし美しい輝きでもあったのだ。


「ウンディーネ……きて」

エリィは手を掲げ、目を開き、それを。



――喚んだ。





刹那、エリィの身体を膜のように覆っていた光が――霧散した。

否、その膜は霧散したように見えただけだ。


実際には、膜は大きく広がっていったのだ。

傍に居たロックどころか、この洞窟全体をも軽く覆い隠す程に。

そしてその膜にさらに覆い被さるように、エリィのペンダントから発される虹色の光が膜を創り出していた。

この空間は呼吸をするどころか、普通に喋る事も出来た。


「動いてる……」

微かな浮遊感を感じたと思ったら、この膜で創られた空間は僅かに動いている。

上へ、上へ、海面に向かって。


「……!!」

虹色の膜は崩れ落ちてくる岩にも、全く意を介さない。

頭上に来る筈の岩も何もかも、虹色の膜に触れた途端粉のように砕かれてしまうのだ。


「え、エリィ!これは……」


絶対にウンディーネの力だけでは無い、ハズだ。

ウンディーネの力だけならば、水属性の物にしか効果を発揮しない。

こんな、障害物を壊すような事、出来る筈が無い。

恐らく、虹色のエレメントロックが何かしら関与して…。



「…………」


しかし、エリィは口を開かなかった。

正確に言えば、口を開く前に倒れてしまった。

糸の切れた人形のように倒れたエリィに慌てて駆け寄り、その華奢な身体を抱える。


「……つかれちゃった……」


エリィはか細い声でそれだけ言うと、静かに目を閉じた。

間もなく聞こえる寝息に、ロックはさっきまでの出来事がまるで夢のように感じていた。

……でも、この非現実的な空間が、これは夢などではないと目を醒まさせてくれた。


洞窟は崩れ、虹色の膜によって粉々に砕け散っていった。

仲間達と入った入口も、エリィと出逢ったあの場所も、跡形も無く。

ロックはその事実に僅かな感傷を抱いた。


「おーい!ロックー!」

「!シング、みんな!」

見渡す限りの碧の中に、仲間達の姿を見つけた。

無事合流した……のだが。


「ロック……どういうこと?」

「え、あ、アリア?」

アリアはロックに声を掛けていたが、その瞳はエリィを見つめていた。

その射抜くような目線にロックは戸惑う。

しかし、見回してみれば他の皆もまたエリィを見ていた。

……一際鋭い目で睨んでいるのは、アリアとセイルだけだが。

シングは神妙な顔で、リピートは不思議そうに見つめている。


「ロック、その子は誰ですな?」

「えっと、この子はね……」

そこまで言って、ロックは言葉を詰まらせる。

……どう説明したら良いやら。かなり長くなりそうだ。


「えぇっと……」


「ロック! ……早く説明しなさい。洗いざらい、私達と別行動を取っていた間の事、全て」


「アリア……?」


いつも冷静沈着なアリアが声を荒らげるなんて、物凄く希有な現象だ。


「な、何かあったの?」

「それは貴方が答える質問よ」

――さあ、言いなさい。

そう訴える目に、ロックは怒られているような気になり、萎縮してきた。


「まぁ待てよ。まずは陸に上がるのが先だ。それからギルドに戻ってヴァルトルさんに報告。その時に話を聞いても遅くは無いだろ」

――ロックも、二回同じ話するの疲れるだろうしな。

そう言ってシングはロックに笑いかけた。

ロックに助け舟を出してくれたのだろう。

「しかし、こいつはどうするんだ」

セイルがエリィを顎でしゃくる。

未だロックに身体を預けたまま眠っている。

起きる気配は無い。


「この子は……ギルドに連れて行くよ」

「!! 正気なの!? この得体の知れない子を、私達のギルドに……!」


ロックは強く頷いた。

だって、放って置けないではないか。

自分が無いという事は、赤子のようにまっさらであるということ。

彼女はこれから白にも黒にも染まれるような、そんな少女なのだ。

……虹色のエレメントクリスタルの中に居た事も気にかかるが。


「この子には……必要なんだよ。傍にいて、色んな景色を見せる人が」


それに……名前を付けておいて、これではいサヨナラだなんてあまりにも薄情ではないか。

それでは赤子であった自分を捨てた実親と何ら変わりない。


「事情はよくわかんないけど、リピートはおっけーですな!」

「……お前は気楽でいいな」

リピートが楽しそうに腕をぶんぶん振った。その姿にセイルは呆れた視線を送る。


「なんですなセイル!リピートはー……!」

憤慨した様子で食ってかかろうとしたリピートを、シングは間に割って入り制止した。


「ほいほい、分かったわかった。とりあえず、今は仮決定って事でこの子もギルドに連れてくぞ。そのままギルドに置くかどうかは、ヴァルトルさんの判断だな」


「シング、本気か?アリアの言う通り、この女は……」


「お前もケチだなー。んなこと言い出したら、初対面の人間はみーんな『得体の知れない奴』じゃねぇか」


「だが、……いや、……分かった。今はお前に従おう」


反論しようとしたセイルだったが、シングの話も一理あるかと思い直し留まった。

……何だかんだ、シングはいざという時は常に大局を見据える冷静なリーダーだ。

対して自分はシングやアリア、他多数から『熱くなりやすい』と指摘されている(そんなつもりは無いのだが)。

結局のところ、そんな自分の考えより、大局を見据えて判断を下しただろうシングに委ねようと思ったのだ。


「さんきゅー。で、アリア。お前は?」

「――正直、不満よ。でも仕方がないわ。このチームのリーダーは貴方だものね」

「貴方に従うわ」と、アリアは溜め息混じりに賛同した。


「よし。そうと決まれば、さっさと陸に上がるぞ」

話している間にもゆっくりと上昇していたこの空間。

暗い海の色が先程までより随分明るくなっていた事に気付き見上げれば、もう海面はすぐそこにあった。

海を透かして見える太陽の光は、まるで自分達を地上へ誘うように真っ直ぐに降り注いでいる。

術の効果は未だ切れていないが、もう必要無いだろう。


ロック達は脚や腕を掻き、海面までの僅かな距離を泳いだ。




ロック達はギルドに戻ると、すぐさまギルドマスターの居る執務室に向かった。

ヴァルトルの元に着き簡単な報告を済ませるなり、アリアはロックに再び説明を求めた。


ロックが全て包み隠さず話すと、ヴァルトルは神妙な顔で。

「そうか……そんな事があったのか……」

ツカツカ、と靴音を立ててロックに近付く。

普段はよく喋る養父が、無言で。

ロックはそんな養父に少し恐れを抱いた。


「ロック……」

「な、なに……養父さん」

本当に目の前に立ち、ヴァルトルは。



「テメェは馬鹿かッ!!」


しんとした部屋に響いたのは――ゴヅ、という鈍い音。


「イッダぁっ!! と、養父さんん……」

ロックはしゃがみ込み頭を抱える。…意識が一瞬飛んでしまう程の衝撃。

これは例えるなら天の神からの鉄槌……あながち間違ってもいないだろう。

なぜなら、自分は今――。


「誰にも告げず、一人で横穴に入ったァ!?んな無謀な事を誰がしろって言った!」

……養父に拳骨を貰ったのだから。


「ごっ、ごめんなさい養父さん。でも……僕は、これくらいしないと、みんなの役には……」

魔術師としての実力を身につけている仲間達と違い、自分は体内エレメントも少ない為に、魔術に関しては役に立たない。

それは仲間の足を引っ張り、また血が繋がっていないとは言え自分を息子にしてくれたヴァルトルの評判をも下げることになるだろう。

ロックにはそれが耐えられなかった。

彼が剣術を学んだのもその意志によるものだ。

仲間が持っていない力を得て、仲間達と同じラインに立ちたかった。ただその気持ちだけだった。

だから今回、海中を進まなければ入ることの出来ない横穴を見つけた時。

彼は『自分が役に立てる瞬間』に飛び込まざるを得なかったのだ。


「……はぁー」

わざとらしく溜め息を吐き、ヴァルトルは頭を乱暴にボリボリと掻いた。


「だとしても、だ。お前は勝手に単独行動を続けてチームの和を乱した。その自覚はあるな? ねぇっつったらブン殴るぞ」


「は、はい……もちろ、イダッ!」


「有るんだったらさっさと仲間に詫び入れやがれ!」


ヴァルトルはロックの頭を鷲掴みにし、無理矢理シング達の前に土下座をさせた。


「ご、ごめんなさいっ。僕、また勝手に突っ走って……」

「いーっていーって。もう過ぎたことだしな」


からからとシングが笑い声を上げた。


ロックが勝手な行動を取ったのは今回に限った事ではない。

しかし注意はしても強く咎めはしていない。

厳しい性格のアリアやセイルですらも、それは同じだった。


「だけどロック、気を付けてくれよー。無茶なんかしなくても、お前は充分にチームの力になってるんだからな」


だからあまり気に病むなと、そう言っているのだ。

それを察したロックは、「うん……ありがとう」と嬉しそうに笑った。



「寧ろ勝手な行動を取られる方が迷惑なのよ」


「お前にはお前にしか出来ない事がある。それで納得しろ」


「むずかしく考えないでいいですな! 大丈夫ですなっ!」


「うん、うん……みんな、ありがとう」


仲間達の温かい言葉に、ほんの少し涙ぐんだ。

シングは『ロックは泣き虫だな』と苦笑していたが、やがて話を切り替えるようにヴァルトルに話し掛ける。


「それで、ヴァルトルさん。エリィ……だったか。この子、どうします?」

「そうだな……」


客人用のソファーに寝かせているエリィを一瞥し、ヴァルトルは。



「虹色のエレメントクリスタルか……また関わる事になるとはな」


ボソリと呟かれる言葉。

対して次の言葉は、この場にいる全員に届く大きな声で告げた。


「ロックの話を聞くに、コイツは善悪の分別もつかねぇ危険なガキだ。その割に力だけは段違いに有る。んな奴を外に放り出したら、何が起こるか分かったもんじゃねぇ」


使える人間が少ない耀術を扱える上に、体内エレメントを引き出す紡ぎ歌を唄う事なくウンディーネを召喚して見せたエリィ。

紡ぎ歌を省略するなど、体内エレメントのコントロールがしっかり出来る人間で無ければ無理なのだ。それでも、耀術の省略など今まで聞いた事がなかった。


「それでは……」

ヴァルトルの言わんとしている事に気付いたアリアが、ほんの少し表情を曇らせる。

理解はしているけれど、あまり乗り気ではないような、そんな顔だった。


「ああ。コイツはこのギルドで保護する」


もし此処でエリィを外の世界に放り出したら何をしでかすか分からないし、もしも力を利用しようとする輩に出くわしたら?

……恐らくエリィは、言われるままに力を行使するだろう。

自分ひとりではまだ、何の分別も出来ないのだから。

ロックの話を聞いた時から、ヴァルトルの中でその答えは既に決まっていたのだ。


……それに。

ヴァルトルは先程エリィとのやり取りを話していたロックの言葉を思い出す。



『――僕とおなじだ、そう思ったから。そう思ったから、名前をつけた。このまま見捨てる事なんて出来ない。だから……。


だから、僕はこの子の傍に居たいと、そう思ったんだ――』


ロックは自分の境遇とエリィの今置かれている立場をダブらせている。

ヴァルトルからすれば、二人の環境は似て非なる物に感じていた。

しかし、生まれて間もない頃に人気の無いエレメントクリスタルの群生地などに捨てられていたかつての彼を思い出せば、それも仕方がない事かと思った。


だからヴァルトルは、ロックに何も言わなかった。

ただ一言、「主にお前が面倒を見るんだぞ」とだけ。

たったひとりの息子に、そう告げたのだった。



話が収束し、部屋を出るように促すヴァルトル。

エリィはロックの部屋で寝泊まりする事になった(もともとギルドメンバーは二人部屋で生活しているが、ロックは唯一二人部屋に一人で居た)。


「ヴァルトルさん、オレは少しお話が……」


続々と部屋を出て行こうとする中、シングは一人、立ち止まる。

その声にロック達は振り返った。


「シング、どうしたの?」

「いや、ちょっとな」


先に行っててくれよ、という言葉に『あまり知られたくない話』なのかとロックは納得し、未だに眠っているエリィを背負い直して部屋を出て行った。


「……」

アリアは疑わしいものを見る目つきでシングを見つめる。

『何か隠している事があるのね?』と詰問したい、そんな雰囲気が体中から漏れ出ていた。


「何をしているんだアリア。行くぞ」

「そ、そうですな!シングはマスターにお話があるですな、リピート達はさっさと退場退場ですなっ!」


あからさまに怪しい態度を取りながら、リピートはアリアの背中を無理矢理扉の外に押し込み、出て行った。


「リピート…貴方、何か隠しているわね」

「なっ! ……何の話ですなー…?」


閉じられた扉の向こうから、僅かに会話が聞こえる。

それは暫く続くかと思われたが、「リピートは部屋に戻って休むですな! ばいばーい! ですなー!」と言う声と共に、遠くなっていく足音。

……逃げたようだ。

その後はアリアが溜め息混じりに部屋を離れ、セイルも足早に去って行った。


「話を盗み聞きしようとするような奴じゃなくて良かったよ」

アリアはそんな意地の悪い事は寧ろ嫌う側の人間であることは分かっていたが。

……しかしリピートは演技するならもう少し上手くやって欲しいものだとシングは苦笑した。



「んで。話は何だ」


ヴァルトルが切り出し、シングは顔を引き締めた。

他の人間に知られたくない事、リピートに口止めまでした事。

それは……――洞窟で拾ったあの文字のような紋様が刻まれた石の事であった。


「これを見て下さい。あの洞窟内で拾いました」

取り出した石を、ヴァルトルに手渡す。

ヴァルトルは目を細めてそれを見つめた。

時に角度を変えたり、窓から差す日の光に当てながら。


「石造りの祭壇のような所に、それは置いてありました」


周囲に罠も施されていなかったのが不審でしょうがない。

祭壇に祀るような物をそんな無防備に置いているか?

確かに常人では近付かない場所ではあるが、それにしたって……。




「……あの。ヴァルトルさん、それ……オレには文字のように見えるんですけど。どう思いますか?」


拾った時はセイルにも話を聞こうと思ったが、あの後に起こった事を考えるとまずヴァルトルに相談した方がいいと思い直した。

その為先程はこの石に関する事は何ひとつ報告しなかったのだ。


前触れ無く洞窟が鳴動し始めたのは、この石を拾った直後の事。

この石を守る為の罠だったと思っていたが……。

エリィの存在を考えると、他の要因である可能性も浮かび上がってくる。

とにかく今の所は一つに結論付ける事はできないが、何かしらが要因となってあの洞窟は『消滅』した。

それは確実であると思える。


「……」

窓から差し込む光に透かせば、その文字のような紋様は青色に煌めいた。


「こんな文字は見た事ねぇな」


「そうですか……」


「ま、これは俺が独自に調べてみる。お前は引き続きリピートに口止めしとけ」


「やっぱり、ロック達には?」


「ああ、誰にも一切口外するな。……ロックはそもそも、別の事で手一杯だろ」


「……確かに。そうですね」


この話はギルドの仲間にも、他のギルドの人間にも口外すべきではないようだ。

恐らく各ギルドマスターの中では流れる情報だろうが、シングにはそれを知る術など無かった。




「もうこんな時間か…」

エリィの眠るベッドの傍らに置いた椅子に座りつつ、ロックはふと壁掛け時計を見上げた。

時計の針はちょうど十九時を指していた。


「……」

エリィの方に視線を戻す。彼女と出逢ったのはたった数時間前の話だった。

だというのに、彼女の存在は驚く程に違和感無く自分の世界に溶け込んでいた。


「……ロック。居るよな? 今……大丈夫か」

その時聞こえたのは、静かなノックの音とシングの声。


「うん、大丈夫。鍵は開いてるよ」

キィ、僅かに木製のドアが軋む音を立てる。


「お前なー。飯くらい食べに来いよ」


入って来たシングは、食堂のお盆を手にしていた。

その上に乗っているのは……ロックの大好物であるハンバーグ定食だった。

焼かれた肉の匂いや、半分に切られた肉から溢れ出す肉汁が何とも堪らない。見ているだけで涎が出てくる。

それまで忘れていた空腹を思い出し、お腹がぐぅと鳴った。


「ありがとうシング……ごめん。わざわざ持ってきて貰っちゃって」

「別に。ほら、食えよ」


シングに促され、ロックは一旦ベッドから離れ部屋の隅のテーブルに着いた。


「それじゃあ、いただきます」

律儀に手を合わせてからナイフとフォークを持ち、食べ始める。

半分に切られた肉をさらに細かくナイフで一口分にし、ゆっくりと口に運んだ。


(やっぱり、食べた時に口全体に広がる肉汁が堪らないよね)

無意識に綻ぶロックを、シングは微笑ましそうに見つめて。


「ロックは本当にそれが好きだな」

「うん!本当にありがとう、シング」

「いいっていいって、こんくらい。……そうそう、エリィの分の食事が必要だったか分からなかったから、少しだけパンも貰って来たぞ」

そう言われてみれば、お盆の上には普段この定食には付かない筈のクロワッサンが乗っていた。


「ほ、本当に何から何までありがとう。……ごめん、世話掛けさせて」

ロックは食事の手を止め立ち上がり、シングに詫びた。


「エリィの面倒は僕が見なきゃいけなかったのに……」

「まぁ気にすんなって。チームメンバーの手助けもリーダーであるオレの役目だしな」

手をひらひらと振り、本当に気にしなくていいとシングは笑う。


「……うん。ありがとう……シングには何度お礼を言っても足りないね」


初めて会った時から、今まで。

彼に対する感謝の気持ちが尽きる事は無かったと、ロックは思う。


心から尊敬し、感謝している仲間であり親友に。


ロックはもう何度目になるか分からない『ありがとう』を告げたのだった。



「んじゃ、用も済んだ事だし、そろそろ部屋に戻るわ」

「うん。おやすみ」

と、ドアノブに手を掛けていたシングの手が止まった。


「シング?」


「…そうそう、ヴァルトルさんからの伝言だ。……『もうすぐ集魔導祭だから、それぞれコンディションを万全にしておくように』だってさ」


それを聞いた途端、ロックの顔が一転暗くなる。


「そっか…もうそんな時期なんだ」


世界中の魔術師が集い、己の実力を示す行事。それが、集魔導祭しゅうまどうさいだ。

ロックは今まで、お世辞にも芳しい成績を残したことが無かった。


「……今年は、三回戦までいけたら……いいな」

そう言って苦笑するロックは痛々しい。


「……僕がいい結果を残さないと、養父さんの肩身が今以上に狭くなっちゃう」


魔術師としての才能を持たない人間を息子として育て、ギルドメンバーにも入れているヴァルトルを快く思っていない者も居る。

ロックが毎年二回戦以内に敗退するという事実は、ヴァルトルの評価にきっと影を落としているのに違いなかった。

本人に直接何か言われたわけではない。だが、周囲の雰囲気が嫌でもそれを実感させてくれるのだ。


「おいおい。ヴァルトルさんに悪い気がすんなら、目標はもっと高く持とうぜ?」


ヴァルトルだけではなく、ロックの存在はチームの評判をも低くしている筈。

それでもシング達はロックを責める事は無かった。

特にシングはチームリーダーとしても勿論だが、ヴァルトルに人一倍憧憬の念を抱いていおり自分に文句を言って来ても仕方がない位だとロックは思っているのだが……。


「……うん。……シングも頑張ってね」


「ああ。今回は三度目の正直、といきたい所だなー」


「応援してるよ。僕も、セイルも」


「サンキュ。でも、あいつの事も応援してやれよ」


「それはもちろん」


アリアのことだってもちろん応援しているけれど、どちらかと言えばシングに勝って欲しいって言うのが本音かな。

ロックは心中で呟いた。



「じゃあ今度こそオレ行くな。おやすみ」

「おやすみ」


……シングが居なくなると、部屋が一気に静かになる。

食事を終えたロックは食器をそっと重ね(明日の朝返す事にしよう)、再びエリィのベッド近くの椅子に腰掛けた。


「……今のひと、ロックのなかま?」

その時ふいに掛けられた声は、数時間前に出逢った少女のものであった。


「エリィ、起きてたの?」

「とちゅうから」

「そっか」


だったら一言言ってくれてもいいのにと思ったが、ただ単に割って入りづらかったのだろう。

エリィにとっては、シングは初めて見る人間だから。


「エリィは今お腹空いてる?」

「……たぶん」

よくわからないと言うエリィに、シングが持って来てくれたパンを差し出す。


「…?」


「食堂のおばさんがつくってくれたパン。さっきの人…僕の仲間のシングが持ってきてくれたんだ。明日、お礼を言わなきゃね」


ロックが喋っている間も、エリィは渡されたパンをしげしげと眺めていた。

時に掲げてみたり、角度を変えてみたり。

興味津々といった様子だ。


「エリィ、食べてみなよ。おいしいよ」

「……うん……」

曖昧な返事を返し、再びじぃっと食い入るように見つめて。

それからようやく一口、ほんの少しだけ噛みちぎった。

その小さな一口を何秒もかけて咀嚼して、やがてぽつりと一言。



「……あまいのが、ひろがってくる」


「うん」


「……これが、『おいしい』ってこと?」


「食べ物を食べた時、その広がってくる味に不快感を感じないなら、それが『おいしい』ってことだよ」


「……じゃあ、おいしい」


僅かに顔を綻ばせ、さっきよりも大きく口を開けてパンにかぶりつくエリィに、ロックは言いようのない喜びを感じていた。





エリィが食を進めている間に、ロックはこれからのエリィの処遇についてを話した。

話し終わるまでエリィは黙って静聴していたが、やがてぽつりと一言を投げかけた。


「ロックはギルドのおしごと、あるの?」

「そうだね、仕事が僕のチームに回ってくれば」

「わたしは?」


どうすればいいのか、と聞いているのだろう。

はてさて、その問いにはロックも言葉を詰まらせた。

そういえば……自分が任務のために外出している間はエリィはギルドに置いてけぼりになるのだろうか。

自分達のチームに仕事が回ってくるかと言えばそれは分からないけれど……明日、養父に確認を取った方がいいかもしれない。

その旨をエリィに伝えれば、「わかった」と頷いた。


「でもエリィ。少しずつ、『自分がどうしたいのか』も考え始めなきゃ駄目だよ」


最初は誰だって何も分からない。けれど、だからと言って思考を停止するのは決してしてはいけない。

ロックにそう釘を刺されるも、エリィは戸惑いの表情を見せる。


「……まだ、よくわからない」


「今はそれでいいよ。大切なのは、考えること。考えるのを止めないことだから」


ロックはそう微笑み、小さな子供にするようにエリィの頭を優しく撫でた。


「……むずかしいけど、わかった」

未だ戸惑いの色は隠せないが、しっかりと頷いた。


人は誰かと共に居なければ生きていけない。

それと同様に、人は誰かと出会わなければ、心を動かすことも無く無機質な人間になってしまうだろう。

今のエリィは恐らく自分以外の人間を知らない。しかもほとんど赤子と同じ、ほぼ白紙の状態。だから無機質になってしまっているのかもしれない。


けれど、きっと、これから何人もの人間に関わっていけばエリィは変われる筈だ。

そうすれば、『やりたいこと』は自然と見つかる。

ロックはそう思っていた。



「――そうだ」


ロックの目に、虹色のエレメントロックが止まった。

エリィがペンダントとして身に付けているそれは宝石のように煌めいている。


「エリィ、それは隠しておいた方がいいかもしれないよ」


昔、ロック自身も養父に注意されたのだ。

虹色のエレメントロックをずっと離さず持っていた自分に、『外の人間に見せない方がいい』と。

虹色のエレメントロックなど他に見た事が無いし、見た目は高価な宝石にも見える。

それを良からぬ人物に目撃されたら盗まれてしまう可能性がある。最悪、それが持つ力に気付かれ悪用されてしまうかもしれない。

そんな事態を避ける為、ロックは道具袋に自分のエレメントロックを隠した。

現在これの存在を知っているのはこのギルドの人間と各ギルドマスターだけだ。


エリィは頭飾りにも大きな宝玉のような物が付いているが、これに関して聞けば『これはいい』らしい。

となると問題なのはやはりエレメントロックだ。


「……これでいい?」


肌身離さず持っていたいのだろう。エリィはペンダントを外さず、エレメントロックを隠すように服の中に入れた。


「うーん……」


少し不安だ。

エレメントロックは確かに服で隠れてはいるが、彼女の服は首の付け根から鎖骨あたりまで切り込みが入っているような形の為、ペンダントの鎖は隠れていない。

ペンダントをしている事は誰の目から見ても明らかなのだ。



「……だめ?」

思案するロックに、エリィが躊躇いがちに声を掛ける。

エレメントロックに服越しに手を当て、懇願するような瞳を向けてきた。


「……わかった。いいよ、それで」

「……ありがとう」

まるでこちらが悪い事を言っているような罪悪感に見舞われ、ロックは折れてしまった。


「でも、絶対に肌身離さず持っておいて。人に渡したりしちゃ駄目だよ」


「うん。ぜったい、そうする」


ロックを真っ直ぐに見つめ、強くはっきりと頷いた。

それは彼女が今まで見せていたどんな表情よりも、強い感情をロックに感じさせた。


うん。きっと、大丈夫だ。

ロックは何故だか、そう直感していた。


「エリィ。これから、宜しくね」

「? ……よろ、しく?」



彼等を中心に、世界は動き出す。

彼と彼女に、世界は巻き込まれてゆく。

この物語は果たして、喜劇か、悲劇か――。




end.




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