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第30〜31話 Insert-05:Running-

 

 本編の方で色々手違いがあって投稿できなませんでした。

 間違って違う方を投稿しかけたり、深夜作業の妙なテンションで書いてたらストーリーが変な方向に捻じ曲がっていったり、サブタイに一週間かかったり……外伝で歯止めが利かなくなっていたり――etc


 諸々の理由で、先月分の本編投稿できませんでした orz

 申し訳ございません。


 これからはもっと私事で決めた投稿日ですが、これまで以上に厳守し、僅かでも怠らないように努力する所存です。


 

 

“第三特殊空師団:クリアスペース所属。アタッカー:特攻担当”


 アルコールで顔を赤く染めた訓練指導者が詳細の説明を続ける説明。対象は同僚の女性。

 リビングで正座しながら聞かされる話は半ば拷問に近いが、聞かなければやられかねない。

 話し手は殺し屋だが、それは殺し屋とは思えない口の軽さであった。

 明確な情報漏洩に疑念を抱くよりも先に混乱が訪れる。しかし、トキには聞く以外の自由は残されていない。



「元々パーキンソン病だったんだが、零化と凍結核兵器をそれぞれ二度体験したら両足の機能が回復したんだ」


「はぁ……」



 身体に戻る自由、代わりに社会から言い渡された冤罪の枷。

 結局、望んだ自由は手に入らなかったのだ。


 そこまで言ってから語り手はグラスのアルコールで口を清める。



「空師団に行くまではな」



 続きを語り始めた直後、空になったビール瓶がカーチスの後頭部を直撃した。


 “本人/犯人”は背後。

 破片が容赦なく頭皮に突き刺さり、しかし、彼らにとってそれは日常的な酔いを醒ます方法でしかなかった。つまり、トキに向かって人の情報を決壊したダムの鉄砲水よろしく、口から放水していたカーチスを少々荒っぽくも止めることに成功した本人(かのじょ)は、続けてコップの水をカーチスの頭に垂れ流したところでやっと、怒りを制御し始めたのだ。



「珍しく酔ってんな。もっとビシッと起こしてやろうか?」



 彼女は外からやって来た。当然といえば当然だが、常識はずれな先客2人が酒宴を始めていたから、外来と自分に言い聞かせなくては落ち着けない。何故なら先客2人と彼女は大抵3人一緒にいるのだ。3人セットというイメージがトキの中に定着しつつあった。

 宴会の中に彼女はいなかったが、それが逆に今ここにいる理由という疑問に繋がる。加えていつあがってきたのか。


 本当にいつの間に現れたのか分からないが、欠けたビール瓶片手に噂の特攻担当がやってきた。

 赤髪の女性、三広炎(ミヒロ ホムラ)である。

 髪と同じように頬を赤くして息切れを起こした彼女の額には怒りの交差点。手には新たな空瓶が握られていた。



「くだらねぇことベラベラ教えないでくれよ……せっかく死ねたんだ。

 今頃になって生きてた時のこと話して何の得があるよ? えぇ?」


「あの……何時から?」



 AM 06:05 色世家


 十数分前にリビングに下りてきたトキが遭遇した場面は男2人による宴会。巻き込まれたのはアルコール漂う激戦地。明らかな不法侵入、遠慮なきアルコールの消費。早すぎる酒気。

 金髪の殺人鬼が撃墜したであろうボトルの数は20を超し、黒髪の殺し屋が空けたボトルは数こそ少ないものの、どれもがアルコール50%を超えるものばかり。そんな戦場にトキは迷い込み、話し相手として強制的にシットダウン。次に赤髪の走り屋が音もなくリビングに現れ、殺し屋の潤滑な口を止めるために容赦ない攻撃。明らかに殺人未遂なのだが、カーチスは何も咎めないし問題ないと言うのでこれ以上の詮索は打ち切られ、同時に流血はなくなった。



「俺学校の支度していいですか?」



 機を逃さず本音を吐く。

 自分の職業は学生。いつもなら朝ごはんを作っている時間だ。

 それから余った時間とおかずで弁当を作る予定だが、今日は不可能だろう。



「少しくらいの遅刻は大丈夫だろ! 焦りすぎだっての!

 ったく、これだからガキって奴は。付き合いってモンを知らねぇ……」



 金髪の殺人鬼が怒鳴る。

 が、その理屈が通る場所と時と状況ではない。


 あんたらと一緒に飲んでいれば、確実に半日を費やしてしまう気がしてならない。

 本音を言うと、実は引き篭もっていた分だけ出席日数が皮一枚分を残すだけという瀬戸際で、蓮雅先生のお陰で留年決定という立場からなんとか進級させて貰っている。これ以上サボるわけにはいかないし、そろそろ遅刻も許されない。さもなくば卒業が危うい。

 だからせめて、学業だけは邪魔しないでくれ。



「仕方ない。

 俺が留守番しよう」


「ホントかよカーチス?」


「クロードは事務所に戻って報告だ。

 ホムラはアレだろ?」


「わかるか。じゃあ、とっととやろう」



 3人一斉に立ち上がる。

 クロードだけがワイングラスを投げ捨てて散らかし、逆にカーチスは使ったグラスや空の瓶を台所まで運ぶ。それから零れたアルコール飲料を丁寧に掃除し始め、その間にクロードは早速玄関を飛び出て走るり去る。出来る限り遠回りをして事務所を目指して。


 落ち着いたところでホムラの腕が肩へと絡む。



「さぁて、今日はちょいと変わった登校と行こうじゃないの。

 てぇ、ことで、さっさと着替えて来い」



 言われるまでもなく、足早に2階へ戻って制服に着替え、朝食の準備を――



「飯なんか食ってる場合かよ。ほら、行くぞ」



 1階に戻るなり玄関から半身を外に出して朝日を愉しむホムラに叫ばれ、鞄片手に台所を諦める。



(嫌な予感がしてきた……)


「さて、5分位経ったな。

 実はさっき、クロードがお前の所持品をスッて事務所に向かった」


「え?」


「クロードの性格から考えて、まっすぐ事務所に走るとは思えない。

 とうわけで、探すぞ。走ってな」


「……あの、これも訓練ですか?」


「ん〜……まぁ、ウォーミングアップかな。

 とりあえず、さっき見た感じ、大して生活に支障をきたすような物でもなかった。血相変えて追いかけるほど価値のあるものじゃないのがアレだけど」



 言われてまず制服のポケットを探る。

 特に消えた物はないため、次に鞄の中を探り、すぐに気付いた。

 そう言えば、部屋で鞄を準備する時にアレを見ていない。



「俺のPS――」

「まぁ、比較的持って行きやすかったんだろ。

 やることは分かったろ?

 クロードを追いかけて盗られた物取り返して、それから学校に間に合う。

 先に言っておくけど、あいつは逃げ慣れているから簡単には捕まえられない……ずぉっ!?」



 鞄を閉じたトキは、いつになく純度の高い殺気を纏っていた。

 それは、数え切れない戦場を潜り抜け、数多の殺気に対する耐性を身に着けているホムラに僅かながらも戦慄を覚えさせるような、零度を下回る寒さを思わせる鋭利で狂気的な殺気だった。





 Second Real/Viatual


 -Second Real Training:05.0

  vsクロード-





 空間を歪める気負い。

 静かなる闘気というより、殺気の全面解放である。

 原因はクロードの持っていった代物が、よりにもよってトキのクリティカルであったこと。

 ゲーム好きとは聞いていた。少しくらいは熱くなるだろうと予想していた。

 しかし、現実は熱さを通り越して氷のような殺気を放つ結果。

 相当大事にしていることが雰囲気として伝わってくるほど年季の入ったポータブルゲーム機。たかがゲームと思っていたが、それは大きな間違いだった。



(マジかよ……ゲーム好きだとは聞かされたけど、これくらいでキレるとか)



 ホムラは2つの不安を抱えた。

 1つはクロード。もう1つはトキである。

 前者は自分達の世界で万人近い人間を無差別に殺めた殺人鬼、後者はたかがゲームを盗られたくらいで殺意満々になるゲーム馬鹿。両者どれだけの執着があるのか分からないが、不用意に殺気を全面的に放つのは戦う者としてはよろしくない。



「あのよ、クロードもゲーム好きだから壊したり捨てたりすることはねぇから安心しな。

 それにとっとと捕まえちまえばいいんだ。そうすりゃアイツも馬鹿を出来ねぇし」


「馬鹿出来ない、って何のことですか?」


「あいつに世界と人種と得物は関係ないってことさ。無差別は何も選ばないから無差別なんだ。

 それより走るぞ。

 ついでに攻略法だ。

 クロードの足は一般人レベルで、私みたいに光速で走れない。その代わり、あいつにはカラーコントロールがある」



 鞄を片手にトキは時間を確認する。

 AM 06:19

 クロードの目的地である芹真事務所への最短経路を走り、2人は質問と回答を繰り返す。



「カラー、コントロール?」


「こっちの世界じゃ“セカンドリアル”とかって呼んでるだろ。特殊能力持ちをさ。

 私らの世界じゃ“コントローラー”って呼んで……って、この話この前もしなかったっけ?

 まぁ、そうだな。つまり――」



 今から追いかけるターゲット:クロード・ハーツは、自らと自らが身に着けているあらゆる物の色を自在に変色させる力を持っているのだ。保護色や背景色は当然のこと。この能力で多くの兵隊や一般人、乞食から首相に至るあらゆる生命が命を落とした。

 最悪なのは“透明”という概念色も展開できる事。

 サーモグラフィーでも使わない限り、色彩を武装したクロードを見つける事は不可能に近い。



「透明になる時は必ず快楽殺人と決まっている。

 任務中に何回かあいつに背中撃たれた仲間も見てきた」



 敵、味方という概念を半ば持たない。極度に興奮した時のクロードが、殺人鬼の本性全開であり、そんな彼を止める事ができた軍人や警察は過去にいない。悉く“打ち/撃ち”殺されている。透明化した人間は捉える事すら困難極まりない。

 それがクロードという殺人鬼の本質であり、厄介たらしめている要素のひとつなのだ。



「プラス、あいつに国境(じょうしき)はない。この世界でも気分次第で殺りかねない」


「じゃあ急いで捕まえましょう。みんなの為にも」



 何よりもPS○のためにも。

 本音ではまだゲームを取り返したいが為……だが、話を聞いているうちにゲームなど些細なことに思えてきた。冷静に考えてみれば、クロードという殺人鬼が自分の街に放たれたのが現状だ。味方を撃つことも厭わない人間が、不慣れな土地だからといって遠慮することなど有り得るのか。ホムラの口から語られるクロードの殺人履歴は、少しずつ不安を募らせていく。


 もし知り合いが巻き込まれたら?



「これがウォーミングアップということを脇に押し退けて、そこら中で殺して遊ぶ可能性は低くない」



 早く捕まえるということに異論は無いが、問題は姿を消せる相手をどう見つければいいのかという所にある。殺人鬼が最短経路を辿る可能性もあれば、あえて遠回りする可能性もある。 芹真事務所への道は、大通りを進むものだけでも6パターン存在している。それらのいずれを辿るか、或いは更に入り組んだ道や細い道を通るかもしれない。どの経路を通るかは本人のみぞ知るところ。



「今日が一発目だからな、特別に手伝ってやる。

 あいつの性格上、最短経路で事務所に向かう可能性は極めて低い。

 挑発も兼ねて、私らを待ち伏せているはずだ」


「どこで?」



 まずは事務所までの最短経路を半ばまで辿り、そこで横へと曲がる。

 住宅街から商店街に差し掛かり、アーケードの入り口で足を止め、周囲を見渡す。



「確か、あいつはこの辺が半分くらいだとか言っていた」

「半分くらいっていうのは、事務所と俺の家の中間地点ってこと?」


「さぁな」



 巨大なアーチを見上げ、次に周囲にクロードが擬態していないか探る。

 人影が増え始めた早朝の商店街の中、澄んだ空気の中に血臭を漂わせる雰囲気が混じった。

 確かな気配に感付くホムラ。

 突然の警鐘に小さく肩を震わせるトキ。

 嗅ぎ慣れた不穏な空気に気付いたホムラは建物の上下を探り、ホムラの様子からクロードが近くに居る事を悟ったトキも、朝日と人工物の作り出す物陰に殺人鬼の影を求めた。

 この商店は近隣住人の重要な生活エリアである。買い物客を中心に広い年齢層の人々が訪れる場所である故に、殺人は防ぎたかった。事が起こる前に発見しなくてはいけないのだ。



「居た!」



 入り口の柱から顔を覗かせていたクロードをホムラが見つける。

 発見と同時に逃避を再開するクロードだが、それが誘導であると2人は考えた。理由として、トキはクロードという人物の話を幾度か聞かされ、実際に数度打ち負かされた経験から実力で上を行く殺人鬼が、何の考えも反撃手段もなく背中を向けることに違和感を覚えたからである。一方でホムラはクロードと長く付き合っているため、彼の本気を悟ったのだ。クロード・ハーツという人間は本気で遊ぶ時は決まって人を誘い込む。その手で他界した犠牲者は数知れず、空師団という世界軍警察機構にまで喧嘩を売ったこともあるのだ。



「ちっ!どのみち追わなきゃダメか!

 急ぐぞトキ!」



 先行して商店街に駆け込むホムラを追う。

 目に見えるうちに捕獲しなければ確実に最悪の結果が訪れる。

 活気溢れるであろう一日の始まりを飾る少数の店主達が、場違いにもアーチの下を駆けるこちらに視線を集める。

 何事かと警戒した者達が手にした箒や引っ掛け棒を握りなおした。


 衆人環視にかまわずクロードは走り続ける。

 看板を躱して角を曲がる。不意に現れた女性を回避して経過、通路の中央に斜めに停車した青い軽トラックの荷台を乗り越え、白いシャッターの下りた店の看板目掛けて跳躍する。 二枚板の看板はクロードの腰ほどまでの高さで、その足元は砂袋でしっかりと固定されていた。それを踏み台にし、他店より低い位置に取り付けられた店頭看板へと跳び移る。

 一度はすべり落ちそうになったところを踏ん張って無理やり前へと進む。看板の上を走り、隣の店の軒の上に。金属の足場を踏み鳴らしながら殺人鬼は走る。


 見失うまいと障害物を回避しながら追うホムラは舌打ちし、トキはどうにか同じステージに立てまいかと考えていた。

 クロードがこのまま上を走り続けていけば、いずれ見失ってしまう。

 このアーチの中に何があるのか、僅かながらもトキは知っていた。昔、同じ小学校のクラスメイトがいつも興奮気味に語っていた鬼ごっこの話に、この商店街は高難易度のステージとして幾度となく登場した。大人の目を盗んで細い路地を駆け抜けた、看板の上を走った、その先に穹窿(きゅうりゅう)の上に出る点検口を見つけた等、冒険心溢れる小学生たちの好奇心はこの商店街の隅から隅までを探検し、あらゆる出入り口を発見したのだ。


 トキにも興味はあったが、一緒に行く友がいなければ、独りで行く理由がないし、勇気もなかった。



「上に行けるか!」

「行く!」



 青い軽トラックを通過し、クロードが足場にしたであろう揺れる看板が目についた。

 アレを踏み越えて同じように上ることができるのか。

 半ばの自信と不安が押し合いを始める。ここでクロードを見失えば無関係な人間への被害が出てしまう。それ以前に、こちらが手痛い損害を受ける可能性だってあるのだ。見逃すわけにはいかない。


 呼吸を整えながら追走し、看板を通過する。



「おい!」

「こっちから行く!」



 並走するホムラに言って聞かせた直後に跳ぶ。

 白いトラックの荷台へ飛び移り、そこから運転席の屋根へと移動し、最終的にクロードが走った経路に乗る。


 看板の上へ移っている隙にクロードとの距離は開いた。

 店の出入り口を飾る看板を足場にに走っていたクロードが、十字路の比較的細い道を挟んで反対側の軒の上へと飛び移る。

 距離にして約4メートルもの跳躍。

 それは再びホムラに衝撃を与え、しかしトキには安心を与えた。



(あンの野郎……人前で堂々と跳びやがった!)


(普通の人間でもあれくらいの距離は普通に飛べるんだな。なら!)



 激しく且つ自然と思い込んだ結果、トキはクロードと同じ方法で十字路を越えた。

 再開する直線を、力の限り逃げ、また追いかける。

 単純な脚力は互角。

 早朝から耳に障る大きな音を立てて走る2人をホムラも追いかけて見守った。



(おいおいおい!

 私らの体は特殊核爆発(アイスジャッジメント)の影響で強化されちまっているのに、クロードと同じ方法で渡ったトキの体はどうなっているんだ!? 本当に生身か!?)



 クロードが曲がる。

 遅れてトキがそれを追いかけて曲がり、その直後にクロードの攻撃がトキの鳩尾に打ち込まれた。


 成功する奇襲。

 曲がり角という視界の限定された地形を利用した簡易伏兵。

 ただ追いつくことに全力でないにしろ、大半の力と意識を注いで追跡するトキにそれを躱すことは出来なかった。


 高所から地面へ。

 新調されたタイルの上に落ちた瞬間にトキは体勢を立て直していた。攻撃を受けた瞬間にタイムリーダーを展開し、意識を除いた全てが低速化した世界で、可能な限り抵抗を続けた結果が受身による着地へと繋がった。


 しかし、ダメージが無かったとは言え、地面に落とされクロードを見失う可能性は一気に高まった。

 一撃で落とされた後、クロードがすぐに踵を返して背を向けて走り出したところをトキは目撃した。ホムラはすぐに背中を叩いて休まないように催促し、トキは怒りを堪えながら追跡を再開する。


 走りながら荒げた呼吸を少しでも取り戻そうと考えていたトキだったが、クロードの逃避速度は落ちる気配を見せない。角を曲がり、看板の上から業務用トラックの上に降り立ち、地面を踏んで出入り口をの一つを目指して走り続けているが、その足取りは疲れの色を窺わせない。看板に掴まり体を引き上げ、全力疾走、障害物を跳び避け、時には地面に飛び降りて受身を取り、また跳んで躱して走り出す。その間、クロードの手にはトキのPS○が収まっており、朝の冷たく新鮮な、どちらかと言えば湿気っぽい早朝の空気に晒され続けていた。


 トキが体力的に辛くても走り続けられている理由の大半がそれである。

 ホムラ曰く、クロードはゲームが好きな人物である。が、現状でトキが下すクロードというゲーム好きらしい人間に対する評価は限りなく低い。湿度の高い環境にハードウェアを晒している時点で減点である。更に激しい上下に運動やぶつけているように見える運送、とどめに離さないよう握っているのだろうが、どう見ても強く握り過ぎである。



(というか、それ俺の!)



 本音を何度も心の内で叫ぶトキの傍ら、ホムラは生ごみの詰まった袋を引ったくってクロードに投げつける。

 飛来するごみ袋をストップアンドゴーで躱し、だが、ゴミ袋の影に潜むように――時速90キロで――飛んできた箒を背中に受け、頑丈が取り柄のクロードも流石に体勢を崩した。

 その隙にがクロードの真下に滑り込む。



(止まれ!)



 同時、0.1秒の完全停止と、1秒毎に通常時間へと戻る低速世界の展開で、トキは何に阻害される事もなく足場となりうる物を上り、箒を背中に受けて転倒したクロードの背後まで迫った。

 任意で短めに発動させた力だが――トキは盗まれたPS○に手を伸ばし、奪回を優先した。だが、起き上がりつつトキの腕を絡め取ったクロードは、ゲーム機防衛とトキの撃退を同時にやってのける。タイムリーダーの解除が早すぎたのだ。


 一瞬にして腕十字固めを決め、トキの右腕を軋ませつつ身体を外側に振り落とす。



「背中見せてるからって舐めんじゃねぇよ、馬鹿が」



 文字通り上から物を言われたのだが、背中から地面に落ちたトキにクロードの言葉を聞く余裕は残っておらず、全身に走る電撃のような痛みと乱れた呼吸から途切れそうになる意識を守り繋げているだけで精一杯。押し寄せる激痛が起立を拒もうと声を上げる。



「おら、追うぞ!」



 痛みに目を瞑り、深く息を吐いて堪えるトキをホムラは無理矢理起こして立たせた。

 折れかける膝。張った筋肉が悲鳴を上げている。乱れに乱れた呼吸は必死に炭素を求め、痛みを訴える脊髄は休息を求める。

 だが、トキの目はクロード阻止を何よりも求め訴えていた。



「寝ていれば置いていかれるぞ!」



 “負けたくない”

 喝が意識を呼び覚ます。

 一息呑んで荒れる呼吸を無理矢理抑える。


 停滞は堕落を意味するとホムラは言いたかった。魔女:ボルトからトキの戦闘履歴を本人から盗み見てもらい、密かに教えてもらった。その中に雪の降った夏の夜の話があった。特殊な力と複数のチームを用いての、街への襲撃に見せかけたトキと首謀者であるソイツの面会。

 その夏の夜、トキは瀕死に追い詰められていた。

 コントンという名の男に敗れた経歴を知らせて貰ったからこそ、苦しんでいようが容赦なく叩き起こせ、引っ張り回せるのだ。

 トキ本人が真に願うものは何か、ホムラに知る事はできない。次に会った時コントンに負けないと願うのか、それとも二度とそいつとは戦わないと願うのか。


 自分を死地に追い込んだその男をどう思っている?


 もしかすると、訓練は不必要なのかもしれない。



「わかってる……追いつかないと」



 しかし、必要か否かの前に、トキ自身に願いを叶えるために必要なだけの経験値を与えることができるのは、現状で自分達だけ。自分達こそが、最も適役だと自負している。無いものをすぐに調達する事は難しいが、備えあれば憂いなどあろうはずもない。再び合間見える可能性のある敵に備えて戦い方を学ぶことが、果たして不必要だと断言できようか。

 厳しさも激しさも与える事ができる。私達なら。

 故に必要なものはいくらでも提供するつもりだった。武器や知識、基本的な立ち回りから酒の飲み方、挑発の仕方、乞われれば医学からコンピュータの知識、世界史や音楽のことだって提供する。ただし、優しさとバージンは例外だ。


 平衡感覚の復元を待ちながら、おぼつかない足取りでクロードの走り去る方向へ一歩踏み出し――踵を返したトキは、ふとした思い付きを実行した。



「何やっているんだ!」


「……散らかしたままだと悪いかと」



 ホムラが投げつけたゴミ袋。

 クロードを直撃し損なったポリエチレン製の袋は所々が破れ、悪臭漂わせる生ゴミがタイルの上に散乱した。トキはこれを素手で回収、と見せかけて時間を奪い、分解し、カラーボールに作り変えた。



「そんなの放っとけ!」


「これ使えないか!?」



 ゴミ袋を手に持ってトキは走り出す。

 その姿に疑念を抱いたホムラは、しかし、文句を言う前にトキに差し出されたものを受け取り、目を白黒させた。

 防犯装備の着色カラーボール。

 これをどう使えとは言わない。むしろホムラとしては歓迎できる代物だった。問題はトキがこれをどこから取り出したのかだ。



「作った」



 それだけを言ってトキは手中に生ゴミを取り、それを時間的に分解し、再構築し、時間で以って物質としての存在を確立させる。掌で行われたゴミの変換に、ホムラは原理の理解よりも賞賛を送った。



「いいねぇ!これはアイツに有効だぜ!

 もっと作れ!これなら昨日の恨みも晴らせる!」



 私怨を込めて投げつけるカラーボール。

 走行という安定性に欠ける状態での第一投は、看板を飛び越えようとしたクロードの後頭部を見事に捉えた。



「これで見失う事はない――はず!

 行けトキ!」



 第二、第三投とカラーボールを放つホムラに手持ちのカラーボール全てを渡し、再三の接近を試みる。

 開かれた脚立を上って看板に飛び付き、よじ登ってクロードの背中を視界に納める。

 今度こそ落とれないよう細心の注意を払い、過敏なほどの警戒をしながら距離を縮める。カラーボールによるマーキングを施されたクロードは投擲に構うことなく走り続けた。

 それを追う2人。

 ほどなくして、クロードは天井へと伸びる梯子を手に取った。



(上に出てどうするつもりだ!)



 垂直に近い急な角度の階段を滞りなく上るクロードと、それを追うトキ。

 登りきった先で朝日に目を細めてしまう。

 冷たい空気が降りた、静寂に沈んだ街が現れた。


 濡れたアーチの上、反射光で見失いそうになる殺人鬼を必死に追う。

 下で通過して来た経路を折り返すように走り、ひたすらに、速度を落とすこともせずにクロードは走った。負けじと、トキもあらゆる危惧を頭から排して一心に背中を求め走った。

 そんな2人の前に、陽光に霞みながらも虚空と足場を分かつ横長いアウトラインが現れる。その先に地面が無いように、何の覚悟も構えもなく飛ぶ者には未来さえない一線。

 そんな現実が突きつけられた。確かに道はなかったが、しかし、勇気の先には活路があった。



(行く気か!)


「あばよ!」



 殺人鬼に一切の迷いはなかった。

 高さ地上9メートルものアーチ上から金髪の殺人鬼が跳ぶ。

 跳躍に迷いはなく、雑念は入り混じっていたものの死への恐れや危惧はミクロほども無い。


 着地に成功するという確たる自信で満ちているのだ。


 それは、対抗するトキも同様。

 跳躍と着地に備えての姿勢制御。脳裏に浮かぶものはゲームで得た情報。高所から落下した場合の衝撃を分散させる方法。それを今から実践するのだ。

 一つの失敗は全ての失敗に繋がるはずだが、初めて跳ぶ高さにも関わらず、失敗するイメージが全くわかない。


 しかし、代わりに跳んでから地面までのごく僅かな時間、トキはクロードがこの行動を選択した理由を悟った。



(誘導――!)



 低速化する世界の中、後ろ手に構えられた拳銃が飛び込む。

 銃火の煌きは前、飛来する金属の凶器は的確。


 しかし、位置を限定される空中落下時を狙った殺人鬼の意図に気付いたトキの対処は早かった。

 アドレナリンの過剰分泌によって低速化した世界を、タイムリーダーで以って更に低速化し、弾道を見切ってその先に掌をかざす。



(クロノセプター!)



 展開する低速世界。

 奔る弾丸が掌にぶつかる。皮膚を破る事すらなく、殺意の代理は消滅する。

 奪うのは銃弾が与えられた時間。作られ、使われ、朽ちて分子に還るまでにかかる、長い時を瞬時に奪い取る。


 空中で銃を手放したクロードが着地する。

 二回転で着地の衝撃はほぼ消え、僅かな痺れだけが足に僅か残る程度。ほぼ無傷での着地を実現して見せた。元の世界で何度も実践してきた逃避術。特殊な身体を得たからこそ出来る軽業だった。その証拠に、高所からの跳躍にも関わらずトキのゲーム機は無傷である。



「……マジかよ」



 着地とは別の衝撃に直面するクロードの額に汗玉が浮かんだ。

 驚愕に彩られるクロードの前に、空中で射止めたものと確信していたトキが着地した。無傷で、しかも自分と同様の衝撃分散を行って。

 予想外の事態にクロードは自身がトキを完全に舐めてかかっていたことを改めて自覚した。後の祭りと分かっていても後悔した。

 無傷に加えて、いつの間にか互いの距離は拳足が届くほどにまで縮んでいたのだ。



(こいつ!こんな無茶をやる奴だったか!?)



 トキの右拳が頬を捉える。


 威力こそ乏しいが、体勢の不整なクロードが反撃するまでに時間はかかった。

 この機を逃さないように猛攻を仕掛ける。

 クロードの左肩に狙いを定めて放つ左フック。骨と肉の感触は相手の表情から、反動は痛みとなって拳を介して伝わってくる。

 怯む暇は無い、殺人鬼を怯ませるには今しかない。

 脇打ち、再び顔面、顔面、肩。

 タイムリーダーによる時間的優位を最大限に利用したトキは加速する。

 鳩尾への3連続ブロー、顎の先端を捉える掌底、肺の空気を搾り出す掌打・拳撃の連続。


 たまらずクロードは背中を見せて走り去ろうとするが、トキの手がクロードの服を掴み、離さないように手首を返して捕らえた。

 再開しようとした逃亡を、再開する打撃に阻まれる。

 両膝を打たれ、そこに生じた脱力感にクロードは屈辱を感じ、それまで押し殺していた殺意と素直に向かい合った。

 形勢はトキの有利。数日前の対戦が圧勝だっただけに予想すらしていなかった展開。癪に触れたのは己が油断していたという事実と、トキが圧しているという現実。



「調子乗ってんじゃねぇ!」



 背中に打ち込まれた拳を踏ん張って止め、振り向きざまに、面と向かい合った瞬間にトキの手首を取る。

 同時、クロードは自身が纏う一切の色を、空気の如く無色に変えた。

 それまで果敢に攻めていたトキの手足が止まる。突然の変色はクロードを逃がしたという錯覚を一時的に与えた。が、



(消え――ていない!感触はある!)



 目の前から姿だけを消したクロードだが、握った手の感触に変化はない。


 端から見れば、トキは虚空を掴んでいるだけで、そこに人の姿はなかった。

 しかし、すぐ問題に気付いた。握ったクロードの手、しかし、取っ手を先に捻りあげたのはクロード。相手の視界から、ある意味で逃れたクロードは直ちに反撃に移ったのだ。クロードは握力で負けないためトキの手を握りつぶす事も出来た。それでもあえて捻りあげたのには理由があった。



(こいつには回復能力がある……しかし、それが同時に弱点になっている!)



 完全に捻られる前に対処しようと放たれたトキの拳が空振る。人体の構造を把握しているクロードはトキの死角に潜り込みつつ捻り返した腕を背中に回して捻り上げた。

 瞬く間に形勢を逆転されたトキの中で、引き潮のように消えかけていた焦りと怒りが再びこみ上げてくる。


 手首を取るところまで行ったのに、あと一歩でゲーム機を取り返せるという状況だったのに、何故反撃されたのか。



(強い――だけじゃない!)



 完全静止世界が朝日に揺れる景色に闇を落とす。

 音の絶えた世界でトキは、原因を考えながらクロードの手から脱出を試みた。万力のような握り手から、左右に手首を回すが遅々、しかし自由を少しずつ取り戻した。静止世界が低速世界に移行する頃、手首は完全に自由を取り戻す。



(もしかして、今日この訓練で伝えたい事って“力の使い所”か?)



 出来る限りクロードという人物だけはSRに頼らずに倒したかった。

 この拘りが前回クロードに敗北した最大の理由である。力を持っているのに使わなかったからだ。持ち腐れとなりかけたが、辛うじて今日まで“力/生命”は続いている。まだ自分の持てる全てを発揮できる機会はあるが、いつ死ぬか分からない人生という事実は誰にとっても平等であり、だからこそ、全力を出し惜しみしてはいられないのだ。


 セーブして戦っていた。

 舐めてかかったつもりはない。むしろSRに頼らない分、いつも以上に集中して戦った。それ否定しようのない事実である。


 手首の次は捻り上げられた腕を解く。軋む関節、走る痛みに歪む表情(かお)。手から消えていくクロードの感触。それが全力を出さなかった代償だと思い知る頃には低速世界も終わりに近づいていた。



(透明の利点は、相手にモーションを読まれないことか)



 低速世界と束縛の解除。

 それと同時に透明化したクロードが一瞬だけ色を得て顔を見せた。そこで見せた表情は不敵。

 一歩踏み込んだクロードは再び透明化して視界から消える。



(次の攻撃!)



 身構えたトキ。

 周囲に目を配り、身構えたまま目で確認していく。

 後ろ。

 左右、裏をかいて正面か。

 だが、遠くから響く自動車の音だけが耳に届くだけで、クロードは触れてこない。

 身体に走る衝撃や、予想の範疇或いはそれを度外する攻撃は10秒の静寂を経て、ある予測へと変わる。予測が、ある意味で強い衝撃をもたらす最悪の“シナリオ/現実”へと書き換わってゆく。



(まさか……)


「逃げられたな」



 振り返ると目の前にはホムラ。それからアーケードの下で不審の視線を送る住民達が姿を見せていた。

 額から大量の流血によって視界を塞がれた彼女が溜息混じりにもらした一言には、どこか安心したという響きを含んだ節があった。



「カラーボール、意味なかったな……」


「気にするな。

 私も初めて試したんだ。無意味だってことを知らなかった私に責任がある。

 それより急ぐぞ。こうなったら事務所の近くで待ち伏せる。

 つまり、私達はあいつより早く事務所に到着する必要がある」


「え?でも――」



 言ってすぐ、ホムラはおでこに刺さったガラスの破片を払い落とし、真っ直ぐ事務所の方角へ身体を向け、ハンドシグナル。


 ――直線で、行くぞ。


 直後、弾丸の如く走り出すホムラ。

 一度言い出したら止まらない。

 トキはホムラという女性の性格を覚えた。ビルの合間を抜け、ガードレールを飛び越えて車道を横切る。横断歩道を無視し、歩道橋を使わない。

 赤髪は振り返ることなく走り続けた。



(くっ……早い!)



 彼の名の通り、焔が如く揺らめくセミショートを追いながら路地に入る。

 放置された自転車を飛び越す。

 ゴミ箱を蹴散らし、飛び越える。

 年季の入ったフェンス。 ホムラは外階段を2秒で駆け登り、手摺を蹴って身の丈以上のフェンスを通過する。トキは彼女のルートは辿らない。階段を使わずにフェンスをよじ登って越える。

 路地を抜けて大通りに出ると、すかさずクラクションが鳴り響く。

 ホムラは乗用車のボンネットを滑って通過し、走行を再開。それに続いて行くためボンネットを踏み越える。

 背後に罵倒を受けるも、運転手の声はすでに遠い。曲がり角を通過し、衝突しそうになった通行人を紙一重で躱す。



「もっと急げ!」



 更に加速するホムラ。

 全力疾走に近い状態で幾本もの道路を通過し、角を曲がり、立体に突き進んでゆく。

 飛び、曲がり、跳び、走る。

 事務所を視界の遥か片隅に収めた時、ホムラはスピードを一気に落として周囲にクロードが潜んでいないかを確認した。

 慌てて衝突しそうになったホムラの背中を際どくも躱し、全力疾走の反動で悲鳴を上げる脇腹を押さえる。



「まだ着ていないよな……」


「ハァ……ハァ……着いて、ない?」



 切れ切れの息を整えながら周囲に目を配が、事務所の前にクロードの姿は確認できず、急ぎ足の通行人や仕事に向かう人が目に入るばかりだった。


 現在、AM 06:26。


 街中にある事務所周辺の人通りは、住宅地のそれよりも多い。



「これだけ人がいるのに、クロードは人殺しをする可能性が?」

「あいつはする。

 それよか、罠張るぞ」



 滴り落ちる汗が霜に濡れたアスファルトに染みる。

 ポケットからポリワイヤーを取り出したホムラは忍び足で事務所の階段前まで移動し、階段の手摺にワイヤーを張った。



「こんなのに、引っかかるんですか?」


「引っかからなくていいんだ。それより、周りに怪しい奴がいないか確認しろ」



 その間の見張りを任せられたトキは、今まで幾度か聞いてきた警鐘を受けた。

 危険が迫っている時に鳴るこれが何なのかを理解しているため、警戒を強化するまでに時間は掛からなかった。警鐘が危険を知らせることは理解している。これから来る危険がどう言ったモノなのかも。



(来るか!?)



 ガチンと脳に響く音有り、しかし震動無き危険信号。通過してゆく車両の駆動にかき消されることのない警告。

 ここに至り、疑問に思うことが新たに浮かんできた。まず、クロードは本当に来るのか。言い換えれば、クロードは先に事務所を目指して走ったのか。

 先に到着したという可能性は?

 あえて事務所を目指さなかった場合は?

 本当に、クロードは逃走したのだろうか?



(カラー、コントロール)



 ガチンッ、と予測に答えるように鐘は打たれる。

 クロードの接近に備えてワイヤーを張り巡らすホムラの背中に目をやり、走ってきた道に目を向ける。

 それから朝日。

 車の流れが量を増してきた道路からは震動、頭には警鐘が強く鳴り響き始めていた。


 そもそも、何故先程までの戦闘で――特にアーチから飛び降りてから透明化したクロードに対し――何故警鐘はならなかったのか?



(もし、クロードが先手を選ばなかったら……)



 ガチン! と、今朝最も強い鐘が2度鳴った。


 最悪の可能性を考慮して備え、それから戦え。

 これまでの訓練でさんざん言われてきたトキは両手に時間を奪う備えを、全神経をクロードの出現に集中させ、いつでもタイムリーダーを展開できるように整え攻撃に備え――


“もし、追われているのが自分達だったら?”

“先程の透明化したクロードに対して警鐘が鳴らなかったのは、行動の全てが逃亡にベクトルが向いていたからなのではないか?”



(横!)



 直後、ホムラが立ち上がって振り返ろうとした所でトキの予測は当たった。

 銃を向けられているのはホムラ。

 挑発でもするかのようにクロードはトキの眼前に立って銃を構えていた。必殺の至近距離。消音器の類をつけているわけでもない銃器をここで使用すれば、警察が飛んでくることは必至。通報される事間違いなし。

 だが、それを阻止するだけの力をトキは――活かしきれていないが――持っている。

 “試されている”

 瞬時に低速世界を展開し、クロードが引き金を引く前に、クロノセプターで銃身を削ぐ。右手で銃身に触れる。それだけでクロードは持ち合わせる火器を瞬時に攻撃されたことを理解するまで時間を必要とするはずだ。向けた銃口から弾丸が飛び出ることはない――



(いや、足りない!)



 クロードの先手は察知でき、対応したものの不安は消えない。

 銃身を削いだだけで機能を完全に失ってはいない銃。


 一発くらい撃てるのでは?


 そんな疑問が沸いた。

 自動拳銃の仕組みを細かく理解していないトキは、念を入れてもう一度銃に触れる。今度は銃身でなく、グリップより上の機関部が詰め込まれたスライド部分を狙う。冷たい感触が皮膚越しに伝わったのは束の間、時間を奪われた部品が物質を失い、触れた場所だけがぽっかりと消えてなくなる。これで拳銃は機能を完全に失った。フレームとスライド、機関部を失った拳銃は薬室に控えた弾を発射することさえできない鉄屑に変わった。

 それを自覚していないクロードは引き金を力いっぱいに絞り、



「俺の――あぁっ?」



 声高らかに笑みと一緒に振りまく勝利宣言、になるはずだった言葉が消える。

 しかし、飛んだバネに意表を突かれ、それをきっかけにクロードは自身の得物が鉄塊に変貌している事を初めて知った。

 そんなクロード目掛け、ホムラとトキの十字砲火が襲う。

 側頭部への左ストレートと、喉めがけた右手の親指と人差し指の付け根による刺突は、殺人鬼の意識を夢の中へ誘う。 透明化して逃亡する事に失敗する殺人鬼。

 頭部と喉。その感触にトキは打ち終えてから焦りを覚えた。やりすぎたのではとホムラに確かめるが、彼女は笑ってその意見を否定した。一件落着とだけ言い、PS○を拾い上げてトキに手渡すと何事もなかったかのように事務所へ続く階段を上り始める。



「結局糸の意味はなかったか……さて、トキ。

 体は温まったか? さっそく今日の訓練始めようぜ」



 あえてクロードを路上に放置したまま、ホムラは事務所の中へ急ぐように促していた。

 好感を持てない人物とはいえ、訓練教官の1人であるクロードを運ぼうか、それともホムラに従って放置しようかと迷ったが……



「あぁ、そいつ、死んだフリだ。もう意識を取り戻してっから気を付けろ」

「え……?」

「クソッ、バレてんかよ!」



 偽装を見抜かれたクロードが素手で飛び掛る。

 しかし、奇襲を掛けたのが仇となり、クロードをSR無しで倒すという意識が薄れていたトキは、何の躊躇いもなくタイムリーダーを展開した。


 クロードは階段上に避難したホムラと自身の間にトキという盾を得ようと考え――それが叶わず反撃の金的を受け、そして止めに顔面肘打ちを喰らってしまう。

 とどめに不運の女神が微笑んだ。力の抜ける膝は体勢の崩壊を意味し、前後左右に倒れるわけでもなく、クロードは垂直に崩れた。この時、倒れるその先の空間を、偶然通りかかったトキの膝がクロードの顔面に絶大な衝撃を与えた。



「あ……」



 本当のトドメは顔面膝蹴りだった。それも鼻の骨が割れるほどの。

 蹴ろうとしたわけではなく、討とうとしたわけでもないが、それが決定打になったことは間違いない。



「うわダッセ!間抜けがいるよ!」



 骨折した顔面を更にアスファルトに激突させてダウンしたクロードを、今度こそ完全に放置してホムラは事務所へと消えた。入れ替わって、いつの間にか事務所に来ていたカーチスが姿を現し、入室するように促した。

 さすがのトキもホムラに倣ってクロードとの距離を取った。偽装を見抜けなかった事に寒気を覚えながら事務所に戻ると、コーヒーカップ片手に豆の香りを楽しむホムラが聞いてきた。


 今日、起きてから1時間以内に何か学んだ事はあるか?


 事務所内に目を走らせるトキ。

 新聞に目を落とす芹真や欠伸をかくボルトに囲まれ、調理場からの軽快な包丁が刻むリズムと低音量に設定されたテレビから流れる僅かな音声が余裕を失いかけていた頭に平静を呼びかける。

 まだ肌寒いにしろ、暖房を必要としなくなった3月中旬の都市。その一角に設けられていた事務所だが、どうしてか寒さだけは微塵も感じさせない。クロードの殺意の方がよほど寒さを感じさせる。


 平和な日本では当たり前の朝が、事務所の中にも広がっていた。

 いつも以上に温かみを感じさせる空間。柔らかな匂いと平穏な空気が醸し出すこの場は、強張った体を否応もなく溶かしていくような錯覚を呼び起こすに十分な環境だった。そんな状況下、起床から今に至るまでを思い返し、カーチスの肩を借りて事務所に上がってきたクロードを見て、自分が犯した失敗を認める。



「ほれ、次は屋上だ。駆け足!」



 “もっと周りに注意を払うべき”


 これが、ホムラの問いに対するトキの答えだ。

 背中を押されたトキは一歩、屋上へ続く階段の設えられた裏口へ踏み込んだ――その刹那、銃を構えるホムラに向き直る。

 それが銃を向けるホムラへの回答。自信は半ばほどしか無いが、自力で気づけた欠点がこれであった。



「俺に足りないのは“警戒心”それから体力、そう言いたいわけですか?」


「……ちょっと遅いが、及第点か。あぁ、まさしくソレだ」



 ホルスターに銃を収めてトキの前を歩いていくホムラ。

 乱れた髪を整えるよう後頭部に回された両手。その指が3本だけ立てられていた事にトキは気付けず、早朝の目覚まし訓練は終了し、同時にある調査も終わった。



「トキの野郎、寝起きにはそれなりに強いみてぇだが、集中力が散漫らしいな」



 ソファに掛けたクロードが芹真に言って聞かせる。

 新聞にペンを走らせる芹真はクロードの言葉に肯定した。



「どっぷりゲームばかりやっているらしかったからな。前頭葉を始め、集中に必要な脳の随所で機能低下が見られる。いままでのダメージがいい証拠だ」


「それを俺らに直せってか?」


「あぁ。ゲームの時間を減らし、気力を削いで、体力的にゲームを出来ないまでに叩きのめしてくれれば人としてもある程度改善されるだろう……って、ボルトが言っていたし」


「うん。言った言った〜ナインちゃんもね〜♪」



 クロードの愚痴を含んだ言葉と、それに飄々と答える芹真とボルト。

 3人が会話を成立させるのを見届けてからカーチスは屋上へと登って行き、早速訓練の準備を整え終えたトキとホムラを見守った。



「って、カリヴァンは何をしているんだ?」



 屋上の中央で向かい合う。

 ホムラとトキの姿勢に間違いはなかった。

 一対一の訓練、それが予てよりホムラの口から零れていた内容だったのだから。


 疑問は一つ。

 向かい合う2人の中間で――さしずめ、レフェリーのような立ち位置にいるカリヴァンは、果たしてレフェリーと呼ぶに相応しいのか甚だ疑問だった。

 否、どう考えてもレフェリーでないことは明らかな出で立ちをしている。



「オシ!じゃあ、始めっか!」





 >Next:ホムラ+ナイン(+α)




 

 

“第三特殊空師団:クリアスペース、『アタッカー一覧』”


●全8名

○クロード・ハーツ

 担当――突撃、暗殺、掃討、狙撃


三広炎(みひろ ほむら)

 担当――突撃、護衛、掃討


○トニー・カーチス

 担当――暗殺、護衛、第二指揮官


○カリヴァン・ビンラディン

 担当――偵察、拠点攻略、狙撃、掃討


○インスタイル・フィーラー

 担当――護衛、暗殺



「……」



 芹真の朝はいつもブラックから始まる。豆は大抵ブルーマウンテンかコナ、時々サルバドルを選ぶが、多くの日は前者二つである。

 香気を存分に堪能しながら脳の覚醒を促しつつ味を楽しむのが日課で、そこに砂糖やミルクを必要とはしない。

 だが、今日は珍しくも両者が無性に恋しくなった。



(全8人。人数は前回と変わっていないが……)



 これまでトキが関わってきた相手は5人。本格的に剣を交えたわけでないメンバーもいるが、5人全員の顔は覚えている。

 ナインを含めて6人だが、彼女はクリアスペースに仕事を与える予知機関の人間で空師団ではない。



(あと3人か……確か――)



 資料をめくる。

 先に記載された5人とは明らかに別扱いで記された3人の顔写真と経歴。そこに書かれているものは以前芹真が会った時とは明らかに変わっている男女がいた。



(略歴でも相当ヤバイ奴らが、更にやばいことになっている……)



 経歴欄のそこかしこに書かれた『核、テロ、皆殺し、施設破壊』などの物騒極まりない文字羅列。それらによって成されるオンパレードは明らかな世界の違いを如実に語っている。



(ジム・D・ハミルトン。 シャティ・ホワイトライズ。

 最後がミーナ・アミナスキャル、か)



 どの顔にも覚えはあるが、聞かされたことない経歴の数々は多大な不安を醸し出すに十分の要素であった。加えて芹真事務所は過去にもクリアスペースとの交戦経験がある。

 まだ若かった彼らはSR相手に互角以上の戦いを繰り広げた。それも個人対個人による決闘で。チーム戦を主とする彼らの戦力はSRを凌駕することさえ容易い。



(特にこの3人――ミーナなんかのレベルは、当時で既に協会長直々の親衛隊クラス)



 そんな彼女をいずれ連れてくると言っていたナインとボルトだが、果たしてミーナという怪物を制御しきれるのか。更にトキの訓練を引き受けてくれるのか。


 コーヒーを注ぎ足して新聞を広げる。

 悩んでも仕方ない。まだまだ時間はあるし、やる事・懸念する事は他にも沢山あるのだ。悩み停滞している場合ではない。



(今は任せるか)



 こうして芹真は完全に訓練をボルトやクリアスペースの面々に託し、今日も今日とてコーヒーから始まる一日を新聞とTVによる情報取得に移行して連続を始めた。




 

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