第30〜31話 Insert-03:vsクロード-
大分開いた間を埋めるため、とにかく走り続け、ひたすらに――間違っていた。
それに気付いた瞬間、絶望というものに出会えるのだ、と思っていたらこれも実は間違い……
否、偏見だったりする。
だが、それが限界であるのならば偏見の先はなく、閃きによる前進のみが盲目の闇に道を実感させる杖となるのかもしれない。
が、これも偏見かもしれない。
『――という夢を見たんだが、どう思う芹真?』
「何故年下の俺に聞くんだ、孫?」
手元の訓練表を眺めつつ、芹真は真夜中の事務所で受話器片手に憂鬱になっていた。
原因の一つとなったのが電話。次に予定表、とどめにコーヒーの豆を切らしてしまった事。わざわざ寒空の中をコンビニまで行くのは手間だったが、コーヒー豆が無い以上、インスタントにすがる他ない。
「夢診断ならお前の部下に代わった奴、名前出てこないが、占い好きの奴いたろ?
そいつに占ってもらえよ」
『そいつはもう動物たちの餌になったよ』
「そりゃまぁ、景気のいい話だぜ……全く。
ところで、注文の火器がまだ届かないんだが、どうしてだ?」
『ミニガンだったな?
ちょっと問題が起こってな』
コンビニで買ってきたコーヒーを手に取り、プラスチック容器の封を切ってストローを差し込む。
『協会のジャンヌからも同じ注文があってな。
ミニガンの他にも大量の銃火器やら重火器を注文してくれた』
「おうおう、財布温まる話だねぇ」
『お前のところもそれなりに儲かっているだろう』
「経理話はいいから、訳を話せ。
ジャンヌが俺よりも多くの支払いを済ませたから先にそっちに送ったってのか?」
『その通りだ。
多く、なんてレベルじゃねぇぞ。普通に会社でも興せるほどの大金振り込みやがってよ……』
「愉快だろうな。愉快ついでだ。こっちの品も早めに頼むぜ。訓練で大量の銃器が必要になってくるんだ」
『トキか?』
「そうだ」
一気に飲み干して一息吐く。
不味い。
改めて豆を挽く素晴らしさを思い知りながらプラスチックの容器を潰してゴミ箱へ投げる。
『弾薬費はお前持ちか?』
「ああ。ちなみにな、これから銃器を用いた訓練が3、4ヶ月ほど続く見込みだ」
受話器の向こうで微笑む孫悟空の顔を思い浮かべながら銀狼は溜息をついた。
『そりゃ大変だな』
「たまにゃ何かプレゼントしてくれよ……弾薬費とボルト達の食費で一杯一杯だ」
『加えて仕事が無い、ってオチか?』
「余計なお世話だがその通りだよ、ちくしょう」
『息子の店に行けよ。あいつならお前にだけはただ飯出すぜ』
「それよか、店に食いに行ってる分なんかプレゼント的な物くれよ。つぅか寄こせ。どうせパイロンの店の収入の3割位はお前の懐に入っているんだろ?」
『現実には8割だが?』
「……お前、息子には厳しいな」
『しっかり食材は送っているから問題はないさ』
手元の表を折りたたみ、時計を確認すると日にちが変わって間もない頃だった。
「とにかく、頼むぞ。
前の仕事で一気に弾薬使っちまったからよ」
『任せとけって』
用件を何度も伝えたところで受話器を置く。
再び溜息。
頭の中は費用とトキの訓練、四凶と協会の動きで疲労を覚えていた。
(現時点でもトキは戦力としてそこそこ使えるが、俺としては単独での敵戦力の無力化が出来る状態にまでなって欲しい)
しかし、そこに至るまでには時間がかかる。
何か良い方法がないかと考えていた時にボルトとナインは話を持ちかけてきた。
“超実戦+プレ鬼コースでやっちゃおうか〜♪”
難易度上げた結果が弾薬費である。加えて訓練教官を務める5人分の食費も馬鹿にならない。一日あたりの食費は25万円前後。
(トキ……こんなこと思っても仕方ないが頼む。早く強くなってくれ)
自分の机に体を預け、芹真はそのまま夢の中に入っていった。
翌朝。
トキが事務所の扉を叩いて現れるまで、芹真は何も羽織らずに寝ていたことを思い出し――笑った。
そんな芹真を見て、トキは寝ぼけているのだろうと解釈してスルーし、裏口を出て屋上へと歩を刻んだ。
早朝。
次第に習慣化しつつある朝の訓練のため、トキは早起きして身支度を整え、眠気を払いながら芹真事務所を目指す。新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、睡魔が引いたところで歩く速度を僅かに上げる。 事務所の扉をくぐり、迎え撃つかのように差し出されたボルト特製激甘コーヒーを飲み干し、屋上へと続く階段を上ってゆく。一歩踏み出すごとに金属独特の音で鳴く階段が、冷たい空気を伝わって頬に刺さる。 階段を上り終えると、四角形の屋上と背景となったビル郡が視界に飛び込む。
トキはその光景の中に奇妙なものを見つけた。
「うん?」
屋上の中央に設えられた、見た目でやわらかいと判断できるほどソフトに朝日を反射する掛け布団。折りたたみ式ベッド。
その上で静かに寝息を立てている金髪の女性は、夥しい数量の目覚まし時計の残骸を周囲に散りばめ、それでも安らかに寝ていた。
あまりにも気持ちのよさそうな寝顔を見て、引いたはずの睡魔が再びトキを眠りの世界へと誘惑し始める。
二度寝したい。
そんな本能から来る欲に駆られていた時、金髪の男が屋上に現れた。
「よう、早いな」
トキはまだ聞かされていない。 新たに屋上に現れた彼こそ、今日からの訓練相手を務める人物だったということを。
「ありゃ〜……
インの奴、まだ寝てんのかよ」
彼女の枕元に置いたハズの74個の目覚まし時計が悉く破壊され、一つとして機能する物は残っていなかった。
予測はしていたクロードだったが、呆気なく実現してしまったことに落胆を覚える。
せめてベッドから転げ落ちてさえいればよかったもの、インスタイルは静かにベッドの上で縮こまっていた。
「今日から俺たちが練習相手を勤めっからよ。よろしく」
「そうなんですか。よろしくお願いします」
「おう。ところでインスタイル起こして来い」
「……へ?」
「おっと、起こしてきてくれないかな? 俺が起こそうとしても中々起きなくてさぁ。それに、インも今日から訓練に参加するんだ。つまり2対1だ。ということで、さっさと始めたいし」
「そうですね」
クロードに促されたトキがベッドに歩み寄る。クロードはその後ろを歩き、肩越しに夢を貪るインスタイルの寝顔を覗き見る。
今まで見たことのない安らかな寝顔。
(まぁ、クリアスペースみたいな狭っ苦しい場所じゃないしな……)
ほんの僅か思い出に浸り、周囲に目を配った。
空の上じゃない、地上に建てられたビルの屋上。
自然の空気。3月の朝という自然。人工物と自然が形成する冷たい都会の朝。
ここには指導者暗殺の依頼や密売船破壊の話や護衛の任務、どこぞかの地区で生物災害が起こったと言う情報も、自分たちの存在を問われることもない。
本当に、ここには自分たちの存在懸けてまで関わるべきモノが無いのだ。
朝飯を省くほど急ぐ必要もない。 睡眠だって好きなだけ貪れる。 いきなりミサイルが飛んでくることもなければ、犯罪者を討ちに行く必要もない。
本物の平和が生み出す静寂がこの空間にある。新鮮な瞬間がここにある。
力を必要としない、いつか夢見た平穏な時間だ。
「気持ち良さそうに寝てますね」
「全くだ。羨ましいぜ」
「インスタイルさん、起きてください」
うつ伏せたまま寝息を立てていたインスタイルの顔が歪む。
そんな、顔をしかめたインスタイルを見て、クロードは一歩後退した。
どうして彼女の起床をトキに任せたのか。 簡潔に言えば、ただの悪戯である。
(悪く思うなよトキ。
そいつの恐ろしさを身をもって知ることができるんだからな。わかったか。
わかれ。ククッ、わかっちまえよ。
ククククク、w――)
内心笑いを必死で堪えるクロード。
だが、視線が屋上の端に存在している人影に止まり、笑いまでもが止まる。
光の魔女とフィルナ・ナイン。
いつからそこに居たのか分からないが、2人の眼光が自分を射していることに気付くと冷や汗が出始めた。
それと同時にクロードの体から自由が消える。
ボルトの右手がクロードに向き、ナインの左手がトキに向く。
(あいつら……畜生!)
「インスタイルさん、朝ですよ。起きてください」
「ぅ……」
長い金髪が彼女の顔を隠す。
(おっ――!ちょ!!起こすなトキ!)
「今日から訓練の相手をしてくれるんですよね?」
ボルトの光撃により、比喩でなく現実に口を封じられたクロード。
見開かれた目で必死に訴えるクロードだが、トキはそれに全く気付かない。
ナインとボルトの2人に、クロードを助ける気など毛程も無いのは火を見るより明らか。
というより、先に悪戯を仕掛けたのはクロードである。折檻を喰らっても文句を言える立場ではない。
この後にどんなことが起こるのか。
魔女とナインが何を企んでいるのか、クロードにはそれが手に取るように分かる。
分かってしまうから怖い。その恐怖を切り抜けるほどの覚悟も出来ていない。
「ぅむう……」
「インスタ――」
彼女の名を言い切る直前、トキの体はナインの不可視の圧力で後方へと押された。
体の前面を叩く衝撃。
尻餅をつき、予想外の圧力に軽く混乱するトキ。
が、尻餅と混乱程度なら全くもってマシ――むしろ、得と言っていいほどだった。 入れ替わったクロードに比べれば。
「ぃじゃ――っ!」
これがクロードの漏らした悲鳴である。
トキが尻餅つくのと、クロードの体がトキの立っていた場所にスライド移動したのは同時だった。
そこへ容赦なく放たれたインスタイルの攻撃は、仲間内で“暴脚”とあだ名される彼女の特技。中身の詰まったドラム缶や、自身よりも大きな体躯の人間を軽々と蹴り飛ばしたり、車両を蹴り壊したり、両足のみで敵中を突破した事があるなど、あらゆる伝説を持つインスタイルの特技:脚撃である。
一撃にて粉砕する肋骨6本。
肺の中の空気は全て強制排出。
物理理論・作用を踏襲した非科学的な攻撃作法と破壊力。
その有り余る衝撃は、インスタイル本人よりも体重で勝るはずのクロードを軽々と吹き飛ばしてしまう。
トキの頭上を越え、芹真事務所の屋上に別れを告げる。体に重力が戻った時、クロードは完全に空中へと弾き飛ばされていた。
柵を越え、裏路地の上空。
眼下には無秩序に配置された鉄製の網かご、看板、ゴミ、むき出しのコンクリートと、あらゆるものが生み出す混沌の溶け合った人工物の海が広がっている。
一瞬の悲劇と事故。
朝の空気を切り裂かんばかりの勢いで飛ぶクロード。
「やったぁ!
タイミングばっちりだったね。ナインちゃん♪」
「うん!
まさに、阿吽のなんちゃら〜って奴だね」
揃って笑う魔女と万能者。
しかし、2人は笑っているその間もクロードの体が地面と激突しないようにしっかりと操作していた。
故にクロードは、複雑骨折と内臓破裂、気絶程度で済んだのだ。
訓練への参加に関しては、本気こそ出せそうにないものの、トキの訓練相手としては丁度の良いレベルまで戦闘力は下がっていた。
Second Real/Virtual
-Second Real Training:03
vsクロード!-
「ごめんなさい」
クロードさんを吹き飛ばした直後に起きたインンスタイルさん。
今日から訓練相手を務めてくれる彼女は、張り切りすぎて今朝の3時半に起床したという。さすがに早すぎたと反省し、折りたたみ式のベッドを借りて屋上で自然の空気を堪能しながら睡眠。
寝たのはいいが、自分の寝起きの悪さを忘れていたらしい。
「絶対死んでたって!」
ボルトの光に包まれ、藍の術符による治癒促進を受け、辛うじて自力で立ち上がるまでに回復したクロード。肩を並べたインスタイルに文句を言い続けるが、流石にインスタイルの脚が浮くと口を慎み黙り込んだ。
なぜ吹き飛ばされたのか、誰もその理由を口にしないため、トキが真相を知る事はなかった。
本人に知らせない方が良いと判断を下したのはナインとボルトで、インスタイルは今後のことを考えると伝えた方が良いと意見した。が、いつもより遅く訓練が始まるということで説明時間を与えられなかった。
「よろしくお願いします」
「よろしくね。まずウォーミング――」
「まず銃とナイフだ」
クロードの手に握られた両得物を蹴り飛ばされる。
「いきなり飛ばしすぎよ!」
「な!? 何でだよ!」
踵が地面を砕く。
「あくまでも訓練なのよ!
ウォーミングアップも兼ねて、4ステップも飛ばしているわ」
「じゃあ、アップの次は何だよ?」
「まずはトキ君の近接能力を確かめ――」
「ナインとのスパーリング見ただろ……って、そういや居なかったもんな!ハハハッ!」
もう一度踵が地面を砕く。
破片をクロードの脛へと飛ばし、怯んだ隙に次の言葉を考えた。
「そんなに飛ばしたいなら、接近戦における銃の使い方でも教えなさいよ。そっちの方がまだ……」
「銃のか?」
「……あの、俺はどんな訓練でも大丈夫ですから、とりあえず始めましょうよ」
半ば置いてけぼりを食らった感を受けたトキが2人の間に割って入る。
この2人を放置しておけば、一日中口喧嘩していそうな気がした。どこか噛み合っていない。
「ほらほらっ!
実際に動かなきゃ暇だもんな!なぁトキ!
だからさ、手っ取り早く実戦で一度動いてみて、それから考えるってのも有りだろ!
特に、トキの近接能力見てないお前はさぁ」
なかなか始まらない訓練にギャラリーの一部は軽い苛立ちを覚え始めていた。
「ぁんの馬鹿野郎。ただ戦りたいだけじゃないか」
「落ち着けホムラ。クロードのあれはいつものことだったろ」
「そうそう」
「ふむ……あの性格、一度死ねば直ると思っていたんだがな」
青筋立てるホムラとそれを宥めるカーチス。
カーチスに同意するナインと、その横で自分の推測が的を外したことに肩を落とすカリヴァン。
テーブルを挟んで反対側、芹真事務所の3人は静かに訓練開始を待っていた。
トキがあの2人相手にどこまで立ち回れるのか。
本気でないにしろ、今すぐにでもSRと互角に渡り合えるであろう2人を相手に、どこまで動けるのか見定めようと目を光らせた。
片や暴脚、片や殺人鬼。
両者揃ってクリアスペースという過酷な職場において幾つもの戦場を潜り抜けてきた猛者。
更に、インスタイルに至っては芹真事務所の誰もが彼女の能力を把握しきっていない。実際に交戦したことのある藍ですら、彼女持つの特殊能力に立ち向かったことはないのだ。
唯一、ボルトだけこっそりとナインに教えられた事があるだけで。クロードを探知できる数少ない力の持ち主。それがインスタイルであり、しかし今、彼女はそれを使う気がない事も知らされた。
「仕方ねぇ。トキ、アップに銃弾避けろ」
インスタイルも渋々と、クロードが提案するウォーミングアップに頷く。予定していた開始時刻から20分遅れで訓練は始まった。
まず、トキが屋上の中心に立つ。
12時の方角にインスタイル、8時の方角にクロードが立ち、それぞれリボルバーとピストルをトキへと向ける。
条件は1発も喰らわないこと。
2人が全弾撃ち切ったら1セット終了。1セットごとに少しずつ射手は距離を縮め、それを3セット行う。
トキは初期位置から四方4m程の範囲内で避ける。その範囲からなるべく出ないようにしなくてはいけない。インスタイルとクロードも可能な限り距離を詰めないようにする。が、その代わりに角度はいくらでも変えることができる。
当然だが、トキに反撃は許されていない。
只管回避に専念し、体を暖める。それが目的なのだ。
「準備はいいか?」
インスタイルはあまり乗り気ではないが、緊張を高めるのには丁度よいと判断し、了承した。
(なるべく致命傷になるような射撃は抑えよなくちゃ)
2つの銃がトキに向き、回避に失敗して被弾した場合に備え、ボルトやナインが腰を上げる。
輝くコルトパイソンとベレッタ93R。
相手と状況を確認したトキは頷く。
頷くのと同時に吼える93R。
9mmパラベラム弾が容赦なくトキに襲い掛かり、更に357マグナム弾が追撃する。
クロードは一度時計回りに移動しながら銃撃を加え続け、足を止めてその場で銃撃を繰り出す。クロードの移動と停止に合わせ、インスタイルも位置を移しながら援護する。彼が移動したのならその場で銃撃を、足を止めて銃撃をしているならこちらが移動を。火線が重ならないよう細心の注意を払いながらトキを狙った。が、
(避けている!?)
予想外の結果がインスタイルに衝撃を与える。
銃弾を躱す術をしていても実現は難しいのではないか、というのが当初の予測であったのだが、トキは完全に避けていた。
その動きから、ある程度攻撃を予測できるものだということがわかる。
足元狙いだったコルトパイソンの銃口を上げ、背中を狙う。
発泡。
躱される。
(予知のような力でもあると考えた方がいいようね)
入れ替わり、立ち代り。
銃弾をばら撒き、時には本気で撃ち込み、援護し、援護され……
結果、トキは1発の弾丸も貰うことなく1セット目を終え、更に2セット目、3セット目も同じ結果で終えてインスタイルを驚かせた。
ウォーミングアップが終了したところで本訓練が始まる。
クロードとインスタイルの指示に従い、トキは用意された銃器群からハンドガン1挺を選択肢、携帯した。予備のマガジンは許されない。これから行う訓練の必須条件がノーマガジンであった。
「始める前に聞くけど、トキ君は近距離戦闘の経験はある?」
「何回かあります」
イマル・リーゼの時や黒羽商会の牛人との戦闘を思い出しながら頷き、その回答を聞いたクロードとインスタイルは難易度の調整に頭を回す。
易し過ぎず、難し過ぎず。しかし、下手をすれば死にかねないような緊張感を与えられるような訓練。
「先に俺がやる」
「え……そうね。無理矢理なことしそうになったら“止めて”あげる」
「おう、任せとけ」
インスタイルの眼光を受け、蹴られた胸部に痛みが走った。
それを堪えつつ武器を変え、クロードはトキと向かい合う。
両者の距離は2メートル。
手持ちの武器はお互い銃が1挺。これのみで、予備のマガジンは無い。
しかも、トキの選んだベレッタM92Fに対し、クロードの選んだ銃はハンドキャノンと呼ばれる銃だった。威力こそ高いものの装弾数でベレッタと比べものにならないほど装弾数の少ないリボルバーだった。
「さ〜て。気を取り直して。
接近戦ってのはな、手足でバシバシやったり、刃物を振り回すだけが方法じゃないんだ」
トキの中で警鐘が鳴る。
「銃の射程距離は知っているか?
理論上では70メートル――」
「おーい!クロード〜。
こっちの世界じゃ50メートルだってよ〜!」
「あ、そう……そういうことだ。
あくまで理論上での最大射程距離だ。どんな上手い奴でも30くらいがいいところなんじゃねぇの?」
首を左右に傾けて骨を鳴らす。
遠巻きにクロードの言葉を拾っていた面子に不安が走った。
(あの言い回し、もしや――)
「アイツ……懲りずに適当なこと言ってやがる」
「素人の場合はもっと距離が縮まる。
でもな、どう転んでも銃は銃だ。素人が扱っても10メートル以内なら脅威だぜ」
言い終えたクロードが開始の合図もなく、リボルバー:スーパーレッドホークを構えた。
トキは射線上から身体をずらして一歩踏み出し、突き出されたクロードの腕を掴もうと左手を伸ばす。
しかし、トキが腕を掴む直前にクロードは引き金を引く。その射線上にトキはいない。
爆音が、超至近距離でトキの鼓膜を叩いた。
予想以上の轟音にトキの身体から平衡感覚が消える。膝が折れて視界が傾く。
倒れないようにと必死にクロードに掴まるが、
「銃を前にして銃弾ばっかり警戒するからそうなるんだよ」
左手で手首を掴まれながらもクロードは焦らない。
掴まれた右手首の状態で分かることがある。
トキの行動は辛うじて掴まっているだけということ。その場凌ぎに過ぎない。
リボルバーを左手に持ち替え、グリップで額を一度打つ。次に弾丸がトキの左腕を掠めるように調整して引き金を絞る。 トキの手から逃れ、逆に手首を握り、背後へと捻りあげる。
平衡感覚を失って、しかも逆手を取られたトキに反撃の余地は残されていない。
(撃たれ――て、ない!
ヤバイ、来る!
止まれ……止まれ!)
慌ててタイムリーダーにすがり、トキは冷静とペースを取り戻そうともがく。
捻りあげられた手を解いて極められた関節技から抜け出す。
地面を這って距離をとり、平衡感覚の回復を待った。
(銃声で鼓膜を叩いた)
それまで経験したことのない攻撃だが、考えてみれば当たり前のような攻撃ではあった。
「何かやたら銃声デカくねぇか?」
「確かに」
「昨日渡した混合炸薬か。何に使うのかと思いきや」
ホムラの疑問に芹真は頷く。
異常な大音響を発したその原因は銃火にも現れていたのを芹真は見た。今まで見てきたどのガンパウダーの炸裂とも違う奇妙な緑がかった銃火。空気を衝撃波もどきに変えるほどの爆音の原因が炸薬である事はすぐにわかった。クロードが使用した弾丸の火薬を調合したカリヴァン本人の口からそれが零れたのだから。
「何が動物威嚇用の音響弾丸だ。鼓膜打ちなんかに使いやがって……」
銃声がいかに大きいのか。
弾丸を相手に叩き込むという王道的な使い方ばかりを考えていたトキにとって、それは予想すらしていなかった攻撃。完全に決まられた不意打ち。タイムリーダーがなければ逃れられなかっただろう。
いままでの自分にどれだけ余裕がなく、またその結果周りが見えず、聞こえていなかったのかが今の攻撃でわかった。
静止世界が時間を取り戻していくのを確認し、呼吸を整える。
落ち着くことが最優先。
そうでなければまたペースを持っていかれる。
(まだ他にも何かある!)
低速世界で、クロードは消えたトキの存在に戸惑っていることが見て取れた。
不意を突いたのはお互い様。
強いて言うなら先にダメージを貰ったのはトキであり、クロードはまだ無傷のままだ。
(鼓膜と腕、それから関節か……)
関節の痛みは完全に引いたが、クロードの目は必死にトキを探していた。その眼光から、低速世界が完全に解除されると同時にクロードは仕掛けてくるだろうという予測が立った。
銃撃じゃない。関節でもない。
また意表を突くような攻撃が。
時間が元通りに動き始める。
「離れっぱなしじゃあ、接近戦じゃないぜ!」
警戒するトキを戒めつつ、スーパーレッドーホークの銃口を上げ、空に向けて発砲する。
理解できないままトキは距離を詰めた。
何かをされる前に銃を持った腕を抑えてしまえば。
急接近するトキに対し、クロードはもう1発宙に向かって弾丸を放つ。
(っ……!痛ってぇ!)
激痛を堪え、クロードはトキの接近に備えていた。
銃を握る腕を抑えられ、ベレッタを太腿に突きつけられる。
その行動に感心はした。
相手の機動力を奪うことが、戦闘でどれだけ自分を有利な立場に持っていけるのか。
動かない敵はただの的でしかない。 そんな当たり前の事を戦闘の最中に再現されたならば、それは好機に他ならない
ベレッタの引き金にかかる指に力を入れようとするトキだが、次の瞬間、視界が赤で染まった。
「やっぱりな」
トキにはそれがよく理解できなかった。
何かが視界を遮った。
色のある何か、液状のモノ。
ギャラリー席からはそれがしっかりと見えていた。
「吐血って……何てやり方」
「前にもやっていたな」
「インスタイルに折られた肋骨だ。
おそらく、空に向けて腕を上げた状態が、クロードにとって最大の激痛だったんだろうな。
そこにハンドキャノンの反動だ」
「痛み堪えての戦法、か」
「しかも片手撃ち。
衝撃が骨や筋肉を伝わって傷に響いた」
「自分で自分の体を壊して、ドバ〜って血を吐いて、それでトキの視界を塗り潰したんだ〜」
感心する芹真と、目を伏せる藍。
ホムラは舌打ちしながらトキを応援した。距離を取らないと一方的にやられてしまう。殺人鬼と一番長く付き合っているのが自分とカーチスだ。それ故、相手の目を潰したクロードがどんな行動に出るか手に取るようにわかる。 視界を奪った次は、四肢破壊。関節技か、銃撃、斬撃のいずれか。そこは確信を持って言い切れない。クロードの機嫌が良ければ頚動脈を一撃で掻き切られ、苦しまずに死ねる(まける)ことができる。だが、今のクロードにその気は見て取れなかった。
ともあれ、主たる外部情報取得器官を麻痺させられている今、何を食らっても致命傷は必至。運が良くても重症である。
(血――!?)
数秒遅れてから気付く。生温かいこれが血液であると。
視界を塞いだそれを理解し、次に自分がどういう状況にあるかを理解して寒気を覚え、慌ててクロードから離れる。
「あぁ゛……しんど」
銃口がトキに向く。
弾丸を撃ち尽くしたリボルバーをトキに向ける。
その動作に、弾数の誤認だと指摘したのは藍だけだった。芹真は別の可能性を考え、カーチスとホムラは真っ先にそれに気付いた。
「バグらせる気だ」
カーチスが止めようと踏み出すのと同時、発砲で加熱した銃身がトキの左眼に押し付けられた。
悲鳴。
正確には、熱を受けたのは眼球でなく、左眼を覆う上下の瞼。
トキはそれがどういった攻撃か身をもって体験した。
クロードが銃を的へ向ける事もなく連射した理由は、この為でもあったのだと。
(まさか、銃身の加熱?)
左眼を押さえるトキの反応を見て、藍も気付いた。
捻り込むようにクロードは銃口を押し付けて左目を温める。
藍の予想では失明を狙うための攻撃だったが、その予想をナインとカリヴァンは否定した。
眼球を溶かすほど銃身は熱くなっていない。
クロードが銃身の熱で相手の目を潰す時は決まってサブマシンガンかマシンピストルを使うのだ。当然、理由は銃身を火傷するほどに加熱させるため。リボルバーでは装弾数が少ないので火傷は期待できない。
(目潰し……!)
瞬間的に縮まる視界。
眼に生まれた熱。
それが生み出す混乱。
押し付けた時の痛みがそれを深めた。痛みと銃身の熱。
鳴り続ける警鐘が混乱に拍車をかけ、トキの思考は機能麻痺を起こして足を止めてしまう。
「それ位で足止めんな!」
右手首を取られて捻られ、手首の関節を外される。
トキの手から落としたベレッタを拾い上げ、掠めるようにして2発、両太腿に銃口を向けて引き金を引いた。
「敵の武器を奪う! これも基本だz――!」
左目の機能を一時的に奪われ、更に数少ない手持ち武器も奪われた。
その時、トキの左手の掌底がクロードの顎を捉えた。
不意を突いた一撃。
偶然の直撃。
しかし、体勢を崩したトキを侮ったクロードのミスでもある。
(なるほど……それなりに、出来るってわけか!)
トキが苦し紛れに放ったその一撃は的確に顎の先端を捉えていたのだ。
頭部に走った衝撃でクロードの脳は揺れた。
軽度ではあるが脳震盪を誘う。
麻痺する感覚が全身に浮遊感を錯覚させる。
そんな時、揺れる視界の中で殺人鬼:クロード・ハーツは自覚した。
訓練相手を頼んだガキは、予想の上を行くセンスの持ち主である。
引き篭もっていたと聞いたから精神的に打たれ弱いものだと誤解していた。
強固な執念。
硬い意志。
それらを支える鋭い感覚。
一体何が、トキという人間のセンスを作り上げ、養ってきたのか。その要因になった事象は何なのか興味が沸いた。
――だがそれよりも、獲物として戦えば面白いのではないだろうか?
(まさか……!)
止めに入ったカーチスが、崩れるクロードを見て最悪の状況が起こっている事を理解した。
今まで我慢していた欲求が爆発する。
が殺人鬼として世界を震え上がらせた頃の動きが始まる。
「クロード!」
掌底による手応えを感じたトキの膝が地面に触れる。
同時、引き金にかかった殺人鬼の指が動いた。
揺らいだ視界の中、傾く姿勢で2発。
銃弾がトキの左肩と左肘を捉え、機能を奪って激痛を喚起する。
掠りではなく、直撃である。
飛びそうになる意識。
速射は続く。
殺人鬼の足がしっかりと地面を捉え、体勢を直すのと同時に再びダブルタップによる2連射が襲う。1発目が右肩の皮膚を破って肉を千切り、鎖骨と激突する。そこへ2発目が後押しするように撃ち込まれて鎖骨を砕く。
血飛沫がトキの背中を染めた。
貫通する1発目。辛うじて体内から零れ落ちる2発目。
「はい!ストップ!」
銃撃が意識を削ぐ。
途切れそうになる意識を必至に保とうとするトキだが、意識に体がついて来ない。
そんな――余裕を失い、すぐにでも来るであろう追撃のことを頭に浮かべた瞬間、衝撃的で理解しがたい光景が視界に飛び込んだ。
訓練を中止するために割って入ったカーチスと、インスタイル。
それから問題のクロード。
後ろからカーチスによって羽交い絞めにされるクロード。
その頭に、インスタイルの踵落し。
垂直に潰れる人間。
頭から体を押しつぶす、巨大な鉄槌の如く破壊力を見せた踵落し。
クロードの頭を捕らえて離さない踵は、そのまま頚椎を捻り、首をあらぬ方角へを曲げ向けた。
更に、有り余る力と速度によって、頭は正常位置から地面へと運ばれてゆく。
初めて見る、垂直に人間が潰れる瞬間。
地面との衝突。
顔と地が激突し、先に砕けたのは地面の方だった。
破片を撒き散らしながらクロードの顔はコンクリートの足場にめり込んだ。
そして、その衝撃的映像はトキの意識を切らすのに充分な効果を持っていた。
追撃の心配はない。
相手が潰れた今、訓練は中止である。
ギャラリーに助けられての、終わりである。
(本気の殺人鬼に、トキはまだ勝てない……か)
結果的にクロードとの対戦訓練は敗北で終わった。
途中で暴走しかけたクロードに対するインスタイルの踵落しは、クロードの心拍を止め、撒き散らした破片でトキを気絶させた。
気絶から醒めるまで2時間を要し、つまり、遅刻したのである。
「本当に申し訳ありません!」
土下座して芹真に謝るインスタイル。
しかし、芹真の眼は彼女の後方で蘇生作業に取り掛かっている面々に向いていた。
「まぁ、訓練でも命を落すなんてことはよくあるんだし、それに……君が気にすることじゃないだろ?」
「それでもクロードを止めることが出来なかった私は――」
「いや、インスタイル。あんた優秀だよ。
普通の人間なら情や常識に囚われ、仲間を殺してまで止めに入る奴なんていない。むしろ俺は畏敬の念を抱くよ」
ずん、と地面を衝撃が伝う。
しょげ返るインスタイルも振り返り、クロード蘇生の様子を見つめる。そこにいる死人を力ずくで蘇生させているナインに焦点が合った。
「仲間だからこそ、容赦はするな――そう、彼女に言われたんです」
「なるほど……ナインか。
まぁ、君らがそれくらいだからこそ、トキの訓練を任せられる」
芹真は一息ついて納得した。
目の前の彼女:インスタイルが訓練教官を務めたのなら、厳しさはクロード以上になるかもしれないと。
ボルトにトキをベッドまで運ぶように指示する。
早朝からの訓練にしてはトキはよく動けた方だと思う。ウォーミングアップの弾避けはパーフェクトであったし、格闘も経験だけの実質素人にしては持った方だ。
(こりゃ午後も大変なことになるだろうな……)
トキが目を覚ますと皆の朝食が始まった。
遅刻をしそうなので勘弁してくれという、トキの解説を完全に流して強制朝食。
その席で、芹真はインスタイルに午後の部を担当してくれるか確認し、改めて了承を得た。
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