第72話-Extra FILE-
四凶の乱から少しだけ経ったお話。
人混みは嫌いだった。
好奇の極まった視線の不快感もさることながら、何故に真夏の炎天下を歩いて“連絡会”を執り行わなくてはいけないのかという生理的嫌悪感が脊髄から表情にこぼれる。テレビ電話で済むだろうと抗議はしたが、電子中毒者の彼女は機器通信が信じられないから直接会いましょうと、それこそ耳を疑わざるを得ない呪文をのたまりやがった。お前の趣味を言ってみろと、そう言いたい衝動を必死に抑えて熱気で歪む街中を歩む。
そして辿り着いたのは、モダン調に落ち着いた喫茶チェーン店の窓際で、ノートパソコンの画面に目を落としながらヘッドフォンを装着して自分の世界に浸っている、いま最も殴りたい衝動をくすぐる彼女をすぐに見つけた。
彼女が私たちのリーダーでさえなければ、もっと別のことに時間を割けたのだが、今更が過ぎて泣けるどころか死ねる。
「おはよう、ナイラ」
私に気付いた彼女がヘッドフォンを外して視線を上げる。その視線が、他の衆人環視同様に私の右半身に集中しているのに気付いて不快が倍々に増す。冷房の効いた店内に微か流れる音楽の落ち着き具合が、ささやき声のようにしか聞こえないほど平常心が遠い。苛つくばかりだ。
半身を義体としている私の醜い姿は見慣れているはずだから、早いところ用件を済ませて視線の少ない倉庫に戻りたい。
「芹真事務所の調査は完了よ。
説明を始めて大丈夫かしら?」
「賛成。そうすれば冷えた寝庫でゆっくりできるし」
苛つくので敢えて細かく相手にしないように心に注意をきつく据える。
義腕の手首に隠し持ってきたメモリーカードを排出して状態を確かめてから彼女に手渡す。それを受け取って少し眉をひそめた彼女の表情が少しだけ不快を和らげてくれる。
「本当に、全部終わったんだ」
素直に反応してくれるところが彼女の唯一の取り柄だと、私はたまに思う。いまのような表情も悪くない。夏の暑さにもバテることのない彼女の表情が、貴重な感心に染まっている様は見ていて楽しい。
そもそも、協会という巨大組織の調査に次いで危険度の高い偵察を行っていたのだ。芹真事務所の調査という下準備は、もっと時間を要するものだと誰もが、私を含めて五人全員が難航を予想していたのだ。
だが、もう終わった。
「魔女の弱体化が進んでいたのに加えて、いままでの情報隠蔽が幸をなした」
「ですよねー、じゃなきゃこちらの被害が未だにゼロというのが有り得ないし」
これから私たちが相手にしなくてはならない強敵は『協会』それから『小規模集団』である。
特に小規模集団は多くが協会との共闘関係にあるため、いちいち面と向き合わなくてはいけない相手なのだ。それを潰していくためにも、筆頭戦力と認識して間違いない芹真事務所の調査は最優先課題だった。
「記録と口頭で説明させてもらうわ」
「うん、お願い」
彼女のノートパソコンの画面上にいくつもの窓が展開され、その画面映像が無駄なく私のニューロ・トランスミッターを介して脳に直接共有を求める。
画面上に映っている情報はすべてこちらがまとめたもので、全てが芹真事務所の個々人に関する情報である。身体情報からあらゆるホットライン、戦力情報や戦歴を、これから順にプレゼンして私の今日の仕事は終わる。
「まず、芹真事務所の社長。
【 芹真皇聖 】
コイツから説明させて頂くわ」
説明する私と同様、彼女はその名前に呟いた。“凄い名前だ”と。
しかし、調査しているうちに判明したのだが、どうやら芹真本人はこの名前を嫌っているらしい。
親が何を思って名付けたのか、後述するが今ではその真相を探ることはできない。
「協会やナイトメア、小規模集団や無所属のSR、更には警察や政治家に至る広いネットワークを持つ小規模集団最大の“仲介屋”よ」
ある意味で最大の脅威となる武器だ。
協会にも小規模集団にも知人友人がおり、一般人にも有能な者から保険以外の使い道がなさそうな夜の住人まで、幅広い連絡網を有している。
「その手法として、芹真自身が戦いに身を投じる場合と、他の事務所員を動員、若しくは第三者を介して結果を残しており、事務所を結成している所員や親しい知人を見ると、いかなる事態にも対応できる人選を確立していると言える」
例えば、協会からの依頼と小規模集団からの依頼に加え、無名のテロリストグループからの同時に三つの依頼があったとしても、芹真の事務所は立場がそれぞれ異なる依頼人の全てに同時に応えうるだけの備えがある。
「本題へ移るわ。
彼のSRは“人狼”。
言い換えれば“身体強化型”の能力者で、その細かな形態は三段階ある。
まず(①)僅かな能力解放による人間形態。この時点で身体能力はすでに人外の域に達する。が、まだ人間の五感で捉えられる領域よ。
次に(②)半分近くの解放による半獣形態。生身の人間に反応できる限界を超えた速度を出し始める対集団戦闘用と推測される形態がこれ」
「四凶の乱」と呼ばれる戦争の時に捉えた芹真が浮かび上がった画面に切り替わる。
それまで不動かつ無言で集中していた彼女がこめかみを抑えて唸る。予測はしていた、という。完全に自分のSRを制御しきっている、血統ある純正のSRである芹真という能力者を。そのステータスが、協会が誇る最強の能力者部隊:ヒーローズの面々にも引けをとらないハイスペックであるということを認めざるを得ないのだ。
「そしてこれが最後にして問題の形態――(③)完全覚醒した――“銀狼”形態。
この形態に関しては前述の二つの形態と違って大きな特徴がいくつかある。
まず見て分かる通り、全身が銀色の体毛で覆われていること」
武器、である。
この全身の銀色は、概念を貫くのだ。
身体強化のSRには概念を武器とする者、分かりやすい例で言えば幽霊のSRをぶつけてしまえば一方的に嬲り殺すことも可能なのだが、芹真にはそれが通用しない。
何故なら、銀色の体毛は幽霊さえ掴み、テレキネシスを破り捨て、更には重機関銃や戦車砲の直撃など弾き飛ばしてしまう特殊性と防御性を兼ね備えている。
「物理攻めも属性攻めも効果が薄いワケか」
ゲーム脳の彼女のつぶやきを無視して説明を続ける。
「欧州吸血鬼のような銀を弱点とするようなSRにしてみれば最大の天敵です。
加えて、これだけの防御力を持ちながら攻め手に“銀爪”“魔銃:アンチマテリアルハンドガン”を持ち、身体能力は軍隊の持つCIWSを軽々と超えるレベルで、近接格闘戦においては神速を思わす速度を実現。
総合的に評価すると、単独での対軍隊戦を休みなしで15分以上継戦できる。
それ故か、通り名はデストロイ・マーチとか」
パラメーターを画面上に示す。
体力:B+
攻撃:B+
防御:A
能力:B+
行動:A
破壊力:A+
そして添付資料として武器の詳細と過去の戦歴を調査しきれた分だけ示す。
会敵の際に注意すべき点を簡潔にまとめると、
①高速格闘
②銀爪
③銀爪飛弾
④対魔対物拳銃
改めてみると隙のない相手である。
「備考、とは書いているけど、ルーツとなりうる情報を秘めているかもしれないからまとめたから、しっかりと目を通してほしい。
芹真に関しては、他のSRと戦歴が違い過ぎるからね。
特に少年期。
この国に密かに存在していた“銀狼の一族”の同じ年の少年少女から結成された“バンド:Critical Under Mountain”による慈善活動を称した渡航戦闘時代が、いまの芹真のネットワークの礎と推測されるわ。戦いの果てに得た関係としてその筋を辿ると、それまで不明瞭だった繋りが全てこのバンドでの戦闘時代に刻まれた縁なのだと思えてくる」
欧州吸血鬼グループ襲撃、南米での生物災害鎮圧、ベトナム民族紛争早期終結の幇助、エジプトでのアヌビス討伐。
少年期の大きな戦いだけでもそれだけあるのに、更に国内の能力者事件にも多く関わっている。
「大きなSR事件の一つ“鬼哭狼狽”にて芹真の、銀狼の一族は芹真を残して全員死亡。
次に説明する哭き鬼の藍とはその時がファーストコンタクトになる。
四凶の乱では包囲された人工島の一方面を一時単身で守り抜いていたことから、協会からの信頼は非常に厚い状態になっている」
「ふぅん、どうにか対策を考えないとヤバイね」
何らかのアイスコーヒーで口を潤す彼女の表情と発言から、すでに用意されていたいくつかの対策から、芹真への有効手段が絞り込まれたらしい。その兆候が読み取れる。
余談だが、芹真はコーヒーに相当うるさいらしい。全身全霊を以て打ち込むこともあるらしいが、うまいこと毒でも盛れたらどれだけ楽なことやら。
私的余談だが、それなりにイケメンである。少し痩せ型だが長身でスーツの似合う、モデル体型とも言えるが、結構がっしりした筋肉を隠し持っているから高い点数を上げられる。社交性もあって荒事も涼しい顔でこなす、と思ったら獣として振舞うこともある肉食である。そこがまた面白い。気になる点といえば、スーツ姿以外を見たことがない。
「あれ? 実は好みだったりするの?」
……さて、早く帰りたいから次のSRの説明に映る。
それにしても人が多い。
大事な情報を共有する場として、何故ここを選んだのか理解が追いつかない。ここに爆弾でも仕掛けているのだろうか。協会やそこに与する者は店内に見当たらないが、千里眼能力者がいたらどうするつもりだったのだろう。入口のレジに入っていた男性店員や、真夏にも関わらず全身真っ黒で統一している女性や、ピンクの帽子が妙に腹立たしし少年など、その素振りからこちらを注意しているようだが。
「次、実際の依頼出撃回数が最も多い“哭き鬼のSR”
【 陸橙谷藍 】
有名人ね、ある意味」
酷い意味で働き者の能力者であると有名な人物だ。
言い換えるとテロリストの敵である。多くの組織が芹真事務所と彼女の登場を境に消滅していった。中には数百年の歴史を持つ組織でさえ壊滅の憂き目に遭っている。
「陸橙谷も芹真同様に国内で有力なSRの一族の娘として生まれ育っているが、芹真の一族との部族抗争によって多くの仲間と死別している。
4人兄妹の3番目で、つい最近長兄アサを除く3姉妹での共同生活を始めたみたいよ」
事務所にいないから個別に襲いやすくなった、そう考えるアホも私たちの中には居た。
だが、そもそも鬼のSRの一族の生き残りである。日本国内に鬼のSRはまだまだ多く残っており、その中でも弱小と言われた“哭き鬼”の貴重な生き残りとは言え、身体能力だけだったら芹真にも勝るとも劣らない可能性の持ち主だ。
純粋な戦闘力がそれなりに高く、格闘戦は元より、かつて協会のヒーローズに所属していた陰陽師のSRより授かった知識を取り込んで生み出した独法:華創実誕幻というオリジナルの陰陽術を用いた戦闘術によって、あらゆる局面での対応が可能である。その術を用いた身体強化や直接攻撃、状態異常攻撃、捕縛術など、用法次第では拷問や尋問にも応用可能な術を使いこなす。
「符術にも精通しているようね」
陰陽術の派生と思われるそれは、紙と文字を書ける筆やペン、それから描写の空間さえ整っていれば実現可能な業の一つだ。
古代より呪いや祈祷に用いられてきた式符と同じように、自分の分身を生み出す身代わりや傷を癒す効果を確認している。おそらく攻撃にも転用可能だろうし陰陽術との組み合わせも当然あるはずだ。
「彼女の、陸橙谷アイの“属性はトウコツ”かな?」
彼女の疑問に頷くと、納得との反応が見られた。
戦闘に特化している要因だからこそ、芹真事務所で最も出撃回数が多いのだろう。
芹真事務所に登用されてからの彼女の戦歴はめざましく、一時的に活躍していた協会所属員としての記録も年齢不相応な勲果を記録しているし、その一つ一つを読み解くと、並のSRには遂行困難な任務――本来ならヒーローズに回されるであろう任務――も幾つかこなしている。
「純粋な日本人で、若輩ながら百戦錬磨を謳われた芹真と交戦の可能性がある。事実の程は不明だが、もしそれが本当だとしたら、潜在能力は社長の芹真をも上回るはず。
一族壊滅後は、何があったか不明だが、ロシアで生存を確認され、そこから協会によって保護される。が、逃げるように大陸を彷徨し中国へ歩み入り、その一角で芹真と再会。そこから先は協会データベースの記録通り、共闘して中国マフィアに拉致された元ヒーローズの孫悟空の息子救出の為に中国吸血鬼マフィアの最大勢力を壊滅」
その時に確認された武器が上述の陰陽術と符術に加えて、二刀流に構えられた“金棒”である。
名前を「りかいそうえんはかい」と言い、充てられる文字によって異なる能力を発揮する鈍器として認識されている。
主に使われるのが ①炎を纏った金棒と ②音叉の如く破壊音波を発する形態の二つであり、形状自体にこれといった差異が見受けられないうえに、鬼の腕力によって振られる鈍器の破壊力は純粋に高い。映像記録の中には正面から爆走してくる護送車を、一本の金棒で殴り止める場面があったのだから脅威以外の言葉が浮かばない。
「もう一つ、これは四凶の乱の時に確認された武装だけど、何らかの能力を秘めた“日本刀”を有している」
PCの動画記憶に視線を落として彼女は投げやりに感想を述べる。
めんどうね、とだけ。
「詳細はつかめなかったけど、専門家はその日本刀を呪具や祭器のようなものと推測している。
また映像からも分かる通り、芹真の銀狼と同じく対魔への干渉力が非常に高く、形状が変化することから相当量のエネルギーを内包している器の類という可能性が充分高く――推測の域はでないが、前述の陰陽術や符術を武器に乗せて繰り出すことも可能だと思われる。呪術と解術の双方を合わせて使うことができることから、両義使いや終始の鬼と呼ばれ、少数の者たちからは元々一族の次世代頭首を約束されていたという事柄から鬼姫とも称されていた」
これまで表示されてきた陸橙谷藍をパラメータ化すると以下のようになる。
体力:C+
攻撃:B+
防御:B
能力:C~B
行動:S
破壊力:B
①鬼の身体能力
②金棒
③オリジナル陰陽術:華創実誕幻
④符術
⑤日本刀のようなもの
上述から分かる通り、芹真よりも近接戦闘に寄ったスタイルといえる。
しかし、彼女には戦闘で用いにくい致命点があった。
「で、彼女の練度は?」
チームワーク。
それがこれまでの彼女の有名な弱点であった。誰とも組まない、誰も前に立たせない、誰にも背中を預けない。追い込まれる前に全てを一人で決着させてしまう。それが彼女の強さの秘訣であろうと、協会に所属していた時には好んで戦闘地域へ用いられることはなかったし、芹真事務所が協会から独立してからも協力者や共闘者の発生しうる依頼は極力回避していた要因である。他人に合わせて行動することができない以上、芹真事務所において実働隊長として任命されていないのも頷ける。
「戦争は個人でやるものじゃないんだけどなぁ……あと、彼女の兄姉妹たちのデータある?」
呟く彼女が何を憂慮してそんなことをつぶやいたのかは分からない。というか、目ざとい点を指摘してきやがる。
それ以前に、話の続きを聞いて欲しい。
「陸橙谷の集団戦ができないという弱点も、四凶の乱の時には改善を目撃した者が多くいた。
残されている映像にも、決して精度が高いとはいえないが連携を意図しているように思える行動が多々見られる」
改善の原因は、次に説明する“色世時との訓練”によるものだと推測される。
こら、「トウテツざまぁ」とか言わないの、一応仲間だったんだから。
嗚呼、早く帰りたい。
いくら周りの視線が冷めてきたとは言え、まだこたらに視線を配ってくるものも居るし、気に掛けてくれる店員が正直うるさい。
「うん、色世時――いま一番気になるSRだよね」
同意はしない。
色世時以上に警戒しなくてはならないSRが多々居る状況で、一人のSRだけに特化対策してしまうのは愚かしい。
ちょうど半分が終わった所で私もたっぷりガムシロップを溶かしたアイスコーヒーを補充。ニューロ・トランスミッターの電源を一度落としてノートパソコンに自分なりの意見でも書き込んでいるのであろう、忙しなく動き出した彼女に口頭で確認をとってみる。ここまでで不足はないらしいが、やはり、藍の姉妹や芹真と最も親しい協会の諜報員:ワルクス・ワッドハウスの詳細が必要だそうだ。
……よし。
ワルクスならシェンの方で調べてもらっているからそっちに任せるとして、陸橙谷の兄姉妹に関してはあとで行動する予定だったから、今日のところは後二人の説明で帰ることができる。何が好きでこんな人ごみで悠長に話し合わなきゃいけないんだ。
「ま、破壊対象の中に紛れるのもあんまり好きじゃないもんね、次は【 色世時 】かな?」
そう。
おそらく、芹真事務所で最も説明が面倒臭いSRが彼である。
画面に4つの窓を展開し、最初に総合パラメータから示す。
体力:C
攻撃:C~S
防御:C~B+
能力:S
行動:D+
破壊力:B+
「うわ、こりゃまた“能力頼みMAX”って感じだね。
ある程度噂も聞いているけどさ、能力が“時間操作”だっけ?」
これまでの歴史でも殆ど聞いたことのない時間を武器とするSRである為に確証はないが、四凶の乱から遡ってあらゆる情報を洗い出して統合した結果、時間を手繰れる能力者という説明で合致のいく現象が多い。多過ぎる。というか、それ以外が考えられない。
「以前、時の住む白州唯の街をコントンが襲撃した際の証言だけど、体感時間加速と身体強化と思しき攻撃が見られた。
更にパンドラSR事件の時も同様に加速と身体強化、それから武器創造を確認している。その際に、両手で触れたものが消失しているから“分解・再構築”の工程が彼の能力によって行われていると推測されるわ。この消失から創造までのタイムラグには最短で1秒、最長で数時間のラグが確認されているけど、おそらく時間をホールドすることが可能だという観測がもっとも高い」
時間をどうとでもできる能力者とは羨ましい。是非ともいまの私に時間を分けて欲しいものだ。
「私も時間が欲しいなぁ」
たまに思うが、なぜ彼女は私の感情を言葉にしやがるのだろうか。それほど私の表情は柔らかかっただろうか。元より言葉で彼女と馬が合わないのは明確事項だったが、こうも一方的に感情を煽られては抑えていた感情がそろそろ融解を始めてしまいそうだ。そうなっては冷房の一切さえも嫌味なものに思えてしまう。
「協会に登録されているSR名は①“タイムリーダー”――どうやらこのタイムリーダーとやらがクロックアップの能力らしい。
芹真事務所が黒羽商会の空中密輸に介入した際、ケンタウロスのSRと交戦という噂があり、色世時はその戦闘を時間加速と――次の映像よ。②“クロノセプター”――これね。時間を取り除いてそれを再生させる創造能力で生き延びている」
「凄いね、金属や土、銃弾、しまいには人間まで触れた部分を消し去っている」
そう。
パラメータだけを見た時、身体能力という点で彼は芹真事務所最弱と言って間違いないのだが、能力という点に着目してみると光の魔女に次いで恐ろしい能力者なのだ。両手のいずれかで触れることができれば、銃弾や刃物、障害物や敵対者そのものを除去することができるという、魔法のような破壊力を隠し持っている。
この際だからハッキリと言うが、芹真事務所でいま最も警戒すべきは光の魔女ではなく、こいつである。
「そうだね、四凶の乱での色世時のスコアを見ると、数は撃ち落としていない代わりに“コントン撃破”っていう実績があるからね。十分すぎる大将首だよ」
能力の高さはそれだけじゃない。
時間加速、時間奪取、創造、それらに加えて時流の流れが違う空間を創り出すことができるようだ。その情報源は元小規模集団のSRでニンジャのSRという女だ。実際に時と戦ったという彼女の話をデータ化して考察した結果だ。色世時は無色のブラックホールのような空間設置攻撃も可能だったという。
「あとさっきから気になったんだけどさ、やたらと死角からの銃撃を回避するよね。気のせいかな?」
言われて映像を再確認してみると、確かに記録されている幾つかの映像の中で色世時が必殺といえる弾道や得物運びの軌道から、文字通り紙一重でデッドゾーンを外す瞬間がいくつか見受けられた。
言われるまで確信を持てなかったが、やはりかというのが素直な感想だった。私以外にも違和感を感じる者がいたことで色世時の評価は大きく変わる。
仮に未来予知の能力があったとしたら、時間を武器とする彼は協会のSRよりも酷く曖昧な懐刀となる。
「……やっぱり、彼に関しては私も少しずつ観察の回数を増やして調べてみるよ」
学生を見張るという拷問を自ら名乗りでるとは、頑張れよ。
「頑張る♪
でさ、色世トキの母親ってもしかして――」
頷く。
そう、かつて全てのSRに恐れられた傑物:色世皐月である。故人ではあるが、今だに彼女を偲んで色世時に近付こうとするSRもいれば、色世皐月のようになろうと鍛錬を再燃させたSRだっているし、色世皐月に叩きのめされたことに怨恨を募らせて復讐の機会を伺う者もいる。
たしか、世界を股に掛け過ぎた結果、コントンによって謀殺されたSRだったか。彼女がこんなことを聞いてくるとは、一応洗い直しておこうか。
「やっぱりね」
などと呟く彼女の表情が今ひとつ、何を思慮しての曇天なのか分からないが、確かに備考に添えるには大きい事実だ。
色世皐月というSRはあらゆる組織の枠を越えて能力者の横暴を止めまくって恨まれまくって、その過程で家族を狙われ、しかし多く慕ってくる者達に守られながら、一人の母としていかなる組織に所属することもなく単身で戦い続けた女傑。だが、暴君でもあった。
“絶対神判”と呼ばれる彼女の能力は、簡単にいうと『全てが彼女の思い通りになる』というもので、一方的に振りまかれた彼女の正義には、協会も頭を抱えることが多々あったという。
「コントンが死んでから判明した事なんですが、色世時のSR開花には母親のSR:絶対神判の能力による強制潜伏・及び発現が関わっている可能性が非常に高い」
「だから協会もトキを観察しやすい環境に置いておきたい」
その通りである。
事実、時の周りには自然を装って数名のSRが協会より派遣されている。高校生になってからは隠す必要性が薄れてきたことから思い切って打ち明けているくらいだ。由々しきことに、最近では協会の正式な現地実働員として登録の動きが顕著になっているらしい。
「そっか、四凶の乱で高い評価得たもんね。見せるもの見せて、討るとこ討ってさ」
協会に留まらず、ナイトメアや特定の小規模集団からもスカウトが来ているらしいが、今のところ色世時の姿勢は芹真事務所のアルバイトという肩書きを変えていない。問題はその状態がいつまで続くかだが。
「ちなみに、私生活における色世時はいつでも暗殺可能な状態にあると言える。いや、私生活どころか就業中でも日本特有の制服というものに身を包んでいるだけだから頭なり内臓なりを撃ち抜けばそれだけでこと足りる」
「でも、死角からの攻撃を躱すからそれをやらない」
そういうことだ。
回避能力の高さ、生存能力の高さがSRの恩恵だとしたら、色世時には時間再生か時間予見の力が備わっていると考えられる。
「色世時の攻撃で特に注意するのは
①両手での時間奪取
②武器の現地創造
③時間加速・凍結
④母親から継承されている可能性のある他の能力
となります。最後の項目については、予想通りの事態となるかもしれません」
本当に面倒なSRである。
相性が勝敗を大きく左右するSR同士の戦闘で、ここまで有効な相性が思いつかない相手に、しかもデータでしか相手を見ないで頷いてばかりの目の前の彼女は、本当に対策があるのだろうか。少なくとも、私は最悪といえる相性で、一方的に攻め込まれる可能性があるから是非とも戦いたくない。人質が有効ならば少しはやりようもあるが、その辺りのデータ採取も少しずつ回していかなくては。
面倒と言ったのには、実はもうひとつ理由がある。
「備考として説明させていただきますが、色世皐月をはじめとし、時の周りでは有名なSRが命を落としている。
まず、母方の旧姓にして親戚である佐倉躑躅――未来予見のSR。
次に、ナイトメア非武装派のトップ、絶対糸配ことマスターピース。
それから四凶の一人にして、時と同系のSRの持ち主といわれたコントン。
この3人は、全員がブラックリストAランク以上に名を連ねていたのは言うまでもなく、時は彼らのSRを継承したのではないかという推測が最近になって浮上してきている」
どんな能力を習得しているのか、色世時の問題点は日常の中で一切それを発揮しないことにある。最も危険性を秘めているかもしれないのに、SR発現頻度が事務所内で最も低い。
もし芹真事務所を攻略しなくてはならなくなった時に、こうまで攻略の優先順位を付けづらいというのも、面白くはあるしやりがいもあるが笑えはしない。
「対策はまかせて。ちょっと遠回りになるけど、どうにかなるから」
それだけをいかにも仕方がないといった表情で、半ばあきらめている印象を残しつつ、彼女が最後の一人を説明するように催促してくるのでデータを取り出す。
説明が終盤にさしかかるのと、まるで連動するかのように客数が減っていった店内を見回して、最後のSR、魔女である最大の脅威の説明を始める。
芹真事務所の最大火力にして、協会の危険度ランクナンバー1の座に君臨し続ける魔法使い。
「(ボルト・パルダン)名前は、言う必要ありませんね。パラメータは次の通りになります。
体力:測定不能
攻撃:S
防御:測定不能
能力:S
行動:観測不可能
破壊力:S」
乾いた笑みをわざとらしくこぼしながら彼女は、まさかの独自に収集したデータを私の頭に送りつけてきた。
そう、その意図するところも理解はできる。これからの計画に必要なチェックポイントとして、光の魔女の攻略は絶対事項であった。だからこそより多くのデータを並べて事実を埋めていくことが必要なのだが、それを私の頭に直接送信してくるのはやめてほしい。
「そう、最初に表示したこのデータは、かつてボルトが世界最大の災厄として最盛期の頃のもの。
協会のデータベースでも極秘扱いされている“H.o.W”事件で観測されたもので――」
「“Heart of Witch 事件”――16世紀未明から18世紀までの1世紀以上もの年月をかけ、5人の魔法使いが己の魔法こそ至高にして最大であることを証明しようと殺し合った一種の決闘であり戦争である。
バカバカしいほど律儀に殺し合う魔女たちの中で、水と光を操る二人の魔法使いは消極的だったそうだけど、その教え子たちの殺し合いを発端に5人の魔女が一堂に介して大混乱を招いた」
フランス革命戦争の最中に起こったその戦いで、熾烈必至の殺し合いで究極を証明された魔女たちは、ボルト・パルダンの弟子であるコルスレイ・トルメイトスを唯一の生存者とし、それ以外の魔女と魔法使いを殺し、或いは消し飛ばし、若しくは凍結することにより、無数の屍を従えて殆ど絶滅といえる径を辿った。
私たちは協会データベースを覗くほかに、その情報を持ちうる人物と出会っていたからこそ、魔法使いたちの血で血を洗う戦争を知り得ているものの、改めてそれに参戦した者たちのパラメータを見た時、現在の協会が抱えている総戦力でも大打撃を受けてしまう程の化物揃いだったという、演算結果が仮想だったとしても戦慄を覚えずにはいられなかった。
「ボルト・パルダン自身もその戦いで昏睡状態に陥る――それが、現代になって芹真事務所員との接触により覚醒の準備段階に突入した」
かつての魔法使い、更に言えば魔女たちは、現在協会が用いているランク別ブラックリストの最上級であるSランクの上位を独占する実力者ばかりだった。
「つい最近確認されたボルト・パルダンは、最盛期に比べ極端に弱体化していた。錬金術師やアヌビスに遅れを取り、クロウ商会のゴーストガンナーと互角に渡りあい、絶対糸配には押さえ込まれるほどに衰えている」
いや、封印が完全に解けていなかったというべきだろう。
最近の戦闘記録に差異を見出さんと集中して読み込む彼女をよそに、私はアイスコーヒーのおかわりを頼みつつ説明を続ける。
「本来、ボルト・パルダンは魔法使いというカテゴリにハマっていられるほど生易しい存在ではない。
協会ではボルトが昏睡時にその調査を進めていたが、人体と思念体のハーフということが判明している。実に曖昧な存在よ」
「実態を得ることも幻像となることも自由自在、か」
そのルーツは極めて不確かだ。協会で知る者は恐らく協会長と、ボルトの対の存在となる闇影の魔女であるディマくらいだろう。
私たちが彼女のルーツに関する情報を持っているのも奇跡に近いが、彼女の発現も聞く分には奇跡としか言いようがない。
「太陽への信仰が集積し、凝縮された結果、ボルト・パルダンは輪郭を得た。“人々が光を願った”そしてそれが“叶って生まれた”というわけだ。
ボルトを“神格”そのものというべきかはさて置き、問題は得手も不得手も光であるということ」
光の化身であるボルトは、光を矛盾として暗殺から大虐殺までこなす。
「弱体化している今のボルトのパラメータは、
体力:C-
攻撃:A
防御:B+
能力:A
行動:C-
破壊力:B+
と、なりますが、基本動くことがないので、芹真事務所が動かない限り通常時は警戒に値はしません。気まぐれの行動もほとんどが自堕落の方面に偏っているので、社会性や生産性を考えるとSRの中では最低ランクと言えましょう」
ようやく落ち度が見受けられるボルト・パルダンだが、先の思いやられる報告を続けなくてはいけなかった。やはりボルト・パルダンという魔女の存在は大き過ぎる。
「ボルト・パルダンの覚醒が今日も順調に進んでいることが判明している。
ペンライトを光の剣に変えたり、光の届く範囲に転移したり――」
「オリジナルが率いた軍隊に一瞬で大打撃を与えた――四凶の乱で見せた、光の中に斬撃という現象のみを発現させてみせる光撃とか、今までの魔法使いよりも質の悪い攻め手を持っているのね」
肯定する。
私自身がその現場をこの目で観測してきたから分かるが、生身の人間で躱すことなどほぼ不可能な攻撃と言えよう。光の中にいるという事実がそのまま射程距離内とうい概念に=重線を引くのだ。戦闘用の義体を身に纏っていた私だから無事に生き伸びられただけだ。
「そう、注意すべきは――“光”――これ一点にして、より単純明快な弱点ね」
「夜襲が通じるとは思えないけど?」
唇を尖らせる彼女に同意する。
それは間違いないだろう、なにせボルトの今の寝床は芹真事務所の中なのだから。虎穴よりも酷いまるで狼穴の、しかも運が悪ければ鬼もそこに居合わせることがあるのだから攻めにくい。その上、芹真も一緒にいるのに光の魔女が夜襲への対策を講じていないはずがない。
補足すると更に曇った事実があるのだ。これまで不仲でありながら似たような概念に近い輪郭を持ち、そのことから姉妹扱いされてきた片割れ――と言うべきだろうか――闇影の魔女であるディマとボルトが頻繁に顔合わせして言葉を交えているという情報が寄せられている。しかも、不仲と言われている割に、最近ではお互い紅茶やコーヒーから茶菓子の嗜好について語り合うほどにまで接近し合っているという。
「シェンの結界で隔離するのが最も早そうだが……」
「そうだね、それも考えたんだけどやっぱりシェンには別のところをあたってもらうことにしてあるから、別の人を向かわせるつもりだよ」
人員の選択を終えている、という口ぶりの彼女に疑心を抱いた私の手元に新たなコーヒーが到着する。3杯、なぜか多くテーブルに並べられ、それが彼女の仕業であることに気付き、また今回も食い逃げするその根性にため息を覚えるがこらえる。
3杯のうちのひとつを口元へ運び、私も同様に苦味と冷たさをわずか味わったら一気に飲み干しつつ、彼女が最後の1杯に、ポケットから取り出したトークンをコーヒーカップに落とす。
「それは二個目?」
念を押して確認する。そのトークンが一個目なのか、それとも二個目なのかでこの後のスピードは変わってくる。懸念する私に彼女は肯定を返した。なるほど、帰る準備は万全だったわけだ。彼女もすぐに帰りたい理由があるらしい。
申し訳程度でも夏を忘れていられそうなこの空間に、わずかの対価も支払わずに立ち退くのは気後れするが、世間的に言うところのテロリストたる私達は、本来こんなところに居るべきですらないのだ。電光石火に徹して間違いはないのだが、出入り口のところで私達を気に掛けてくれた店員には一声掛けておきたかった。下賎と言われるであろう心残りだが、おそらくそれを見越してのトークンなのだろう。
「じゃあ、作戦決行まで“セカンドハウス”の確保、引き続きお願いね。あと、さっきの追加人員情報の件も」
満面の作り笑顔を差し向ける彼女が一気に飲み干したコーヒーの香りを蒔きつつ立ち上がり、展開していたノートパソコンやヘッドフォンを手早くまとめて足早に退店の路へ入った。
トークンが効果を発動している間に、私も帰路に付かねば、また好奇の視線を集める上に、最悪彼女が残していった未払いの分を代替することになる。確かに食い逃げに抵抗はあるが、しかし他人の分まで払って罪滅ぼしになるなんて微塵も思わないうえに、私はそこまでお人よしという自覚を持ち合わせてはいない。
(夏、か……)
馬鹿の増える季節だと、誰かが言った。
しかしどうだろう、計算しつくした馬鹿ばかり見てきたせいか、そんな純粋な楽しい馬鹿を心のどこかで見たいと、感じたいと願っている愚かな自分がいる。
怪現象を相手にする準備を進めずとも、見えぬ道筋を辿ることも、飲み物の中にトークンを落とし隠すこともなく、誰もいない場所で、何も考えることなく、唯一細胞が求める反動のみに徹して無垢になりたいと、雑踏に紛れると余計にその欲求が強まる。
馬鹿になりたい。そしてこの人ごみを薙ぎ払いたい、獣の咆哮を耳に、その不躾な手触りを全身に、引き裂かれていく光景を見て、嗅いで、踏みしめて、連綿の集積を虚無の混沌へと塗り替えたい。
(あぁ、アヴェンジャー撃ちたい)
炎天下の路上で、私は引き金の感触を夢想したまま次の調査対象を探しに向かった。
この現実はいつまで続くのだろうか、それだけが気掛かりだ。