第35~36話 Insert-09:vsジム&シャティ -
ジム・D・ハミルトン。
国籍:アメリカ。
所属:第三特殊空師団、アタッカーNo.7
年齢:18
得意距離:なし
苦手距離:なし
戦闘区分:クラスA
元の世界での状況:MIA(Missing In Action=作戦行動中行方不明)
訓練が始まってからどれだけの時間が経ち、どれだけ実感できる実力を身につけて来たのだろうか。下校の間際、見慣れた住宅街の夕に焼けた風景の中を歩みながら、トキは一人でそんなことを考えていた。
(経験値か……)
これまでの訓練中に何度も言われてきた不足要素は言葉にすれば簡単だし、イゲーム遊戯に慣れ親しいトキにとってイメージは容易い。だが、現実にそれを体験することはとても難しということも確かに言えた。臨死体験や本物の死からの蘇生、時には不慮の事故という名目で暗殺まで食らい経験した身であるが故に、戦うという分野での経験値が如何に貴重で、手に入りにくいものであるかを知っている。
ゲームと現実では大違いだ。 トキの前を歩く藍と奈倉の後ろ姿をぼんやり眺めつつ思う。生きていること自体が経験値を有している証。何らかと戦ってきたからこそ、そこに生命と言う勲章があるのだと。経歴なんてのはそれと一緒に付いている多色なリボンに他ならない。
(今日もしんどかったなぁ……)
芹真事務所からの帰宅道。鞄を持った右手の人差し指と親指が自然と遊びの形を作る。
ここ数日ゲームをしていないな。
訓練が激化する日々の下、トキは禁断症状である両手の指をゲームコントローラを握るような動きを小さく始める。没収された携帯ゲーム端末が恋しい。恋しいというより、精神を安定させるためにもゲームをしたくてたまらない。
だが、ゲームでの遊戯時間が減った代わりに、最近は生活にちょっとした変化が現れ始めていた。
「――でよ、トキ。どっちがいい?
スクリュードライバーとチョコレートリキュール」
「え?」
「まさか聞いていなかったの?」
どうしてか最近、魔犬とあだ名されているSRの奈倉さんがよく夜食を楽しみに遊びに来るようになった。煙草を吹かして酒を煽り、勝手にテレビのチャンネルを変えては喜怒哀楽を非常に分かりやすく顔に表し、気付けばシャワーまで拝借している上に、常習的に挨拶を抜きにしていつの間にか帰っているのだ。
「えーと、何の話?
煙草? 麻薬? ミサイル?」
「どこから麻薬が出て来たの?」
「……叩けば埃の出る身、とでも言いてぇのか? おぅ、間違いねぇよ!」
何故か逆切れされながらも制服のポケットから家の鍵を取り出す。
どことなく溜息が出るような、それでも決して気分を害されるわけでもない、そんな心境の中で気付く。家の施錠が既に解かれている。僅かに警戒し、自分の鞄を左手に持ち替えてクロノセプター。小さなフルーツナイフを創造して手中に隠し持ち、ゆっくりと正面玄関の扉を開ける。
警戒が一瞬にして飛ぶ。
侵入者は居た。
確かに居た。ただし、最近の変化に含まれる訪問者二人組である。一人は同じ制服を着込みつつも、その抜群のルックスから絶対に変態だと見抜けない程、モデルなんかをやっていると法螺を吹いても見抜けないレベルの美形であり――と、同時に中学以来の親友でもある――男子:村崎翼と、大抵ゴスロリと呼ばれる類の服装に身を包んでいる少年のエミルダが、今日もスカートの丈を翻させつつ、小癪ながら玄関先で家主を出迎えてくれた。
「おかえり、トキ」
「おかえりなさいませ♪」
そんな二人の背後に隠れていた“3組目”を目撃して今度は凍結する。トキは、久々にここが自分の帰るべき場所であったかという疑問に苛まれたのであった。
クリアスペースの赤髪と殺人鬼が居る。
何故なのか、そんな理由は“考えない”。むしろ今日はどんな理由で忍び込みやがったのかという動機の方こそ“聴取したい”。
しかし、そんな二人はいつものように酒を盗み飲んでいるわけでもなく、スプリーキルを喫煙でもするかのように平然としてのける殺人鬼のクロードさえも今日は大人しい。何事かと、様子がおかしいことに気付いたのは全員が玄関で靴を脱ぎ終わったところだった。藍も奈倉もクリアスペースの二人がいつもと違う雰囲気で佇んでいることに気付く。すると、赤髪のホムラはいきなり家主を手招きし、
「すまん!
言い訳はこうだ“サプライズのつもりだったが、あまりにも予想外すぎる求心に盛り猫どもを止めることが出来なかった!”だ。OK?
わかったか? 理解できたか? 私らのせいかもしれないけど、私らのせいじゃない所も大きいからな、いいな?」
いきなり謝罪。
何事かとクロードの方へ視線を移すと、ホムラの謝罪など聞こえていないとばかりに耳を二階へと傾け、階段の手すりに身を預けていた。理解の追いつかない現状――ホムラとクロード、それから奈倉は二階に意を向け、翼やエミルダ、加えて藍などは無関心とばかりにリビングへ移動――置いてけぼり感を食らったトキは階段を昇り始める。一瞬制止しようと手摺から右手を浮かせるクロードだったが、ホムラに止められる。そんな背後に気を止めることもなく階段を上っていくトキの耳に、一階では聞こえなかった音が耳に届き始める。
バネの軋む音。
間違いなく自分の部屋の隣に置いてあるベッドのモノだ。若干錆びついているらしいスプリングの軋みは、自分の部屋に置いてあるモノとははっきり差別化できる。それから荒い呼吸。誰か居るのだろうか。しかし、ホムラ、クロードが近付くことさえしない人物がクリアスペースや芹真事務所、更にいうならこちらの世界に居るのだろうか。
自室の隣、そこは今では客室も同然になっている場所である。主に翼や友樹、コウボウなどが泊まりに来た時に利用するような部屋である。
部屋の前に立つと扉越しに熱気と奇妙な匂い、それから“運動量/気配”が伝わって来た。
(何が起こっているんだ?
また厄介か?)
階下からヤメローと小さな呟きが掛けられるも、疑問を拭わずには居られないトキはもちろん止まらない。回し慣れたドアノブを捻ってオープン。安物の絨毯で床を隠した隣室に一歩踏み込み、ベッドへと視線を注いだ。
やはり、ここは自分の家なのだろうかという疑問を抱いた。
見知った女性が1人、前回ジャングルで戦ったシャティ・ホワイトライズという女性が全裸のままでベッドの上におり、そんな彼女を同様に全裸のままで抱きしめる見知らぬ男性が、それぞれ絡み合ってレスリングか何かでもしていると思わせるほど力強く抱きしめ合っていた。ベッドのシーツをあらゆる体液で濡らしながら、激しく互いを求め合い、確かめ合う二人。
その行為がなんであるか、関心はなくても分かる。問題は、ベッドの上の二人が勝手に侵入したかもしれないのに、家主が帰ってきているのに、見向きどころか気付きもしない点にある。ホムラやエミルダみたいな侵入者よりも家族に近い類いと思われているのだろうか。やはり、ここは自分の家でないのだろうか。
考え込むトキの眼前で二人は営みを続ける。
(シャティ・ホワイトライズさんは分かるが、もう一人は誰だろう)
部屋の内側から扉を締め、トキは二人が気付くまで待つことにした。
一種の不貞腐れでもあるが、何処となく声を掛けづらい二人を見守るしか思い付かなかった。下に降りて待っていれば良かったのに。
(この二人は何でここに居るんだろう?)
ベッドを激しく揺らしながら二人の身体が回る。窓から差し込む消えかけの夕日を受け、トキの側からはシルエットのまま動く二人しか見えず、その表情を窺うことは難しい。
それらの行為がなんであるか、理解は、できる。行動が徐々に激しくなったり、急落して緩んだり、兎に角息を荒げながら二人は絡み合いを続けた。
行為に夢中になる二人にどんな言葉を掛けていいものか、思案に暮れていたトキだったが十数分程二人を見つめている間に思考は停止。手抜きをしようと決断し、二人が耳を傾けてくれる瞬間――抱き合う二人が行動を停止し、落ち着いた頃合い――を見計らって話しかけようと結論を出した。
(シャティ・ホワイトライズ――ジャングルで戦ってその強さ……多分、本気じゃなかったんだろうけど、それでもかなり強い人だってことは分かった。
気になるのは、そのシャティさんが完全無防備に身体を預けている男の方だ。やっぱり、相当強いんだろうか?)
夕陽も地平の彼方へ床付き、真っ暗な部屋の中で二人の行為は終焉を迎えようとしていた。
強く力み、互いを求めて抱き合う二人が、ベッドの上で横に並んで倒れる。
ジム・D・ハミルトン――それが男の名前だった。
瞳を閉じて横になり、長時間荒げていた呼吸を整えるシャティの口から零れた男性の名前。
その名で呼ばれる“少年”はトキが思っていたよりも早い切り替えを終えていた。全裸のまま、ダークブラウンの髪を含め、全身を汗で濡らしながら、武器らしき武器も持たないままベッドを離れていた。
全裸で二足直立しているだけでもハッキリと伝わる圧力で傍観者を威圧してきた。
たったそれだけっで、トキの頭に警鐘が響く。
「他人の■ックスを覗くのは行儀が悪いと教わったが、何か用か?」
挨拶はなし。
礼も、だ。
「は?」
あまりにも憮然とした態度に、それまで我慢して黙り込んでいたトキの口が思い出したかのように熱を持つ。
「何か用か、はこっちが言いたいことだよ。
俺は他人の家に勝手に上がり込んで好き勝手暴れることの方がよっぽど行儀悪いことだと思うんだけど、間違ってるか? え?」
人の家に上がり込んで――おそらくホムラとクロードが勝手に招いたんだろうけど――領域無視で、しかも客室であるとはいえ勝手にベッドを使って濡らし放題濡らしやがる。挙句、そこまでやっておきながら、一時間以上も二人を待っていた家主に対し、何か用かときたのだ。あまり感情的にならないトキとて、限度はあった。
後ろ手に右手でドアノブを握り、クロノセプト。僅か時間を奪ってそれを左へ移動させ、掌で回遊させておく。
相手が何者で、どんな強者であろうと、トキはいま眼前のジム少年に一撃を喰らわせて是非とも驚かせたかった。そうでもしないと気が晴れない。
(まずは、右手で腕でも切断してやるか?
それから速攻で左手の時間で回復させt――!?)
攻撃の意思を読み取られたトキは“先制攻撃”を目の当たりにした。
右手の掴み掛かり。
単純に回避しようとも考えたトキだが、一瞬早く打たれた警鐘を信じて同じく右手を繰り出した。
交差する二人の視線。
衝突して絡み合った赤い指と時間を纏った指の狭間に注がれる。
力の激突、異能の混沌。それらが二人の、手に在る力に明確なビジョンを現した。
(嘘――!?)
(……この人も能力者か!)
盛炎を連想させる紅蓮と高熱。
流水を喚起させる透青と流線。
「……何だ?」
「熱ッ!?」
高速に、一瞬での衝突を果たした二人は一度距離を取る。
「……君は、時間を操れるのか?」
「なん――そういうあんたは炎でも操るのか?」
そんな男二人を見守るように、上体を起こして枕を抱えて裸体の前面を隠したシャティが、金属の翼を小さく展開する。
「ジム、ちゃんと服を着なきゃ駄目だよ?」
「え……あ、あぁ」
目つきこそ鋭いまま構えを解除し、釣られてトキも右手を一度下げる。
暗闇の中に灯った右手の赤色が、明度と光度を増し、ほんのりと赤かった右手が徐々に部屋全体へ輪郭を与えるほどにまで明るみを強めていく。そんな赤と闇黒の中で、トキは金属の翼がジムの身体を包み込むように覆っていくのを見た。簡易な作りの服を形成する場面を目撃し、仕舞に零れる感想には耳を疑った。
「すごいな、シャティ。“本物の服”みたいだ。これは本当に君か?」
ロングTシャツを身につける少年ジムに彼女は囁く。
「後で教えてあげる。だから、早く彼を倒して」
暗闇で微笑みながら翼を体内に引っ込めつつ、人の顔向けて指差すシャティ。そんな彼女の言葉に応えようと、本物の服みたいな金属を身に付けたジムが、闘志を込めた視線を向けなおす。
仕切り直しか、とトキが思い込んだ瞬間だった。
問答無用のミドルキックが、トキの上半身を的確に捉えていた。
防御の構えを意識する時間さえ見つけられない程の高速攻撃に肺の中の空気が押し出される。
先制されたことと、蹴りの威力で――クロノセプターでも脆くなっている――ドアを破り、二階吹き抜けの廊下に押し出されたことで酷く焦ってしまう。
手摺にもたれつつ体勢を立て直そうとするトキに、ジムの次弾が襲いかかり、その一撃が初弾とは比べ物にならない衝撃を与えた。
(警鐘!
あの距離から次が来るの――ッ!?)
廊下の手摺に身を預けて立ち上がろうとするトキに、ジムが間髪いれず向けた攻撃は“不可視の圧力”、一般に言うところの念力であった。
どうして距離を詰めてこない?
そんな疑問が頭をよぎった直後に喰らったのだ。
前面に掛かる圧力と、首根っこから背後へと誘う強力な力が学生服の上着ごと引っ張った。
左掌を向けるジムを目撃したトキは、次の攻撃が来ると警戒して十字受けの構えを取る。だが、初動の要である頭の中は混乱しっぱなしで、整理の目処がつかないほどの衝撃に見舞われていた。
(ジムって人は、ナインさんと同じように……!)
非武装であろうと遠距離攻撃法を会得している。
それをトキが認めたのは、二階から手摺を突き破って落下し、玄関と廊下の段差に背中を打ちつけてからだった。
激痛の中で必死に両手を廊下に延ばして痛みの緩和に努める。
そこへ上階からジムが追撃を仕掛けた。左手で上方からトキの顔面目掛けての掌底。しかも、掌には不可視の圧力に因る破壊力向上の特典が付いていた。
全身のバネを利用して跳び起きたトキの背後で床が粉々に砕け散り、飛ぶ。銃器に匹敵する破壊力を持ちながら、その効果範囲は人の拳二つ分。
(しかも早い!)
玄関扉に張り付くようにして体勢の回復を求めたトキだったが、ジムの次弾が矢継ぎ早に繰り出されていた。
目潰しの右手と掴みかかりの左手。
赤い光を放つジムの右手。
それを見て、軌道を予測して顔面が危機であることを知ったトキは頭を反らして右手を避ける。真横を通過した右手から感じられた熱は、明らかに凶器の域に達していた。打ちこまれた右手によって融解する扉がその証拠とも言えよう。
(熱ッ……これもサイコキネシス!?)
右手が触れた玄関扉の融解部分に気を取られたトキは気付かない。左手が、不可視の圧力をコントロールできる左手が、制服の襟元を掴んでいることに。
暗闇の玄関で、ジムの右手だけが赤く光を放つ。
「何の音だ!?」
今更になって廊下に飛び出す翼。
その眼前を、トキは投げ飛ばされて通過した。
不可視の圧力を投げ技に応用したのだ。トキが気付いたのは、階段の手摺始まりに腰を強打し、床と接触、慣性によってようやく止まりかけようとしたところで壁に激突した瞬間だった。
「いい、加減に、しろぉぉオオオッ!!」
後頭部をぶつけた瞬間にトキの堪忍袋の緒は切れた。
感情のままに、跳ね返せない理不尽に向け、創り出した二挺のサブマシンガン:MAC10を乱射する。が、引き金を絞りつつもトキはすぐさまある予感に辿り着き、直後にそれが現実として映像化して微かな冷静を取り戻した。
銃弾の一切はジムに届かず、彼のかざした左腕の前に静止した。今度の不可視の力は、トキの放った弾丸や床、廊下の破片を含みつつより巨大化して襲いかかる。防御から転じて攻撃へ。その切り替わりの早さも武器と言えるだろう。
低速化をかけたところで逃げ場が制約されている廊下である。芹真事務所の屋上と違って自由度は低い。左右に逃げられるわけでもないし、隠れてやり過ごせる攻撃でもない。
だが、後退する気は毛頭ない。
(……来る、のか?)
ジムは二つの事態を予測した。
確かに屋内という条件もあって退避できる場所には限りがあるのだが、そもそもトキに後退の気配が窺えない。相当頭に来ているということは何となくわかる。だが、もう一つの予感はどうしても理解が追いつかなかった。
後退しなかったトキが、不可視の壁に向けてサブマシンガンを投げ付ける。
何もないはずの空中で急停止するサブマシンガン。
津波に巻き込まれた船のように回転する銃器を目印に、トキの両腕で時間が動く。
(何で、俺ばっかり……人の家で何で好き勝手やりたい放題に!)
約一時間程の出来事を回想しながら、現在形でほぼ全身に痛みを覚えているトキの限界であった。
普段なら堪えていられたであろう怒りも、訓練でのストレスと学校でのストレス、そこに加わった理不尽な訪問者との一方的な喧嘩で堪忍袋の中身はパンパンに膨れ、緒が切れるどころか中から袋自体がはち切れるレベルにまで熱持っていた。
不可視の力にトキが迫る。
怒り任せの行動ではあったが、トキの行動は、廊下での戦いを傍目に見ていた奈倉や藍、ホムラにクロード、更に不可視の力を“視認できる”エミルダら、力を持ったギャラリーの不可攻略という常識を破壊した。
(見えない破壊力の時間を貰う!)
明確な衝突をジムは目撃し、トキは実感した。
不可視の力を、接触した面から静止時間を流し込んで完全に止めたのである。
互いの前髪を引っ張る風が起こる。
(透明な力が止まった!?)
エミルダの目に映ったものは、壁のような力がトキの手にした時間によって完全に硬質化する場面だった。ジム少年が放った不可視の力は効果範囲が狭いこともあり、トキの時間静止が感染するまでに1秒以上の時間を要さず、結果として不可視の力は時間凍結によって完全に無効化されたのだ。
後に、自覚して身につける『Lv.4:クローズド・クロノ』という使い方の発現がこの瞬間であった。が、
低空高速で迫ったジムのボディブローがトキの鳩尾に食い込む。
(いや……これも効果がない!)
不可視の壁を止めたトキに、ジムは余裕を与えまいと速攻で距離を詰めて急所に一撃見舞った。
経験に基づく予測でしかないが、あの攻撃を止めたトキは相当なエネルギーを消耗した筈。そのタイミングを逃さないよう仕掛けた追撃だった。
手応えはあった。
だが、目にするトキの表情にはダメージの色が浮かんでいない。目に付くものは怒り一辺倒。
それがかえって厄介だった。
不可視圧力で止められれば善し、それを突破されたとしても当て身で眠らせることができればこの戦いの決着は訪れるだろう。得体の知れない相手との戦いを長引かせないために練り込んだ作戦だったが、少年トキはそれをも耐えた。鍛えこんだ大人をも眠らせられる力量で放ったボディブローのはずだ。
「クロノセプター!」
ジムが後退するよりも早く、トキは両腕で腹に打ちこまれた腕を掴む。
時間奪取。
が、ここで思わぬ伏兵に妨げを食らった。ジムの身に付けた服である。ジム本人の代わりに、その服――シャティ・ホワイトライズがジムに纏わせた金属――が先端から消える。
不可視の力に触れ、それを止めた後に空気=質量を得た硬質な空間にまるごとクロノセプター。直後に襲ってきたジムの打撃を奪取分の時間で完全に相殺したのだ。
(ジムという男、相当早いな)
(トキも時間の操作が出来るから付いていけてる……訓練の甲斐があったか)
トキに掴まれた腕を回転させて擦り抜き、すぐさま逆回転をかけて中段突きを繰り出す。
右側を向けるよう身体を横にして突きを躱し、もう一度ジムの腕を絡め取る。
半身になったことで背後を見せるトキの背中を、左肩に左手を伸ばしてトキの身体を掴み手繰り、力任せに壁にぶつける。
背後を開けてしまったことを後悔はしない。自分が冷静でないことを知れただけでも今はいい。痛みは奪取分の時間でまだリカバリできる。
頭から壁に衝突させたトキの体を今度は背後、露出した階段の硬質な横っ腹へぶつけるよう引っ張る。
自分の家の階段が、ぶつかれば結構痛いことは知っている。
(止まれ!)
階段にぶつけてから正面に再び拳――そんなプランを瞬時に組み立てていたジムの視界から一瞬にしてトキが消えた。
タイムリーダーによる静止世界の展開で、顔面への直撃を免れる。
(後ろ!?)
直感だけは人間離れしていると何度も言われ、実際そのおかげで生きて伸びて来たジムは、瞬時に背後へ回り込んだトキの回し蹴りを見もせずに、焦りを覚えながらも屈んで避けた。
身体の向きをそちらへ。
同時に放つ裏拳だが、またしても視界の中からトキは消える。
裏拳を防御。
そうすることでジムの身体が止まる。
僅かなその一瞬を逃さず、再び静止世界に入って死角に回り込む。
(……足元!)
足払いを跳んで躱す。
跳んだ直後に左手で小さく放つ不可視の力を右手で受け止める。
人一人分の距離を開けたトキの次弾に備えて右手の熱を最大にまで上げる。
瞬間的破壊力に秀でる右手の時間奪取速度を、知覚できる範囲内でマックスに。不可視の圧力をかけられる前に再び仕掛ける。
着地と同時に右手同士が衝突する。
着地に合わせたら右手にクロノセプターが阻まれた。
力が奪われていく。
力を奪っているはずなのに、火傷するほどの熱量がなかなか消えない。
(力を奪う能力者か!)
(熱を操る力も間違いないみたいだ! 不可視の力以外の攻撃も有り得るわけだ!)
フィルナ・ナインのように不可視の力をあらゆるものに応用させることをジムはやらない。それはもしや、ナインのように強力なトランスペアレントではないからではと、勝手にそう思い込み、考えれる。そうするとトキの悩みどころはひとつ、単純な戦闘経験値だ。
ジムの右手から高熱を奪い続けながら右腕を中心に全身の密度を時間増幅で強化する。低速世界の効果は弊害的に、僅かながら反比例して薄れるものの、確実に腕力でジムを上回った。右手首に左手を添えて押し合うジムの姿がその証拠とも言え、
「ふっ!」
しかし、短い声の後に、それが罠だったことに気付く。
全力で押し合う中でジムは右腕から力を抜いた。
引かれるように、身体が前面へと傾いて明らかな姿勢崩壊に見舞われる。
そこへ、ジムの右手首に添えられた左手が仕事を始める。前のめりになった瞬間を外さず、左手の不可視の力を解放して腹部に押しつける。
早技であった。
掴み合っていたはずの右手同士の連結を呆気なく外し、手首を取り、腹部に添えるように当てた左手とそこから放出される不可視の力で掴み合いから投げ技へと変えた。
「な――!」
相手の経験値は相当高い。そう実感したのは一階の天井とそこに設えた照明器具にぶつかってから。
タイムリーダー。
そして、
(また消……足元!)
トキは恐怖を、初めての相手ではあるし、怒り任せに突っ込んでいたが、改めてジムの行動を目撃し体験して背筋が凍った。
読まれた。
照明器具と衝突して破片を生み出した一瞬、極低速の世界を展開して着地し、目線が上向きになっているであろう相手の足元に走り込んで脛と膝を蹴るようにスライディングタックルを繰り出したのに、ジムは躱してみせた。
軸足を僅かにずらしてしっかりと固定したまま、身体の向きを変えるという最小限の動きで死角攻撃を避け、更に目線を下に向けるわけでもなく不可視の圧力を放ち、見事腹部に直撃させて見せた。
(下か!)
視線が、被弾したこちらに向く。
逃げるしかない、回避が優先だ。
口の中に溢れる赤いものを零しながら低速世界を展開する。
分からない。
(どうなっている!?)
(後ろ!)
自分の家から時間を奪って回復し、再び死角からの攻撃に臨む。
その悉くを予知でもしているかのように、防御ないし回避や先制攻撃で難無く躱すジム。
確かに低速世界の中に入ってこれる相手ではあるが、しかし、完全な死角に入り込んでから二段階目の低速世界の展開による加速さえも完全に対応し、突くために着いてる。
(……そうか、これがシキヨトキ! 早過ぎる!!)
実際の所、ジムもこの家の主がとんでもない能力者であることを身を持って脅威だと知った。
初めてやってきたこの世界の“平和”に対する驚きや、かつての仲間たちと再会できた喜びも吹き飛ぶほどの脅威が、確かな大義名分を持って怒り露わに向いている。
不法侵入して勝手に部屋やベッドを使ったことに言い訳するつもりはない。
いつものことだが選択を見失っていた。謝っていればこんな事態にはならなかっただろう。
今となっては手遅れだが。
だからこそ、力で鎮めるしかない。沈めないように鎮めなくてはいけない。
(ホムラのような高速移動とは違う!)
時間を武器とする、しかも、直接触れ合った感覚から吸収と弱体化をも可能とする応用の幅が広い。
あの技は間違いなく殺傷力の高い武器と言える。
現時点でわかった使用方法は、加速と身体強化、それから時間奪取による強力過ぎる自在防御。
先にこちらの世界にトレーナーとしてやってきたホムラ達の話では、現時点でも相当な強さを有する彼がまだ“特訓の最中”であるというのが今では信じられない。相当ハイレベルな相手に確執を抱いたとも聞いたが、果たしてこのレベルでも不足な敵とは一体どれ程のものか。
(これは……ミーナの領域に近いかもしれない!)
トキを追って左手を繰り出す。
通常打撃、トキが消える。
頭上。空中からの踵落としを、上体を反らすことで躱す。
一瞬後には背後にトキが移っていた。
(首、投げ!)
そろそろ焦れてきた。
こっちの攻撃は当たらない、対してジムの攻撃は的確。
状況的に見て、対峙する相手のレベルがベリーハードであり、インフェルノであり、エキストラハードであり、ルナティック的な、兎にも角にも高難易度を誇ることは断言できる。
だが、攻略の道は、見えた。
(全部止められるなら、止めてみやがれ!)
低速世界に侵入できるジムに対し、一発が重要と言う考えが間違っていた。
だから手数で攻める。
背後から首を取るフェイント。
予想通り、絡めた腕を掴んで抵抗するジムから離れる。
あまり考えたくなかったが、ジムの能力は不可視の力と右手の熱に+αという可能性が濃厚だった。
それを判明させたい衝動もあるし、それが勝利への近道だという気もする。
(強いが、しかし!)
(こっちは我慢の限界だ! やらせてもらう!)
顔面に囮のクロノセプター。
一瞬塞がれる視界、フェイントと気付く。
側面から回し蹴り。
防御の腕を上げる。
ヒット。
その直後にまたトキが消える。
懐に潜り込む。
敢えて前進する。
繰り出した拳が十分に伸び切らずに不完全な打撃がジムの腹に入る。
下手な後退は調子を煽る。
飛び退いて低速世界を解除、再び銃器を創り出してその照準を定める。
半身に構えて左腕を上げる――左手の遠距離攻撃――制約を解除。
静止世界の展開、タイムリーダー。
不可視の力、オールコントロール。
フルオート。静止世界が低速世界へと強制移行、
マキシマムバースト。放射方向を前方へ、
「終――!」
「チェ――!」
ジムの背後を取る。
全方位に放射の衝撃波が走る。
「うぉ! 何――!?
やめないか、二人とも!」
終わりは同時だった。
ジムの背後を取ったトキ。だが、不可視の力を最大出力で放ったことによって生じた衝撃波により、背後でホールドアップを決めた瞬間に玄関の扉まで吹き飛ばされて激突するのだった。
タイミング的にも間違いはないだろうと、全方位への攻撃ならトキを捉えられると思い込んでいたジムは、その一瞬にトキが放った“零時間空間”に捕まり、外時間から隔離されることとなった。確かにトキを吹き飛ばすことには成功した。その代わり、次に目覚めた時ジムは廊下でなくリビングにて、数時間におよぶ時間拘束されたのだと自覚した。
数時間後の色世家。
そこでは何時かのように限度の見えない酒量に立ち向かわざるを得ない宴会が勃発していた。
空間と言う空間を埋め尽くす酒、酒、酒――時々おつまみの鮭、そして何か服のようなものが裂け、また酒に話の花が咲け、そして流れ弾を誰もが避けるという混沌極まりない宴だ。
そんな中で、割けてくれぬ誰しもに絶望に近い感情を抱いたトキは、自力でクロードという“殺人鬼/酔っ払い”を殴り止めるため酒瓶を武装する。
「うおおおおぉっ!」
今日もまったりボルトとナインがトキを見守りながら酒を煽る。
「しっかしまぁ~、トキも何だかんだで成長してない?」
「そお?」
酒瓶で頭頂部を一撃、二撃。トドメに一升瓶のフルパワーアッパースイング。
顎を砕かれて首に大量の破片を刺された殺人鬼は流石に沈黙し、血の気の引いたトキの顔からは赤色が別の意味で引く。殴り合っていた双方の口は硬くなった。
「うん、私はそう思うよ。
だってジムを、撃破とは言い難いけど、殆ど無力化していたんだよ?」
「わたしさぁ~、ジムって人の強さ知らないんだ~
何か凄いことした人?」
言葉を失った二人に、ナインのオールコントロールによって浮遊した赤ワインが頭上から大量に降り注ぐ。
「十歳で父親と紛争地帯を点々としていたらしいわ。
その父親のせいで身体の大半は人工物、正確には細胞刺激細胞と脳改造のテストを繰り返し重ねた人体強化人間よ。私たち空師団の中では新人だけど、傭兵や兵士としての経歴なら、上位に入るの。もっとも、元軍人の人々からすればまだまだヒヨッコらしいけどね」
「チームワークはダメなんでしょ?
あ、もしかして個人で見た場合のセンスは結構高め?」
我に返るトキとクロード。
起き上がって喉に突き刺さったガラス片をゆっくり、丁寧に、無言で、無表情で一つ一つ抜いていくクロードを誰もが見守った。
「うん。
私たちの世界ってさ、凍ってんじゃん?」
「うん。“アイスジャッジメント”だよね?」
トキの指先も動き出す。
翼が汗を浮かべる。
エミルダ君に到っては放心状態。
藍の手中でフライ返しが有り得ない変形を始める。
「そう。世界中に、特殊冷凍核ミサイルをばら撒いたのって、実は」
「ジム・D・ハミルトン――彼が?
とてもそんなことする人には見えないけど?」
「……」
魔女と預言者が注目を集める野郎二人から、宴の末席に身をひそめる二人の男女に視線を移す。
リビングの片隅で静かに日本酒の味に悶えるジムと、それを必死でリカバリしようと熱燗を間違って呑ませようとしてるシャティ。
「私たちの中で、本当の意味で最大級の破壊力を持つのはシャティ。
その力は“零化”という崩壊原子の放出……」
「れいか?」
「うん。私たちの世界で、ジムたちがリアルに生きていた時代で発生しようとしていた最悪の現象~
それが完全に発現していたら、まずニューヨークの人口が1人になっていたとか」
「それを止めるために冷凍核なんて撒き散らしたの?」
「そうらしいわ。私はその時代の人間じゃないから真相は調査によるものと、本人の話以外ないってのが現実だけど」
つまり、とボルトは呟く。
今日、訓練を終えて帰宅したトキが感情のままに喧嘩した相手は、世界を救うために世界中にミサイルをばら撒くと言う決断を下せる強い人間であったということ。
「だから成長したんじゃないかなぁ~って思ったの。あのジムを止めてみせたし」
言ってナインは頷く。
聴き耳を立てていたらしいシャティの鋭い視線が二人を射抜く。
つい反らしてしまう視線。
「でもさ、ジム君も本気じゃないよね?」
「間違いなくね」
一方でトキはインスタイルの足払いを喰らって足首を粉砕骨折してしまう。ついでにテーブルの上から倒れ落ちて後頭部を強打。椅子の角に、である。
「じゃなきゃ、服として身体に纏わり付きながらトキの動きを……SRの発動タイミングまで読んで教えていたシャティの援護があったにも関わらず負けるなんて、ぶっちゃけジムらしくないもん。今の彼には本気を出せない理由が沢山あるし」
「鈍っていることにさえ気付けないほど鈍った人なんだね、やっぱり」
室内での怪我人を、面倒臭いの一言で一斉回復させるボルトとナイン。
弱体化しているジムをトキにぶつけたのは二人だが、二人の間には弱体の度合い予測に大きな差があり、それが見事的中した二人は、気まずさあまりにまともに視線を交合わせることが出来なかった。特にナイン。
(本当にここまで鈍りきっているとは……)
(ナインちゃん、その読み違いは私にとって読み通りだよ、ちょっと悲しいけど)
結論だけ言うなら、トキはジムに勝ったのだ。
正確にはジムとその周辺の空間の時間を完全に止めることによって、時間拘束してみせた。
完全無力化したのだ。
それも、シャティの援護を密かに受けていたにも関わらず。
服としてシャティの提供した金属を纏う事で――纏わせたことで――ジムの死角をシャティが補っていたのだ。
「なんかさぁ、この調子だとミーナちゃんも行ける気がして来たんだけど」
「ナインちゃん、それもきっと読み違えると思うよ?」
「う~ん……読み違いかなぁ??」
「高確率で」
眉間に皺を寄せつつ、酒山までの道を慎重に歩んでワインを一本手にとってソファに戻るナイン。
ボルトは光を纏わせたアルミ缶を、山から手元に引き寄せた。
「だって、ミーナちゃんってクリアスペースのアタッカー“隊長”でしょ?」
「うん」
「8人の中で一番強かったんだよね?」
「うん。ぶっちゃけ元の世界でさ、私ミーナちゃんに負けて死んじゃったし」
「論――」
『――外――』
「――だよね」
「うん。無理じゃん」
珍しく、次の訓練相手に困る二人であった。
「や、ただね、久々に同じお酒を胃袋に収めたいというか……」
「ミーナちゃん下戸だよね?」
「……ウン。アレ、マサカ覚エテタノ?」
「yes.yes.yes.いえすぅ~」
後日、二人でさえ予測していなかった訓練相手が飛び込んでくることになるのだった。
夜も深まる頃、色世家にサラバと告げようとしたホムラ達を大雨が阻害した。
ホテルまで濡れて帰るのが嫌だと満場一致で色世家は過去最大級の宿泊者を抱え込むことになった。
「奈倉さんとか、明日の勉強道具大丈夫?」
「置き勉してるから問題ないぜ」
「……ほう、ほうほう、テメェのせいだったか。俺が他の風紀委員に規律が良くないと指摘されることが多々あるんだがよ、必ず置き勉してますって言われるんだが、あれはお前のせいだったのか」
宿泊会場と化した色世家で、各々が眠りに着くか談笑に花を咲かせた。
ダイニングは流し所の照明とテレビの明かりを除いて闇色が強い。その中でジムとシャティの二人はトキの手伝いをしていた。ダイニングのみならず、リビングや廊下まで散らかすほどの乱痴気騒ぎをしておきながら、食器の片付けに志願したのはこの二人だけ。いつもなら手伝ってくれるカーチス(黒髪)はアルコールに負けてトイレでダウン、ホムラ(赤髪)とクロード(殺人鬼)は高笑いしながら二階に消えていき、インスタイル(暴脚)とカリヴァン(髭)は未だチビチビと飲み続けている。
「あ……!」
台所で4枚目の皿が割れる。僅かに端を欠いただけで、足の踏み場を煩わせることはなかった。
ジムの落とした皿を目撃し、トキはスポンジを置いて残飯に手を伸ばしてクロノセプト。残飯処理と皿の修復をこなして再び皿洗いに戻る。
「……度々、すいません」
「いいよ別に。その皿滑り落ちやすいし、実際俺もそれ結構落とすしさ」
「これは何処にしまえばいいんですか? 中段ですね、わかりました」
聞いて、意識させ、勝手に心を読み取っててきぱきと働くシャティ。
洗いをトキが担当し、拭きをジム、仕舞うのをシャティが分担して台所に山積みとなった食器類を片していく。藍や高城がそこかしこの酒瓶の残りを処分しつつゴミを分別し、クロノセプター使えよとぼやく奈倉もしぶしぶ手伝う。
ちなみに、ナインとボルトは空間転移をつかって「ちょっとコンビニ行ってくる」の一言で抜け出していたりする。
「みんな疲れてるし、無理もないさ」
言って油まみれの中華鍋に手を伸ばすトキ。
年下であるはずの彼に、ジムは言葉を返そうとし、飲み込んだ。
(明日、話そう)
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