しんでれら
―"じゃあ勝手にすれば?"―
頭の中でその言葉が何度も繰り返されていた。
私以外、この部屋には誰もいない。それでも、音楽が流れているから淋しくはなかった。
気が付けば、外はもう漆黒の世界。壁に掛かっている時計を見ると、9時過ぎ。昼間暑くて開け放っていた窓からは冷たい風が入り込んでおり、今まで寒さに身体を震わせていた自分に呆れながら、窓を閉め再びベッドに倒れこむ。
「・・・それだけ、ショックだったんだよね」
寒さの理由も分からない位、哀しかったんだよね。
そう思うと、また涙が溢れてきた。
今日、私は大好きな彼氏と喧嘩した。原因は、彼からのメール。
簡単に言ってしまえば、明日のデートに行けなくなったという内容。どうやら急に仕事が入ってしまったらしい。
仕方ないといえば仕方ない。お互い社会人だから自分の都合よりも仕事が優先だという事は十分承知している。そんなのわかってる。
それでも、どうしても会いたかった。傍にいて欲しかった。
明日は私の誕生日なのに。
だからつい逆ギレして"友達と過ごすからいい"と送ってしまい、返ってきたのがあの言葉。
「雅(みやび)の大馬鹿ヤロー・・・そんな事言われたら私だって傷つくんだからね・・・」
女の子女の子しているわけじゃないし、私の性格はどちらかというとさっぱりしている。すぐには傷つかないし、文句を言われたらその分倍で返すけど、大好きな人に"勝手にすれば?"何て言われたら傷つくの当たり前じゃん。
もう一度、メールを読み直そうと受信ボックスを開く。
実はさっき読んだ内容は私の単なる被害妄想だったらいいな、なんて。
けれど何度読んだって結果は同じ。相変わらず氷みたいに冷たい文章があるだけ。しかし、一つだけ気づくことがあった。
「何でこんなに空白があるんだろ」
メールの終わりにある"END"という文字がなかなか出てこない。ボタンを押し続けてその文字を探していると、突然インターホンが鳴った。それに驚いて思わず硬直していると、もう1回鳴る。
こんな時間に、一体誰だろう。今日はやりたいことがあったから誰とも予定は入れていないはず。
私は慎重に扉に近づきドアスコープで外を見た。
そこには。
「花蓮(かれん)!?」
立っていたのはお団子頭の人影。手に息を吹きかけて、寒さに耐えている。
それが友達だと瞬時に判断した私は慌てて扉を開けて謝罪した。
「ごめん花蓮!寒かったよね!?」
「はい。それはもうとても寒かったです」
いくら秋でももうすぐそこに冬を控えているのだから寒いのは当然。夜中の訪問者には警戒するがもっと早くに出ていれば良かった。
花蓮が脱いだコートを預かりハンガーにかけ、冷えた身体を温められるように紅茶を出す。
「本当にごめんね。それより、突然どうしたの?来るなら来るって連絡くれれば良かったのに」
花蓮とはこのアパートで知り合った。年も近く、奇遇にも変える時間が同じくらいだったのでよく顔を合わせていたら自然と仲良くなり、今では何でも話し合える程親密な関係。
「大丈夫。いや、あたしも由梨乃(ゆりの)の誕生日祝いたくて。明日は雅君と過ごすって行ってたから、今日しかないと思って来たの。そしたら連絡も出来ず・・・」
「花蓮・・・愛してる!!」
その言葉が嬉しくて、私は紅茶を硝子のテーブルに置いてから花蓮に抱きついた。そして、何回もありがとうと言い続ける。
その後に雅との約束がなくなったことを話した。
自分で口にしてみると、本当に雅に会えないんだと実感した。
あんなに楽しみにしてたのに。一緒に祝ってくれるって約束してくれた時から、明日を待ち望んでいたのに。
そう思ったら、自然と涙が流れた。
「そうだったんだね。じゃあその分、ぱーっとやっちゃお!今日は飲んじゃえ飲んじゃえ!!」
「花蓮ーっ!」
「泣かないの!ほら、由梨乃の好きなケーキ買ってきたから一緒に食べよっ」
花蓮が頭を優しく撫でてくれるから、私はいつの間にか泣き止んで笑っていた。
雅のことは残念だけど、今回はそれでもいいと思えた。
・・・こんなに、私を想ってくれる友達がいるから。
「でさー雅ったら私の事子供扱いすんのよぉ?ありえないよねー」
「その話さっきも聞いたって。由梨乃酔ってない?」
「酔ってなぁい!!」
2人で作った料理とケーキを食べ、ついでに近くのお店で買ったワインやらシャンパンを飲み私はすっかりいい気分になっていた。
それに比べてお酒に強い花蓮は、時々言葉を挟みながら愚痴に付き合ってくれている。
さっきからずっと、雅の話題ばかりだ。あの時は花蓮がいればいいなんて意地張ってたけど、心からは思い切れていなかった。
そんな事を思っていた時、今日のメールへの疑問が急に浮かんだ。それのおかげで頭の中が一気にクリアになる。まるで霧が晴れたような、そんな感覚。
そしてその内容を忘れないうちにと、花蓮に聞いてみた。
「あのさ、文の下が空白だらけのメールって、きたことある?」
「は?・・・もしかして、雅君からのメールじゃないよね?」
「雅からだけどなん―・・・」
「見せて!!」
思いもよらないほど喰い付いてきた花蓮に携帯を奪われ、その勢いに唖然とする。
何やら真剣に携帯に向き合い、ボタンが壊れるんじゃないかというほど連打している。彼女の行動が理解できないで暫く眺めていると、突然顔を上げて壁に掛かっている時計を見た。携帯にも時間は表示されているのだから、それでも良いのではないかと酔った頭の中で思いながらグラスに手を伸ばすと、花蓮が大声を上げた。
「あたし帰るね!ちゃんとメールは最後まで読みなさいよ!あと、戸締りしてねっ」
「え、花蓮!?」
自分の荷物を物凄い勢いでまとめると、私に携帯を押し付け話も聞かずに部屋を飛び出していった。
まるで嵐のような出来事に硬直していた私も、花蓮が気にしていた時間を見ようと時計に視線を移す。
―11時55分。
もうすぐ今日が終わる。
「何よー日付が変わる時くらい、一緒にいてくれたっていいじゃないのよぉ・・・」
折角の誕生日なのだから、12時になったらもう一度お祝いの言葉が欲しかったのに。
・・・どうせ明日は誰も祝ってくれないのだから。
再び1人になった私は自棄になって手にしていたグラスに残っているワインを飲み干し、テーブルにうな垂れた。
明日は休みだし、今日はこのまま寝てしまおう。もう何もしたくない。
「誕生日を独りで過ごすなんて最悪・・・雅のばかやろー」
「・・・ばかやろーはどっちだ。戸締りもしないで飲んだくれやがって」
ふと、後ろで雅の声が聞こえた気がした。いや、気がしただけ。雅がここに来るわけが無い。
どうせ夢でも見ているのだろうと身じろぎをした瞬間。
「うわっ!?」
身体が誰かに持ち上げられた。それと同時に、酔いが一気に吹っ飛ぶ。
はっきりとした意識の中見上げると、よく知った顔。
私が会いたがっていた、あの人。
「雅・・・?」
「うわ、酒くせー」
私は何故か雅に抱き上げられていた。思わず私が名前を呼ぶと吐息からアルコールの匂いがしたらしい。文句を言いながら部屋を出て、器用に部屋の鍵をかけている。
どうしてここにいるのだろう。私を、一体どこに連れて行こうとしているのか。
状況が全く掴めていない私を助手席に下ろした後、運転席に乗り込んだ雅は携帯を渡してきた。
それは、私の携帯。
「俺のメール、最後まで読んでないだろ」
最後まで読んでいないとは、どういうことだろう。そういえば、花蓮も出て行く直前に同じ事を言っていた。
私は何度も見たはずだ。あの酷い言葉と、たくさんの空白を。
・・・空白?
「あっ!」
やっとわかった。私がずっと気になっていた、"最後まで"の意味。
メールには文章の一番最後に必ず"END"がある。しかし、私はこのメールでその文字を見ていない。
つまり、私は途中までしか読んでいなかったのだ。
先程の花蓮のようにボタンを連打して、"END"を探す。
「あった・・・」
そこには、自分が読んでいない文章があった。短い文章だけど、私が泣くのには十分だった。
嬉しすぎて顔を上げると、雅は微笑んでいた。愛おしそうに、こちらを見ている。
「誕生日おめでとう、由梨乃」
そういって、赤信号の光が差し込んでいる車の中で優しい口付けをくれた。
時計は、丁度12時をさしている。
―ありがとう、雅。ちゃんと誕生日に来てくれて。
"じゃあ勝手にすれば?"
その文章の下には、まだ続きがあった。
それはね。
"冗談。12時に迎えに行くから。2人だけで祝える場所に行こう。"
・・・って。