雪の降る日に
少年の小さな冒険
その日はこの国にしては珍しく寒い朝だった。
心地よい布団のなかから僅かに顔を出し、部屋の中を窺い見るといつもと様子が違う気がした。
ギラギラと照る朝日ではない。
冷たい月の光を思い出させるような光で満ちていた。
俺はごそごそとベッドから這い出ると冷たい板張りの床に降り立った。
きょろきょろしながら窓へと歩いていく。
背伸びをして外を窺うと、そこには見覚えのない世界が広がっていた。
「真っ白・・・・。」
そこにはいつもの見慣れた庭はなく、白銀の世界が広がっていた。
「うわー、うわー、なんだろう。これ!!」
幼い少年には見覚えのないものが世界を覆っていたのだ。
少年は七歳
名前をアレク・ロドフェルという。
これは少年が知る限り初めての体験だった。
なんせ、アレクが暮らしている国は比較的温暖な国で、実際雪が降ることなんて歴史上でも何十年ぶりといえるのだ。
好奇心の塊ともいえる年頃の少年には興奮を隠すことなんて到底できず、慌てて服を着替えると居間へと向かった。
足音を忍ばせて覗いてみると、暖炉の火が灯されているだけで、人の気配はない。
父さん、もう仕事に行っちゃったのかな?
時計を見れば早朝というほどではないが、いつもよりも早いようだ。
外がこんな状態だから早くに呼び出しがかかったのかもしれない。
父さんはこの国の軍部でなんとかっていう隊の隊長をやっているらしい。
隣のおばちゃんが言っていたんだ。
父さんはすごーく優秀な軍人で、地位が高いんだって
アレクは壁にかけてあったコートと帽子を手に取り、手袋、マフラーなどを順々に身につけて、支度を調える。
ドアノブに手を掛けたとき、ガシャン
というガラスの割れる音にビクリと身体を震わせた。
恐る恐るそちらを窺い見ると、キッチンの床にビンの破片が飛び散っていた。
また、一緒にいくつかワインのビンが床を転がっている。
アレクはそぉーと物音を立てないようにドアから身体を滑り出すと、途端に冷たい外気が押し寄せてきた。
肌を刺すような寒さに首をすくめ、足跡一つない雪面に駆け出していった。
アレクは長靴をはいた脚をわざと雪の中に埋もれさせたり、手ですくって木に投げつけたりして遊んでいた。
庭の中で遊び尽きてしまうと、外へ出たくなる。
アレクは、まだ人の姿が見えない通りに出て行く。
いつも歩き慣れた道を歩いていると、所々明かりのついている家がある。
きっとみんな寒くて暖炉の前にかじりついているんだろうな、と想像して自分が勇気ある冒険者のようでうれしくなり、あちこちをふらふらと遊びまわりながらどんどん進んでいく。
気がつけば長靴の中はびっしょりと濡れ、手も悴むほどに冷たくなっていた。
お腹も空いてきたので、そろそろ帰ろうかな。と思って、来た道を振り返ってびっくりした。
いつの間にか降り始めていた雪は、アレクの歩いてきた道標である足跡を隠してしまっている。
周りを見渡しても、見知らぬ地に迷い込んだようにここが何処なのかさっぱりわからない。
途方にくれてぐるぐると周りを回ってみるが、余計に自分が来た方向を見失う結果に終わってしまった。
母さんは俺が家にいないことに気づいただろうか?
心配して、探しに来てくれるだろうか?
いや、あの人は寒いのが嫌いだからこんな雪の降っている中、外になんか出ては来ないだろう。
もし、誰かが助けに来てくれるとしたら、日が暮れて父さんが帰ってくる時間になるに違いない。
アレクはとりあえず雪を防げる場所を求めてとぼとぼと歩き出した。
しかし、行けども行けどもあるのは雪をかぶった木がうっそうと茂っているのみで、見慣れた町どころか、家の姿さえ見えない。
まるで白の世界に一人っきりで閉じ込められたようだ。
アレクは雪の中を彷徨い続けた。こういう状況下で不用意に歩き回るのは命取りになるということを知らないほどの子供であった。ただ、寒くて、空腹で、なんとか家に帰り着こうと必死だった。
普通なら、怖くて怖くてしょうがないだろうはずだが、この時のアレクは不思議と怖さは感じなかった。ただ、こうやって歩いていれば何とかなる。と、何の根拠もなく思っていた。
しばらく歩いていると、どんどん深い森の中に入り込んでいるのが目に見えてわかる。さすがにこっちはまずいかな、と思い出していると、どこかで狼の遠吠えが聞こえてきたのでブルリと身震いして、近くの大きな木に身を寄せた。
日が出ないので、今が何時なのかわからなかったが、恐らくあれから四時間近くは歩き回っているだろう。
父さんはもう家に帰ってきただろうか?
こんな天気だから、早く帰ってきて自分を探しに来てくれているかもしれない。
もう少し歩こう。
そう決めると、また雪の中に足を踏み出した。
空を見上げると、どんよりとした雲が未だに白い雪をとめどなく吐き出している。
雪が音を吸収してしまっているのか、何の音も聞こえず、耳が痛んだ
俺は本当に世界に自分しかいなくなってしまったのではないかと思いだし、ようやく恐怖を感じ始めた。
このままだと、自分はどうなってしまうのだろう?
そう考えていると、寒さや空腹、疲労が一気に押し寄せてきて、その場にへたり込んでしまう。
自分がいなくなってしまったら、母さんはどんな顔をするのだろう。
震える膝頭に顔をうずめ、ぎゅっと身体を抱きしめた。
瞼が重くなり、気がつけば押し寄せる眠気に耐え切れずに意識を手放していた。
雪が深深と包んでいった
それはいっそ、暖かくさえあって・・・・・・
『―――――――。』
その時、どこからか細い呼び声を聞いた気がした。
それはあまりに小さくて、ただの空耳にも思われたのだが、アレクは確信した。
まるで引き寄せられるように身体を起し、夢見心地のまま森の中を彷徨い始める。
どれだけ歩いただろう
木々の間を縫うように歩いていき、いつしかほんの少し開けた場所に出た。
そこにはこんもりと積もった雪に埋もれるようにして倒れている人形がいた。それは人間と同じぐらいの大きさはありそうで、随分と薄汚れている。アレクはそいつの雪を払ってやり、ずりずりと木の下まで引きずっていった。
雪の中で溶け込んでしまうほど白い絹のような長い髪。
ひび割れ、薄汚れてはいるが陶器のような硬質感のある肌。
スッと線で引いたようにすっきりとした顔は半分以上が壊れて、コードや骨格などがだらしなくはみ出している。
身体も顔に負けずにひどい損傷を受けており、首からふっくらとした胸を通り、腹部のほとんどが壊れてなくなっている状態で、かなり奥のほうまで雪が入り込んで凍り付いている。
それは女性型の機巧人形だった。
「俺を、呼んだのは人形さん?」
アレクは悴んだ手を擦り合わせながら人形に擦り寄った。
髪の色から、足の先まで真っ白なこの人形は、まるで雪の中から生まれてきたようにさえ思えた。
「こんなところで何をしていたの?」
うとうとしながらもアレクは彼女に話しかけ続け
「・・・寒いね。この世界には誰もいないみたいだね。僕と、君だけだ。」
静かな時間が過ぎていく。
白く冷たい天使に包まれて、ただ見つめ続けた。
彼女の頬にどれだけ雪がつもっても、それが溶けることはない。
「どうしてしゃべってくれないの?」
彼女はしゃべらない。
ただじっと微動だにせずにアレクのこと見つめている。
「・・・・お母さんも、ボクと一緒のとき、何もしゃべってくれないんだ。きっと、僕のことが嫌いなんだ。いらない子なんだ・・・・だから、きっとお母さんは僕を見つけてくれない。」
いなくなったことにすら気づかない。
どうでもいい子だから
アレクの頬に雪が触れ、それがじんわりと溶けて頬を流れ落ちる。
「でも、君は僕の事を見てくれるんだね。すごく、きれいな目だ。」
ガラス玉の瞳は見開かれたまま、アレクの姿を映し続ける。
それが嬉しかった。
「・・・・僕の、お母さんになって。そうしたら、僕はずっとここにいるよ。そうしたら、君も寂しくないでしょ?」
アレクは彼女のマリオネットのような手を握り締め、その懐に身体をもぐりこませた。
「・・・・・あったかい。」
うれしそうに呟き、アレクは押し寄せてくる眠気に耐え切れず、目を閉ざした。
すると、ぎしりと歯車がきしむ音がし、アレクの頭をぐしゃぐしゃと撫でる感触がした。
そして、強く、やさしい力で抱きしめられる。
「・・・・・お母さん。」
頬を温かい涙がこぼれ、雪を溶かした。
それが夢であったのか、現の奇跡であったのかはわからない。
なにせ、あのときの僕はあまりに幼かった。
夢幻であるのか、確かめる術はない。
あの後父が僕のことを探しに来てくれた時、僕は一人で雪の中に倒れていたのだ。
人形が歩いてどこかに行くはずもなく、当然夢であるように思えるのだが、一つ不可解なことがある。
それは雪の中で倒れていたにも関わらず、僕は雪に埋もれてはいなかったらしい。
まるで、何かに覆われて守られてでもいたように。
僕は密かにあれは夢ではなかったのではないかと思っている。
あれから母と父は結局別れてしまった。
僕は父のもとで暮らしている。
不精な父との生活は大変だけど、不自由することもなく普通の生活を送っている。
それから余談ではあるが、最近父に落ち着きがない。
どうしたのかと問い詰めて見たら、どうやら恋人が出来たというのだ。
まぁ、物好きもいるものだ。
どんな人なのかと思っていたら、昨日父が家にその恋人を連れてきた。
父にはもったいないほどの美人だ。
雪のように白い肌をした、ガラス玉のようにきれいな瞳の女の人であった。
この小説は以前、自分のサイトで一時期掲載していたBL小説を直したものです。