夢の意味
「いまの物語どう思った」
悠子が橋下の席に座りながら訊ねてきた。
「え? うーん、黒猫が可哀そうだったかな。」
おれは頭に『?』マークを浮かべながら答えた。
悠子は突然現れた。おれは机に伏せて眠っていた。そこに、机を突然「ドン、ドン」と叩かれたのだ。そして、顔を上げるとイラストに描かれる豚のような顔をした橋下が美女になっていた。橋下の席に悠子が座っていたのだ。
「ちょっと物語を考えたんだけど聞いてくれない。」と悠子は短いスカートから伸びる綺麗な足を横に向けていった。
「え?」とおれは突然の出来事に驚き、戸惑った。そして、戸惑いながらも、さっき授業が終わった直後に橋下が「ちょっと、うんちしてこようかな。」とぼやきながら席を立ったことを思い出す。
ああ、橋下はうんこに行ったんだ。そんなことを考えている間に悠子がおれの了承をとらずに話を始めた。
「違うよ。この物語にはどんな意味があると思う?」
悠子は少しアヒル唇気味の唇を更に尖らせた。
「意味? 意味なんてあるの?」
「あるよ。白猫はなんで黒猫のことを拒絶したと思う?」
「さぁ、わかんないよ、おれには。たぶん、黒猫のことを嫌いになったからじゃないの?」
「違うよ。白猫はまだ黒猫のことがまだ好きだったのよ。」
「じゃあ、なんで黒猫のことを拒絶したの?」
「それは、自分の価値が下がることを恐れたの。」
「自分の価値?」
「うん、黒猫と一緒にいることで自分も周りから笑われると思ったの。」
「ふーん、シビアな話だね。」
「そうよ。世の中そんな綺麗じゃない。いつだって自分が一番可愛い。そういう教訓があるのよ。きっと。」
悠子はおれの目をじっと見ていった。おれは自分でも顔が赤くなるのがわかった。人と話すときに相手の目を見て話すのは悠子の癖らしい。これは悠子と同じクラスの早瀬から聞いた話しだ。どうやら、この話は本当なんだな、とおれは感心する。早瀬はイギリス人の母を持つハーフで一年のとき同じ柔道部だった仲間だ。早瀬は三ヵ月、おれは半年で部活を辞めた。入部するきっかけは、特別な理由もあるわけでもなく、顧問の教師の熱心な勧誘に、柔道とはどんなスポーツなのだろうと好奇心からなんとなく入部しただけである。性格的に合わずに夏休みを終えて新学期が始まるとほぼ同時に辞めた。早瀬に至ってはゴールデンウィーク前から既に幽霊部員となり、夏休み前には完全に部から去っていた。
「きっとって、自分で考えた話しなんでしょ。」
「ううん、正確に言えば夢の話。」
「夢? 夢の話しか。ずいぶん、変わった夢を見るんだね。そんなしっかりした物語性のある夢を見るなんて、変な才能でもあるんじゃない。」
「ふっふふ、そうかも。」
悠子は妖しげな笑顔を浮かべる。妖しげに見えるのはおれが悠子に惚れているからかもしれない。
「そうだよ。一種の才能みたいなもんじゃん。それを生かして小説家にでもなれば。」
おれは思いつきで適当にいった。しかし、悠子はゆっくり首を横に振った。
「ううん、これは小説じゃなくて、絵本かな。」
「絵本?」おれは漫画でもなく小説でもなく、はたまた映画でもない絵本という選択が意外で驚いた。
「うん、これは絵本って決まっているの。」
「決まっているって、なんで絵本なの? そんなシビアな話、絵本なんて似あわないよ。読んだ子どもは泣いちゃうかもしれないよ。」
「ふっふふ、大丈夫だよ。泣かないよ。この話を聞いた女の子は寝ちゃうのよ。きっと。」
悠子はなにが大丈夫なのかわからないが決め付けるような言い方をした。
「そうかな? きっと、黒猫の可哀そうな境遇に不憫がって寝むれそうにもないけど。」
おれは悠子の話していた物語では女の子は安らかに眠れるとは思えず首を傾げた。また、なんで女の子限定なのか不思議に思った。「でも、なんで女の子なの?」
「知らないの? 絵本っていうのは忙しいお父さんと娘の大事なコミュニケーションの道具なんだよ。よく覚えておいた方がいいよ。」
「そうなの? 別に息子でもいいような気がするけど。」
「ふふっふ、だってわたしは女の子だし。」
悠子ははしゃぐように笑った。
「なにそれ? じゃあ、おれは男の子だよ。」
おれは意味がわからなかったけど、とりあえず胸を張った。だが、悠子はおれのいうことには耳を貸さずに「でもね。」と続けた。
「この物語には続きがあるんだ。」
「続き? 黒猫が死んで、白猫が泣く。誰も救いのない話じゃないの?」
「ふっふふ、だってそれじゃあ、絵本にならないでしょ。」
悠子がいたずらな顔を見せた。
「だから、さっきおれはそれを指摘したじゃないか。」
「でも、続きがあるとは思わなかったでしょ?」
悠子は何食わぬ顔でいう。
「いや、そんなわかるわけがないじゃん。サッカー選手がデジカメ投げるよりよっぽど予想外だよ。」
おれは悠子の顔を見ながら苦笑する。しかし、悠子はにこりともせず「じゃあ、どうやったら二人は幸せになれると思う?」とおれの目を見て訊ねてきた。
「いや、黒猫は死んじゃったし、幸せにはなれないんじゃない。」
「死んだらそれで終わりなの?」
悠子の熱のこもった言葉がおれの耳に飛び込んできた。おれは思わず悠子の顔を見直す。真剣な顔をしている。声も軽やかではあるが、引き締まっていた。
普段なら笑うところかもしれなかったが、小心者のおれは悠子の真剣さに圧倒されて「えっ、そうじゃないの?」と自分の答えに不安に持ってしまった。
「ずっと」と悠子が短く発した。「白猫は黒猫を想って生きていくことだってできるんじゃない。」
悠子は相も変わらず至極真剣な顔だった。
「はっはは。なにそれ。」
おれは思わず笑った。悠子が白馬の王子様を本気で信じている女の子みたいなことを言っているようで急に可笑しくなった。
「なに? 小学生みたいな台詞とでも言いたいの?」
悠子は頬を膨らませる。
「いや、別に。そんなことないよ。」
「嘘よ。嘘吐いているときのあなたは顔に出るからすぐにわかるよ。」
おれは急な指摘に驚き手を顔に当てた。確かに少しにやついた顔をしていたかもしれない。
「ふっふふ、今度は驚いた顔している。」
驚いてもいたが、照れの方が強かった。いきなり『あなた』と呼ばれたのが恥ずかしかった。
「いや、だって可笑しなこというから。」
「可笑しなことなんていった?」悠子が首を傾げる。
『可笑しなことなんていった?』と問いかけられれば言いたいことはたくさんあった。まず、さっきの物語はなんだったのか。それに、なんでそれをおれに話したのか。おれと悠子はそんなに親しくない。だから、悠子に嘘なんて吐いた覚えなどない。それなのに、どうしておれが嘘を吐くときに顔に出ることなんて知っているのか。
他にも色々あった。悠子とこうゆうやり取りをするのは二度目だったのだ。だから、色々問い詰めるチャンスだと思った。だが、出てきた言葉は「いや、おれそんなに顔に出るタイプかな?」と自分でもがっかりするほどに間抜けな返答だった。
「出るよ。両親のお墨付きでしょ。『あんたは嘘を吐けない正直ものね。』って。」妖艶な笑顔を浮かべた。
「なんで・・・」とおれが言い掛けたとき十分の休み時間の終わりを告げるチャイムがそれを遮った。すると、悠子は「もうすぐ、休み時間が終わっちゃったから行くね。」とそのまま嬉しそうに笑みを浮かべて悠子は橋下の椅子から腰を上げた。
おれは二年二組の教室から出ていく悠子の後ろ姿を眺めていた。これは、おれの主観だが悠子はこの学年で一番可愛い。いや、校内でもトップだ。身長はおれとほぼ同じぐらいだ。頭の後ろには二年の頃から付け始めた髪飾りが付いている。細かい部分は語れないが、ルックスなら悠子のことを語ることはできる。だが、悠子がどうゆう人間なのか、中身を問われれば閉口してしまう。おれは悠子のことをあんまり知らないのだ。




