一年間ずっとバースデー
私はSNSに十二個のアカウントを持っている。それは、お誕生日を毎月お祝いしてもらうため。
お誕生日って、とっても幸せな感じがする。毎日がお誕生日だったらいいのにと思った。SNSのアカウントを別の人間として取得して、お誕生日をバラバラに設定すれば、毎日お誕生日ができると考えた。
でも、三六五日、あるいは三六六日、毎日をお誕生日にするには、アカウントもそれだけ必要だ。アカウントがあればいいってことでもない。そのアカウントの数だけ、生きてる人間を演じ分けなくちゃいけない。同じ人間が更新していると疑われてはいけない。まったく別の人間として人生を生きてる様子を投稿しないと、怪しまれて、お祝いなんてしてもらえない。
誰にもお祝いされないお誕生日には意味がない。お誕生日というのは、お祝いしてもらえてこそ意味がある。だから、まったく別の人間として複数のアカウントを運用して、人間関係をたくさん構築して、お祝いされないと意味がない。
三桁以上のアカウントを、まったくの別人を用意して演じ分けるのは無理がある。だから、毎日お誕生日は無理でも、せめて、毎月お誕生日にしたいなと思って、十二個のアカウントを作った。年齢も性別もバラバラの老若男女、十二人を演じ分けている。
大学生の女の子、年金生活の男性や、子供の育児に励む母親、高卒フリーターの女性、在宅ワークのサラリーマン、設定は色々だ。その一つ一つを、怪しまれないように運用している。
今月は在宅ワークのサラリーマンのお誕生日を迎えた。フォロワーさんから、お祝いの言葉が届くと、とても幸せな気分になる。お誕生日って、すごく幸せだ。
在宅ワークのサラリーマンは独身ひとり暮らしなので、ホールケーキは食べない。いちごが嫌いなので、チーズケーキをカットで買ってきてバースデーケーキとしてお祝いした。お誕生日ケーキって、ケーキ自体は特別なものじゃなくても、特別な感じがする。
来月は大学生の女の子の誕生日がある。友達を呼んでホールケーキでお祝いするかもしれない。いや、その「友達」も架空の存在で、実際に家に呼ぶわけではない。そういう風に見せるために、写真を撮ってSNSに投稿する。買ったホールケーキは一人で食べる。
ホールケーキを一人で食べるのは少しキツいけど、それもまた幸せに感じる。小さい頃はカットされたケーキじゃ物足りなくて、ホールで食べたいと思っていた。そういう楽しみ方もできるのは、大人になってよかったと思う。
普段の生活も怪しまれないように演じ分けながら、SNSを運用していくのは、少し大変だ。整合性がちゃんとしていないといけない。大変だけど、お誕生日を毎月お祝いされるのは、とても楽しい。
その十二個のアカウントのお誕生日は、どれひとつとして自分の実際のお誕生日と同じではない。自分の実際のお誕生日は、SNS上では公開していない。実際のお誕生日には、ひっそりと自分の家で一人でお祝いをしている。
離れて暮らしている家族からLINEでお祝いが来ることはある。でも、それくらいだ。実際に会ってお祝いをしてくれるような人はいない。
実際のお誕生日を公開して、実際のお誕生日もSNSでお祝いしてもらえたらいいかもしれない。でも、そういう個人情報をSNSで公開するのは、少し怖いなと思ってしまう。けど、お誕生日のお祝いはされたい。だからこんなことをしている。
年金生活の男性が、国へ不満を言っている投稿に、反応があったと通知が来た。これも私のSNSアカウントの一つだから、そういうのもチェックしていなければならない。
適度に人間関係を構築して、お祝いをされるように、そこに確かに人間がいると感じられるように演じ分ける。頭を使う作業だ。
そんなことをしていると、自分は実際になにをどう思ってどう生きているのかと、わからなくなりそうになる。自分の実際の本音を、どこに出せばいいのだろう。「自分」としてのSNSアカウントは、持っていない。本当の個人情報を出したくないから。
でも、自分の実際の本音を出せるアカウントが必要なんじゃないかとも思う。自分がなんなのか、少しわからなくなる。
明日はフリーターの女性がシフト休みで映画館に行く。子供の育児に励む母親は、子供から急に牛乳パックが小学校の授業で必要だと言われて焦る。大学生の女性は夜にアルバイトが入っている。そのすべてを計算して演じ分けて投稿していくのは、途方もない作業に感じる時があった。
別に、毎日SNSになにかしらを投稿しまくる人間ばかりではない。怪しまれない程度に投稿しない時もある。それでも、かなり忙しい。
お誕生日をたくさんお祝いしてもらって、毎月、幸せを感じたい。そんなことのために、これだけするのは、労力に見合っているだろうかとも思う。でも、今更、辞め時もわからなくなっていた。
確かにそこに生きている人がいると思われてフォローされていて、交流している人たちがいる。その人たちに、そんな人は最初から存在しませんなんて言えない。知られたらどんな反応をされるか……。
怪しまれないように、少しずつアカウントを減らしていく手段を考えるべきかもしれない。転職したとか、引っ越ししたとか、環境が変わってSNSに投稿できなくなるっていう理由を捏造すればいい。
少しずつ、一年に一つか二つくらい、アカウントを減らしていくのがいいかもしれない。一気に消すと怪しまれるかも。それに、嘘で塗り固められた存在だとはいえ、交流してくれている人たちに、愛着もある。いきなり交流ができなくなるのは、私としても寂しい。
毎月お誕生日分身大作戦、幸せなことだと思っていたけど、案外そんなに幸せばかりでもない。そう気付いてしまった。でも、お誕生日のお祝いは、気分がいい。幸せだと思う。楽しくて、特別な日。
お誕生日って、毎日ではないから特別なのかもしれない。それって、普通は当たり前のことなのか?
お祝いしてもらって、ケーキやお肉やおいしいものをたくさん食べて、幸せな日。そんな日がたくさんあったら、それだけ幸せだと思っていた。でも、実際、どうだろう? その日は幸せだけど、その日を用意するためにたくさん色んなことで忙しくなっている。
私の実際のお誕生日を、もっとたくさんの人にお祝いしてもらえるようにするのを目指すほうが、もしかしたら幸せになれるのかもしれない。そう思った。でも、個人情報を晒すのは怖いというのは、ある。
自分の本当の姿をSNSで出していくのは、怖い。でも、自分の実際の本音を話せる場がなくて、苦しい。
少しずつ、自分の実際の本音を出せるアカウントを、作ってみてもいいかもしれない。
私は、自分の実際のお誕生日を公開情報として載せたアカウントを作ってみた。このアカウントを、どういう設定で運用していくかは、少し決めかねている。でも、自分の本音を話せたら、いいなと思った。
〈了〉
お誕生日って、特別で幸せな日で、そんな幸せが毎日あったら幸せなのかな。って思うけど、毎日ではないから特別なのかもしれない。けどおいしいものは毎日でも食べたいじゃないですか?




