↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

結婚式当日に逃げられましたので、一旦お食事だけ楽しんでいただくことにしました

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/09/24

 来る結婚式の朝、私は妙に早く目が覚めた。

 窓の外はまだ薄青く、庭に落ちる朝露がきらきらと光っている。


 眠れなかったわけではない。

 むしろよく眠れた。


 ただ、今日という日がついに来たのだと思うと、じっとしていられなかった。

 ベッドから起き上がったところで、既に控えていた侍女がくすりと笑った。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう」

「ずいぶん早起きですね」

「私もそう思うわ」


 自分で言うと、侍女は声を上げて笑った。


「大丈夫です。花嫁様は皆そうおっしゃいます」

「本当に?」

「本当にです」


 それなら少し安心だ。


 支度を始めるころには部屋も賑やかになっていた。

 ドレス係の侍女たちが動き回り、机の上には花が飾られ、鏡の前には母が陣取っている。

 なぜか母の方が緊張していた。


「お母様」

「なあに?」

「さっきから三回もハンカチを出したりしまったりしていませんか?」

「気のせいよ」

「今なんか目元を押さえていらっしゃるじゃないですか」

「朝の日差しが眩しいの」

「曇っています」


 母は負けた、という顔をした。


「だって仕方ないでしょう」


 少し潤んだ目で私を見る。


「小さかったあなたが、こんな立派になって……」

「まだ式も始まっていませんよ」

「だから今のうちなの」


 私は笑った。

 母も泣き笑いの顔になった。


 ふと部屋の隅を見ると、父が腕時計を見ている。

 数秒後、また見た。

 さらに三十秒後、もう一度見た。


「お父様」

「なんだ」

「落ち着いてください」

「落ち着いている」

「五回目です」

「何がだ」

「時計です」


 父は咳払いをした。

 そしてまた時計を確認する。

 侍女たちが耐えきれず吹き出す。


「まったく」


 父は不機嫌そうな顔をしたが、耳が少し赤かった。

 

 その時だった。

 勢いよく扉が開く。


「エレノアお姉さま!」


 飛び込んできたのは姪のマリーだった。

 私の手前で急停止する。


 彼女は八歳。

 元気だけが服を着て歩いているような子だ。


「うわあぁ……!」


 ドレス姿の私を見るなり目を輝かせる。


「お姫様みたい!」

「ありがとう」

「ねえ、結婚したら毎日その格好するの?」

「しません」

「えぇぇ!?」


 どうやら本気で残念だったらしい。


「そんなに見たいの?」

「うん!」

「じゃあ今日はしっかり見ておいてね」

「見る!」


 元気よく答えたあと、突然お腹が鳴った。


 本人が真っ赤になる。

 部屋中が笑いに包まれた。


「朝ご飯は?」

「……少しだけ」

「ちゃんと食べてきなさい」

「はぁい……」


 しょんぼりしながら出ていく背中を笑って見送り、私は窓の外を眺める。

 いい天気だった。


 きっと良い一日になる。


 そう信じていた。


 婚約者のルーカスとは、情熱的な恋人同士というわけではなかった。

 けれど一緒にいて落ち着く人だった。


 読書が好きで。

 散歩が好きで。

 たまに皮肉っぽいけれど根は優しい。


 少なくとも私はそう思っていた。

 昨日届いた手紙もまだ机にある。


『明日が楽しみだ』


 たった一行。

 けれど彼らしい文章だった。


 私はその紙に触れ、小さく笑った。

 もう数時間後には、彼は私の夫になる。




 そう思っていた。





 異変は静かに始まった。


 挙式三十分前。

 まだ誰も気にしていなかった。


 新郎がまだ到着していない。


 それだけのこと。

 馬車が遅れたのだろう。

 道路が混んでいるのかもしれない。

 そう思っていた。


 二十分前。

 まだ来ない。


 十分前。

 使用人たちが慌ただしくなった。


 神父が険しい顔をしている。

 父が席を立った。


 母の表情から笑みが消えた。

 胸の奥が冷える。

 嫌な予感だけが大きくなっていく。


 そして。

 父が戻ってきた。

 見たことのない顔で。

 怒りと困惑と絶望を無理やり押し込めた顔で。


「お父様?」


 父は何も言わない。

 代わりに一枚の紙を差し出した。

 おそらく父が握りつぶしていたのだろう。

 ぐしゃぐしゃになったソレを震える指で受け取る。


 短い手紙だった。


『愛する人がいる。

 本当に申し訳ない。

 結婚はできない。』


 頭が真っ白になった。


 読めている。

 意味も分かる。


 なのに理解できない。


「……え?」


 情けない声が漏れた。

 誰も答えない。

 答えられない。


 だって。

 そんなはずがなかった。

 昨日まで普通だった。

 昨日まで。

 昨日まで――。


「――ぁぁああ!!!」


 泣いた。

 ひたすら泣いた。

 ドレスが皺になるのも構わず泣いた。


 母の肩を借りて泣いた。

 声が出なくなるまで泣いた。


 これ以上ないほど惨めだった。


 私の結婚式だったはずなのに。

 私だけが置いていかれた。





 ◇


 どれほど時間が経ったのか分からない。


 ふと顔を上げると、部屋の隅でマリーが泣いていた。

 小さなハンカチを握ったまま。


「マリー……」


 小さく声をあげると、彼女はしゃくり上げながら近づいてくる。


「お姉さま……」

「どうしたの?」

「……なんで、なんでなの?」


 また涙が出そうになった。

 けれど私は笑った。


 無理やり。

 本当に無理やり。


「そんな顔しないの」

「でもぉ……」

「泣いたらせっかくのおめかしが台無しよ」


 そう言うと、マリーは必死に涙を拭いた。

 私の方が泣いていたのに。

 その姿がおかしくて、何故か少しだけ笑ってしまった。


 その時。

 支配人がノックと共に入室してきた。


「お嬢様」


 深刻な顔だった。


「本日の件ですが……」


 式の中止。

 招待客への説明。

 きっとそういう話だろう。

 私は窓の外を見た。


 遠方から来た親族。

 年老いた祖母。

 久しぶりに集まった親戚たち。

 何も知らずにはしゃぐ子供たち。


 みんな今日を楽しみにしていたのに。


「お嬢様?」


 私は笑った。

 笑顔ではなかったと思う。

 半分泣いていた。


「せっかくここまで来ていただいたんですもの」

「はい」

「お料理だけでも食べて帰っていただけませんか」


 私の言葉に部屋が静まり返った。


「エレノア」


 父が名を呼ぶ。


「今は無理をしなくていい」

「無理じゃありません」


 少し間を置いて。


「……たぶん」


 たぶんだった。

 自分でも分からない。

 けれど。


「料理長に怒られるのも嫌ですし」


 冗談のつもりで言った。


 誰も笑わなかった。

 伯母なんて今にも泣きそうだった。


「そんな顔で言わないで」


 私はようやく気づいた。

 自分が思っていた以上にひどい顔をしていることに。





 ◇


 食事会は始まった。

 当然ながら重苦しい空気だった。


 会場には綺麗な花。

 豪華な料理。

 立派な装飾。


 なのに花婿だけがいない。


 私は各テーブルを回って謝罪を述べる。


「本当に申し訳ありません」

「違うわよ」


 夫人が首を振る。


「あなたが謝ることじゃないでしょう」


 どこへ行っても同じだった。

 誰も私を責めない。


 責めないから余計につらい。

 その時だった。


「ケーキ!」


 子供の歓声が上がる。

 冒険と称して、この場所を探索していた彼らが、別の部屋に置かれた巨大なウェディングケーキを見つけたらしい。


 会場が一瞬静まり返る。

 私は思わず吹き出した。

 そして彼らが集まる部屋へと移動する。

 家族や親戚達もゾロゾロついてくる。


 はしゃいでいる子供達を見ながら一言。


「そうですね」


 皆がこちらを見る。


「切りましょうか」


 子供たちの顔が輝いた。


「いいの!?」

「もちろん」


 ナイフが入る。

 歓声が上がる。


 その直後。

 興奮していた、一人の男の子が近くに置いてあった皿を落とした。


 盛大な音。

 子供の顔が真っ青になる。


「ご、ごめんなさい……!」


 私は手を止め、彼の元に向かいしゃがみこんだ。


「大丈夫よ」

「でも……」

「今日は失敗してもいい日だから」


 男の子がきょとんとする。

 その瞬間。


「では儂も失敗しよう」


 様子を見にきた、老伯爵がわざとらしくワインをこぼした。

 彼は――


「伯父様」

「おや」

「今のはわざとですよね?」

「ばれたか」


 会場に笑いが広がる。

 本日初めての、本当の笑いだった。


 そこから空気は少しずつ変わった。


 ホールに戻った私たちはケーキや豪華な料理を手に、口々に話し合う。

 老夫人が昔話を始め。

 商人が旅先の失敗談を語り。

 子供たちはケーキを巡って喧嘩を始め。

 それを大人たちが止める。

 私は気づけば笑っていた。


「そういえば」


 私の元に近づいてきた夫人の一人が言った。

 彼女は私の友人の母親だ。


「娘があなたに感謝していたわ」

「私に?」

「学園へ入る前、不安で泣いていたでしょう」


 そんなこともあった。


「あなた、あの子の話をずっと聞いていたじゃない」

「ただ聞いただけです」

「それがありがたかったのよ」


 別の人物も頷く。


「私も助けられたことがありますな」

「え?」

「妻の誕生日を忘れそうになった時」

「それは自業自得では……」


 会場が笑う。


「しかし君が覚えていてくれた」

「偶然です」

「偶然でも助かった」


 そんな話が次々と出てくる。


 私は知らなかった。

 自分の些細な行動を覚えている人がこんなにもいたなんて。


 その夜。

 私は一人ではないのだと知った。





 ◇


 半年後。

 街で私を見かけると、多くの人が声をかけてくれるようになっていた。


 あの日の食事会の話は思った以上に広まったらしい。

 私を元気付けるためか、色々な人たちが話しかけてくれた。

 そして、その人と仲良くなり、その輪が少しずつ広がっていった。





 ◇


 そんなことが続いたある日。


 ルーカスと再会した。


 以前よりずっと疲れた顔をしていた。

 目線が合う。

 すると彼は話しかけてくる。


「久しぶりだ」

「そうですね」


 まだ、傷は癒えていないけれど。

 思わず答えてしまった。


 彼は視線を落とした。


「謝りたい」


 静かな声だった。

 続きを待つ。


「本当に申し訳なかった」


 その言葉に私はしばらく考えた。


 怒りがないわけではない。

 悲しみが消えたわけでもない。

 でも。


「あの日は本当に傷つきました」


 彼が顔を上げる。


「しばらく毎日のように泣きました」

「……」

「恨んだこともあります」


 彼は何も言えなかった。

 その資格がないと分かっていたのだろう。


 私は続けた。


「でも、たくさんの方が支えてくださいました」


 老伯爵。

 マリー。

 友人たち。

 あの日笑ってくれた皆。


「だから今はもう大丈夫です」


 彼は少しだけ笑った。

 寂しそうに。


「君は変わらないな」

「そうでしょうか」

「ああ」


 少し考えてから、私は首を横に振った。


「変わりましたよ」

「え?」

「自分が思っていたより幸せだったんだって分かりましたから」


 彼は答えられなかった。


 私は会釈する。

 そのまま家へと向かって歩き出した。


 その時。


「エレノア様!」


 聞き覚えのある声がした。

 振り向くと友人たちがいる。

 その中には新たに知り合った人も居る。


「お待ちしていました!」

「例の本を持ってきましたの!」

「今日のお茶会、楽しみですわ!」


 賑やかな声が重なる。

 思わず笑った。


「今行きます」


 振り返ると、ルーカスは遠くで立ち尽くしていた。

 けれど私はもう立ち止まらない。


 結婚式には失敗した。

 人生最悪の日も経験した。

 それでも。

 人生は失敗しなかった。

 そう思えるくらいには、私はたくさんの人に支えられていたのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
最後のシーンの友人に囲まれたエレノアが幸せそうで何より。 良い笑顔で笑ってるんだろうなぁ 所でルー カスは何しに来たんだ? マリー含む子供達から石でも投げられればいいのに。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。