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できることはある

朝の空気は、少し冷えていた。


目を覚ますと、見慣れない天井があった。


——ああ、そうか。


昨夜、ここに泊まったんだ。

森を歩き続けた疲れが、一気に出た。

服もろくに脱がず、気づけば朝だった。


広くはないが、眠るには困らない部屋。

木の壁と、小さな窓。

外の気配が、うっすらと伝わってくる。


身体を起こし、枕元に置いてあった、

小さな肩掛けの鞄を手に取る。


軽く肩を回し、

一度だけ深く息を吐いてから、廊下へ出た。


廊下の先から、かすかな物音が聞こえた。


台所に向かうと、すでにオルセンが起きていた。


火を起こし、鍋をかけ、

少しぎこちない手つきで朝の支度をしている。


手順は分かっているが、

細かいことは気にしていない。


量があって、温かければそれでいい。

そんな料理の仕方だった。


台所に差し込む光は柔らかく、

鍋の湯気と木の匂いが混ざっている。


オルセンは、鍋に視線を落としたまま言った。


「今日は、村を回る予定だ。

……来るか」


一瞬だけ迷ってから、答える。


「……行く」


断る理由は、いくらでも思いついた。


それでも、

行かない理由も、見当たらなかった。


「一つ言っておく」


「え?」


オルセンは、こちらを見ないまま言う。


「敬語はやめろ。

……変に気を使うな」


一瞬、言葉を探しかけて——


「それに、俺がやりにくい」


「……分かった」


鍋から器にスープをよそし、

無造作にパンを皿に置く。


野菜は大きく切られ、

味付けも大雑把そうだ。


朔の視線に気づいたのか

オルセンがぼそりと言う。


「……腹に入れば、一緒だ」


言い訳みたいな口調に、

笑いそうになって――

すぐに、それを押さえ込んだ。


オルセンは、それ以上何も言わず、

燃えている薪を一本だけ引き抜いた。

鍋の下で、炎が静かになる。


「飯はそこに置いとく」


使い込んだ革の外套を手に取りながら、続けた。


「食ったら来い」


それだけ言って、オルセンは家を出ていく。


扉が閉まる音が、小さく響いた。


朔は一人、卓に残された朝食を見下ろした。


野菜はざっくりと切られている。

それでも、湯気の立つスープは、どこかうまそうだった。


(……気を使わなくていい、か)


そう思いながら、静かに食べ始めた。



外に出ると、村はすでに動き始めていた。


煙突から立つ細い煙。

水桶を抱えて歩く人影。

軒先で道具を整える音。


「お、オルセン。

今日も見回りか」


声をかけられ、オルセンは軽く手を上げる。


「変わりは?」


「特にはないな

井戸も畑も、いつも通りだ」


「そうか。」


それだけで会話は終わる。


困りごとがあって呼ばれたわけじゃない。


人の暮らしを確かめるように、

見渡すように歩く。


歩きながら、朔はオルセンの横顔を見る。


短いやり取り。

周囲を測るような視線。


——落ち着いているはずなのに、どこか急いでいるようにも見えた。


(……仕事、なんだよな)


その視線に気づいたのか、

オルセンが前を向いたまま言った。


「……教会で働いていてな」


少し間を置いて、続ける。


「こういうのも、仕事だ」


「……意外だったか?」


ちらりと、朔を見る。


朔は首を振った。


「いや。

似合ってる」


オルセンは一瞬だけ黙り、

短く息を吐いた。


「そうか」


それ以上は、何も言わなかった。



村の外れで、男が一人、

重たい木材を運んでいた。


何往復もしているのが、

見ただけで分かる。


オルセンは、ちらりと一瞥して声をかける。


「それ、一人でやるつもりか」


男が顔を上げ、苦笑する。


「オルセンか。

いや、急ぎじゃないんだがな」


「ついでだ」


オルセンは木材を掴み、

軽々と持ち上げた。


そのまま歩き出し、

指定された場所へ一度で運び終える。


「助かったよ。

相変わらずの馬鹿力だな」


「力持ちってレベルじゃねぇ……」


気づいたときには、

朔の口から、普通に声が出ていた。


オルセンが、ちらりとこちらを見る。


「何か言ったか」


「……いや」


慌てて首を振る。


男は笑って、肩をすくめた。


「初めて見ると、だいたいそうなる」


そして、オルセンの方に向き直る。


「助かったよ。

月の巡りが、あんたにも回るようにな」


「……ああ。

月の巡りが回るように」


オルセンは短く答えた。


(……なんだ、その言い回し)


朔は内心で首をかしげる。



次に向かったのは、井戸のそばだった。


村人が数人集まり、

溝に溜まった水を前に首をひねっている。


一人が手をかざし、

小さく何かを唱える。


水が、わずかに動いた。


「……すげぇ」


思わず声が漏れる。


そのとき、耳元で淡々とした声。


『周囲の力に、自身の力を重ねています』


「……分かるように言ってくれ」


『“できる人にはできる”ということです』


「雑だな」


しばらくして、水の流れが止まった。


「……あれ?」


村人の一人が、困ったように言う。


「魔法で流そうとしたんだがな。

奥が詰まってちゃ、どうにもならなかった」


——魔法。


さっき見ていた、

あの不思議なやり方のことだと、ようやく分かった。


『朔の身体には、その反応が確認できません』


「……だよな」


胸の奥が、少し沈む。


『表面は動いていますが、

奥で停滞しています』


朔は溝の先を覗き込んだ。


『原因は、もっと奥です』


(……なるほど)


近くにあった木の棒を手に取る。


魔法じゃなくても、

できることはある。


泥を掻き出し、

石に当たる感触を確かめながら、

少しずつ詰まりを崩していく。


「手伝うぞ」


いつの間にか、他の村人も動き始めていた。


しばらくして——

水が一気に流れ出す。


「通ったぞ!」


「助かった!」


村人たちが、ほっとした声を上げる。


その中の一人が、笑いながら言った。


「巡りが回ったな」


それを聞いて、朔は一瞬だけ迷い——

それから、少し照れたように口を開く。


「……月の巡りが、あんたにも回るように」


声は小さく、どこかぎこちない。


けれど、村人たちは誰も特別な反応をしなかった。


「おう。あんたにもな」


いつも通りの返事が返ってくるだけだった。


オルセンは、少し離れたところで

その様子を静かに見ている。


気づけば、肩の力が抜けていた。


誰かの小さな笑いが残ったまま、

村の昼は穏やかに続いていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

序盤は数日連続更新です。

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