22. 想定外のはじまり
――朔は迷っていた。
訓練のあと。
いつもなら、オルセンは見回りに出る。
けれど今日は、台所に立っていた。
何かを刻む音が、静かに続いている。
乾いた根の匂いが、かすかに混じっていた。
今までなら、ここで声はかけなかった。
けれど今日は――
「……手伝えること、ある?」
自分でも少し意外に思うほど、
自然に声が出た。
オルセンの手が、わずかに止まる。
「ああ」
ちらりと朔を見てから、短くうなずいた。
「今日は数が多い。……助かる」
そう言って、刻みかけの根を持ち上げる。
「これが主になる」
淡い土色の、太い根だった。
「一本で、丸薬が八つ分」
次に、赤みのある皮を、指で弾く。
かすかに、甘く熱のある匂いが立った。
「こっちは四つ分。
刻みすぎると効きが落ちる」
最後に、明るい色の粉を、ほんの少しだけ。
「これは一粒にひとつまみ。
……今日は、九十粒だ」
九十。
「……じゃあさ」
一拍だけ置いてから、言う。
「根が十二本。
皮が二十三……いや、二十四。
粉は……同じ量を三皿分、だよね」
オルセンは、根を持ったまま、わずかに動きを止めた。
「そうだな」
そう言って、根をまとめ直す。
「だが、割れたり、傷んでるのも混じる。
実際には、もう少し多めに用意する」
「……なるほど」
朔は、納得したようにうなずいた。
「裏口の干し棚から、取ってくる」
「上の段だ」
短いやり取りだった。
朔はそのまま裏口へ向かい、
戸を開けると、北側の棚に並ぶ乾いた薬草に手を伸ばした。
風の通る場所で、
葉と根の匂いが、静かに混じっている。
しばらくして、
台所にはまた、刻む音が戻った。
オルセンは、刻み終えた薬草を木鉢に移した。
「……じゃあ、これを頼めるか」
そう言って、石の乳鉢を差し出す。
「力はいらん。均すだけだ」
朔は一瞬だけそれを見る。
「……すり潰す?」
「ああ
粒が残ると、効きが荒れる」
「分かった」
朔は袖をまくり、乳棒を取った。
最初は慎重に。
音を立てないように、円を描く。
しばらくして、
粉が、指の間でするりとほどける感触に変わった。
オルセンは、何も言わずにそれを見ていた。
「……そのくらいでいい」
朔は手を止める。
「これで、九十粒分?」
「理屈の上ではな」
オルセンは、粉を指で摘み、
わずかに頷いた。
「悪くない」
オルセンは、小さな壺の蓋を開け、
中身をほんの少しだけ垂らした。
木べらで混ぜると、
粉が、ゆっくりとまとまり始める。
それを指先ですくい、
手のひらで転がす。
ひとつ、またひとつと、
形のそろった丸薬が並んでいった。
そして――
「……レブ・イート・イット」
ぽつりと、独り言のように呟いた。
「……今のは?」
朔が、思わず聞いた。
「魔法?」
オルセンは一瞬だけ考えるように視線を上げ、それから肩をすくめた。
「……魔法だな」
オルセンは、丸薬を乾かすための木皿を持ち上げながら答える。
そのまま台所の端へそっと移した。
「俺の師匠が使ってた。
悪いものを散らす、らしい」
朔が首を傾げる。
「らしい?」
「詳しくは知らん」
オルセンは、空になった木鉢を水で軽くすすぎ、
縁に残った粉を指でなぞってから言う。
「俺には使えん。
……まあ、おまじないみたいなもんだ」
水を捨て、布で手を拭く。
「……これで、終わりだ」
朔は、並べられた丸薬を見つめてから聞いた。
「……乾いたら、完成?」
「ああ」
それ以上は、何も言わなかった。
⸻
翌日。
珍しく、朝の訓練はなかった。
久々にゆっくりした朝を過ごそうかと思った矢先、
外套を羽織ったオルセンが言った。
「昨日の薬、教会に渡してくる。
……来い」
朔は一瞬、うなずきかけてから、言葉を飲み込む。
「あ、今日は一緒に行く日?」
振り向くと、ナディアが桶を抱えたまま立っていた。
どうやら、さっきまで水仕事をしていたらしい。
「薬を渡すだけだって……
一緒に行く?」
言ってから、少し間があいた。
(何言ってんだ、俺)
ナディアは一瞬きょとんとして、
それから、ぱっと笑った。
「ね、お父さん」
そのまま、オルセンを見る。
外套の紐を結び終えたオルセンは、
二人を見比べてから言った。
「ああ。
……今日は、人が多い方がいい」
「やった」
ナディアは、すぐに踵を返した。
「準備してくるね」
ナディアが踵を返すのに合わせて、
朔もそのまま家へ戻った。
⸻
三人で家を出ると、朝の空気はまだ少し冷えていた。
オルセンが先を歩き、
朔とナディアはその少し後ろを並んでついていく。
肩に掛けた小さな鞄が穏やかにゆれる。
教会へ向かう道は、村の中央を抜ける。
畑の脇を通り、石畳が増えていくあたりで、
人の気配も少しずつ濃くなってきた。
「今日はね、子どもたちが来る日なんだよ」
歩きながら、ナディアが言う。
「読み書きとか、数の勉強とか。
あと、お話もする日」
「お話?」
朔が聞き返す。
「昔の話を聞く日でもあるんだよ」
ナディアは前を見たまま、
思い出したみたいに指を一本立てた。
「世界の成り立ちって言うのかな。どうやって今みたいになったか、っていう話」
「……神話?」
「うん。そういうの」
ナディアは、少し考えるように言った。
「あとは……困ってる人がいたらどうする、とか。
ひとりじゃ出来ないことはどうする、とか」
「……ちゃんと聞いてる子もいるし、
ぜんぜん聞いてない子もいるけどね」
ナディアは、困ったみたいに眉を寄せた。
「……想像つく」
「でしょ?」
ナディアは、くすっと笑った。
前を歩くオルセンは、
二人の会話を背中で聞きながら、
黙って進んでいた。
やがて、足が止まる。
「……ここが、教会だ」
教会は、村の中央より少しだけ奥まった場所にあった。
白い石を積んだ壁。
派手な装飾はなく、
入口の上に、小さな月の紋が刻まれているだけだ。
扉は大きいが、開け放たれていて、
中から人の声が、かすかに漏れていた。
「……入るぞ」
中に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。
壁際には腰掛けが並び、
布や器具がきちんと片づけられている。
今は、まだ使われていないようだった。
奥の方から、子どもたちの声が聞こえてくる。
読み上げる声と、
それに遅れて重なる、ばらばらな声。
「……思ってたより、静かだな」
朔が言うと、
ナディアはくすっと笑った。
「今はね。
もうすぐ、うるさくなるよ」
その言葉どおりだった。
扉に近づくにつれて
子どもの笑い声がひとつ、ふたつと重なる。
やがて――
「あ!」
という声が上がった。
「オルセンだ!」
次の瞬間、
中から小さな影が走り出してくる。
「なに持ってきたの!」
「今日は遊ぶ日?」
口々に声が飛ぶ。
オルセンは朔に視線を向けると、
ほんのわずかに、口元を緩めた。
「——今日は、
みんなで遊ぼうか」
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