17. 生き残るとは
「もう一度だ。止まるな」
オルセンの低い声が飛ぶ。
返事をする余裕はない。
息は荒く、喉が焼けるように痛い。
再び、気配。
視界の端で、粘土の塊が跳ねた。
朔は反射的に足を動かす。
右へ、左へ。
地面を蹴り、転びそうになりながら、距離を取る。
『右斜め後方、接近。回避を推奨します』
頭の奥で、ルクの声が重なる。
見えるものを追うだけで、精一杯だ。
塊。
風を切る音。
飛んでくる軌道。
それらに必死で反応しながら、朔は走り続ける。
「飛んでくる“物”だけを見るな」
オルセンの声が、動きの合間に差し込まれる。
「投げる前の腕の動き。
踏み込む足。
重心のかかり方。
そっちを見ろ」
息を乱しながら、朔は視線を走らせる。
オルセンの肩が、わずかに沈む。
腰が、ほんの一瞬だけ捻れる。
足の裏が、土を踏み込む音が変わる。
「……っ!」
次に何が来るか。
塊が飛ぶ、その前に――
“分かる”瞬間が、確かにあった。
――分かる。
そう思った、その刹那。
足元が、沈んだ。
「……っ!」
ぱこっ
粘土の塊が、腕を掠めて砕けた。
『回避失敗。接触判定』
(なんで……!)
オルセンは短く言った。
「逃げ道も同じだ。
土の色。
踏み固められ方。
草の倒れ具合。
そこに“人の手”が入ってる」
分かったはずだった。
見えていたはずだった。
――いや、違う。
“見ているつもり”で、
見ていない場所があった
朔の視線が、足元へ落ちる。
少し色の違う土。
不自然に柔らかい地面。
昨日まではなかった、浅い溝。
『トラップの痕跡を確認しました』
「……だから、あそこだけ崩れたのか……!」
次の粘土が飛ぶ。
今度は、塊じゃない。
オルセンの肩と、腰を見る。
重心が前に流れる。
肩が沈み、
腰が、わずかにねじれる。
(来る)
朔は、オルセンの全身を見たまま、
踏み出すタイミングを測る。
今だ。
足を前へ運ぼうと、右足に力を入れる。
視線が、反射で足元に落ちる。
色の違う土。
踏み固められていない場所。
(……こっちじゃない)
踏み出しかけた足を、
わずかに引き戻す。
体を捻る。
重心をずらす。
――次の瞬間。
ごう、と風を切って、
粘土の塊がすぐ耳元を抜けた。
そのまま、
さっき立っていた場所を叩き、
乾いた音を立てて砕ける。
今までのように、
ただ反射で逃げていたときとは違う。
偶然じゃない。
でも、考えている暇もない。
その中間にある、何か。
『回避成功』
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
オルセンの声が、静かに落ちた。
「それが、“生き残る”ってことだ」
オルセンはそれだけ言うと、
それ以上、何も付け足さなかった。
籠に残った粘土の塊には手をつけず、
そのまま庭を横切る。
門へ向かうオルセンを、朔は背中で見送った。
朔は、荒い息のまま立ち尽くす。
止まらない。
見続ける。
それが、“生き残る”ということだった。
風が、庭を抜ける。
遠くで、子どもたちの声がする。
穏やかな村の朝。
「……ルク」
呼びかけてから、少し間があった。
『何でしょう』
「村、見てみようか」
口にした瞬間、
自分でも、少しだけ意外だった。
『情報を得ることは、重要です』
朔は、思わず苦笑する。
「……そういうことじゃないんだけどな」
言いながら、
胸の奥にあった重さが、
わずかに軽くなっているのに気づく。
理由は、分からない。
けれど——
……まあ、いいか。
朝の村は、もう動き出していた。
戸口が開く音。
水桶を引く音。
昨日まで、どこか「背景」だったものが、
今日は一つずつ、輪郭を持って耳に入ってくる。
道の端で、年配の女性が洗い物をしていた。
視線が、ふと合う。
「おはよう。
あんたにも、月の巡りがあるようになぁ」
先に声をかけられて、
朔は、わずかに息を詰める。
「……おはようございます。
あなたにも、巡りがありますように」
一瞬、間があった。
それでも、途切れることはなかった。
その先でも、同じやり取りが続いた。
声をかけられ、
朔は、決まった言葉を返す。
立ち止まることはなく、
短い挨拶だけが、すれ違いざまに交わされていく。
気づけば、
家並みは背後に遠ざかり、
道の先に、畑と草地が広がっていた。
村を抜けたのだと、
そこで、ようやく分かった。
畑の向こうに、
低い丘と、その先の道が見える。
昨日の夜、
立ち止まって、村を見下ろした場所。
朔は、自然と足をそちらへ向けていた。
夜とは違って、
今は、すべてがはっきり見える。
屋根の並び。
水路の曲がり方。
人の動き。
どれも、昨日はただの影だったものだ。
胸の奥にある違和感は、まだ消えない。
ここにいていいのか。
関わっていいのか。
まだ分からない。
分からないままでも、
足は止まらなかった。
見て、
感じて、
次に踏み出す場所を選ぶ。
朔は、
しばらく村を見渡してから、
ゆっくりと息を吐いた。
(……生き延びてみるか)
答えは出ていない。
けれど、
もう少し見続けてみよう。
そのまま、踵を返す。
朝の光の中へ、
もう一度、村へ戻るために。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次話は明日21時更新予定です。
引き続き読んでいただけたら嬉しいです。




