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14. 迷子と呼ばれて

(……今なら……まだ、間に合う)


昼前の庭で、朔はしゃがみ込んでいた。


朝の訓練で荒れた庭を、無言で均していく。

踏み込んだ跡だけが、はっきりと残っていた。


(……でも、どこへ?)


朔は考えが顔に出ないように、

手を動かす。


この村を出る。

ーー無理だ。


土地勘がない。

仕事もない。

食い繋げない。


(……野垂れ死ぬが目に見えてる)


考えは、すぐに先へ進む。


なら……


村の中で距離を取る。

別の家を探す。


――空きは、なかった。


見回りの途中で、確認している。


(……どうする?)


ここに居続けると、

関係が増える。


それだけは、避けたい。


(……じゃあ……)


そのとき――


木戸のほうで、わずかに音がした。


「よう! 迷子!」


庭に声が響いた。


顔を上げると、木戸の前に少年が立っていた。

少し日に焼けた顔。

短く切った髪。

よく通る声。


「だから朔だよ」


アクトは、にっと笑った。


「知ってるよ。

サクだろ」


そう言って、アクトは木戸に寄りかかる。

中をのぞき込むように、庭を一度見回した。


次の瞬間、何か思いついたように口元を緩める。


「オルセンはいないぞ」


そう言うと、アクトは肩をすくめた。


「今日はな、

サクと遊びに来たんだ」


アクトは木戸に手をかけ、外へ続く道にちらりと目をやった。


「外、行こうぜ」


そう言って、アクトは振り返らない。


「ちょっと――」


言いかけた声は、

木戸の向こうへ抜けていった。


……話を聞かないやつばっかりだ……


朔は、小さく息を吐く。


一拍遅れて、あとを追った。


木戸を抜けると、家並みのあいだを抜ける、いつもの道が続いている。

昨夜の雨の名残か、ところどころに水たまりが残っていた。


アクトは少しだけ歩みを緩め、道の先を見渡す。


「なあ」


言葉より先に、体が前を向く。


「競争な!」


言い終わる前に、もう走り出していた。


朔も反射的に地を蹴る。


最初は、少し距離があった。

アクトは、迷いなく前に出る。

だが、呼吸を整えながら、朔は少しずつ間を詰めていく。


足音が並び、

そのまま、朔が半歩前に出た。


「お!」


驚いた声は、すぐ笑いに変わった。


足元に、水たまりが見える。

濁った水面が、空を映している。


朔は一瞬だけ歩幅を変え、脇へ逸れた。


その横で、アクトが踏み切る。


「よっと!」


水たまりを越え、そのまま前に出る。


着地と同時に、再び差がついた。

角が近づく。


朔は最後まで走りきり、

アクトはその勢いのまま、先に飛び込むように辿り着いた。


「ほら」


振り返った顔は、息を切らしながらも、どこか誇らしげだった。


「勝ち」


朔は一つ息を吐いて、苦笑する。


「……ずるいな」


「ずるくねぇよ」


アクトは肩をすくめる。


「行けると思ったから、行っただけ」


少し間を置いて、続けた。


「俺はさ、

行けそうだと思ったら、行っちゃう」


朔は答えなかった。


アクトは空を見上げて、


「止まれねぇんだよな」


それだけ言って、にっと笑った。


「次、あっち!」


そう言って、また走り出す。


朔は一瞬、その背中を見送ってから、追いかけた。



「じゃあな!」


振り返らずに投げられた声だけが、

昼の道に残る。


朔は手を上げるでもなく、

その背中を、ただ見送った。


(何やってんだろうな、俺は)


走る音が消えると、

村の音が、少しずつ戻ってくる。


風に揺れる布の音。

どこかで鳴る桶の水音。

遠くの話し声。


(……戻る、か)


歩き出すと、

足の裏に、さっきまでの熱が残っていた。


家の屋根が見える。


見慣れたはずの板壁と、

低い庇。


中へ入ると、

さっきまでの音が、背中の向こうに退いた。


朔はポーチへ向かい、

柱のそばで腰を下ろすと、

そのまま背中を預ける。


影は短く、

陽射しはまだ真上に近かった。


「……迷子、か」


その言葉だけが、頭の奥に残っていた。


木の板が、わずかに軋む。


陽はまだ強いのに、

空だけが、もう遠くなっていた。


薄い雲が、

ゆっくりと形を変えながら流れていく。


(……)


朔は、背を預けたまま、

しばらく空を仰いでいた。


「もう帰ってたんだ」


井戸のほうから、桶を抱えたナディアが戻ってくるのが見えた。

中には、洗い終えたシーツが重ねられている。


朔の視線が、籠の中に向いたのに気づいたのか、

ナディアは、手を止めずに言った。


「昨日は洗えなかったでしょ」


そう言って、ポーチの端に桶を置く。

湿った布の重みで、水が少し跳ねた。


「まとめて、洗ってきたの」


何でもないことのように言いながら、

シーツの端を軽く整える。


「アクトは?」


「草引きの手伝いだってさ」


ナディアは一瞬だけ目を丸くして、

それから、表情をゆるめた。


「ずいぶん、仲良くなったね」


朔は曖昧に息を吐いて、視線を足元へ落とした。


「……そう、見えた?」


朔は、無意識に問い返していた。


「うん!」


ナディアは、少しも迷った様子も見せずに答える。


「……今日も走らされたよ」


軽く言ったつもりだった。

そう聞こえればいい、と思った。


ナディアは、洗い上がった布を整えながら、ちらりとこちらを見る。


「疲れた顔してる」


朔は一瞬だけ視線を上げ、すぐに外した。

返事の代わりに、息をひとつ吐く。


「筋肉痛になりそう」


ナディアが、くすっと小さく笑った。


朔も、それに合わせて曖昧に笑う。


——そうじゃない。

本当は、そんな話じゃない。


朔は膝の上で、組んだ指をほどいて、

また組み直した。


それきり、言葉が途切れる。


ナディアは何も言わず、

シーツの端を揃えている。


布を引く音が、静かに続いた。


朔は、指を組み直したまま、

小さく息を吐く。


ちょうどそのとき、

ポーチを抜ける風が、干した布を揺らした。


ぱた、と軽い音がして、

空気が流れる。


ナディアは、洗い上がったシーツの端を整えながら、

庭の向こうを見ている。


昼下がりの光が、白い布に反射して、

影がゆっくりと揺れていた。


「先に、片づけてくるね」


そう言って、

ナディアは籠を抱え直し、家のほうへ向かう。


板の上を渡る足音が、遠ざかる。


朔は、その場に残ったまま、

揺れの収まった布を見ていた。


「……迷子、なんだよなぁ」


風が止み、

ポーチには、昼下がりの静けさだけが残った。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

序盤は数日連続更新です。

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