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期限付きの恋人役をお願いしただけなのに、年下の彼は距離を間違えない  作者: 無明灯


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第2話 噂と圧力

翌朝、オフィスの空気はいつもと同じようで、ほんの少しだけ違っていた。


コーヒーを淹れて席に戻る途中、視線が一瞬、私に集まる。

気のせいかと思ったが、違う。

会釈を返した相手が、すぐに隣の人と小声で何かを話し始めた。


――ああ、まただ。


私は自分の席に座り、パソコンを立ち上げる。

業務メールは山ほどある。

それを処理している間だけは、余計なことを考えずに済む。


「篠宮さん」


午前十時。

呼ばれて会議室に入ると、上司の佐伯が腕を組んで立っていた。


「急で悪いんだけど、ちょっと相談があってね」


相談、という言葉に、胸の奥が嫌な予感でざわつく。

仕事の話ならいい。

でもこの空気は、そうじゃない。


「最近、社内で妙な噂が出てるのは知ってる?」


「……どんな、ですか」


佐伯は一瞬、言葉を選ぶように目を伏せた。


「篠宮さんが“仕事優先すぎて扱いづらい”とか、“誰とも組みたがらない”とか。

 まあ、根拠はない。ただの雑音だ」


雑音。

そう言いながら、彼はその雑音を無視できていない。


「私、特定の人を避けた覚えはありません」


「分かってる。君が一番、周囲に気を遣ってるのも」


佐伯は溜息をついた。


「ただね……こういうのは、論理じゃ消えない。

 君みたいに独身で、立場があって、年齢もそれなりだと……」


それなり、という言葉が、やけに重い。


「“何かある人”にしたがる連中がいる」


私は何も言わなかった。

言い返す言葉は、山ほどある。

でも、それを口にしても状況は変わらない。


「で、だ」


佐伯は少しだけ声を落とした。


「朝倉くんがね。

 君のプロジェクトに、正式に入ることになった」


一瞬、視界が止まる。


「……朝倉が?」


「うん。技術側のまとめ役として。

 君と組ませるのが、一番スムーズだと思ってる」


仕事としては、正しい判断だ。

彼は優秀だし、無駄な感情を持ち込まない。


でも。


「それと、もう一つ」


佐伯は言いにくそうに続けた。


「これも“相談”なんだけど……

 少しだけ、君の“プライベート”が見えると助かる」


意味は、すぐに分かった。


「……見える、というのは」


「例えば、分かりやすい存在がいるとか。

 変な勘繰りをされないための、“分かりやすさ”だよ」


分かりやすさ。

私の人生を、誰かに説明するためのラベル。


「考えてみて。無理にとは言わない」


そう言って、佐伯は会議室を出ていった。


私は一人、椅子に座ったまま、動けなくなる。


仕事は評価されている。

それは本当だ。


でも、その評価は、

「独身で、年齢を重ねた女」という条件付きなのだと、

改めて突きつけられた気がした。


午後。

朝倉と初めて、正式な打ち合わせをする。


会議室に入ってきた彼は、昨日と変わらない無表情だった。

資料を机に置き、淡々と話を進める。


無駄がない。

余計な愛想も、探りもない。


正直、楽だった。


「……ここ、海外側の仕様が曖昧です」


「向こうの担当に確認する。期限は?」


「明後日までに欲しいです」


「分かった」


それだけのやり取り。

なのに、会話がきちんと噛み合う。


打ち合わせが終わり、私が席を立とうとしたとき、

朝倉がふと口を開いた。


「篠宮さん」


「何?」


「……今朝、何かありましたか」


私は一瞬、言葉に詰まった。


「どうして?」


「いつもより、声が低いので」


そんなところまで見ているとは思わなかった。


「仕事の話?」


「いえ。……違います」


彼は言い切る。

根拠はないのに、確信だけがある声音。


「大丈夫です」


私は、条件反射のようにそう答えた。


すると朝倉は、少しだけ眉を寄せた。


「それは、“問題がない”という意味ですか。

 それとも、“話さない”という意味ですか」


思わず、息を呑む。


二択を突きつけられるのは久しぶりだった。

しかも、逃げ道のない形で。


「……後者」


正直に答えた自分に、驚く。


朝倉はそれ以上、踏み込まなかった。

ただ、静かに頷いた。


「分かりました」


それだけ言って、席を立つ。


ドアの前で、彼は一度だけ振り返った。


「でも」


短い沈黙。


「困っているなら、手段を考えることはできます」


私は、言葉を失った。


慰めでも、同情でもない。

解決しようとする、仕事みたいな言い方。


なのに、胸の奥が、じわりと熱くなる。


「……手段?」


「はい。合理的な方法です」


合理的。

その言葉が、ひどく彼らしい。


その夜。

私はソファに座り、今日の出来事を反芻していた。


佐伯の言葉。

噂。

分かりやすさ。


そして、朝倉の視線。


――合理的な方法。


もし、

もしも。


誰かと一緒にいる“ふり”をすれば、

私は説明しなくて済むのだろうか。


期待しない。

深入りしない。

期限を決める。


それなら、

恋愛じゃなくて、いい。


私はスマホを手に取り、

一度消して、また打ち直す。


【朝倉。少し、相談してもいい?】


送信してから、後悔が遅れてやってきた。


――何を言うつもりだ。

――私は、何を求めている。


既読は、すぐについた。


【はい。今、大丈夫です】


短い返事。

余計な感情のない文章。


それが、今の私には、何よりも心強かった。


私は深く息を吸い、

ゆっくりと文字を打つ。


【期間限定で、

 私の“恋人役”を引き受ける気はある?】


送信。


スマホを伏せたまま、

私は天井を見つめた。


これは、逃げだろうか。

それとも、選択だろうか。


少なくとも――

誰にも期待しないまま、

誰かのそばにいられる方法を、私は初めて考えていた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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