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千代に八千代に

作者: 小雨川蛙
掲載日:2025/12/12

 雨の降る社の中。

 水滴が跳ねる音が響く中。


 千代の呼吸が聞こえた。


「あなた」

「どうした」


 千代はもう目を開けない。

 開くこともできない。


「外の天気はどうですか」

「晴れているよ。晴天だ」

「雨は降っていますか」

「いいや。降っていない。晴天だと言っているだろう」


 千代が笑う。

 水面に揺れる風景のように不定形に。


「雨は降っていないのですね。信じられません」

「何故、信じられんのだ」

「雨から生まれたからです。そんな私がもう雨さえも感じられないなんて」


 雨音が強くなった気がした。

 主へ自分達の存在を伝えるように。


「あなた」

「どうした。千代」

「本当に雨は降っていないのですか」

「嘘をついてどうするというのだ」

「そうですね」


 くすりと笑う千代の笑い声がかき消される。

 細雨であったはずなのに、僅か数秒の内に嵐のようだ。


 雷さえも鳴りそうだ。

 だが、雷は鳴りはしない。

 空にはもう神はいないから。

 自分達の主である雷様はもう居ないから。


「雨はもう私のものではないのですね」


 白々しく雨が弱まる。


「当たり前だ。お前はもう人間なのだ。雨を統べるどころか感じることもできやしない」


 どす黒い雨が強まる。


 まるで嘘を咎めているように。

 雷様を娶った矮小な俺の嘘を。


「あなた」

「どうした」

「私は人間になれたのですか」


 雨。


 しつこい。


 馬鹿どもか。

 まだ分からんのか。

 お前達の主はもう人間だ。


「雨の神なのに雨を感じることが出来ない。誰がどう見てもお前は人間だ。お前はもう」


 神様じゃない。


 千代の笑い声が響いた。


「ならば生まれ変わりがありますね」

「あぁ。人間の命は有限だ。神とは違う」

「こうして死んでゆくのに。またあなたに会えますね」

「もちろんだ。千代。だから……」


 俺の最後の言葉は雷に掻き消された。


「千代」


 読んだが返事はなかった。

 死んだのだ。


 外は豪雨。

 今更になり雷が鳴る。

 今まで鳴っていなかったのが嘘みたいに。


「千代」


 雷が鳴った。


 千代のものだろうか。

 そう思ったが、すぐに考えを打ち消した。

 千代のものであるはずはない。

 俺の妻は人間として逝ったのだ。

 故に。


「生まれ変わり、またいずれ再会しよう」


 この言葉が虚しくない。

 落ちる涙が惨めとならない。


 雷が鳴った。

 千代に八千代に続く世界の理。


 今、ようやく世界に戻った音を聞きながら、俺は妻の死を独り抱きしめるばかりだった。

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