板付 3
扉の開く音がする。
結局なにをする気にもならず、俺が広間に入ってから十五分ほどが経っていた。いまだ入り口付近に立っていたせいで、思いのほか近くで鳴った軋みに驚いてそちらを見る。
廊下からやってきたのは女の子だった。ピンクがかったアッシュの髪が印象的だ。彼女は、室内の人間からばらばらと送られた視線を突き返すように睨んで、後ろ手に扉を閉めた。
彼女が中央へと歩いて行くのにつられて室内を見回す。この場にはもう10人が集まっていた。
「全員いる?」
自身の椅子に座っていたダリアがおもむろに立ち上がる。その表情には明白な疲れが滲んでいた。昨日は左右対称の高さで結われていたはずの二つの赤毛は、根本がわずかに緩んでいる。俺と同様そのままの状態で寝てしまって解いていないのかもしれない。
「あの眼鏡の男の子は? えっと」
ダリアより少し離れた椅子から、ミディアムヘアの女の子が返す。想像している顔に対して名前が出てこないらしい。
十二人分の名を覚えきるには、あの奇妙な自己紹介はあまりに短かった。眼鏡の男の子と形容された彼は、確かに現在広間にいない。
「アシュク」
「あ、そう。アシュク」
飛ばした声は、背景音のない部屋には予想外に響いた。彼の名前を繰り返した彼女に、机越しにぺこりと頭を下げられる。
「アシュクくんがまだ来てないよね。寝てるのかな」
言葉が終わると同時、俺の右隣から動くものがあった。確認するより前に、ばん、と破裂音じみたノイズが発されて肩が強張る。右側を向けば、閉められたばかりのドアが開け放たれていた。話をしていた女子が混乱の声を上げる。
本来であれば彼女の反応が普通なのかもしれなかった。いくら舞台を整えられたからといって、台本に沿った行動へと思考が書き換わるわけでもない。
けれど、彼は気づいたのだ。
押された反動で動いている扉に手を置く。廊下に身を乗り出せば、各自の部屋へと続く角を曲がっていくレオの姿が見えた。
アシュクの部屋は、広間から離れた廊下の一番奥にあった。天井や壁の配置にやたらと余裕を持って作られた回廊は、直線にしてなかなかの距離がある。
レオを追って道を曲がると、彼はちょうど突き当たりに立っていた。アシュクの部屋をノックしているのが遠目に分かる。やや粗雑になったらしい力加減が彼の焦燥感を伝えていた。
走り出した足の勢いは毛足の長いカーペットに抑え込まれた。身体が思うように進まず、地に足のつかない感覚がする。それが本当にカーペットのせいで起きているのか、はたまた脳裏に過る光景のせいなのかは分からなかった。ただひたすらに足を動かす。
レオのもとへ辿り着いた時、彼はすでに部屋の扉を開けていた。ルームプレートに刻まれた名前は間違いなくアシュクのもの。天井の照明はついていなかった。
かろうじて見えるのは部屋に立ち入ったレオの後ろ姿くらいのもので、室内に置かれたランプだけが彼の茶髪を照らしている。
光源が中にあるという事実に引き寄せられ、俺は部屋へと踏み入ってしまった。
手紙に綴られた戯曲が実現した次の朝。他の皆が揃った後に、一人だけ起きてこない人物がいる。
あらゆる要素から導き出された結論は最悪な予感となった。
けれど、想像は所詮想像の域を出ない。
覚悟していた視覚が機能するよりも先に、嗅覚が警鐘を鳴らした。一歩近づいたその地点より先への侵入を拒む、どろついた異臭。言い表すならば何だろう。錆びついた手すりに擦れた皮膚、胃の底をぐるりと掻き回す匂い。
「おい、部屋ん中どうなってる」
俺の後ろを走っていた男が少し遅れて入り口に辿り着く。




