ダメ男と疲れた女
達彦
「また今日も五万円負けた」そう言って、スロット台を叩くと、川口直哉は怒りに任せてついでに蹴りも入れた。短気な性格の直哉は何にでもよくキレた。新兵の頃、上官にぶたれて、殴り返したほどの激昂しやすい性格だ。周りは直哉や腫れ物に触るように扱うようになる。それが直哉には気に入らず、また問題行動を起こしては、周りの注目の的になった。自衛隊に入隊してもうすぐ二年になる。いまはそれなりに落ち着いてはきたが、それでも賭け事になると激昂しやすいのは性格上仕方ないのかもしれない。「今日は隊に帰るにもバス賃しか残っていない。誰か探さないと、部屋への土産も買えない」店内はタバコの煙で死ぬほど空気が悪い。そんな中を歩きながら知ってる顔がいないか探す。浜川がいれば金を借りれるんだが、今日は見当たらなかった。そんな時、直哉に「負けたのか?もう金も尽きたか?金欠の貧乏くん」振り向くと上司の菊池が笑いながら話しかけてきた「菊池士長。一万円貸してください。もうバス賃しかなくて。頼みの浜川も今日はいません。来週必ず返すんで、お願いします」菊池の冷たい眼差しに気づかずに直哉は必死に頭を下げる。そんな直哉を菊池は羽交い締めにして「オレの前で物乞いの真似をするんじゃねーよ。ぶっ殺すぞ」そう凄むと、さすがの直哉も怖くなって後退りした。その獲物を逃さないように、菊池は直哉の首根っこをつかみ頬に三度ほどパンチを決めると、無様に倒れこんだ直哉の顔につばを吐き『オスカー』の外へ出て通りへ消えていった。直哉は倒れたまま低いギンギラの天井を見つめて、店に響きわたる中森明菜の『DESIRE』をぼんやり聴いていた。「情けねーなー」強がってはみたが、菊池には逆らえない。ただ殴られるしか方法がなかった。自衛隊に暴力はつきものだ。階級が上のものには絶対に反抗できない。今の直哉には、十分それが理解できた。 達彦がいたら黙って一万円を貸してくれただろう。「まったく、よりにもよっていつもいる奴が今日はいねーなんて、ついてない日だ」直哉はなんとか立ち上がると、ズボンとシャツについたホコリを払い、自尊心をこれ以上傷つけないように店を後にした「五百円玉しかねーや」そう言ってズボンのポケットからタバコを一本取ると『オスカー』の名が刻印されているマッチで火をつけた。「直子に迎えに来てもらうか?土曜日だけど家にいるかどうか。どうにも判断できない。下宿に電話するのもハードルが高い。家主は頑固なじーさんだし」直哉が悩んでいる間にもまた菊池がここに来ないとは言い切れない。直哉は店から離れた電話ボックスに入る。財布からテレホンカードを取り出し挿入口へ入れ『65』の文字を見て「持つべきものは友人じゃなくてテレンカードだよ、まったく」そう独り言を言うと、直子の下宿の電話番号をプッシュする。三回の呼び出し音のあと、いつものじーさんの声が電話口に響く。「もしもし。飯田です」相変わらずぶっきらぼうだ。直哉はグッと我慢して丁寧に直子の名前を告げる。
「川口直子の兄ですが。妹はいますか?」気の遠くなるような思いの中電話ボックスの外を見るとイルミネーションが時を忘れたように輝いていた。
「もしもし。どうしたの?」しばらくして直子の不機嫌な声がした。
「直子か?金欠なんだ。どうにか工面してくれないかな」頭の中は空っぽだった。そこには自衛官としての誇りも何もない。
「開口一番何かと思ったらいきなりお金の無心?見栄も恥じらいもないのね。それと私にはお兄ちゃんはいないんだけど」
「そんなこと分かってるよ。兄貴と言わないと大家のじーさんがうるさいだろ。それぐらい分かるだろ」あーあ。また今日も帰ったら掃除だな。部屋に土産を買っていかないと、残ってる連中怒るだろうな。まだ一等陸士の身で外出してるんだ。あーあ。そう思いながらも直子に金の工面をしてもらわないと、隊に帰るにも帰れない。このまま帰らなかったら....。考えただけでも恐ろしい。
「五千円だけでいいから、盛岡駅に六時半に」と言ったとたんに電話が切れた。たぶん直子があきれて切ったのだろう。痩せ細った直哉の体が電話ボックスで力なく沈むと、まるで時が止まったように、殴られた痕だけがズキズキと痛んだ。
オスカー




