第99話 魔槍の真髄、踏み越える境界
結界の内側で、空気が“薄く”なった。
熱でも、酸欠でもない。
まるで、闘技場という空間そのものが、二人の存在に耐えきれなくなり始めているかのようだった。
観客席では、歓声が次第に途切れ、代わりにざわめきが広がっていく。
「……おい、今の、見えたか?」
「いや……何が起きてる……?」
司祭の一人が、思わず魔符を握り締めた。
(結界負荷、上昇……?
いや、違う……これは……)
砂の舞台、その中心。
ブリューナクは、魔槍をゆっくりと持ち替えた。
これまでとは逆、穂先を下げ、柄を肩口に沿わせるような構え。
それは、刺突のための姿勢ではない。
「不死身」
ブリューナクの声は、驚くほど静かだった。
「槍とは、本来“遠くから突くための武器”だと思われがちだ。
だが――それは半分正解で半分ハズレだ」
彼の足元で、透明だったオーラが“歪む”。
色ではない。
光ですらない。
圧力。
空間そのものが、穂先へと吸い寄せられていく。
「魔槍とは――
“距離・角度・回避”という概念を、殺す武器だ」
次の瞬間。
ブリューナクが、槍を“振るった”。
突きではない。
薙ぎでもない。
空間を、押し潰す動き。
「――ッ!!」
ドーレイは反射的に剣を構えた。
だが、間に合わない。
正面から来たはずの一撃は、
“斜め下”“背後”“真横”から同時に襲ってきた。
視界が歪み、砂が宙で凍りつく。
「くっ……!!」
剣で受けたはずの衝撃が、身体の内側を叩く。
肋が軋み、肺から空気が押し出された。
ドーレイの身体が宙を舞い、砂の上を数メートル転がる。
観客席から悲鳴が上がった。
「吹き飛ばされた……!」
「今の、何だ……!?」
ドーレイは片膝をつき、剣で身体を支える。
口の中に、鉄の味が広がった。
(……これが、“七星の本気”か)
表皮の傷ではない。
内部に、確実なダメージが通っている。
それでも――立つ。
ブリューナクは槍を戻し、静かに息を整えた。
「今のは“空間ごと”ぶつけた。
避けようとした瞬間、その動きを含めて貫く」
淡々とした説明。
誇示ではない。
「普通の相手なら、即死だ」
「……普通じゃなくて、悪かったな」
ドーレイは血を吐き捨て、笑う。
赤黒いオーラが、再び立ち上った。
今度は、明確に“質”が変わっている。
鎧のようだったそれが、
まるで内側から“滲み出す”かのように、皮膚の下を走る。
その瞬間。
ドーレイの胸の奥で、何かが“はっきりと目を開けた”。
〈……まだか?〉
低く、静かな声。
押し付けるでもなく、命令でもない。
ただ、そこに“在る”という事実だけを告げる声。
(……出てくんな。まだだ)
〈お前が望まないのならば、それもいいだろう〉
声は穏やかだった。
〈だが、力がほしいのなら……喰らわせろ〉
(……逆だ。喰らいたいなら、力を寄越せ)
ドーレイの手に、力が入る。
剣の赤黒いオーラが、さらに濃くなる。
しかし、暴走はしない。
あくまで――制御されている。
ブリューナクは、その変化を見逃さなかった。
(……なるほど)
彼の背筋に、冷たいものが走る。
目の前の男は、力を“借りている”のではない。
自分の足で、境界を踏み越えようとしている。
「……いい」
ブリューナクの口元が、わずかに緩む。
「それでこそ――
私が、全てを出す価値がある」
彼は、槍を地面に突き立てた。
瞬間、砂が震える。
槍の柄に刻まれた古い呪刻が、完全に露わになる。
それは魔術ではない。
武器そのものに刻まれた“技の系譜”。
「魔槍奥義――」
ブリューナクが、一歩踏み出す。
「《貫界》」
槍が引き抜かれた瞬間、
闘技場の“向こう側”が、透けて見えた。
結界の向こう。
観客席。
空。
すべてが、一瞬“重なった”。
司祭たちが一斉に叫ぶ。
「結界負荷、急上昇!!
制御が――!」
ドーレイは、真正面からそれを見据える。
逃げない。
避けない。
赤黒いオーラが、剣だけでなく、全身を覆う。
まるで、魔神が、アルマが、顕現しているかのように、全身に赤黒を纏う。
身につけている指輪も呼応するかのように、熱を帯びながら、赤く輝く。
だが、今までとは違う。
内側から、静かに“揃っていく”感覚。
(……寄越せ。その分喰らわせてやる)
〈……ええ〉
アルマの声は、どこか満足そうだった。
〈それでいい。
好きなだけ持っていきなさい〉
次の瞬間。
魔槍が、世界を貫いた。
同時に、ドーレイが踏み込む。
赤黒い斬撃が、真正面からぶつかる。
――――――――――
轟音。
光。
砂嵐。
結界が悲鳴を上げ、観客席が揺れた。
だが――
二人は、まだ立っていた。
剣と槍が噛み合い、互いの間合いが完全に“零”になる。
ブリューナクの瞳が、初めて大きく見開かれた。
「……止めた、だと?」
「……途中まで、な」
ドーレイは、歯を食いしばる。
全身が悲鳴を上げている。
それでも、折れない。
赤黒いオーラの奥で、
確かな“意志”が、剣を支えていた。
観客席は、完全に沈黙していた。
誰もが理解している。
この戦いは――
もう、引き返せない。
次で、すべてが決まる。
七星の矜持か。
それとも“不死身”という名が、序列を壊すのか。
決着は、目前だった。




