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第96話 砂喰い亭の灯り、魔槍の影

 セドランの街灯が見えたとき、三人はほとんど“惰性”で砂馬に揺られていた。


 砂漠の夜風は冷たく、頬を刺す。

 だがその冷たさすら、火照った身体には心地よく感じられるほどだった。


「……着いた、な」


 ジャレドがかすれ声で呟く。


 長時間、ほとんど休みなしで砂馬を走らせてきた。

 砂馬から地面に降り立った瞬間、足は棒のようで、膝から下の感覚があやしい。


「……ここまで、よく落ちなかったわね……」


 ヴェラは冗談めかして言うものの、顔色はまだ白い。

 包帯の下では縫合した傷が、砂馬の揺れのたびにじわりと疼いていた。


「は、初めて、本気で“死ぬかも”って思いました……」


 シエナは肩で息をしながら、オアシスへ続く石畳を見つめる。


 途中、野営と短い休憩のたびにヴェラに治癒魔法を使ったのは彼女だ。

 自分の身体はまともに休めていない。


「今日は、絶対ベッドで寝る……」


 その本音に、ジャレドは小さく笑った。


「安心しろ。今日はさすがに無茶はさせねぇ。

 ……厩舎に砂馬預けたら、あそこだ」


 指さした先に、小さな木の看板がぶら下がっていた。


 《砂喰い亭》。


 揺れる絵柄は、砂の中から顔を出した皿とスプーン。

 取ってつけたような看板だが、灯りは温かく、客の出入りも多い。


 ◇


 扉を押し開けると、琥珀色の灯りが三人を包んだ。


 砂混じりの外気とは違う、油と香辛料、酒精が混ざった重い空気。

 鼻の奥をくすぐる香りに、空腹が急に“悲鳴”を上げる。


 粗い木製のテーブルが並び、壁には砂漠の地図や古びた槍が飾られていた。

 客は傭兵、商人、旅の僧と様々だが、皆一様に砂に焼けた顔をしている。


「おう、いらっしゃい」


 奥から出てきた大柄な店主が、三人の砂まみれの姿を見て目を細めた。


「席はあいてる。飯か? それとも寝床が先か?」


「飯だ」


 ジャレドが即答した。


「三人分。肉があれば肉、スープとパン、できりゃ安い酒も。

 とにかく、腹が膨れりゃなんでもいい」


「任せな」


 店主が厨房へ声を飛ばす。


「砂牛の煮込み三つ、オアシス野菜の炒め、パン山盛り! あと、薄めの酒な!」


 ほどなくして、湯気を上げる鍋と皿が次々とテーブルに並んだ。


 砂牛の肉をほろほろになるまで煮込んだ鍋。

 スパイスの香りとともに、脂と肉汁が表面でゆらゆら揺れている。


 皿の上には、オアシスで採れたという青菜と豆、薄切りの根菜を炒めたもの。

 にんにくと香草の香りが食欲を無遠慮に刺激した。


 パンは外側がかりっと焼けていて、中はふんわりと温かい。

 薄めた酒は、喉を滑り落ちるとほのかな甘味と熱を残す。


「……すごい……」


 シエナの目が、煮込みの鍋に吸い寄せられる。


「遠慮すんな。いけ」


 ジャレドの一言で、三人は一斉に手を伸ばした。


 スプーンで肉をすくい、口に入れる。

 歯を立てるまでもなく、ほろりと崩れた。


 塩気と香辛料の辛さの後から、じんわりと肉の旨味が押し寄せる。


「……っ、おいしい……」


 シエナの肩から、力が抜けるように落ちた。


 ヴェラも小さく息を吐き、パンをちぎって煮込みに浸す。


「内臓に染みるわね、これ……」


「黙って食え。しゃべると味が逃げる」


 ジャレドもがつがつと肉をかき込む。

 ゼルハラを出てから、まともな温かい食事とは縁がなかった。


 三人が無言で食べ続け、ようやく鍋の底が見え始めた頃。


 シエナはスプーンを置き、両手で湯気の立つ椀を包み込むように持った。


「……ご馳走さまでした。

 すみません、本当に……少し、限界です」


 目の下には濃い隈。

 魔力をすり減らした治癒士特有の“空虚な疲労”が滲んでいた。


「今日はここで休む」


 ジャレドがきっぱりと言う。


「明日は――日が昇る前に出るぞ。

 そこで取り返せ」


 ヴェラが横目でシエナを見て、ふっと口角だけを上げた。


「ほら。あんたが倒れたら、私も一緒に倒れるのよ。

 ついでにこの剣呑な男も」


「勝手に巻き込むな」


 そう言いつつ、ジャレドは空になった椀をひっくり返す。


 この夜、三人は久しぶりに“屋根のある場所”で眠りについた。


 だが、眠りは浅い。

 北へ向かう道の先に何が待つのか、誰も知らないからだ。


 ◇


 ──ゼルハラ。


 砂都の市場は、いつにも増して騒がしかった。


「聞いたか? 明日だぞ、明日!」


「不死身と“魔槍”がぶつかるんだってな!」


「前の闘技で、闘神を叩き斬ったんだ。

 その不死身と“魔槍”が正面からやり合うんだ。席なんざ、とっくに埋まってる」


 行商人も、荷運びの少年も、屋台の親父も、話題は一つしかない。


 アレナ・マグナの外周には仮設の酒場や露店が並び始め、普段は静かな裏路地でさえ、闘技の賭け率を叫ぶ声が飛び交っていた。


「七星を舐めんじゃねぇ。魔槍は別格だぞ」


「でもよ、相手は“死なねぇ”不死身だ。闘神グラン・ゼヴァルドを斬った剣を、今度は“魔槍”に向けるんだぜ?」


 砂を踏む足音も、飛び交う怒号も。

 すべてが、明日という一日に収束していく。


 ゼルハラは、嵐の前夜だった。


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