第95話 砂都の朝、決断は剣を呼ぶ
ゼルハラの城門をくぐった瞬間、湿った熱気が肌にまとわりついた。
砂都はいつも通り喧騒に満ちているように見えるが、どこか張り詰めた空気が漂っている。
「……この街も、少し変わったわね」
ヴェラが小さく呟いた。
ワーレンでの災厄は、ここまで空気をざらつかせているのだ。
だが立ち止まっている暇はない。
「シエナ、お前はアレナ・マグナに入れねぇ。まず宿で休んでろ」
「すみません……でも、確かに今の私では足を引っ張りますね……」
シエナは素直に頷いた。
ヴェラのほうを気にしつつも、歩くだけで息が上がるほど疲労が深い。
「無理すんな。ここまで十分過ぎるほど世話んなった」
ドーレイがそう言うと、シエナは胸に手を当て、わずかに笑った。
四人は一旦《赤砂の盃亭》でシエナを部屋に通し、
残り三人は休むことなくガルマの執務室へと急いだ。
◇
ガルマの執務室。
葉巻の煙が天井近くでくゆり、窓の外では砂嵐が低く唸っている。
机に積まれた書類の山はいつもより荒れており、ただならぬ気配を感じさせた。
「戻ったか」
ガルマは、椅子に深く腰を下ろしたまま言った。
「セリナは?」
ドーレイは前に踏み出す。
「そう焦るな、不死身。手は打ってある」
「手を打ってある、だと?」
ジャレドが眉を吊り上げる。
「今回は引き下がれないわ。詳しく話して」
ヴェラの声は震えていたが、決意があった。
ガルマは葉巻を灰皿に押しつけ、椅子から立ち上がる。
「アイリスに協力を依頼した。
あいつの術式で向かう先はもう掴めている。
……お前らが遅いからな。セレナードを向かわせた」
「どこだ? 俺たちもすぐに向かう」
ドーレイが即答すると、ガルマは重い溜息のあと首を振った。
「残念だが……そうもいかなくなった」
机の上に一枚の書簡を投げる。
「不死身。お前に“指名戦”が入った」
部屋の空気が、一瞬で凍った。
「んなもん受けてる暇はねぇ!」
「それがそうもいかんのだよ。不死身」
ガルマはドーレイの首元を指さした。
「その首輪を嵌めてる以上、拒否権はない。
特に今回は帝都の上客からのご指名だ。“選ばれたら出る”――それが奴隷剣闘士の絶対だ」
ドーレイは歯噛みし、拳を握り締めた。
(……こういう時に限って、クソッタレな制度が邪魔しやがる)
「なら不死身抜きで向かう。どこなんだ?」
ジャレドの声は低く冷たい。
ガルマは背を向け、窓の外――砂嵐の向こうを見据えた。
「……北だ」
その言葉には、明確な重さと不吉さが宿っていた。
ヴェラの顔から血の気が引く。
「北……まさか」
ガルマは答えなかった。
その沈黙が、すべての肯定だった。
◇
赤砂の盃亭 奥の個室。
シエナも含め、四人が円卓を囲む。
薄いランプの灯りだけが揺れている。
「……状況は分かった。
俺はすぐに片付けて追う」
ドーレイが静かに言う。
「それまで無理すんなよ」
ジャレドが肩で笑う。
「無理なんざ、いつものことだろ」
ヴェラが椅子にもたれ、息を吐く。
「不死身……あんたの相手も、一筋縄じゃいかないわよ」
ドーレイは麦酒を一気に呷り、口元を拭った。
「七星……か。
──今の俺なら、問題ないさ」
その言葉には迷いがなかった。
だが三人は気づいていた。
その余裕の裏にあるものが、
“怒り”と“焦り”であることを。
そしてそれは、背骨へ向かった少女を必ず救うという――
不死身の男の、揺るがぬ誓いだった。
◇
翌朝。
まだ日の光が砂壁の上にうっすらと差しこむ程度の早朝。
《赤砂の盃亭》の裏口で、ジャレドとヴェラはすでに支度を整えていた。
ジャレドは水袋を確かめ、短剣の刃を指で撫でる。
「上から行くか、下から行くか」
ヴェラは外套のフードを深くかぶり、肩の包帯を押さえながら、
「……弱音を吐ける立場じゃない。死んでも助ける」
と、ぼそりと言った。
そこへ、急ぎ足の小さな影が駆けてくる。
「──待ってください、わたしも行きます!」
シエナだった。
日が昇りきらない薄明の中で、彼女だけが真っ直ぐな眼差しをしている。
「おいシエナ……本気で言ってんのか?」
ジャレドが眉をひそめる。
「これまでとは比べものにならないぐらい過酷な旅になるわよ?」
「はい。でも……昨日一晩、ずっと考えてました。
ヴェラさんは、私がいないとこれ以上旅を続けられる状態じゃありません」
シエナはヴェラを見つめる。
「無理するな、って言われるのは分かっています。でも……
誰かが、あなたを治しながら連れて行かなきゃいけないんです」
その言葉に、ヴェラはわずかに目を伏せた。
彼女は何も返さない代わりに、そっとシエナの肩に手を置く。
「……ありがと。じゃあ、頼りにさせてもらうわ」
シエナの顔がぱっと明るくなる。
「はいっ!」
「よし、決まりだな。今回は地上からまずバルディアを目指す」
ジャレドが腰を伸ばし、砂馬を引きながら言った。
「日の熱が上がる前に出るぞ。……北は遠い、強行軍になるぞ」
三人は白い息を吐きながら、薄青の空の下へと歩き出した。




