第93話 王者と挑戦者、届かぬ天
ゼルハラ最大の闘技場――アレナ・マグナ。
その頂点に立つのは、ただ一人の“チャンピオン”。
そして彼の座に最も近いとされる七つの影――“七星”。
七星の闘技は年に一度、多くても二度。
その希少さゆえに、七星の名が告げられただけで街はざわめき、宿は満室になり、闘技場の前には夜通し行列ができる。
さらに、彼らと“それ以下の剣闘士”との差は、天と地どころではない。
一振りで砂嵐を起こし、一歩で結界を軋ませる――七星の戦いは、もはや同じ人間同士の闘技ではないとさえ囁かれる。
現在の顔ぶれと序列はこうだ。
ニ位 セレナード
三位 ブリューナク
四位 アウステル
五位 グロウザ
六位 カリューネ
七位 空位
八位 パントージャ
七星の名が一つ漏れ聞こえるだけで、市場は静まり、酒場は騒ぎ、子供でさえ息を呑む。
ゼルハラに生きる者なら誰もが知っている――“強者の象徴”。
そして、いままさに。
その七星の一角が、“王者”ラグナ・グレイヴの首を狙わんとしていた。
◇
アレナ・マグナの結界が完全に閉じられると、場内の空気はぴんと張りつめた糸のように静まり返った。
砂を踏む音だけが、異様なほど鮮明だった。
“王者”ラグナ・グレイヴ。
砂に影を落とすその男は、ただ立っているだけで“風が止まる”。
背に負った折れた大剣は、もはや武器というより──巨大な墓標のように見えた。
対する八位・“巨人殺し”パントージャ。
ルギアス派に所属する彼は、肩幅はラグナの倍、腕は丸太のように太い。
振り上げられた青龍刀は、常人の身体ごと両断する質量を持つ。
「行くぞ、チャンピオンッ……!」
莫大な量の灰色のオーラを纏い、低く唸るような声と共に、パントージャが砂を蹴った。
その巨体からは想像もできない速度。
脚力で砂が弾け、観客席の最前列ですら思わず身を引いた。
「おおおおおおッ!!」
青龍刀が弧を描く。
“普通の剣闘士”なら、影すら踏む前に死ぬオーラの一撃。
七星に相応しい破壊力と速度だった。
──しかし。
ラグナは微動だにしなかった。
まるで風の動きを見ているだけのように、顎をわずかに引き、体を半歩だけ捻る。
青龍刀は空を切った。
「な──!」
観客席がざわめく。
そのわずかな動きだけで、ラグナの周囲の砂が“波紋”のように揺れた。
まるで彼の身体そのものが、巨大な圧を発しているようだった。
「まだだぁッ!!」
パントージャは止まらない。
逆袈裟、横薙ぎ、踏み込み、回転斬り──
砂塵が暴風となって舞い上がる。
それでも。
ラグナは一歩も下がらなかった。
避けてもいない。
受けてもいない。
ただ“立っているだけ”で、刃が触れない。
(……触れないだけではないッ)
パントージャの額から汗が落ちる。
青龍刀を叩き込むたび、彼の腕にじわじわと痺れが走った。
刃が弾かれているのではない。
何か“見えない壁”に触れている感触。
観客席の誰かが叫んだ。
「結界が……揺れてる……!?」
そう、結界が震えている。
防御結界は本来、観客を守るためのもの。
戦闘者の攻撃や殺気では揺れないはずだ。
揺らしているのは──ラグナの“闘気”そのものだった。
「……終わりか?」
ラグナが初めて口を開いた。
その声は低く、乾いた砂を踏む音のような淡々とした響き。
「まだなら見せてみろ。
──お前の“全て”を」
「……ッ!!
ふざけんなぁぁぁッ!!」
パントージャが吠えた。
青龍刀に灰色のオーラがぶわりと噴き上がる。
七星に相応しい、一段階上の“階層オーラ”。
「巨人斬りッ!!」
振り下ろされた一撃は、まるで雷鳴。
しかし、その巨人すら両断する一撃ですらも見えない“何か”に弾かれ、砂を裂くだけ。
観客が息を呑む。
そして──
ラグナはゆっくりと、背の“大剣の残骸”へ手を伸ばした。
折れた大剣。
本来なら、ただの鉄の屑。
だが。
ラグナの指先から溢れた漆黒のオーラが、折れた刀身を包み込み──
“刀身そのものを再構築していく”。
黒いオーラが刃の形を形作り、折れた部分は完全な“黒い大剣”となって伸びた。
「なッ……」
その圧倒的な質量に、パントージャの目が見開かれる。
観客席でも誰かが叫んだ。
「来るぞ……!?
王者の一撃が……!!」
ラグナが剣を構える。
その瞬間、闘技場の結界がビリ、と音を立てた。
オーラ量が圧倒的。桁違いなのだ。
「それが全てか?」
ただ一言。
パントージャは本能で悟った。
勝てない。
理解した瞬間、大柄な身体が震えた。
「ば……馬鹿な……!」
だがもう遅い。
ラグナが一歩、踏み込む。
その足音は静かだった。
だが、砂は爆ぜ、観客席まで衝撃が走る。
黒剣が横一文字に振るわれ──
次の瞬間。
七星パントージャの身体は、音もなく崩れ落ちた。
結界が悲鳴のような音を上げ、亀裂が走る。
観客席の外側まで黒い斬撃が伸び、観客の一部がその余波で吹き飛ばされた。
「ひ……ひぃっ……!」
「バ、バケモノだ!!」
「結界が破れた!!」
悲鳴と混乱が渦巻く中、ラグナは一切振り返らない。
青龍刀が砂に突き刺さり、パントージャの巨体が倒れる。
七星の一角、王者に最も近いと言われる存在でさえ──
王者には触れることすらできなかった。
王者と七星の間にもまた、天と地程の差があるのである。
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