第92話 砂の都、頂に立つもの
帝都バル=ゼルンは、いつもの威容とはまるで違う顔をしていた。
街を包む灯火の多くが沈み、救援の旗と血塗れの兵が往来を埋め尽くしている。
通りを走る担架、魔導灯が照らす赤黒い布、焦げた匂い、泣き叫ぶ声。
「……ひどいな」
ドーレイが呟く。
帝都の冒険者ギルドに近づくほど、騒ぎは一段と激しさを増していった。
ギルド前の広場には負傷者が列をなし、医務室へ運び込まれる者、外で応急処置を受ける者で溢れ返っている。
「帝都近郊でも戦いがあったとは聞きましたが……ここまでとは……」
シエナが口元を覆う。
ヴェラは支えられながらも、赤くひび割れた唇を噛んだ。
「ワーレン程じゃないにしても……こっちも想像以上だったのね」
ギルドの中に入れば、さらに混乱は深刻だった。
職員が叫び、魔法使いが治癒陣を展開し、床には血痕が点々と続く。
マルナは負傷者で溢れ返るギルド内部を一通り見渡した後、こちらへ振り返った。
「私はリグとエイベルを探す。ドーレイ、ここまでありがとう」
「世話になったな。また会ったら、そん時はゆっくり酒でも飲もう」
マルナは微笑んだが、その瞳の奥には不安と決意が静かに揺れていた。
マルナと別れ、ギルドの情報掲示板を見ていると、見覚えのある男がこちらへ走ってくる。
「不死身!」
ジャレドだった。
だが表情に笑みはない。
疲労と焦燥、そして苛立ちを抱えた顔。
「情報屋は?」
ドーレイが問う。
「空振りだ。」
「……そうか」
「それよりも、ここに長く留まるのは得策じゃねぇ。十字架の奴らがウロウロしてる」
「十字架ってまさか」
ドーレイが眉を寄せる。
「あぁ。異端審問局の連中だ。ワーレンでの事も広まってるからな」
ヴェラが息をこらしつつ言う。
「……すぐに出発するわよ──」
「待ってください!」
シエナが慌てて制止した。
「一日だけでも!せめてゆっくり治療させてください!」
「私はもう大丈夫よ。ここまでありがとう、シエナ」
「だ、だめです!そんな気力だけで……」
「シエナ。無理だ。こいつは聞かねぇ」
ジャレドが肩をすくめた。
「それなら……私も行きます。やっぱりこのまま放っておけません」
◇
冒険者ギルド外、臨時治療テント──
「……リグ? エイベル?」
マルナは周囲の治療テントを何度も巡った。
しかしどこにもいない。
やがてマルナ達パーティの顔見知りである、肩の低いギルド職員が、震える声で告げた。
「……リグさんとエイベルさんは第一陣として廃砦へ向かわれました」
言いにくそうに視線を伏せる。
「第一陣は全滅だそうです……皆、アンデッドの大群にやられて……」
マルナの指先から力が抜けた。
「……そんな、嘘……」
声が震え、涙があふれた。
◇
ギルドを出て、帝都の市場へ向かうと、ここもまた混乱の余波に晒されていた。
屋台の多くは幕を閉じていたが、食料や保存食、水袋、包帯など、旅に必要な物資を売る商人だけは辛うじて営業を続けている。
「必要なものを揃えるぞ。手早くな」
ドーレイの声に、それぞれが必要なものを手分けして揃える。
塩漬け肉、干し果物、水袋、油ランプ、簡易の治癒薬、呪符。
ヴェラは動けぬながらも、シエナの肩を借りて必要な品を選び、ジャレドは荷物の重量を考えながら要領よく買い付ける。
周囲は避難民や兵士でごった返しており、時折泣き声や怒号が混ざる。
「……帝都も限界寸前ね」
ヴェラがかすれた声を漏らした。
「ワーレンの次はここかもしれません……」
シエナは胸元で小さく祈りの動作をする。
荷物をまとめている間、ジャレドはひとり、少し離れた場所で粗末な木製テーブルに向かっていた。
薄い紙を広げ、短く書く。
──ティアへ。
レアンとマリアも無事だと聞いて安心した。
セリナを追う。
まずはしっかり回復に専念するように伝えてくれ。
今回の礼は必ずする。
字は乱暴だが、迷いはない。
(……あいつらの顔、見れねぇまま行くのも、後味が悪いからな)
封をして立ち上がると、配達依頼所の若い男に銀貨を渡した。
「急ぎでワーレンの冒険者ギルドへ。この名で届けろ。絶対だぞ」
「りょ、了解です!」
男が駆け出すのを確認し、ジャレドは息を吐いた。
「……よし。こっちは済んだ」
荷物の積まれた袋を肩に担ぎ、三人の元へと戻っていく。
◇
帝都の外れ、砂馬を扱う店。
街道沿いに並ぶ砂馬が鼻を鳴らし、砂煙を払うように首を振った。
店主の老人は、かなり疲労の色が見える四人を見るなり、気の毒そうに顔を曇らせた。
「そんな状況で出るのかい……まぁ、止めはせんが。砂馬は丈夫だが無理はさせるなよ」
「助かる。二頭と砂馬車を頼む」
ドーレイは支払を済ませ、砂馬の状態を確かめながら言う。
「シエナ、ヴェラは任せる。揺れはできるだけ抑える」
「はい……気を付けます」
「俺とジャレドが前だ」
帝都の空には未だ煙が漂い、遠くで鐘の音が鳴る。
こうして四人は帝都を後にし、再びゼルハラへ向かう旅に出た。
◇
──ゼルハラ。アレナ・マグナ。
本日は満員御礼と掲げられ、砂都最大の闘技場は歓声で揺れていた。
しかし、その熱狂の中心に立つ二人は、異様だった。
チャンピオン、ラグナ・グレイヴ。
背に折れた大剣を負い、身体には黒曜石のような漆黒のオーラを纏っている。
対するは挑戦者、七星パントージャ。
筋骨隆々の巨漢で、手には巨大な青龍刀。
「いけぇぇぇパントージャ!!」
「チャンピオンを倒せ!!」
観客の声が渦を巻く中、観客席中央にある壇上では、司祭たちが魔符を起動させ、詠唱を始める。
砂の上に紋章が浮かび、幾何学模様が淡い光を帯びて広がっていく。
ざわついていた場内が、徐々に静まり始めた。
光は弧を描き、観客席を包み込むように天へと伸びる。
薄い透明膜が張られ、空気そのものがわずかに震えた。
「──結界、起動します!」
司祭の声が響く。
まるで巨大な生き物が息を吸い込むかのように、
闘技場全体が“閉ざされた”。
透明な結界が完成し、観客がどよめき、再び歓声が弾ける。
「おい、見ろよ……いつもの結界よりも分厚いぞ……!」
「七星とチャンピオンが、やり合うんだからな……!」
どよめきが熱を帯びていく。
砂を踏む二人の足音だけが、異様なほどはっきりと聞こえた。
チャンピオン──ラグナはゆっくりと顎を上げ、挑戦者を見下ろす。
パントージャは、青龍刀を肩に担ぎ、息を殺してその威圧を受け止めていた。
風が止む。
結界の中に、張りつめた沈黙が落ちる。
そして──
闘技は、今まさに始まろうとしていた。




