第91話 使命と目的
ワーレン港の倉庫街は、すでに街の原型を留めていなかった。
石造りの倉庫は半壊し、木材の梁が黒く焦げ落ち、黒霧の名残がまだ地面に湿りついている。
潮風が通るたび、焦げた匂いと血の匂いが交互に鼻腔を刺した。
その瓦礫の中を、四つの影が慎重に歩く。
「……このあたりなの?」
マルナが崩れた壁をどけながら呟いた。
烏の潜伏拠点。
セリナが囚われていた可能性が高い、倉庫街地下の通路。
しかしそこは、とっくに地形が崩れ、何がどこへ続いていたのかさえ分からなくなっている。
「間違いない……ここよ。」
ヴェラは息を荒げつつも、執念のような眼差しで瓦礫を睨んでいる。
シエナは必死に支えながら、
「もう少しだけ休んでください。本当に……」
と、涙声で訴えていた。
「ヴェラ、お前……」
「……黙ってて。私が巻き込んだのよ」
ヴェラの声は震えていた。
悔しさと、自分を責める気持ちと、焦りと――その全てが混ざっていた。
だが、考える時間はない。
「──あった」
ドーレイが瓦礫の下から鉄扉の残骸を引き上げる。
「地下へ続いてた場所だな」
問題は、その“先”だった。
鉄扉の裏側、崩れた階段の下には──
乾いた血がこびりつき、壁中に爪痕のような傷が並ぶだけ。
人影はひとつもない。
「……誰も、残ってないね」
マルナの声が暗闇に吸い込まれていく。
ドーレイは、しばらく沈黙したあと。
「へこたれてても仕方ないだろ」
低く、しかし迷いのない声で言った。
「あいつは強い。
必ず生きてる……何か情報がないか片っ端から聞いて回る」
「情報屋はいないの?」
マルナがシエナの方を見る。
「ワーレンにも……いるにはいますけど」
シエナは瓦礫の向こうを見つめながら続ける。
「今回の騒動で、生き残ってるかどうか……」
「行ってみる?」
マルナが問う。
「行く」
迷いなど一つもなかった。
四人は港を離れ、ワーレン西区へ向かった。
◇
──ゼルハラ、エルディア執務室。
月明かりに照らされた部屋の中で、二つの影が向かい合っていた。
一人はエルディア。
そしてもう一人は、灰色の修道服に白い肩掛けをした男。
影の中でも目だけが異様な光を宿していた。
「……そう。ついに動いたのね」
「はい。それと、ヴァロニス公爵はおっしゃいました。“不死身をこちら側に引き込めなければ、片付けろ”と」
エルディアはあざ笑うように微笑む。
「こちら側につけるのは無理よ。あれは“煙の匂いが染みついた古狸”がついているもの。
誰が近づいても噛みちぎられるわ」
「いいわ。指名戦の段取りは、私がしておく」
「かしこまりました。……では、闘技にて殺します」
男の足音がゆっくりと扉へ向かう。
「頼んだわよ、ブリューナク」
その名を呼ぶと、男はわずかに振り返り、深く礼をした。
部屋の窓から差し込む月光が、男の瞳を妖しく照らす。
◇
──ワーレン西区。
情報屋の拠点は、三段ほど地下へ潜った石造りの路地裏にある……はずだった。
しかし今は死体と瓦礫の山。
「……どこにもいないな」
「痕跡も消されてる」
シエナがそっと地面に手を触れる。
「死んでる……のか?」
「それは……わかりません。ただ、逃げた形跡も……」
マルナが眉を寄せる。
「行き詰まり、ってこと?」
ドーレイは顎に手を当て、しばらく考え込む。
「……ガルマに連絡してみるか」
「……そうね」
「文句言われるのはわかってるが、一旦報告しておく頃合いだしな」
ギルドへ戻り、通信魔道具を借りる。
光が揺らぎ、ガルマの荒々しい声が響いた。
『おう不死身。生きてたか』
「まぁな。聞け、セリナが見つからない──」
ヴェラとドーレイが端的に説明すると、ガルマはしばらく沈黙した。
『……一度戻れ。不死身』
「いや、このまま追う」
『追う?どうやってだ?』
「どうにかするしか──」
『無理だろ、猪野郎が。行き先もわからん、敵も見えてない。
どう考えても仕切り直す必要がある』
「……ッ」
『ゼルハラに戻れ。不死身。俺に“当て”がある』
「当て?」
『聞こえただろ。戻れ』
通信は一方的に切れた。
ドーレイは魔道具を机に叩きつける。
「クソが!!毎度毎度回りくどい!」
ヴェラは肩をすくめる。
「……帝都でジャレドと合流してから、ゼルハラに一度戻りましょ。不死身」
マルナも頷く。
「帝都に戻るなら私も。リグとエイベルも心配してるはずだし」
シエナは肩を貸しながら苦笑する。
「ヴェラさん、その身体じゃ旅なんて無理です。
……って言っても、聞かないですよね。
わかりました。私も行きます」
ドーレイは大きく息を吐き、うなずいた。
「なら決まりだ」
◇
──ゼルハラ、ガルマの執務室。
重厚な机の上に、乱雑に積まれた書類の山。
その奥でガルマは椅子に反り返り、葉巻を噛んだまま呟いた。
「聞いてたな?」
「はい」
返したのは、黒髪の女性。
端正な顔立ちに長い黒髪、腰にはニ本の剣。
「不死身の野郎とセットにしときゃ何とかなると思ってたが……
手元に置いときゃよかったな」
「結果論です。それに、今は策を講じるべきかと」
ガルマは煙を吐き、
「回復していきなりだが……しっかり働いてもらうぞ、セレナード」
彼女は微かに微笑む。
「もちろんです。長く休みすぎましたから」
その瞳は静かに燃えていた。
◇
──ワーレン仮設キャンプ。
帝都へ向かう前に、四人はエルガのテントへ足を運んだ。
蝋燭の光に照らされたベッドには、まだ意識の戻らないエルガが横たわっている。
「エルガ……私たちは先に戻るわ」
ヴェラがそっと手を握る。
「起きたら、ゆっくり話がしたいわ……」
シエナは祈るようにその胸元を撫でた。
「大丈夫です。峠は越えましたから」
そして四人は、帝都への道へ向かった。
◇
──テントの中。
四人の気配が完全に遠ざかった頃。
エルガの指が、わずかに動いた。
そして、ゆっくりと目を開ける。
「……ふぅ」
重い呼吸を整えると、枕元に置かれた小さな通信魔道具へ手を伸ばす。
「……すまない」
低く、苦しげな声で呟く。
やがて魔道具の光が明滅し、柔らかな女の声が返ってくる。
『時が来たわ。あなたの使命と目的を思い出して』
「……わかっている、エルディア」
エルガは目を閉じ、拳を握った。
誰にも見せたことがない、別の顔で。
そして、通信は静かに切れた。




