第83話 闇覆う港、崩れゆく境界線
倉庫の奥から溢れ出した黒霧が、足音もなく地面を這い、気づけば周囲は骸骨兵で埋め尽くされていた。
「マリア!! レアン!! ティア!!」
ジャレドの怒鳴り声が倉庫に響く。
「エルガさんを背負いました!」
レアンが叫ぶ。背中には血に染まったエルガ。
「女の人も……っ、意識が……!」
マリアは泣きそうな顔でヴェラの腕を掴み、引きずるようにして外へ向かう。
ジャレドが三人の前に立ち、骸骨兵の斬撃を受け止めた。
「くっ……数が多すぎる!! 急げ!!」
ジャレドはトマホークを横薙ぎに振り抜き、黒霧ごと骸骨兵を弾き飛ばす。
刃にまとわせたオーラが火花を散らすように白く弾けた。
「逃がすかよォッ!!」
ナザールが黒い瘴気をまとって迫る。
その目は完全に黒く染まり、白目さえ失われていた。
「テメェは俺が相手だァッ!!」
「上等だ!!」
ジャレドは地面を蹴り、三人と距離を作りつつナザールへ向き直った。
「全力で走れぇ!!」
「はいっ!!」「行きます!!」「っ……ジャレドさん、必ず生きて!!」
三人は瓦礫と死臭の中を抜け、港と街を繋ぐ大門へと走り出した。
その背中へ迫る骸骨兵へ、ジャレドのトマホークが飛び、首をまとめて弾き飛ばす。
(囲まれたら……一瞬で終わる。
絶対に逃がす……!!)
「逃げんなよォ、奴隷!!」
黒い霧が再び膨れ、
ナザールが獣のような速度で迫る。
ジャレドはアームガードで刃を弾き、残っているトマホークでナザールの脇腹へ斜めに叩き込んだ。
「ぐあッ……!!」
「しつけぇんだよ!!」
ジャレドは怒号とともにナザールを蹴り飛ばす。
骸骨兵が三体、横から飛びかかってくる。
ジャレドは髪を振り乱しながら後方の扉へ走り、ナザールの追撃を遮断する形で倉庫外へ飛び出した。
(間にあえ──!)
黒霧の中から伸びる骨の指が、ジャレドの背に触れかけた。
だが──
潮風とともに視界が開け、港の光が一気に差し込んだ。
「……ッ!!」
ジャレドは横へ転がり、海へ向かって一直線に走った。
骸骨兵が数体、後を追って飛びかかってくる。
「しつこいんだよォ!!」
ジャレドは走りながらトマホークを後方へ放つ。
回転する刃が骸骨兵の頭蓋を次々と砕いた。
そのまま海へ飛び込む。
冷たい海水が全身を包み込むと同時に、上から黒い影が次々と落下してきた。
(……くそっ、海にまで……!!)
骸骨兵3体が海中へと沈み、ナザールの黒霧が海面を覆う。
ジャレドは息を止め、深く潜り、
海底の大岩を蹴って横へ流された。
──やがて、追手の気配が消える。
海面へ浮上したジャレドは大きく息を吐いた。
「……はぁ……はぁ……ッ。
さすがに死ぬかと思った……」
黒い霧の影響で揺らめく港を見つめながら、ジャレドは濡れた前髪を払い、岸へ上がった。
(そんなことより……)
「セリナはヴェラと一緒かと思ってたが……
さて、どうやって探すか」
◇
──ワーレン・港門。
港と街を結ぶ門では、すでに港側から駆け込む人で溢れかえっていた。
「アンデッドが! 黒い霧が……!!」
マリアが叫びながら駆け込む。
「負傷者も……っ!! 助けてください!!」
ティアが震える声で叫んだ。
門に詰める兵士達はすぐに表情を変えた。
「アンデッドだと!? 本当なのか!」
「はい! 倉庫群全体が……!」
怒涛のように港から押し寄せる人々。
後ろには黒い霧が立ち込めている。
「門を閉めろぉおおッ!!」
巨大な鉄門が軋みを上げながら降り始める。
だが──
「待ってくれッ!! 家族がまだ港に!!」
「頼むっ! 中に入れてくれ!!」
「嫌だッ!! 閉めるな!!」
人々が押し寄せ、門の隙間へ雪崩れ込んでくる。
「やめろ! 押すな!!」
「門兵長! もう閉めないと!!」
港の奥から黒い霧がうねるように広がり、
骸骨兵が人々へ襲いかかった。
「ぎゃあああっ!!」
「助けてくれ!!」
門兵長は歯を食いしばった。
「……閉めろッ!! 今すぐ閉めろ!!」
鉄門が無慈悲に降り、門の外で叫ぶ人々が押し潰されるように取り残された。
門が閉じきると同時に、外は断末魔と肉を裂く音に満たされ──
静寂。
「……鐘を鳴らせ!! 非常警報だッ!」
ワーレン中に、重い鐘の音が響き渡った。
──ゴォォォン、ゴォォォン……!!
「急いでギルドへ!!」
エルガを背負いながら、レアンが叫ぶ。
マリアとティアは泣きながらヴェラを支え、
三人は冒険者ギルドへ全速力で駆け込んだ。
◇
──ワーレン冒険者ギルド。
緊急事態の鐘の音を聞き、ギルド内も殺伐としていた。
「負傷者ですっ!手を貸してくださいっ!」
マリアが泣きながら叫ぶ。
ギルド職員数人がすぐに入り口に倒れるマリア達の元へ駆けつけ、エルガの腹部を見て青ざめた。
「これ……ただの負傷じゃない……!」
「呪いが混じってる!?」
「そっちの女性もかなり深刻よ!ベッドへ!!」
「教会の高位治癒士を呼べ! ギルドの手当てじゃ焼け石に水だ!!」
責任者らしきギルドマスターが走り出てくる。
「状況を説明してくれ!!」
「港の倉庫街で……アンデッドが大量に……!!」
「黒いローブの男が……!」
報告が終わる前に、ギルドマスターは叫んだ。
「全員へ伝えろ──街全体に避難指示だ!!
冒険者を全員招集しろ!!
港門が突破されるぞ!!」
倉庫街ではすでにアンデッドが溢れ、
黒霧は街の縁に迫っていた。
「討伐隊を三隊編成しろ!
第一隊は倉庫街へ、第二隊は住民避難誘導、第三隊は街門角で待機!!」
ギルド全体が、戦場のような騒然とした空気に包まれた。
◇
──砂丘地帯。
「下がれ!! 深追いするな!!」
マルクトが叫び、剣を構える。
タウロス・ネクラの咆哮が砂丘を揺らし、
冒険者たちの心を粉砕する。
「ぐっ……腕が……!!」
「仲間がッ……!!」
地獄のような光景だった。
聖女プリシラは白い光を手に集めようとしたが、
魔力が空になり、その場に崩れ落ちた。
「聖女様!! お下がりを!!」
リシアとアルネスが二人で殿を担い、
迫る骸骨兵を斬り伏せていく。
「マルクト様、聖女様と先へ!!」
「退くぞッ!! 残れる者だけでいい!!」
生き残った冒険者は十名にも満たなかった。
砂丘の向こう──帝都が霞んで見えた。
◇
──帝都手前・防衛陣地。
砂丘を越えて姿を現したマルクトたちを
最初に見つけたのは――漆黒の外套を羽織った男だった。
「負傷者確認──医療班、前へ!」
低く響く声と同時に、周囲が慌ただしく動き出す。
男は背に十字架の大剣を背負い、周りには三冊の光り輝く魔導書を浮遊させている。
鋭い眼差しは迫り来る砂煙を見据えている。
彼こそ帝都異端審問局第一課を率いる男、グロービス。
その隣には二名の審問官が控えていた。
一人は銀髪の短髪で、細身の剣を腰に下げた女。
言葉より先に動くような者で、気配を殺して前へ出る。
名はセラ。
もう一人は赤毛の若い女審問官。
周囲の瘴気の流れを敏感に察し、
「……嫌な波動が近い」と呟いた。
彼女がミリア。
グロービスが短く問う。
「状況は?」
マルクトが聖女を支え、肩で息をしながら応じた。
「……アンデッド化したミノタウロスと数百のアンデッドだ。」
「……上位の光魔法でも通じませんでした。お気をつけを」
「タウロス・ネクラか。
マルクト、貴様は下がっていろ。
聖女様も一旦お下がりください」
「リシアとアルネスがまだ……頼む」
マルクトはその場に倒れ込む。
近くで指揮を執っていた重鎧の女性が振り返った。
「帝都防衛隊、全軍配置完了。いつでも迎撃に移れる」
鋼のように凛とした声。
片手剣と巨大なラージシールドを構え、
砂丘の向こうの闇を睨みつけている。
帝都防衛隊隊長、ブリュンヒルド。
後ろには整然と並ぶ帝国兵二千、
そしてさらに後ろには教会から派遣された、祈りを捧げるシスター二十名の光が揺れていた。
グロービスはわずかに顎を引き、短く言う。
「──ここが帝都の最終防衛線だ。
死者の軍勢といえど、一歩も通すな」
緊張した空気が、帝都前の大地に張りつめた。
◇
──大型船・甲板下層。
暗い船倉の中。
黒き三日月の刻印が床に描かれている。
揺れる灯りの中で、トゥリオが椅子に腰を下ろしていた。
「……まぁ、上手くいってるようで何よりだ」
彼の足元には、鎖で拘束され、
ぐったりと横たわる少女がいる。
「……治癒士の女。
死なすには惜しいからな。
お前には“別の用途”がある」
船が大きく揺れる。
ワーレンの港を離れ、
闇へと向かって進んでいく。
「さぁ……帝都の奴らを踊らせてやろうぜ」
トゥリオの笑みが、闇の中でゆっくりと歪んだ。
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