第82話 黒き媒介、奔る死の軍勢
薄暗い地下神殿の壊れた祭壇前に、黒い焚き火のような瘴気が渦を巻く。
「大司祭ロズ・ネ=ズール様。タウロス・ネクラは帝都へ向け進軍しております。」
中央に立つ男が、ゆっくりとフードを外す。
無数の刻印が刻まれた灰白の肌。
瞳は血のように赤く濁り、口元に不気味な笑みを湛えている。
「……ふむ。それよりもあれを倒す者がいたとは驚きだ。
“アルガ=ミノタウロス”。第五級災厄を殺すなど、普通はできぬ」
その隣に立つのは、四級冒険者は仮の姿──トゥリオ。
「帝都の番人共の仕業じゃないのか?」
ロズが低く言う。
「それはない。あそこはまだ隠し通せていた。」
「何者かわからんが、だからこそ計画を前倒しする。
“あれ”を殺せる者がいるなら──帝都への侵攻は急ぐべきだ。まだ奥の手も残してある。」
「契約していた日は……もっと先だ。
そもそも仕入れの頭数が全然足りてない」
トゥリオが苛立ちを隠さず言い返す。
「構わん。残りの金も先払いしてやる。今いる分を全て死体で寄越せ」
ロズの周囲に黒い霧が集まり、床の紋章がわずかに光った。
「わかったよ。首領には俺から伝えとく。」
トゥリオは眉をひそめる。
(……ミノタウロスを倒した?
まさか……)
頭に浮かぶのは白金の首輪をつけた一人の剣闘士。
崩落に巻き込んだ時、確かに“落ちた”。
地盤が崩れ、闇の底に──常人なら即死だった。
(上手くあの女から引き剥がせたし、確実に落ちて死んだはずだ。)
トゥリオは胸に手を当て、自分へ言い聞かせる。
「……攫った奴らはワーレンの牢に全員ぶち込んである」
「ちょうどいい、ならばそこで死の軍団をつくりあげる」
ロズは小さく微笑んだ。
「転移するぞ。」
闇が蠢く。
◇
──ワーレン港・烏のアジト倉庫。
「オラァァッ!!」
ジャレドのトマホークが唸りを上げ、ナザールの肩口を抉る。
「ぐっ……くそがッ!!」
ナザールは黒い瘴気を吹き散らしながら後退するが、
背はすぐ倉庫の壁にぶつかった。
「お前……臭ぇな。
何だその黒い霧は?」
「黙れェェェ!!」
ナザールの灰色のオーラが黒へと侵食されていく。
黒い血管のような紋が腕に浮かび、目の白目さえ濁っていく。
ジャレドはゆっくりと歩を進める。
「お前の刃は軽い。
心が腐れば、剣も腐る。
よく覚えとけ」
「うるせぇッ!!」
ナザールが突き出した黒刃を──
ジャレドはオーラを通した板金アームガードで受け止めた。
ギギギギギッ!!
(……確かに力は強ぇが)
(剣筋もオーラの制御もメチャクチャだ)
ジャレドはそう判断すると、反撃に転じた。
トマホークを逆手で握り、
ナザールの脇腹に横薙ぎの一撃。
「ぐああああっ!!」
ナザールが吹き飛ぶ。
(押している……!)
(このまま仕留める!!)
ジャレドは距離を詰め、
渾身の力で振り下ろす。
「──これで終わりだッ!!」
刃がナザールの喉元へ迫った、その瞬間。
「……這い出ろ。亡者共」
倉庫の奥から、黒い球体が二つ、ふわりと浮かび上がった。
球体はひび割れ──
パァンッ!!
黒い霧が爆裂し、倉庫全体に広がる。
「ッ──!」
ジャレドが反射的に後退した。
霧の中から現れた影たち。
「骸骨兵……!? 数が……多い……!」
レアンの声が震える。
「ちっ……!」
マリアがヴェラを抱え直す。
「エルガさんの傷、まだ止まってないのに……!」
黒霧の中心。
そこから、ローブをまとった四人の影が現れた。
「……我らが黒き主の御子へ。
死の軍勢、ここに集え」
大司祭・ロズが静かに告げる。
床の紋章が黒に染まり、
骸骨兵が十体、二十体、三十体と増えていく。
「くそっ……! 化け物どもが!!」
ジャレドが叫び、構え直す。
「お前らは二人を連れて逃げろ!!
ここは俺が──」
「ジャレドさん!! 後ろっ!!」
マリアの声。
ジャレドが振り返ると──
ナザールが黒い霧から再び現れていた。
「フヒヒ……終わりだよォ、クソ戦士」
黒い目。黒い瘴気。
さっきよりも“深く汚れた”ナザールが、そこにいた。
◇
──砂丘地帯・討伐戦線。
「下がれ! 戦線を下げろ! 囲われるぞ!!!」
マルクトが叫ぶ。
タウロス・ネクラが地面を踏みしめるたび、
砂丘は陥没し、冒険者が次々と吹き飛ばされる。
「光よ、闇を穿て── 《ホーリー・ランス》!」
聖女が光の槍を十数本放つ。
だが、タウロスの黒角がそれを弾き返した。
「くっ……もう……魔力が……!」
聖女が膝をつく。
「プリシラ様、下がってください!!」
「護れ!!」
異端審問官たちが前に出るが──
状況は悪化する一方だった。
「マルクト様! 後方からアンデッドがさらに……!
砂丘の後方、北側からも……!」
「ひ…… 百……いえ、三百は下らない数です!!」
異端審問官アルネスが叫ぶ。
「……包囲されてしまう。このままではまずい!!」
リシアが剣を握り直す。
「帝都への応援要請は!?」
「成功しました! 第一課を含む精鋭が帝都手前に陣を張ってくれています!!」
「なら──退くぞ!! 戦線を下げろ!!
帝都手前で食い止める!!」
マルクトの指示が戦場全体へ響く。
冒険者たちが怪我人を背負い、
砂丘地帯を後退していく。
後方から、タウロス・ネクラの咆哮。
「グオォォオオオオッ!!!!」
黒い瘴気が砂丘全体を覆い、
アンデッドの大軍勢がその後に続いた。
帝都への侵攻が、今まさに始まろうとしていた──。




