第80話 砂海の戦禍、黒角の足音
廃砦と帝都のちょうど中間あたり。
砂丘が連なる広大な砂原に、乾いた風が唸り声のように吹き抜けていた。
日中の余熱がまだ砂に残っている。
夕陽の光を受け、砂丘が波のように影を落とす。
その静寂を最初に破ったのは──骨が擦れる音だった。
ガシャ……ガシャ……!
「前衛、下がれ! 挟まれるぞ!」
異端審問官マルクトの低い声が響く。
砂丘の影から、骸骨兵が列をなして現れる。
朽ちた武具を持つその群れは、ただの雑兵とは明らかに違っていた。
「……何で数だ。それに“通常の骸骨兵”とは別物ですね」
アルネスが冷静に分析する。
「魔力反応も強すぎる。何かしらの“強化”がされてるのは確かだわ」
リシアが眉を寄せ、十字架の剣を構え直した。
三人の異端審問官を中心に、一級冒険者から三級冒険者まで総勢三十名ほどの部隊が陣形を取っていた。
だが──
「くそっ、硬い!スキルでも倒しきれない!」
「オーラを扱えないやつは足手纏いだ!引け!」
周囲の冒険者たちは手を焼いている。
通常の骸骨兵なら散発的な魔力で動く程度だが、
目の前の“それ”は違う。
骨同士が黒く結合しており、動きも滑らかで速い。
「気を抜くな。
……アルネス!右だ」
マルクトが低く告げると同時に、背後から骸骨兵が飛び出した。
カァンッ!!
交差する十字架の剣──アルネスがいなして、リシアが切り返す。
審問官三人は手こずってはいない。
だが、その“集中力”は普段より明らかに求められていた。
「プリシラ様!」
冒険者の一人が叫ぶ。
押し返され、骸骨兵がじりじりと隊列へ迫る。
「任せてください」
プリシラと呼ばれた、白いローブの聖女が一歩前に出た。
静かに、目を閉じる。
「──《サンクチュアリ》」
光が、爆ぜた。
夜を切り裂くほどの眩い閃光。
砂原に巨大な魔法陣が展開され、無数の光の槍が降り注ぐ。
骸骨兵の群れが一斉に光へ沈んだ。
砂丘の影と光が交錯し、骨が砕け散る音が広がる。
「……さすが聖女様……!」
「一掃したか……?」
その希望が、束の間だった。
ドォン──!!
地面が、揺れた。
空気が振動するほどの重い足音。
砂丘が崩れ、黒い影が姿を覗かせる。
アンデッドのミノタウロス──
タウロス・ネクラ。
黒い瘴気をまとい、胸が脈動し、
折れた角の代わりに漆黒の刃角が生えている。
「……この目で見るまでは信じられなかったが……ミノタウロス、本物だ!」
「やはり儀式痕……間違いありませんね」
アルネスの声が震えた。
タウロス・ネクラは、光魔法で焼かれた骸骨兵の残骸を踏み潰しながら進む。
「構えろ……来るぞ!!」
その咆哮は、砂丘を震わせ、夜空を裂いた。
◇
──港町ワーレン
街に赤橙の光が差し、潮風が冷たく変わり始める時間。
待ち合わせの宿《砂と海》の前で、ティアが空を見上げた。
「……もう日没ですね」
「エルガの野郎……何やってんだ」
ジャレドが舌打ちする。
「まさか、一人で動いたんじゃ……」
マリアが眉をひそめる。
「あの人ならやりかねない」
レアンが短く言った。
「烏のアジトの場所、目星はついたけど……どうします?ジャレドさん」
「決まってるだろ!!」
ジャレドが宣言すると同時に、四人は走り出した。
赤い夕陽の残光を背に、港の倉庫街へ向かう。
◇
エルガは三人いた見張りを一瞬で斬り伏せた。
呻く暇さえ与えず、静かに地へ倒れさせる。
倉庫の扉を押し開けた瞬間──
熱でもなく、冷気でもない、“嫌な空気”が肌を撫でた。
暗闇ではない。
天井の魔道灯が青白い光を落としている。
広い空間の床には──巨大な“烏の紋章”。
「……当たりだな」
エルガが踏み込んだ瞬間。
「やっとお出ましかよ」
奥の影から声が落ちてくる。
フードを被った男がゆらりと歩み出る。
「……ヴェラはどこだ」
「そんな焦んなっての」
男はその手でゆっくりフードを外した。
その顔を見た瞬間、エルガの呼吸が止まる。
「……馬鹿な」
細い笑み。
冷たく光る黒い瞳。
灰色のオーラに似た、しかし以前とは比べものにならない禍々しい気配。
「フハハ……いい反応だ。
てめぇもあの女も、想像通りのツラしてくれて嬉しいぜ」
「……確かにあの時、殺したはずだ」
「地獄から舞い戻ってきたんだよ」
ナザールの全身から──黒い瘴気が噴き上がる。
「貴様を殺すためになァ!!」
床の烏紋章が黒く濁り、空気が悲鳴を上げる。
エルガは剣を抜いた。
白いオーラが、静かに、しかし確かに立ち昇る。
「……今度こそ息の根を止めてやる」
「言ってろよォ!!」
黒と白のオーラが、倉庫の中央で激突した。
爆ぜる衝撃音が、港の静寂をぶち破った。




