第8話 酒場の喧騒と、七星“血の歌姫”
市場の散策を終え、セリナに連れられてさらに足を運んだのは、街の酒場だった。
「オアシス都市ゼルハラの賑わいを知るには、ここも外せませんよ」
そう彼女は言ったが、俺にとっては異国の習慣も文化もまだ分からない。
どんな場所であれ、ただ従うしかなかった。
昼間だというのに酒の匂いが充満し、笑い声と喧騒が渦巻いている。
木製のテーブルに腰を下ろすと、周囲の視線がこちらに集まるのが分かった。
「……あれ、剣闘士だぞ」
「しかもアイアンランクじゃねぇか。最底辺のくせに、酒なんざ飲んでんじゃねぇよ」
囁きと嘲笑が飛んでくる。
セリナが慌てて間に入った。
「気にしないでください。ここは庶民の酒場ですから」
だが、数人の男たちが立ち上がり、俺のテーブルを囲んできた。
「奴隷剣闘士が人間扱いされると思うなよ」
「闘技場の見世物が酒なんざ飲むな」
拳を握りしめる。
胸の奥に、社畜時代に浴びせられた罵声が重なった。
(……またかよ。ここでも、下に見られるのか)
立ち上がろうとした瞬間、セリナが袖を引いた。
「ダメです! ここで手を出したら、あなたが処罰されます。剣闘士は闘技場の中だけで戦うものなんです」
……悔しい。だが、確かにその通りだ。
ここで暴れれば自由は遠のく。
⸻
その時、酒場の扉が開いた。
ひとりの剣闘士が入ってくる。
漆黒の髪、深紅の瞳。舞台衣装のような軽装に、腰には細身の双剣。
ただ歩いてきただけで、酒場の空気が一変した。
笑い声が止まり、杯が空中で凍り付く。
演奏をしていた吟遊詩人まで音を途切れさせた。
店内すべての視線が、その女へと吸い寄せられる。
「……セレナード」
誰かが小声で名前を呼ぶと、絡んできた男たちが一斉に黙り込んだ。
さっきまでの威勢は霧のように消え、椅子を引いて道を空ける。
セリナが小さく息を呑む。
「“血の歌姫”セレナード……。アレナ・マグナの七星の一人です」
「七星……?」
思わず聞き返すと、セリナは真剣な表情で説明した。
「チャンピオンに最も近いとされる七人の剣闘士。実力だけでなく、観客の人気や熱狂も含めて選ばれる、闘技場の象徴のような存在ですよ」
セレナードは群衆の視線を気にも留めず、奥の席に腰を下ろした。
二本の剣が腰でわずかに揺れ、まるで舞台の幕が上がる前の楽器の調律のように、空気を張り詰めさせている。
その所作ひとつすら舞踏の一幕のようで、周囲は息を呑むばかりだった。
(……あれが、俺の行く手を阻む存在……?)
社畜時代、上司が現れるだけで空気が凍り付いたあの感覚。
でも違う。今は恐怖だけじゃなく、憧れにも似た熱が胸を満たしていた。
自由を掴むためには、いずれああいう化け物をも倒さなければならない。
その現実に、背筋がぞわりと震えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
今回は酒場で“七星”のひとり、血の歌姫セレナードが登場しました。
最底辺のアイアンランクであるドーレイと、チャンピオン候補と目される七星。
その圧倒的な格差をどう感じていただけたでしょうか。
もし少しでも「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら――
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