第79話 砂と海、破滅の足跡
帝国最大の港町──ワーレン。
砂漠の国に似つかわしくないほどの潮の匂いが、街の入口まで漂っていた。
大きく開けた湾には複数の船が停泊し、白い帆を風がゆるく膨らませている。
行き交う声も、装いも、種族もさまざまだ。
熊の獣人が網を担ぎ、ドワーフが工具箱を運び、エルフの女が海石を売っている。
帝国の商船だけではない。アルディナ王国、イストリア連邦……他国の旗も揺れていた。
「……賑やかなところだな」
ジャレドが呟く。
「港って、初めて見たかも……!」
ティアが目を輝かせる。
「……ヴェラ」
エルガは目を細め、港の倉庫群を見やった。
砂と潮風が混ざる独特の空気。
喧噪の裏で、どこか落ち着かない気配が漂っている。
「まずは情報だ。別々に動くぞ」
ジャレドが短く指示を出す。
「集合は日没前この宿、《砂と海》。伝言は掲示板へ残す。」
「了解」「うん!」
そしてジャレドは、隣の男へ視線を向けた。
「……抜け駆けはすんなよ?」
「分かっている」
エルガの返答は、短い。
五人はそれぞれ、喧騒へと散っていった。
◇
廃砦。
砂漠を抜けた岩場の中央に、荒れ果てた砦がある。
その敷地を──骸骨兵の大群が埋め尽くしていた。
「どこから湧いてきたんだ、こいつら……!」
リグが叫ぶ。
「弓も魔法も通らない! 剣も……っ、くそッ!」
エイベルが後退しながら盾で仲間を庇う。
砦の壁の上にも、内部にも、外周にも骸骨兵が現れ続ける。
打ち倒しても、また骨が立ち上がる。
(この数……完全に包囲されてる!?)
誰かが叫ぼうとした、その時。
地面が震えた。
奥の闇が、揺れた。
「な、なんだ……?」
次の瞬間──
黒い瘴気が吹き出すように砦の奥からあふれ出し、
それを裂いて、巨大な影が姿を現した。
角は漆黒の刃のように伸び、
皮膚は腐臭を帯びた灰色に変色し、
胸は不自然に膨らみ、瘴気が脈打っている。
「ひっ……ミノ、ミノタウロス……っ!?」
「いや……あれは……!」
リグの顔から血の気が引いた。
“タウロス・ネクラ”。
アンデッド化した牛鬼が、骸骨兵を踏み潰しながらゆっくりと前へ進む。
その一歩ごとに、砦の石床が揺れた。
「……終わった……」
誰かが呟き、戦意が崩れかける。
タウロス・ネクラの咆哮が、砦に響いた。
◇
帝都・教会本部。
十字架の剣を下げた黒衣の男女が三名、円卓に着席していた。
その隣には白いローブを纏った女。
「廃砦での異常反応が確定しました、マルクト様」
眼鏡の男、異端審問官のアルネスが報告書を置く。
「骸骨兵に加え……アンデッド化したミノタウロスが出現とのことです」
「ミノタウロス……災厄級の魔物がアンデッド化したか」
低い声で、マルクトと呼ばれた別の異端審問官が呟く。
「マルクト様の見立て通り、これは偶然ではありません。“儀式痕”があると見ています」
もう一人の異端審問官、リシアが首を振る。
「聖女様」
マルクトが白いローブの女性に向き直る。
「あなたのお力が必要になります。どうか」
「もちろんです」
聖女と呼ばれた女は静かに微笑んだ。
「光は闇を照らすためにあります。人々を守るためなら、どこへでも」
そのとき、扉が勢いよく開かれた。
「緊急通信! 廃砦の状況が悪化──先発隊が包囲されました!」
ざわめきが走る。
「行きましょう。急がねば間に合いません」
リシアが立ち上がる。
四人は迷いなく部屋を出た。
◇
地下牢。
ヴェラの手首を締め付ける鎖は冷たく、石壁に湿気がまとわりついていた。
周囲には複数の女と子供たちが閉じ込められている。
「人攫いに人身売買……ほんと、変わらないわね」
ヴェラは小さく舌打ちした。
鎖に力を込める。
オーラを流し込む──が、違和感が走った。
(……オーラが乱れる?)
制御しようとした途端、力が霧散してしまう。
「どこかに……干渉系の魔道具がある」
ヴェラはゆっくりと息を整えた。
焦りは禁物だ。
(時間は稼げてるはず。エルガなら──)
牢の奥で、子供がすすり泣く声が聞こえた。
ヴェラは顔を上げた。
「大丈夫よ。……絶対に助けるから」
誰にでもなく、静かに言った。
◇
ワーレン・港の倉庫群。
潮と魚と油の、複雑な臭いが漂っていた。
倉庫の影に入ると、街の喧騒がすっと遠くなる。
「……雑だな」
エルガはしゃがみ込み、地面の“削られた跡”を指でなぞった。
血痕を雑に拭き取ろうとした跡。
靴跡を砂で隠そうとした形跡。
“隠し慣れていない人間”の仕業だ。
(烏の仕事ではない……下部の連中か)
倉庫の一つに、人の気配がある。
複数。動きは鈍いが、見張りの配置だ。
「……奴らを待っている暇はない」
エルガは立ち上がり、剣の柄に手をかけた。
潮風が吹き抜け、外套を揺らす。
白いオーラが、巨大な闇へと歩を進める。
その背に、迷いは一つもなかった。




