第75話 白金の追跡者たち
地下神殿の奥へ続く細い通路を抜けてから、二人は休憩を繰り返しながら、すでに半日ほど歩いていた。
空気は徐々に湿り気を帯び、壁を伝う水滴の音が増えていく。
「……なぁマルナ、これ……やっぱり潮の匂いだよな?」
ドーレイが鼻を鳴らす。
「間違いない。風が……海風に近いもの」
マルナの返答にも、確信めいた響きがあった。
さらに進むと、通路の闇がふっと明るむ。
やがて視界の先に、青白い光が揺れた。
二人は歩みを速める。
「……出口か?」
最後の曲がり角を抜けた瞬間――
眩しいほどの蒼い光景が広がった。
巨大な海蝕洞窟。
天井の割れ目から差し込む光が、海面を揺らし反射している。
潮の満ち引きの音がはっきりと響いていた。
「まさかこっちでも海を拝めるとはな」
ドーレイがぽつりと漏らす。
「あそこ……外に出れそう」
マルナが外の光を指差す
「行くか」
ドーレイが短く答えると、二人は光の射す方へと歩き出した。
◇
帝都バル=ゼルンの城門が見えてくるにつれ、ジャレドたち五人の足取りは自然と早くなっていた。
砂漠の街とは違う、石の匂いを含んだ湿った風が頬を掠めていく。
「す、すご……これが帝都……」
ティアは圧倒されて口を開けたまま。
「建物もでかいし、人もこんなに……!」
レアンもきょろきょろと視線を彷徨わせる。
だがジャレドは、街並みを見ても一切表情を崩さなかった。
「寄り道してる暇はねぇ。まずはヴェラだ」
四人はうなずき、帝都中心部の冒険者ギルドへと向かった。
◇
冒険者ギルド・帝都本館。
夕刻の人波に満ちた受付で、ジャレドがヴェラの特徴を告げる。
「剣闘士で赤髪の女性? ……リグさんたちと一緒にいた方ですかね」
職員は帳簿をめくりながら続けた。
「宿は《旅人の冠亭》を利用されていたようです。帝都へ入ってすぐの旅人がよく使う宿ですよ」
「助かった」
エルガが短く礼を述べ、五人はすぐにギルドを出た。
「私たちは聞き込みしてくる!」
「市場、酒場、闇市っぽい所……全部回る!」
「が、頑張ります!」
マリア、レアン、ティアは三方向へ散っていく。
「……俺たちは宿へ」
「ああ」
二人は迷いなく《旅人の冠亭》へ向かった。
◇
《旅人の冠亭》
石造りの宿の前を通るたび、焼いたパンと果実酒の香りが漂う。
女将はジャレドとエルガの姿を見るなり、眉を上げた。
「金首輪の赤髪の女性なら確かに泊まってたよ。……あんたたちの仲間かい?」
「部屋を見せてくれ」
ジャレドが言うと、女将はため息をついた。
「部屋代は一ヶ月分、前払いでもらってる。……だから荷物も、そのままにしてある」
案内された二階の一室は静まり返り、既に人気がなかった。
生活の痕跡はわずか。
机の上に――烏の刻印の手紙が置かれていた。
エルガがそれを拾い、淡々と読む。
帝都の外れ。
旧水路区画。
烏の目印が三つ続く路地の先。
そこで、待っている――
「目的はセリナじゃなかったってことか」
ジャレドが低く呟いた。
「……行くぞ」
エルガは迷いなく歩き出す。
◇
旧水路区画は昼でも湿り、夜になればなおのこと空気が重い。
石壁に苔がつき、水滴が落ち続けていた。
烏の目印を三つ辿って到達した倉庫。
扉を開けると、そこには誰もいなかった。
机の位置が引きずられ、椅子が倒れている。
靴跡は複数。
争った痕跡はない――だが、確実に“連れ出された後”だった。
「……ヴェラ」
エルガは静かに目を閉じる。
その声音は揺れてはいない。むしろ、深く沈んでいた。
「烏の刻印……どこの組織だ?」
ジャレドは低く呟く。
「……イーブルアイ。
昔、俺の所属していた組織だ。」
「過去の因縁ってのに巻き込まれたってわけか。どうする?他に当ては?」
「……ある。ついてこい」
二人は石畳を踏みしめて夜の帝都へ戻った。
◇
帝都の闇市は、昼でも薄暗い空気を纏っていた。
主通りから一本外れた路地は、香辛料と油の匂いが入り混じっている。石畳は黒ずみ、どこか湿り気がある。
エルガは迷わず奥へ進んだ。
目的の黒塗りの木扉――
黒い扉の前には僅かな出入りがあり、表の市場とは別の流れがある。
扉を押し開けると――中は煙と酒の匂いに満ち、蝋燭の炎がゆらめき、油を吸った床が黒く光っていた。
荒れた音楽が奥で奏でられ、笑い声と罵声が交差する。
ざわ……
二人が入った瞬間、客の動きが止まる。
二つの白金の首輪が、蝋燭の光を反射したからだ。
「……一番奥だ」
奥にはフードで顔を隠し、灰色の外套を纏った人物。
エルガは迷いなく銀貨を置く。
「女が二人、ここで動いているはずだ。教えろ」
情報屋は薄笑いを浮かべる。
「さぁな。客は多いんでね」
さらに銀貨が二枚。
しかし男は肩をすくめるだけだった。
「……知らんねぇ」
その瞬間。
ガンッ!!
ジャレドが椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、机を「上」へ蹴り抜いた。
酒杯が宙を舞い、蝋燭が倒れて火花が散る。
「おい……!?」
次の瞬間、男の胸ぐらを掴んで片手で持ち上げた。
店内の空気が凍りつく。
オーラを纏った白金の剣闘士が二人。
その圧力は他の客を息すら奪う。
「俺たち剣闘士を舐めてんのか?知らねぇで通すつもりなら、じっくり痛めつけてから殺してやるよ」
ジャレドの声は低く、だが確実に店の隅々へ響いた。
「ひっ……! ま、待て……言う、言うから……!」
情報屋は喉を震わせながら言う。
「港町だ……帝都の南……港町ワーレンだ……イーブルアイの連中はそこを拠点にしてる……!
女二人は……そこへ運ばれた……!」
ジャレドは手を離す。
情報屋は机の上に崩れ落ち、肩で大きく息をした。
「……行くぞ」
エルガの瞳は鋭く光っていた。
二人は黒い酒場を背に、夜の帝都へ走り出した。




