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第73話 白と赤銅、立つ時

 神殿の片隅に、崩れた木製の祭具が積まれていた。

 奉納用の台や、折れた柱の一部だろう。

 乾いていて、よく燃えそうだった。


「火は……あそこから貰うか」


「ちょっと待って。それ、祭壇の備品じゃ……」


「いいじゃねぇか。すでにぶっ壊れてる神殿だ」


 折れた木材を何本か集め、石床の上に組む。

 マルナが半ば諦めたようにため息をついた。


「……せめて神殿の中じゃなくて外でやって欲しいところだけど。どうせ換気はまともにされてないし」


「煙はあっちに流れるだろ」


 俺は手を軽く振り、掌にオーラを薄く纏わせる。

 摩擦を増幅させるように指先をこすり合わせると、小さな火花が散った。


 乾いた木に火が移り、じわりと炎が上がる。

 オーラの加減を調整し、燃え広がり過ぎない程度に熱を保つ。


「便利ね、それ」

 マルナがぽつりと呟く。

「普通は火打ち石とか用意するところでしょうに」


「似たようなもんだろ」


 ミノタウロスの腿から、肉の塊を切り出す。

 筋を外し、骨から剥いでいく。

 血抜きは完全とは言えないが、ここで贅沢は言っていられない。


 肉の表面に軽く塩代わりの薬草を擦り込む。

 背嚢から取り出した乾燥ハーブだ。

 薬草としても使えるが、焼けばそれなりにいい匂いが出る。


 串代わりに、祭具の折れた柄を削って尖らせた。

 そこに肉を刺し、火の上にかざす。


 じゅう、と音がした。

 脂が溶けて滴り、炙られた肉の表面がきつね色に変わっていく。

 獣の匂いに、香ばしさが混じり始めた。


「……信じられない」

 マルナが顔を背けながら言う。

 「ミノタウロスを焼いて食べようとしてる人、生まれて初めて見たわ」


「俺も初めてだ」


 火加減を見ながら串を回す。

 焦げ目がつき、中まで火が通ったころ合いで、肉を一つちぎり取った。


「……よし」


 熱さに指を慣らしながら、ひと口かじる。


 噛む。

 予想していたよりも、ずっと柔らかい。

 筋は多いが、噛めば噛むほど肉汁が出てくる。

 牛とも豚とも違う、少し野性味のある旨味。


「……これ、うめぇな」


 本気で感心してしまった。


「あなたといると感覚がおかしくなりそう」

 マルナが呆れたように言う。


「ほら、お前も食ってみろよ」


 俺は別の串に通した肉を差し出した。

 マルナは全力で後ずさる。


「遠慮します」


「腹、減ってんだろ。さっきから胃の鳴る音が聞こえてる」


 図星だったのか、マルナの肩がぴくりと震えた。


「……それとこれとは話が別」


「毒があったら、先に俺のスキルが反応してる」


 言いながら、もう一切れ噛みちぎる。

 すでに二、三口は食べている。


「ほら、ほら」

 串をぐい、と押しつける。


「うぅ……」

 マルナは露骨に顔をしかめ、しばらく悩んだ末に、観念したように一口だけ肉をかじった。


 慎重に噛む。

 数回咀嚼したところで、瞳の色がわずかに変わった。


「……美味しい……」


 本人が一番驚いた声だった。


「だろ?」


「くやしいけど、美味しい……。

 変な臭みもないし、硬そうに見えて意外と……」


 気づけば、二口目に手が伸びていた。

 自分でも呆れたようにため息をつきながら、マルナは肉をもうひと切れかじる。


「普通、こういうのって“非常食”とか“仕方なく”のカテゴリじゃないの?」

 「非常時に美味いもん食えるなら、それに越したことはねぇだろ」


「それは、まあ……そうだけど」


 神殿の中に、血と獣と、焼けた肉の匂いが満ちていく。

 さっきまで“災厄”だった存在が、今はただの食事になりつつあった。


 マルナがふと、笑った。


「……ほんと、信じられないわ」

 「何がだ」

 「こんな状況なのに、ちゃんとお腹空いて、ちゃんと食べて、ちゃんと美味しいって感じるの。

  ――生きてるんだなって、変なところで実感する」


 そう言って、マルナはもう一切れ、慎重に大事そうに肉を噛みしめた。


 ◇


 帝都・バル=ゼルン。

 冒険者ギルド本館、貸し与えられた客間の一室。


 外の喧騒は、厚い壁に遮られて遠い。

 窓を半分だけ開けると、夕方の風が薄く入り込んできた。


 ヴェラは机の上に、二枚の魔符と一通の手紙を並べていた。


 一枚は、ガルマとの連絡用に渡された魔符。

 首輪と同じ素材で縁取られた、砂の街と闘技場を繋ぐ符。


 もう一枚は――先ほど闇市で起動したもの。

 エルガへ送った短い通信。


 帝都。烏。


 それだけ。

 けれど、それだけで十分伝わる相手でもあった。


 ガルマ宛の魔符に、軽く指を滑らせる。

 魔力を込めると、紋様が淡く光り始めた。


 「――不死身、依然として廃砦地下で位置不明、生死不明。」


 短く要点だけを送る。


 続けて、セリナの件。


 「帝都にて、セリナも行方不明。

  何者かに意図的に連れ去られた可能性が高い」


 魔符の光が一度強く瞬き、それから静かに沈んだ。


 ヴェラは次に、机の上の封筒を手に取る。

 黒い蝋で封がされ、烏の紋が押されている。


 烏――黒く、賢く、不吉で、そして“何もかも見ている”存在。


 封を切った指先に、昔の感覚が少しだけ戻った。

 紙を開くと、中には短い文。


 帝都の外れ。

 旧水路区画。

 烏の目印が三つ続く路地の先。


 そこで、待っている――と。


 ヴェラは手紙を握りしめる。

 紙がかさりと鳴った。


「……烏。まさかこの国まで入り込んでるなんて」


 窓の外に視線をやる。

 帝都の灯りが少しずつ増え始めている。


 ガルマへの連絡は済んだ。

 不死身の件は、ジャレドが動く。

 そう“想定していい”相手だ。


 自分は、自分にしかできないほうへ向かうべきだ。


 ヴェラは魔符を懐にしまい、烏の印の手紙を握ったまま、部屋を出た。


 ◇


 同じころ。

 帝都の門を抜け、南西へ向かう街道。


 リグとエイベルは、少数の探索班を率いて馬を走らせていた。

 ギルドが出したのは、位置特定と地形調査を目的とした先行隊だ。


 夕陽が背中に沈みつつある。

 砂混じりの風が、馬の鬣を揺らしていた。


「ヴェラの奴、本当に別行動でいいのか」

 エイベルが、手綱を操りながらぼそりと言う。


「“そっちは任せた”って顔してただろ」

 リグが前を見たまま答える。

 「俺たちは俺たちの仕事をするだけだ」


「……あの赤髪、見た目より肝が据わってる」


「じゃなきゃゼルハラで剣闘士はやれない。それもゴールドランクのな。」


 リグの声音は淡々としていたが、その奥には焦りがないわけではなかった。

 それでも、帝都と廃砦を何度も往復できるほど時間の余裕はない。


 だからこそ、役割分担だ。


 帝都に残ったヴェラの手には――烏の印の手紙が握られていた。


 ◇


 ゼルハラ。

 砂の闘技場アレナ・マグナ


 砂塵を巻き上げるような歓声が、観客席から渦を巻いていた。

 夕陽はすでに沈み、闘技場の上には炎の灯りがいくつも揺れている。


 その中心、血に染まった砂の上で、二つの影がぶつかり合っていた。


 片方は、金の首輪をつけた男。

 両手には、短く分厚い刃――トマホークが二本。


 ジャレド。


 彼の周囲には、赤銅色のオーラが燃え立っていた。

 赤に土の濁りを混ぜたような、重く鈍い光。


 対するは、白金の首輪をつけた大柄な剣闘士。

 背よりも長い大剣を片手で構え、その刃には灰色のオーラがまとわりついている。


 熟練剣闘士バルガス。

 幾度もの死線を越えて白金に届いた、熟練の猛者。


 オーラ同士がぶつかるたび、空気が弾けた。


 大剣が振られる。

 灰のオーラが弧を描き、砂を抉る。


 ジャレドはそれを、ギリギリを踏み外すように回避する。

 トマホークの一撃を差し込むが、白金の男はそれを大剣の腹でいなした。


 重さが違う。

 一撃の威力も、リーチも、全てが向こうに有利。


 それでも、ジャレドは下がらない。


 ◇


 観客席、下段。

 マリア、レアン、ティアの三人。


「……ジャレドさん」

 マリアがぽつりと呟いた。


「相手はプラチナランク、格上か」

 レアンが短く答える。


「あの人なら相手がプラチナでもダイヤモンドでも倒しちゃいそう」

 マリアは乾いた笑いを洩らし、それからすぐ真顔に戻る。

 「一撃、一撃が……音からして違う……」


 ティアは言葉を失っていた。

 砂漠でサンドリザードと対峙したときの恐怖より、目の前の攻防のほうがよほど現実味がない。


(この前の不死身の試合もすごかったけど……)


 ジャレドの赤銅色のオーラが揺らぐたび、三人の喉も同時に揺れる。


「死ぬ、かと思った日があって」

 ティアが小さく呟いた。

 「今は――あの人が死ぬんじゃないかって、別の意味で怖い」


 マリアは視線を逸らさないまま、短く息を吐く。

 「大丈夫よ。だって――」


 その瞬間、闘技場でオーラが弾けた。


 ◇


「……なるほどな」

 バルガスが唇を吊り上げた。

 灰色のオーラが、さらに濃くなる。


「値踏みしてる余裕、あんのかよ!」

 ジャレドは砂を払うように足を一度だけ強く踏む。

 赤銅色のオーラが、足元から一段弾けた。


 観客席の上段、貴賓席。

 そこからガルマがじっと闘技場を見下ろしていた。


 両腕を組み、顎に手を添え、目だけが爛々と光っている。


「……ふん」


 バルガスが大きく息を吸い込んだ。

 次の一撃で決める気配。


 灰色のオーラが、全て大剣の刃へ集中していく。

 観客が息を呑むのが分かるほど、空気の圧が変わった。


 ジャレドも、それを察した。

 わずかに口角を上げる。


(ちょうどいい)


 足元で、赤銅色のオーラが深く沈む。

 靴底から脛へ、膝へ、腰へ、肩へ、腕へ。


 バルガスが地を蹴った。

 大剣が振り上げられる。

 灰色の光が、空気を裂くように弧を描き――頭上から叩きつけられる。


 その瞬間、ジャレドは一歩、踏み込んだ。


 避けない。

 下がらない。


 足元の砂が爆ぜる。

 赤銅色のオーラが、一気に前方へと噴き出した。


 トマホークの一本を逆手に持ち替え、肩口のあたりに構える。


「―― 《インパクト・ライン》!」


 轟音が走った。


 バルガスの大剣が、ジャレドの頭上へ振り下ろされるその瞬間。

 二人の間の空気が、赤銅色の線となって走った。


 オーラを纏ったトマホークの一撃が、真横から大剣の“芯”を叩いたのだ。


 重さの軸がずらされ、灰の軌道が一瞬揺れる。

 わずかなズレ。

 だが、それだけで十分だった。


 ジャレドのもう一方の手のトマホークが、真っ直ぐに伸びる。


 「《ダブル・インパクト》!!」


 赤銅色の線――二撃目のインパクトライン。

 オーラを一点に収束させた、以前とは比べ物にならない密度の一撃が、バルガスの首へと吸い込まれた。


 首輪ごと、頸椎を断つ感触。


 白金の輪が宙を舞い、血飛沫が砂を赤く染めた。


 一瞬の静寂。

 続けて、爆発するような歓声。


 観客席下段で、マリアが息を呑む。

 レアンが握りしめていた柄から、力が抜けた。

 ティアは震える手で口元を押さえる。


「……勝った、の?」

 ティアのかすれた声に、マリアが小さく頷く。

 「ええ。――相変わらず、反則みたいな勝ち方するわね、あの人」


 バルガスの巨体が、遅れて崩れ落ちた。


 ジャレドは息を吐き、血を振り払うようにトマホークを振る。

 観客席に一度だけ背を向け、何も言わずに闘技場を後にした。


 砂の上に残った足跡は、すぐに歓声と熱気の中へ飲み込まれていく。


 貴賓席で、ガルマが小さく笑う。


「……スキルにオーラを乗せたか」

 指で肘掛けを軽く叩く。

「合格だ。ジャレド」


 視線は、すでに次の戦場を見ているようだった。


 ◇


 ゼルハラ、ガルマの執務室。


 厚い絨毯が敷かれた部屋の中央に、重厚な卓。

 壁には闘技場の見取り図と、剣闘士たちの名札がかかっている。


 ジャレドは無言で、白金の首輪を卓の上に置いた。


 ガルマはそれを手に取り、白金の輝きを一度確かめる。

 「ようやくだな」


 短い言葉に、いくつもの意味が含まれていた。


「まだここで止まる気はない」

 ジャレドはきっぱりと言う。

 「首輪の色がどうあれ、やることは変わらねぇ」


「だろうな」

 ガルマは口元を歪めた。


 白金の首輪を、棚の上の別の台に置く。

 代わりに、別の小さな箱を取り出した。


「……そんなことより、お友達から救難信号が出てたぞ」


 ジャレドの眉が動く。

 「不死身から? そんなはずねぇだろ」


「俺に届いたのは“ヴェラ”からだ」

 ガルマが箱を開け、中から一枚の魔符を取り出した。

 「ただ――内容に“あいつ”の名があった」


 ジャレドは無言で、魔符を受け取る。

 刻まれた文字が、意図をそのまま伝えてくる。


 帝都近郊廃砦。

 地下崩落。

 不死身、生死不明。


 そしてセリナの失踪。


「……」

 文字を追う目が、僅かに細くなる。


 ガルマは椅子の背にもたれ、足を組む。


 「どうする?」


 ジャレドは魔符から目を離さないまま、短く息を吐いた。

 砂塵の匂いの中に、帝都の石の匂いが混じるような錯覚。


「――決まってる」


 それだけ言って、顔を上げた。

 目には、闘技場で戦っているときと同じ光が宿っていた。


 ガルマは笑う。

 「早い返事で助かる」


 窓の外では、ゼルハラの夜が深まりつつあった。


 ◇


 エルディア派本拠、執務室。


 砂漠の夜風を遮る厚いカーテン。

 重ねられた書類と、整然と並ぶ本。

 その中央の机に、エルディアが座っていた。


 銀の髪をひとつにまとめ、落ち着いた紫の衣をまとった女。

 その前に立つのは、鍛えられた身体に白いオーラを纏った戦士――エルガ。


 机の上には、帝都から届いたばかりの連絡符が一つ。


「行くの?」

 エルディアが静かに問う。


 エルガは短く頷いた。

 「……ああ。過去に、ケリをつけなければならない」


 エルディアは彼の瞳をじっと見つめ、それからふっと目を細めた。

 「そう。止めはしないわ」


 椅子にもたれ、指先で机を軽くなぞる。


 「ただ――私たちの目的を忘れないで」

 視線が少しだけ鋭くなる。

 「帝都には“あの方達”の目もある。」


 エルガはその言葉を正面から受け止め、ゆっくりと頭を下げた。


 「分かっている」


 短い言葉。

 だが、その中には揺るがないものがあった。


 エルディアはそれ以上何も言わない。

 代わりに、机の端に置かれた連絡符を指した。


 「そう。ならいいわ。

 行きなさい、エルガ。」


 エルガは一礼して部屋を出る。


 扉を開けると、夜の空気が流れ込んでくる。

 遠くで、闘技場の歓声がまだかすかに響いていた。


 エルガはそれに一度だけ耳を傾け、それから静かに執務室を後にした。


 砂の街ゼルハラから、帝都バル=ゼルンへ。

 それぞれの思惑を乗せた影たちが、少しずつ、同じ場所へと歩みを向け始めていた。


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