第62話 赤と黒
――赤黒の閃光が走る数分前。
神殿の奥底では、黒が膨張していた。
魔法陣は呼吸をしていた。
血管のように這う線が鼓動し、地面そのものが脈打つ。
低く唱える詠唱が重なり、梟の紋を刻んだ術者たちが円周を囲む。
中央ではバルドが手を組み、ガーネフが唇を噛みしめていた。
ジャレドが苦悶の表情を浮かべ、シェラが意識を失いそうになる。
「……これでいい。門が開くぞ」
「神が……戻られる――」
黒い光が肥大化し、神殿の天井を照らした。
焦げた鉄の匂い。皮膚が焼けるような圧。
そして――一瞬、全てが止まる。
膨張していた光が反転した。
内側から崩れ落ちるように、黒が爆ぜる。
壁を裂き、石片が飛ぶ。
魔法陣の中心、光が抜け落ち、残ったのは“影”。
「な、なぜ……」
バルドが呆然と呟いた。
黒は形を取り始めている。
腕、脚、顔――それらしい人の形。
だが、どこにも“核”がない。
それは生き物ではなく、意思の抜けた抜け殻。
「……抜け殻、じゃねえか」
ガーネフの声が低く響く。
黒い残滓が唸る。
肉の代わりに、呪詛が編まれていた。
術者の一人が逃げようとした瞬間、影の腕が伸びた。
触れた途端、男の体は砂のように砕け、音もなく消えた。
ジャレドは膝をつきながらも歯を食いしばった。
「……こいつが、魔神だと?」
シェラは喉を押さえ、倒れながら黒を見つめる。
「ちがう……こんなの、神なんかじゃない……!」
そのとき、轟音。
上層から爆風と共に何かが落下する。
砂と石を巻き上げ、柱をへし折りながら――
バアルが、黒い残滓の近くへ吹き飛ばされてきた。
仮面のひび割れから黒い霧が噴き出す。
霧が残滓と共鳴し、音を立てて混ざり合う。
人型と仮面が、互いに侵食しあいながら融合していく。
黒い渦が咆哮を上げる。
仮面は完全に飲み込まれ、そこにあるのは――仮面の中の“残滓”だった。
「ガァぁぁぁッッ゛゛」
光も吸う闇。
バアルは人の形を保ちながら、黒の残滓と完全に混じり合った。
輪郭が脈動している。
黒の腕が振るわれた。
空気ごと裂け、ジャレドとシェラに向かった。
砂を巻き込みながら――その刹那、
黒の腕が何かに弾かれた。
赤黒い閃光。
風を切る音と共に、大剣が割り込む。
「……不死身!遅ぇぞ!」
ジャレドが叫ぶ。
「……砂の底でまた。奇遇だな、ジャレド」
後方、神殿入り口からも二人の影。
「魔神の残滓を確認。……核は、すでに無いのか?」
冷静な声が響く。
神殿の裂け目から、カインが降り立っていた。
片手に十字架の剣、もう一方に開いた魔導書。
剣閃が空を走るたびに術式の線が生まれ、封印の文字が宙に浮く。
彼の隣には、ガルマがいた。
黒刀の鞘を外し、片目で光を測る。
「……嫌な匂いだ。神でも魔でもねぇ、ただの屍だな」
「ガルマ!てめぇ、今回も仕組みやがったな!」ジャレドが吠える。
「話は後だ。先にあれを片付ける。」
ガルマは刀を構えた。
「《オーラブレイド》」
声と同時に紫のオーラが放たれた。
紫と黒がぶつかり、神殿の柱が粉砕される。
その隙にカインが前へ。
魔導書が開かれ、ページの上に蒼い陣が浮かぶ。
「帝都式封鎖術式、第三層展開――!」
片手剣が走り、封印陣が空中に打たれた。
だが残滓バアルはその線を“喰った”。
術式そのものが飲み込まれ、破裂する。
「下がれ!」ガルマの怒声。
直後、残滓の拳がカインを薙ぎ払った。
魔導書が宙に舞い、カインは床を滑る。
砂煙の中から、ドーレイが歩み出る。
刃が呻くように鳴り、赤黒い光が広がる。
「不死身!出し惜しみしてる暇はねぇぞ!」
ガルマが叫ぶ。
「言われなくても、わかってらぁ……!」
残滓バアルの一撃が走る。
ドーレイはあえてそれを腹に受けた。
血が滴る。だが、彼は笑った。
「……いい血だろ、アルマ。喰らえ」
腕を掴み、さらに深く裂いた。
血が刃に流れ、オーラが蠢く。
赤黒い波が天井を叩き、残滓の影を押し返した。
「《ヴァニッシュライン》――!」
ガルマの斬撃が空間ごと残滓の胴を裂く。
カインが立ち上がり、剣を構える。
「封鎖陣、再構築――っ!」
剣閃が十字に走り、残滓の足を封じた。
紫と蒼、そして黒、三つのオーラがぶつかり合い、神殿の床が崩れ落ちる。
ドーレイの赤黒が跳ね上がる。
血が赤黒に吸われ、空気が震えた。
「――アルマ・ドローリス!!!」
ドーレイの全身から赤黒の光が噴き上がる。
赤黒い刃が残滓を貫き、黒を押し潰した。
残滓バアルの仮面にひびが入り、咆哮が上がる。
爆裂の閃光、光が消える。
神殿の空気が、静まった。
残滓バアルの身体が崩れ、黒い灰となって散る。
立ち尽くすドーレイの口元から、血が滴った。
「……まだだ。砂の底は、これじゃ終わらねぇ」
膝をつき、赤黒の光がゆっくりと消えていく。
ガルマとカインは無言でその場に立ち、息を整えた。
バルドとガーネフ、そして仮面の少年は、奥の通路に退きながら、崩れゆく神殿を見上げる。
――抜け殻のような闇が、静かに砂へと還っていった。
◇
戦闘後、崩壊した神殿跡に風が吹き込んでいた。
砂と瓦礫の匂いの中で、五人が立っていた。
ガルマ、カイン、アイリス、ジャレド、そしてドーレイ。
カインが血のついた手を払う。
「今回のものは――魔神の残滓です。
封印はすでに解かれた後でした。」
アイリスが顔を上げる。
「一体……誰が?」
「それともう一つ」
カインが視線を上に向ける。
「彼らはダストホロウ側からではなく――“上”からここを見つけたようですね」
全員が同時に、崩れた天井を仰ぐ。
そこには、ジャレドたちが乗ってきた魔導昇降機の塔が見えた。
ジャレドが唸る。
「……ガルマ、てめぇ、何もかもしってやがったな!」
ガルマは肩をすくめる。
「今回ばかりは本当に偶然だ。ここまでは計算できねぇ」
「ふざけんな……!」
ドーレイが一歩前に出た。
「そんなことより、封印されてたはずの魔神はどこに?」
その首には、転移前にガルマから渡された白金の首輪と、相変わらず《タフネス》の文字が輝いていた。
風が神殿跡の砂を巻き上げる。
不吉なざらめきだけが、誰の言葉も遮った。
◇
その頃、アレナ・マグナでは。
「チャンピオンが戻ってきたーッ!!」
歓声が爆発する。
夜の観客席。火柱が上がり、酒が宙に舞う。
闘技場の中央に、一人の男が立っていた。
背に折れた大剣を担ぎ、ゆっくりと顔を上げる。
その目に宿るのは、歓喜ではなく、飢えにも似た静寂。
男の内にある暗黒の何かが、砂の上で呼吸していた。それは、残滓ではない確かな核として。
これにて第五章完結となります!
本当にここまでお付き合いくださいましてありがとうございます。
処女作でかなりお見苦しい、拙い文章ですが、よければブクマと評価お待ちしております。
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