第56話 後方の光、前方の闇
すいません、55話2回投稿されてました。
56話お待たせしました。
――光が引いた。
砂の幕が音を立てて崩れる。
視界が戻る。
立っていたのは、ただ一人だった。
白紫の剣が砂に突き立ち、もう動かない。
その前で、赤黒の光を纏う影が膝をつく。
呼吸が荒く、肩が上下するたびに砂が流れ落ちる。
歓声が、遅れて押し寄せた。
耳を裂くほどの熱狂。
結界が消えた瞬間、アレナ・マグナは地鳴りのような叫びに包まれた。
「勝った……!」
「不死身が、闘神を倒した!」
無数の声が重なり、砂を揺らす。
ドーレイは顔を上げた。
焦点の合わない視界に、白紫の残光が漂う。
指先は震え、剣を支える力すら残っていない。
それでも、彼は立っていた。
生きている――ただ、それだけで十分だった。
砂を渡る風が吹き抜け、闘技場の熱を運んでいく。
砂上には、黒く焦げた線が走っていた。
闘神グラン・ゼヴァルド。
彼の胸には赤黒の痕が残り、静かに崩れ落ちた。
観客の歓声がさらに高まる。
その熱の中心で、ドーレイはひとり立ち尽くす。
目を閉じ、息を整える。
(……まだ、終わってねぇ)
拳を握ると、皮膚の下で血が音を立てた。
傷の痛みも、立っている実感も、すべて曖昧だ。
最上段。ガルマが立ち上がり、グラスを空に掲げる。
「――よくやった。だが、それで終わりじゃねぇ」
短い言葉だけが、歓声の中で消えていった。
カインは魔導書を閉じ、背を向ける。
「血契、維持不能。……この均衡は長くは続かない」
誰にも聞こえない声でそう呟き、静かに去った。
砂嵐が吹き抜けた。
結界の残滓が風に舞い、アレナ・マグナの光が消えていく。
⸻
夜が訪れる頃、ゼルハラの灯が遠くに滲んでいた。
闘技場の歓声はまだ街を満たしていたが、
その音は次第に風へと混じり、砂に吸い込まれていく。
同じ時刻――遥か北方の砂原。
行軍の列が、沈む月を背にして進んでいた。
帆布が鳴り、車輪が軋む。
砂を裂く音が、夜の静寂に刻まれていく。
火の消えた野営地を離れ、彼らは無言で歩いた。
先頭の獣人が耳を立てる。
「……風が変わる。」
ランドの低い声が、砂を渡った。
「気流が南から回ってきてる。嵐の前触れだ。」
ヴァルスは槍の石突を砂に軽く押し当てた。
「陣形を締めろ。夜鳴きの風に乗って、獣も来る。」
シェラは杖の光を絞り、沈黙の中で詠唱符を撫でる。
灯りは弱く、風が一度鳴っただけで消えた。
ジャレドは最後尾にいた。
外套の裾を押さえながら、ふと南の地平を見た。
風の向きが変わる。
冷たいはずの夜気が、かすかに熱を帯びていた。
その瞬間――
南の空が、赤黒く割れた。
一本の光が、天へと伸びる。
炎ではない。
空そのものを裂いて立ち上がる、圧の柱。
砂が浮き、夜が震える。
ランドが思わず声を漏らす。
「……何だ、ありゃ……」
シェラは唇を開いたが、言葉にならない。
ヴァルスが息を詰め、槍を握る手を固めた。
「風が……逆に吹いている……」
行軍の列が止まった。
誰もが、その光に目を奪われていた。
地平の向こうで、赤黒い炎が夜を押し返す。
空の端まで伸びたそれは、まるで世界の心臓が露出したようだった。
ジャレドは動かなかった。
風の中、ただ一歩、前に出る。
喉の奥から掠れた声が漏れた。
「……不死身。」
それだけを呟き、彼は斧の柄を強く握った。
そのまま振り返ることなく、
列の先へと歩き出す。
「進むぞ。」
低く、それでいて確かな声。
ヴァルスが頷き、隊の輪が再び動き始めた。
車輪が鳴り、砂が返る。
風は赤黒い光を背に、北へと流れた。
⸻
光が消えてしばらく、隊は小高い砂丘の陰で野営を張った。
焚火は最低限。帆布を半ば伏せ、風をやり過ごす。
砂の上で鳴るのは、乾いた草の軋みと、誰かの浅い寝息だけだった。
ジャレドは火のそばで膝を立て、斧の刃を確かめる。
刃の縁に薄く砂が付着し、夜気に濡れて鈍く光る。
風の合間に、遠くで砂が鳴った。
それは波ではない。
地の底から、ゆっくりと、押し返すような音。
ランドが顔を上げた。
「……今の、聞こえたか?」
ヴァルスは目を閉じたまま答える。
「ああ。……地鳴りだ。浅くはない。」
シェラが灯を少し上げた。
「まさか……南の光と関係が?」
「わからん。」
ジャレドは短く答え、火を見つめた。
焚火の火花がひとつ弾ける。
その小さな光が、夜の砂に飲まれて消える。
風が止まり、次の瞬間――
砂丘の向こうで、低い音が鳴った。
まるで、何かが地の底で“息”をしたように。
誰も言葉を発さなかった。
ただ、焚火の明かりが彼らの瞳に映り、
南と北――光と闇のあいだで、
砂だけが、静かに蠢いていた。
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