第43話 砂に沈む光
八層を越えたあたりから、足音が軽くなった。
四人の呼吸が一つの拍で揃い、斬撃の音が途切れるたびに砂の鳴き声が戻る。
エルガの白いオーラが前を照らし、壁の苔の光よりもはっきりと道を浮かび上がらせていた。
「まるで光そのものを味方につけてるみたい……」
セリナが息を整えながら呟く。
ヴェラが矢を引きながら目だけで頷く。
「そうね。私たちとの差をはっきり感じるわ。」
サンドスパイダーの脚が四つ、八つ、砂から伸びた。
糸のような甲殻が光を弾き、腹の下に赤い眼がいくつも並ぶ。
ジャレドが腕を鳴らし、左の板金で最初の一撃を受けた。
「散れ。ヴェラ、右。セリナ、背中を見る」
白い閃光が走り、エルガの剣が蜘蛛の脚を斬り飛ばす。
砂が焦げ、硝煙が鼻を刺した。
そのまま五体、六体。短い悲鳴のあと、音は止む。
戦いは流れるようだった。
誰も声を荒げず、必要な言葉だけが短く飛ぶ。
四人で動くことが、もう当たり前になっていた。
◇
十層。砂の気配が薄れ、空気が硬くなる。
岩肌が剥き出しになり、冷気が喉を刺した。
セリナが魔符を折って灯を作り、ヴェラが矢を磨く。
エルガは無言で剣を拭い、刃を見つめた。
その白い光に、ジャレドの影がかすかに映る。
「……これがプラチナか」
独り言のような声に、エルガは剣を下ろした。
「違う。これは訓練の結果だ。
“強さ”とは、死線を越えてやっと残る癖だ」
「癖、ね……」
ヴェラが矢を放り、口角をわずかに上げた。
「あんた、昔より喋るようになった」
「そうか?」
「ええ。以前は敵の前でしか口を開かなかったくせに」
短い沈黙の後、エルガの喉がわずかに鳴った。
それが笑いなのか、息なのか、誰にもわからなかった。
◇
十三層。
静寂。
壁に生えていた苔が途切れ、灯りがほとんどなくなる。
砂の層が不自然に均され、足跡も獣の痕もない。
ヴェラが矢を一本引き抜きながら呟いた。
「……何か、おかしくない?」
「敵が出ないな」
ジャレドが砂を指でなぞる。指先に、かすかな熱。
一瞬の沈黙。
「倒された痕跡すらねぇ。まるで――」
「誰かが、消してるみたいです」
セリナの声が細く、砂に沈んだ。
エルガは立ち止まり、剣先を下げた。
「十四層までは問題ない。……十五からは、別格だ」
その言葉の重みが、空気を変えた。
風がなくても、砂が微かに動く。
地の底で、何かが息をしているようだった。
◇
十五層。
降りた瞬間、熱が消えた。
空気は重く、鉄と硫黄の匂いが混じる。
壁は煤け、そこら中で火を使った痕が残っている。
キャンプ地――と言っても七層とは違い、静まり返っていた。
露店は数軒、鍛冶台の火は弱く、冒険者たちは黙って飯を噛んでいる。
目を合わせようとする者はいない。
「……ここまで来ると、人の目も死ぬのね」
ヴェラが囁く。
「命を長持ちさせるためだ」
エルガが短く答え、剣を鞘に納めた。
「少し寄るところがある。……すぐ戻る」
それだけ言って、彼はキャンプの奥へ消えた。
白い光が闇に溶け、視界から消えるまで、誰も言葉を発しなかった。
残された三人は、火の小さな灯りを頼りに情報屋を探す。
痩せた男が油紙の上に地図を広げ、指でなぞった。
「黒い仮面の男と、フードの連れ。……確かにいた。
ついさっき、北東の砂丘を越えて行ったらしい」
「北東の砂丘?」
「風の逆。……下層に降りるヤツら以外は行かねぇ場所だ」
ジャレドは唇を噛んだ。
セリナが小瓶を握りしめ、震える声で言う。
「……追います」
ヴェラが頷いた。
「放っとけるわけないでしょ」
◇
戻ってきたエルガの眉に、黒い煤がついていた。
ジャレドが気づき、目を細める。
「……戦ってたのか」
「少しな。派閥の仕事は、煙が多い」
ヴェラが皮肉を含んだ声で言う。
「また妙にタイミングがいいのね」
「そうでもないさ。……お前たちの方が、よほど早い」
エルガは短く笑い、鞘を握った。
「十五層の北側は危険地帯だ。普通は踏まない」
「だから、普通じゃない奴らが行ったんでしょ」
「……そうだな」
四人は視線を交わし、それだけで決まった。
火を落とし、背嚢を締める。
誰も言葉を足さない。
砂を踏む音だけが、灯の消えたキャンプを離れていく。
◇
北東エリア。
砂丘の波が幾重にも重なり、風が音を呑み込む。
足を踏み出すたびに、膝まで沈む。
空の代わりに、砂の流れが頭上で回っていた。
ヴェラが立ち止まり、指先で合図する。
「……見える?」
前方、一際大きな砂丘の上に大小二つの影。
二人ともフードと外套を身に付け、風貌はわからない。
セリナの喉が鳴る。
「リオル……?」
呼びかけは、砂の音に呑まれて消える。
男は反応しない。
風の中で、仮面の呼吸だけが微かに響いた。
ヴェラが一歩前に出る。
「リオル! あんたなのね!」
無言。
その隣に立つ、背の高いフードの男も振り返り、欠伸をした。
「あー……めんどくさいなぁ」
その声は、砂よりも乾いていた。
「全員、殺しちゃえ」
仮面の男が動いた。
剣が抜かれる音。
砂が巻き上がり、光が一瞬、歪んだ。
白いオーラが黒に呑まれる。
その瞬間、風が止まり、
砂の底が呼吸を止めた。
――闇が開く。
――その中で、無言の刃が光った。




