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第42話 砂下の街、白の再来

お待たせしました。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

ブクマ、評価もぜひお願いします。

 六層へ降りる階段は、音を飲み込んだ。

 苔の光が途切れ途切れに続き、やがて途絶える。その湿り気が骨にまで染み込んでくる。三人の呼吸だけが、同じ拍を刻んだ。


 砂が鳴った。

 床が波打つ――遅れて、地鳴り。セリナが壁に手を当てると、掌の骨が震えた。

 「……何か来ます」

 声は細いが、確かだった。


 砂面が盛り上がり、巨大な口縁が開いた。

 サンドワーム。石の鞘を剥いだみたいな牙列が、灯りを呑み込む。

 ヴェラは矢をつがえ、矢羽に薄紙の魔符を撫で付けた。

 「眼がない。喉のひだを狙う」

 矢が沈む。熱が遅れて走り、肉が一枚縮んだ。

 ワームがのたうち、通路を塞ぐ。尾が壁を撥ね、石片が雨のように降る。


 ジャレドはオーラを纏わせた左腕を捻って板金の腕を噛ませ、尾の衝突を受け流す。火花が弾き、肩が痺れた。

 「抜けるぞ。正面は無理だ」

 右の斧で鱗皮をかすめ、左の斧で“同じ筋”をなぞって、わずかな裂け目をこじ開ける。

 その隙にセリナが一息で祈りを結び、薄い風を纏わせる。

 「《スウィフト》、今だけ」

 三人の影が流れた。ワームの腹下を滑り、反対側の狭い口へ。

 背後で岩が砕ける音。誰も振り返らない。


 さらに下る。

 声のない声が通路の奥で揺れた。サンドゴースト――砂の亡霊が、灯に反応して寄ってくる。

 輪郭は半透明、触れれば体温を奪う塵。

 ヴェラが火の魔符を持つ矢を一本だけ選ぶ。

 「一本で散らす」

 石壁すれすれに撃ち込み、火花の面で押し返す。砂の亡霊たちは音もなく退いた。

 セリナの胸元で小瓶の鈴が小さく鳴り、すぐに静かになった。


 砂狼さろうの群れは音で来た。

 足音が二重三重に重なり、闇から眼だけが浮かぶ。

 ジャレドが金具を指で打って短い合図を作る。カン、カン――二拍。

 ヴェラが右へ、セリナが壁。ジャレドは中央。

 最初の一頭の突進を左腕で受け、尾てい骨の手前に斧を差し込む。

 ヴェラの矢が二頭目の喉を裂き、三頭目の脚に札が貼り付き、砂に沈ませる。


 三人の足取りはかなり重く、限界が近づいていた

 ーーその時、匂いが濃くなる。金属、血、油、暖かい飯。

 風向きが変わる。七層の息――人が多い。

 「……見えた」

 ヴェラの声に少しだけ明かりが灯る。

 視界の先、岩盤の窪地に塀が巡り、木と鉄で組まれた門が口を開けていた。

 門の上には灯籠と魔導灯。中で人が動く黒い影。声。笑い。罵声。値切りの声。鉄槌の打音。


 七層のキャンプは、小さな街といっても過言ではなかった。

 四方を囲む防壁は石と鉄の継ぎ当てだらけで、ところどころ古い剣や盾が“補強材”として埋め込まれている。

 門をくぐると、まず匂いが違った。

 肉を煮る匂い、油の焦げ、薬草、汗。

 人間、獣人、ドワーフ、エルフ……耳や尻尾が雑踏の中で揺れ、異国の訛りが飛び交う。

 首輪をつけた剣闘士たちが壁際で剣を研ぎ、首輪のない冒険者がそれを見下ろして笑い、あるいは羨んだ。

 鍛冶台では火花が散り、露店では干し肉と毒消しと、意味の分からないまじない札が同じ台に並ぶ。

 子どもの背丈ほどの魔導灯がいくつも置かれ、影が何本も重なって揺れていた。


 「……地上より、人がいる気がします」

 セリナが目を丸くする。

 「地上より、“腹”が空いてるのよ」

 ヴェラは疲れから素っ気なく言い、弓を肩から下ろした。

 ジャレドは人の流れを斜めに観察した。

 金の首輪が二つ、三つ。依頼で来ているのだろう剣闘士も見られる。

 彼らの周囲には自然と空白ができ、空白の外側に、剣闘士ではない冒険者たちが寄りかかっている。


 とりあえず宿舎だ。

 通りの奥、石壁に木の増築を重ねた粗末な二階屋。

 受付のドワーフ女が、ジャレドの左腕の護りと二本の斧を一瞥して鼻を鳴らす。

 「騒ぎは起こすなよ。ベッドは三つ、毛布は二枚だ」

「毛布は三枚にしろ」

「一枚は匂うわよ」

「……構わん」

 彼らは狭い個室に荷を置き、顔と手を冷水で拭った。

 水が皮膚に染みた。生きている、と遅れて実感がくる。


 外へ戻る。

 ヴェラが目だけで合図し、屋台の影に座る痩せた男を示す。

 「前に上で世話になった情報屋。口は軽いけど、耳はいいわ」

 ジャレドが頷き、数枚の銅貨を指で弾いてやる。

 男は礼もそこそこに顔を寄せ、酒臭い息で囁いた。

 「黒のフードを被った二人組。小さい方は仮面。昨日に見たってやつがいる。

  長居はせず、補給だけして南東の坑道へ。……静かで速かったそうだ。恐らく、まだ深く潜るつもりだろう。」

 「仮面の、色は?」

 「黒」

 男の指が空中で楕円を描く。「息をしてた。仮面が、だ」

 セリナの喉が鳴った。

 ヴェラが短く礼を言い、男は銅貨を舌で確かめて消えた。


 「……いるわ」

 ヴェラが言う。

 ジャレドは言葉を噛み、飲み込んだ。

 “痕跡はない”はずなのに、此処には“噂”がある。噂は砂のように形を変えるが、足跡がゼロなら噂も生まれない。


 鍛冶台の向こう、ひときわ視線を集める白があった。

 人込みが自然に道を作る。

 白いオーラが淡く膨らみ、また収まる。

 片手剣と盾。胸元でプラチナの首輪が静かに光っていた。


 エルガ。

 彼は背筋を伸ばし、静かに立っているだけだった。

 表情は動かない。だが、周囲の空気の密度が違った。

 白いオーラが呼吸とともにわずかに揺れ、剣の刃がそれに呼応して光を返す。


 「……また会うとは思わなかったわ」

 ヴェラが近づき、距離を測るみたいに目を細める。

 エルガの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 「その呼び方はやめろ、ヴェラ」

 「呼んでないわ。心で思っただけ」

 「それが一番たちが悪い」

 短いやり取り。旧知の匂いが、言葉より早く空気を和らげた。


 ジャレドが一歩出る。

 「ジャレドだ。今回は――」

 「知っている」

 エルガは遮らず、ただ受け取るように頷いた。

 「仮面を追っているのだろう。」

 セリナが驚いて息をのむ。

 「この街は、隠し事が下手だ」

 エルガは肩で笑い、それきり目の色を戻した。

 「俺は派閥の依頼で十五層まで。……行き先は同じになる」

 「もしかして同行してくれるの?」

 「お前たち三人でここまで来れたこと自体奇跡だからな。それに一人で降りるより幾分か楽になる。」

 「褒められてる?」

 ヴェラが肩を竦める。

 「呆れている」

 やり取りは淡々としているのに、胸の底の緊張が少しだけ緩むのをセリナは感じた。


 露店の串を三本だけ買って、四人で立ったまま食べる。

 脂はもう冷めかけていたが、それでも旨かった。

 周囲では、金首輪の剣闘士が賭けをし、剣闘士ではない冒険者が情報を売り買いし、鍛冶屋が火花を上げ、酒場の扉が笑いと喧嘩で開いたり閉じたりしていた。

 地上よりも生が近い。壁の向こうは死なのに、この中だけが熱い。


 「明日には出る」

 ジャレドが串を捨て、斧の柄を軽く叩いた。

 エルガは頷く。

 「夜明け前がいい。風が変わる前に三つ降りたい」

 「了解」

 ヴェラは矢束を抱え直し、矢羽の具合を一本ずつ確かめた。

 セリナは祈りの小瓶を胸で鳴らし、落ち着いた音を確かめる。


 日がないのに、夜が来る。

 緑の苔の明滅がゆっくりと間隔を伸ばし、屋台の灯が一つ、また一つと落ちた。

 喧騒は息を潜め、鍛冶台の火だけが遅くまで頑張った。


 宿舎の前で別れるとき、ヴェラがふと振り返る。

 「エルディア派の依頼って本当なの?」

 エルガは一拍だけ黙り、目を伏せた。

 「なぜ疑う」

 「単に気になっただけ。私たちにとってはすごくタイミングが良かったから。」

 「葉巻の匂いでもついていたか?」

 エルガはそう言い残し、宿舎を後にした。


 短いが、深い眠り。

 苔の光が揺れ、壁が低く鳴く。

 遠くのどこかで、金属の音が一度だけ澄んで響いた。


 薄明。

 門が開く。防壁の上に人影が並び、出ていく四人の背を無言で見送る。

 エルガが先頭、白いオーラを薄く纏う。

 その後ろにジャレド――左腕の板金が合図の音を小さく鳴らす。

 ヴェラは弓を肩に、補給した矢束を抱え、矢羽に魔符の角を仕込む。

 セリナは小瓶を胸に下げ、祈りを一枚ずつ指先に溜めた。


 「砂の底に光を通すには、踏み抜くしかない」

 エルガが前を見たまま言う。

 ジャレドが短く笑う。「じゃあ、踏もう」

 ヴェラがため息をつく。「まったく、男はこれだから」

 セリナは小さく、「守って」とだけ呟いた。


 四つの影が、街を出た。

 防壁の灯が背中で遠ざかり、砂の息が近づく。

 七層の喧騒は背後で薄くなり、前方の闇は生き物のように脈を打った。


 白い光がひとつ、闇に入っていく。

 それを追うように、砂の底の風が向きを変えた。

 明滅する苔の光が、四人の足跡を短い時間だけ照らし、すぐに飲み込む。


 ――さらに深く。

 ――その先で、無言の仮面が待つ。

 砂は今日も、息をしていた。

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