第35話 死神の鎌と抗う力
投稿が遅くなり申し訳ないです。
今回もよろしくお願いします!
風が、熱を帯びていた。
砂の街の外れに口を開く巨大なダンジョン――ダストホロウ。
十五層のキャンプ地では、昼夜を問わず松明が焔を揺らめかせ、金属の音が途絶えることがなかった。
深層調査隊の拠点は、岩盤をくり抜いた洞窟の一角にあった。
壁には帝国の紋章が刻まれ、調査隊を構成している各派閥の旗が並ぶ。
アイリス派、リュド派、ガルマ派――。
その中央には、大鎌を背負った女が立っていた。
「――今日の調査範囲は十六層第三エリア。分隊ごとにマッピングを行う。」
声が響く。冷たく、しかし澄んでいた。
名はカリューネ。
セレナードと同じく、七星のひとりにして、アイリス派の筆頭剣闘士。
“死神”の二つ名を持つ彼女の周囲には、誰も近づこうとしなかった。
白銀の髪が鎌の刃に流れ、淡い光を返す。
瞳は氷のように透き通り、見る者の心を映さない。
カリューネの号令で、各班が続々と出立する。
その彼女の背後で、ひとりの男が付き従っていた。
フードの影に沈んだ顔。その腰には、黒鉄のナイフ。
「……砂は、まだ呼吸してる」
「そうね。ここは、生きているわ」
カリューネは鎌の柄を軽く叩いた。
刃が空気を震わせ、淡い光を吐く。
「ガルマから手紙を受け取って、もうひと月。彼の頼みである以上無碍にはできない。
――だがここにいる以上、命を賭けてもらう覚悟はしてもらう。深層は“理屈”では死なない場所だから」
フードの男は小さく頷いた。
その胸の奥で、かすかなざらついた声が囁く。
――喰わせろ。
しかし、彼は静かに息を吐き、首を振った。
今は違う。今は、“耐える”ときだ。
◇
空気が粘つき、壁の苔が光を吸っている。
湿った風が、遠い呼吸のように流れてきた。
フードの男を含めた、カリューネの小隊は十六層の第三区画を哨戒していた。
先行して警戒していた獣人の戦士が何かの気配に気づく。
「散開。距離を取れ」
闇の中で、青白い光が走る。
岩の隙間から這い出したのは、甲殻に覆われた巨大な蟲――“砂喰い”が二体。
地中を潜り、血と熱を求めて這い寄る深層の魔物。
眼は光を反射して鈍く濁っていた。
カリューネが手を上げた。
「一匹は私がやる。もう一匹は……」
フードの男が無言で頷く。
刹那、二人は同時に動いた。
カリューネの大鎌が唸りを上げる。
膨大なオーラを纏った刃が半円を描き、空気が裂けた。
次の瞬間、左の砂喰いの頭が滑り落ち、黒い液が噴き出し砂を焦がす。
彼女の動きは流れるようで、ひと振りの間に一切の無駄がなかった。
殺意でも怒りでもない。ただ静かな“必然”の一撃。
砂を断つ死神の舞。
一方、その隣。
フードの男は静かにナイフを抜いた。
右手を返し、刃で掌を浅く切る。
赤い血が滲み落ちた瞬間、周囲の空気が変わった。
熱を帯びた風が吹き、砂が微かに震える。
彼の右腕に、赤黒い光が絡みつく。
それは炎でも霧でもなく、血と闇が混ざり合ったようなオーラだった。
肌を這うそれが筋に沿って脈動し、指先から刃の形を成していく。
フードの奥で、瞳が赤く瞬いた。
蟲が唸り、突進する。
地を割るような衝撃。
ドーレイは一歩も退かず、右腕を振り抜いた。
空間が裂ける。
手刀から飛び出した赤黒い斬撃が一直線に走り、
砂喰いの甲殻を容易く切り裂いた。
斬られた瞬間、内部から爆ぜるような衝撃が走り、
蟲の体が二つに裂け、黒い液をまき散らして崩れ落ちた。
ドーレイの呼吸が荒くなる。
赤黒いオーラが暴れるように腕を包み、肌を焦がす。
「……まだ、抑えられる」
低く呟き、歯を噛み締める。
右腕を握りしめるたびに光が脈打ち、やがてゆっくりと収まっていった。
血が砂に滴り、音もなく吸い込まれていく。
彼は膝をつきかけながらも、静かに立ち上がった。
カリューネが一瞥し、口角をわずかに上げる。
「……悪くない。制御できているようね」
ドーレイは答えず、右手を見下ろした。
残った赤黒い光が消え、腕には薄く焼け焦げた跡だけが残っていた。
「それもあなたの一つの力。抑えることができるなら、あなたはまだ人間よ。
その力を制御できるとしたら、あなたしかいない。覚えておきなさい。」
◇
そのころ、地上では――。
昼の光が石壁を照らしていた。
アレナ・マグナ管理棟の一室。
ガルマは窓辺に立ち、報告書を一枚めくった。
紙には、カリューネ率いる深層調査隊の名簿が記されている。
アイリス派、リュド派、そしてガルマ派の剣闘士たち――。
ガルマが懇意にしている二人の興行主の派閥メンバーと合同で構成された精鋭の調査隊。
「派閥なんざ、砂の模様と同じさ。風が変わりゃ、形も変わる」
葉巻に火を点けながら呟く。
扉が軋み、セレナードが入ってきた。
彼女の赤い瞳が、書類の山を一瞥する。
「彼を……深層へ送ったのですか」
「カリューネに預けた。あいつなら暴走しても最悪制圧できる」
「……あなたの“眼”は、今でも見えるのですね」
ガルマの片眼が薄く光った。
「スキルってやつは厄介だ。見たくねぇもんまで見える。
……不死身の中に棲む“もの”もな。」
「それでも匿ったのは、なぜです?」
「知りてぇんだよ」
葉巻の煙がゆらりと揺れる。
「“ヤツ”が“あの時”飲み込まれたモノに、あいつが耐えられるのかをな。」
セレナードは言葉を飲み込み、静かに目を伏せた。
「……その答えが、砂の底にあるといいのですが。」
◇
数日後。
再び十五層のキャンプ地。
崖沿いに建てられた仮設の拠点は、昼夜を問わず灯が絶えなかった。
鍛冶台では剣の火花が散り、露店では薬草や食料が行き交う。
冒険者、傭兵、剣闘士――深層を目指す者たちが絶え間なく出入りし、
ここが「砂の街ゼルハラ」以外で最も息づいた場所であることを証明していた。
その人波の中に、一際目を引く白のマント姿があった。
腰には双剣。隙がなく、動きに迷いがない。
セレナード――七星の一人。
キャンプの奥、深層調査隊の区画。
壁に並ぶ旗の下、フードを被った男が焚き火の前で静かに座っていた。
セレナードが近づくと、彼は顔を上げる。
フードの奥に覗く瞳――あの焦げたような光に、彼女は確信した。
「久しぶりですね。不死身さん」
フードの影がわずかに動いた。
「……そう呼ばれてたな。」
セレナードは腰の双剣に指をかけながら、穏やかに言った。
「あなたの中に棲んでいるのは“魔神”。
けれど、あなたにはそれを抑える術がある。
――あなたが不死身と呼ばれる所以、あのスキルが鍵ね。」
ドーレイの目が細くなる。
首輪には相変わらず“タフネス”の文字が淡く光っていた。
「スキルなんざ、ただの枷だと思ってた。」
「いいえ。使い方を知れば、枷は鎖ではなく“制御”へと変わります。」
セレナードの声は静かだった。
「あなたの内側の声、それを恐れず見つめてください。
封じるのではなく、共に在る術を見つけることができるはずです。」
短い沈黙のあと、ドーレイは息を吐いた。
「……そんな簡単に言うなよ。喰われるのは、俺だ。」
セレナードはかすかに笑う。
「喰われそうになったら、“耐える”ことができる。
それがあなたのスキルの本質です。
“我慢”とは、“抗う”ことではありません――支配することです。」
彼女は踵を返し、マントを翻した。
「……それと、ひとつ忠告を。
異端審問官が動いています。彼らは“魔神”の匂いに敏い。
もし見つかれば、今のあなたでは太刀打ちできません。」
マントを翻しながら、彼女は小さく呟いた。
「――私たち七星と遜色ない、厄介な連中です。」
ドーレイは短く頷いた。
「……覚えとく。」
セレナードの白いマントが闇に溶けていく。
それを追いかけるように一陣の風が吹いたと同時に、洞窟の奥でわずかに砂が鳴った。
深層の呼吸が、次の鼓動を打ち始めていた。




