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第34話 異端の訪問者

お待たせしました!

第四章もよろしくお願いします。

 砂の街に、風がない夜だった。

 アレナ・マグナの管理棟。その最上階の窓辺では、燭台の炎がわずかに歪み、壁に長い影を落としていた。

 外では砂丘が月光をまとい、街の灯りを遠ざけている。

 音がない。

 砂の街ゼルハラが、まるで呼吸を止めたかのように静まり返っていた。


 机の上には封を切られた報告書が山のように積まれ、硝煙と油の匂いが混じっている。

 ガルマはその山のひとつを手で押しやり、葉巻を転がした。

 火が小さく弾け、灰が机の端に散る。


「……思ったより早ぇな。帝都の犬が来るのは、もう少し先かと思ってたぜ」


 扉の前に立つ男は、黒い外套に銀の紋章を縫い込んでいた。

 胸元の印章は帝都異端審問局。腰には十字架を模した片手剣。

 左手には古びた魔導書を携え、頁の縁が呼吸するように淡く光を帯びていた。

 その姿は、まるで砂に降りた影のようだった。


「“血契”の残滓を検知した以上、放置はできません」

 男の声は低く、どこかに祈りのような響きを含んでいた。

「帝国の記録によれば、最後に同様の現象が確認されたのは三百年前。

 この街で、いったい何が起きたのです?」


 ガルマは葉巻を咥えたまま、わずかに肩を竦める。

 外の砂が窓を叩き、カーテンの隙間から冷気が入り込んだ。


「見ての通りだ。砂の上で、ひとりが“生き残った”。

 それが気に入らねぇ連中が、上から首を突っ込んできた。ただそれだけの話だ」


「……私は帝都異端審問局第七課の者、カインと申します」

 男は名乗りながら、魔導書を胸に抱いた。

「この地における異端調査の任を預かっています」


「肩書も名前もどうでもいい」

 ガルマは息を吐き、煙を斜めに吐き出す。

 その灰色の線が二人の間を隔てた。

「結局のところ、何が言いたい?」


「あなたは異端を匿っていると疑われている」

 カインの瞳が微かに光る。

 燭の炎がその瞳に映り、色を失っていく。

「この街で起きたことは、今より私の管轄とさせていただきます」


「好きにしな。俺は見届けるだけだ」

 ガルマは椅子を軋ませ、背もたれに沈んだ。

「砂がどう息をして、どこで止まるかをな」


 カインは一度だけ頭を下げ、背を向ける。

 扉が閉まり、重い金具の音が夜を裂いた。

 残ったのは、葉巻の火が弾ける小さな音だけだった。


 ガルマはしばらく天井を見上げていた。

 「祈りなんざ、とっくに捨てたよ」

 独り言のように呟くと、灰皿に葉巻を押し付けた。

 窓の外では、遠くの風がようやく動き出し、砂の粒を運んでいった。


 ◇


 ――あれから、一月。


 リオルは砂を踏んでいた。

 まだ夜明け前、空の端が白んでいく。

 訓練場には冷えた風が流れ込み、灯籠の火が小さく瞬いた。

 砂の上に裸足を置くと、熱が抜けていくような痛みがあった。

 木剣を振るたびに、乾いた音が夜気を裂く。

 音は少しずつ形を持ち、一定のリズムに変わっていく。


 背筋を伸ばす。

 砂の匂いが肺に染み、汗が冷えていく。

 その繰り返しの中に、ひと月前の自分とは違う感覚があった。


「肩の入りが甘い」

 背後から声が飛ぶ。

 振り向くと、ジャレドが腕を組んで立っていた。

 朝焼けが金の首輪を照らし、そこには〈ブレイバー〉のスキル名が淡く浮かんでいる。

 リオルの首輪には、何の文字もなかった。

 刻印の代わりに、金属の冷たさだけが肌を刺していた。


「一ヶ月で、よくここまで来たな」

「でも……まだ思うように動けません」

「動こうとしすぎだ。剣は頭じゃなく、腹で振るもんだ」


 ジャレドが一歩近づく。木剣が閃いた。

 反射的に受けたが、衝撃が腕から抜けた。

 砂が舞い、背中を打つ。


「考える前に動け。お前は目で追う癖が強い。

 ……けどな」

 ジャレドの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

「その目は悪くねぇ。戦いの“筋”を見てる。鍛え甲斐がある」


 リオルは砂を払い、再び構えを取った。

 呼吸の音だけが、訓練場に響いた。

 胸の奥で、小さな火が灯る。

 それはまだ弱いが、確かに温かかった。


 訓練場の端では、ガルマがそれを見ていた。

 葉巻の火が朝の風に揺れ、紫煙が白く薄れていく。

 周囲の砂が赤く染まり、街の鐘が遠くで鳴った。

 「……あのチビも面白ぇもん持ってやがる」

 煙が風に乗り、空へと溶けた。


 ◇


 石造りの神殿。

 朝の光が高窓から差し込み、白布の上に柔らかい影を落としている。

 セリナは膝をつき、両手を組んだ。

 燭火がわずかに揺れ、壁の影が十字を描く。


「どうか……彼に導きを」


 その声は静かで、祈りの先は遠く深い。

 胸の奥に、まだあの“歌”の残響があった。

 あの夜、砂を鎮めた旋律。

 耳の奥に残る微かな響きが、今も心臓と一緒に脈打っている。


「あなたの声が、届きますように」


 祈りが空気に溶け、香の煙と混ざる。

 神殿の外では、砂の風が再び吹き始めていた。


 ◇


 砂の下――

 もっと深く。誰も知らぬ闇の奥。


 風が逆に流れていた。

 呼吸のように、砂が脈動する。

 皮膚をなぞる冷たい空気が、まるで生き物の吐息のようだった。

 赤黒い光がゆっくりと明滅し、闇の輪郭を描く。


 そこに、ひとつの影が立っていた。

 目は閉じたまま、ただ静かに呼吸している。

 砂の粒が彼の足元でうねり、かすかな音を立てた。


 ――砂は、まだ息をしている。


 影がゆっくりと歩き出す。

 その足跡は、血と砂を混ぜたような色をしていた。


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