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第31話 「アルマ・ドローリス」

 ザイロスの笑みが、温度を奪った。


 砂の上に立つだけで圧だ。

 肩の筋がわずかに伸び、剣の角度が半呼吸分、落ちる。

 たったそれだけで、空気の密度が一段深くなった。

 胸骨の奥が、ひとつ遅れて軋む。


 俺とヴェラが前に出る。

 弧を描くように分かれ、砂を蹴る。

 ザイロスの剣がゆるやかに上がった瞬間、視界の色が変わった。


 ――速い。


 風が鳴る。白が弾け、音が追いつかない。

 ヴェラの矢が放たれるより早く、斬撃が走った。

 爆ぜた風の中で、ヴェラの身体が砂上に叩きつけられる。

 矢束が飛び散り、短弓が遠くで転がった。


「ヴェラ!」

 声を出した瞬間、脇腹に焼けるような痛み。

 刃が掠めただけで皮膚が裂けた。

 息が詰まり、視界が白く滲む。


 ――まだ本気じゃなかったのか。


 ザイロスの灰眼が笑う。

「やっと“舞台”が温まってきたな」


 その圧だけで砂が唸る。

 黒砂のようなオーラが、周囲の光を押し潰していく。

 熱でも風でもない。

 “暴力”そのものが形を持っていた。


 壇上で審査官が符に手をかける。

 だが、ガルマの親指が静かに横へ向いた。――まだだ。


 ヴェラはうめき声をあげながらも起き上がろうとする。

 だが脚が言うことを聞かない。

 肋も、肩も、ひと息で砕かれていた。


「……下がってろ!」

 ヴェラに向けたジャレドの声。

 背後からのその声に合わせて、俺はナイフを逆手に握り直した。

 ザイロスの刃が俺の正面を掠め、火花が散る。

 脇を通り抜けた風がすぐ後ろで爆ぜた。


 爆音と共に魔法使いの詠唱。

 ジャレドへ向け、熱弾が二条。

 爆光。轟音。――それでも、背後から聞こえるのは「踏み出す」音。


 焦げた匂いが鼻を突いた。

 振り返ると、ジャレドがすでに距離を詰めていた。

 素手で炎を弾き、肘で杖を折り、逆手の剣で首筋を裂く。

 灰緑の外套が崩れ、砂に沈んだ。


 魔法使いの死よりも早く、俺の足元の砂が跳ねた。

 音がしたと思った瞬間、胸に重い衝撃。

 地面が裏返る。

 蹴られたのだと気づくより先に、体が空を描いていた。


 砂が顔に突き刺さる。呼吸ができない。

 腕で受けても、骨ごと沈む。肺が焼けるように痛い。


 ザイロスが一歩踏み出し、砂を踏み潰した。

 その灰眼が、――すでに動かない二つの影へと向いた。

 砂の上には、二つの死体が転がっている。


「……ゴミ二枚。最初から計算に入れてねぇ。俺一人で遊ぶ気だったんだよ」


 冷たい声。

 俺の拳が自然に握られていた。


「ブロンズが、全員“同じ”だと思うなよ」


 血の味が口に広がる。

 視界が揺れる中、ナイフを拾い上げた。

 ザイロスの灰眼が、こちらを見て口角を上げる。


「いい顔だ。その線、嫌いじゃねぇ」


 その瞬間、視界の端に影。

 ジャレドが戻ってきていた。

 肩に血を浴び、息を荒げながらも、目は死んでいない。


「二人でなら、線を通せる」

 その声に、胸の奥がまた熱を取り戻した。


 同時に踏み込む。

 砂が割れ、火花が散る。

 数合だけ、互角。


 だが、ザイロスの剣が“重さ”に変わった。

 空間がひとつ沈む。

 ジャレドの胴に、黒い線が走った。

 血が、砂に散る。


「……ジャレド!」


 彼は一度だけこちらを見た。

 何も言わずに、剣を落とす。


 ザイロスが振り向いた。

 笑っていない。


「残り一匹か」


 刃が、俺の胸を貫いた。


 音は、なかった。

 ただ、熱と冷たさが同時に来た。

 肺が潰れ、空気が鉄に変わる。

 視界が白く、そして黒い。


 倒れる途中で、昔の天井が見えた。

 白い蛍光灯。

 夜更けのオフィス。

 誰もいない島の椅子。

 コーヒーの染み。

 キーボードの音。

 返ってこないメッセージ。

 画面の光だけが、俺の顔を焼いていた。


 ――お前の、誓いはどこだ。


 ざらついた声が、砂の下から響く。

 あの刃の奥の声。

 血を舐める舌の音。


 喉は声を失っていたが、心臓はまだ叩いていた。

 胸の奥で、赤黒いものが、呼吸している。

 砂が、それに応えるように震えた。


「まだ……喰える」


 誰の声か分からない。

 俺か。刃か。砂か。

 赤黒い脈が、剣の穴から砂へ零れ落ちる。

 砂はそれを吸い、返した。

 返ってくる熱。

 返ってくる飢え。

 返ってくる――獣。


 ザイロスが一歩、下がった。

 灰眼が、興奮に濡れる。

「やっと顔を出したか。待ってたぜ」


 観客席がざわめく。遠くで金属が嵌る音。

 上位戦でしか張られない防護の鈍い光が、外周に滲み始めた。

 誰かが叫ぶ。誰かが笑う。誰かが震える。

 砂が、息を呑む。


 胸の穴から、赤黒い霧が立ちのぼった。

 指が、骨の軋みを忘れていく。

 皮膚の下で、別の鼓動が生まれる。

 刃が、俺の掌の中で笑った。


 ――喰わせろ。


 地面が、低く唸る。

砂の呼吸が、俺の心臓と重なる。

視界の端で、ジャレドが砂を掴んだままこちらを見ていた。

折れた目じゃない。

託す目だ。


 俺は、立った。


 砂が足裏で歌った。

赤黒いオーラが、肩から、背から、頭から、角のように立ち上がる。

耳鳴りが止まらない。

血と砂の匂いが、ひとつに溶けていく。

ザイロスが嗤う。


「その顔だ」


 砂の歌が、割れた。

俺は――喰うために、前へ出た。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。

いよいよ三章クライマックスに近づいてきました!


少しでも面白いと感じていただけましたら、ぜひブクマと評価で応援してください!

よろしくお願いします!

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