第3話 初戦、血と痛みの中で
砂の上に立った瞬間、足がすくんだ。
観客席を埋め尽くす人々の熱狂。罵声、笑い声、金属を叩き合わせる音。
まるで地鳴りのように全身を圧迫する。
目の前に立つのはラガン。
先ほど控室で出会った大男だ。
丸太のような腕で戦斧を構え、唇を吊り上げて嗤っていた。
「殺す!」
その一言で、場内が沸いた。
俺の手にあるのは、錆びついた鉄の剣。
刃こぼれだらけで、握ると手にざらつきが食い込む。
どう見ても、最初から壊すために用意された“道具”だ。
⸻
試合開始の合図。
ドンッ――!
ラガンが猛牛のように突進してきた。
振り下ろされた斧は、空気を裂き、俺の剣に叩きつけられる。
バキィッ!
一撃で剣は折れ、衝撃が全身を駆け抜けた。
胸を打たれたような痛みに吹き飛ばされ、砂の上を転がる。
「ぐっ……はぁっ……!」
視界がぐらぐら揺れる。
胸骨が折れていてもおかしくない衝撃だった。
観客席からは「ほら見ろ!」「一撃だ!」と歓声が上がる。
だが。
俺は立ち上がっていた。
血を吐き、身体を震わせながら、それでも膝を伸ばす。
「……あれ?」
観客のざわめきが変わった。
「なんで立ってる?」
「タフネス持ちか……!?」
「いや、あれはおかしい……!」
歓声が渦巻く中、特等席から鋭い視線が突き刺さる。
興行主ガルマ・ヴェルトだ。
彼は腕を組み、片目を細めてこちらを観察していた。
(……ただのタフネスにしては、異常すぎるな)
観客が熱狂するほど、ガルマの表情は逆に冷静さを増していた。
⸻
ラガンが眉をひそめ、再び斧を構える。
次の一撃は横薙ぎ。
腹に直撃した瞬間、胃の中のものが逆流しそうになった。
常人なら、肉も骨も断ち割られて、その場で絶命していてもおかしくはなかっただろう。
それでも俺は、砂を噛みしめながら必死に呼吸を繰り返していた。
「がはっ……!」
身体が宙を舞い、砂に叩きつけられる。
視界が白く弾け、全身を痛みが支配する。
それでも立ち上がる俺を見て、観客席がざわめきを増した。
「バケモンか……?」
「いや、まだ息があるだけだ!」
⸻
ラガンが舌打ちし、武器を構え直す。
次は武器ではなく、膝蹴りだった。
ドガッ!
鳩尾に突き上げられた瞬間、息が全部持っていかれた。
肺が潰れ、視界が暗転する。
「……っ、ごほっ……!」
砂に崩れ落ちる俺を、観客は笑い飛ばす。
「ほら見ろ!もう終わりだ!」
「タフネスでも限界がある!」
だが、俺はまた膝に力を込めた。
⸻
ラガンの顔が歪んだ。
「しつけぇ……!」
戦斧が再び振り下ろされ、肩口を深々と裂いた。
鮮血が砂に飛び散り、観客席から歓声と悲鳴が同時に上がる。
「死んだな!」
「今度こそ動けまい!」
だが。
俺は立っていた。
肩から血を流し、呼吸も荒い。
けれど、その目だけはまだ死んでいなかった。
また死ぬのか……? 今度は異世界で、奴隷のまま?
いや……まだ死にたくない。ここで終わりたくない。
社畜でも、奴隷でもない。俺は俺だ……!
⸻
その瞬間だった。
傷口から滴る血が、何かを呼び覚ますように脈打った。
ザザッ……。
折れた剣の残骸を握る俺の手に、赤い光が集まる。
次の瞬間、血と痛みが形を取り、刀身を象った。
漆黒の刃に、赤い脈動が走る。
見慣れない武器――まるで俺の苦痛そのものが具現化したような剣。
「……これ、は……」
観客席からどよめきが起こる。
「血剣だ……!」
「まさか、血魔法……!」
ラガンの目が見開かれた。
「剣……? さっき折ったはず……!」
苛立ちを込めて歯ぎしりする音が聞こえた。
ガルマはその様子を見て、口角を僅かに吊り上げた。
(やはり面白い……これは使える)
⸻
ラガンが突進してくる。
だが俺は、初めて自分から一歩を踏み出した。
赤黒い剣が、唸りを上げて斧を受け止める。
ギィィン、と火花が散り、俺の手は裂けて血が溢れ出す。
――戦い方なんて知らない。だが、この剣を握った瞬間、身体が勝手に動いた。まるで剣そのものが俺を導いているかのように。
その血は刃に吸い込まれ、さらに輝きを増した。
「……っ!」
ラガンが押し込まれた。
観客が一斉に叫ぶ。
「血剣だ! 奴隷が血剣を振るってる!」
「押し返してるぞ!」
「ありえねぇ……!」
そして誰かが叫んだ。
「不死身の……ドーレイ!」
その声が波紋のように広がり、場内を埋め尽くす。
「ドーレイ! ドーレイ!」
「不死身のドーレイ!」
皮肉なことに、それは奴隷を意味する響き。
けれど、この世界ではただの闘技士の名として熱狂と共に叫ばれていた。
俺は剣を握りしめ、血を滴らせながら叫んだ。
「……社畜の次が奴隷かよ。
いいだろう。生き残って、この檻をぶっ壊してやる!」