第24話 砂の底への招き
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何卒!!
朝の光が石壁の目地を白くなぞっていた。執務棟の扉を押すと、紙と葉巻の匂い。机の向こう、片眼に古傷の男が顎を上げる。
「また外勤か、不死身」
「試合だけ回してりゃ上に行けるほど甘くねぇだろ。稼げるうちに砂を踏んどく」
「上等だ」
ガルマは指で書類束を弾き、数枚の依頼札を扇のように広げた。護衛、盗賊、行方不明──見慣れた文言の間に、赤い封蝋がひとつ。
「イストリア商会。南のダストホロウで採取班が行方不明。《砂哭草》採りだとよ」
「砂哭草?」
「薬屋の喉から手が出るやつだ。……ただし“普通は深層”。報告じゃ五層で見たって言う。だから金は弾む。調査と護衛、合わせて成否で金貨一。首輪の外勤許可は俺が通す。連れてく奴は自分で選べ」
札を受け取り、踵を返す。初めての外勤みたいに肩に力は入らない。砂丘の荷護衛も、街道の見張りも、スコーピオン狩りもやった。外の風は、もう怖くない。ただ、今回は“何かが違う”匂いがする。
◇
昼、第二訓練場の裏庭。赤土に光が斜めに落ち、木剣の乾いた音が遠くで繰り返される。呼び出した二人に札を差し出す。
「ダストホロウ。五層の調査だ。採取班が戻らねぇ。《砂哭草》が目的らしい」
ヴェラが眉を寄せ、赤髪を指で束ねた。
「砂哭草……それ、希少種よ。深層でしか“呼吸”しないはず。五層で生えるなんて聞いたことない」
「俺もだ。だから商会が焦ってる」
「……面白いわね。行くなら、私もついていくわ。細剣はいつも通り、偵察・罠解除・短弓の援護までやれる」
ジャレドは片手剣を鞘で軽く叩き、左腕の盾を持ち上げる。最近の彼に一番なじんだ道具だ。
「前は俺に任せろ。片手剣と盾で線を作る。お前は半歩で崩して一息で通せ。ヴェラは前に出て刺すより、見て切る。罠と射線、頼む」
「最初から人に指図するんじゃないの」とヴェラが笑う。「でも陣形はそれでいい。狭い通路なら“前衛一・中衛一・後衛一”ね」
互いに頷き、短い確認として足慣らしを入れた。三人で円を作り、掛け声無しの動き合わせ。ジャレドが盾で押し、俺がその影に半身を滑り込ませる。ヴェラが斜め後ろから短弓で“鳴らし”を一矢、次の拍で細剣を差し込む――砂に靴底がきゅ、と鳴り、三本の線が一瞬揃う。
「……いけるな」
「まだ粗いけど、骨はある」とヴェラ。「ドーレイ、あんたの“半歩”が合図になる」
そこへ、影が跳ねる。
「なら、私も行きます!」
セリナが駆けてきた。今日は治癒班の白衣じゃない。砂色の薄衣に、肩だけ覆う紗のショール、短いブーツ。腰には小ぶりの薬嚢が三つ。
「お前、聞いてたのか」
「訓練場で噂になってますから。……それに、外勤の救護は人手が足りないんです。以前の依頼の時、現地で“誰も止血の仕方を知らなかった”でしょ?」
言いながら背嚢の口をあける。包帯、止血帯、消毒、縫合具、痛み止め。マナポーションの小瓶も並ぶ。水袋は二重、乾いた果実と簡易栄養糧食まで詰まっている。
「“危ねぇから置いてく”って言われる前に、ちゃんと準備してきました」
ジャレドがふっと笑った。「言うことは言うじゃねぇか」
ヴェラが肩をすくめる。「戦力的にも助かる。ヒーラーがいるだけで踏み込める幅が変わる」
「……いいのか、ドーレイ」
「来い。俺らの背中は俺らで守る。お前はその先を繋げ」
セリナはぱっと笑い、まっすぐ頷いた。
「はい。必ず繋げます。……誰も、死なせませんから」
◇
出る前の、最後の合わせ。訓練場の片隅で、ジャレドが砂に線を引く。
「通路幅はこれくらいとして……前は俺。ヴェラは右斜め後ろ、罠と壁面。ドーレイは左斜め後ろ、崩しからの通し。セリナは俺の真後ろ、“盾の影”に入れ。危なそうなら俺ごと押し返せ」
「押し返すのはこっちの台詞よ」とヴェラが笑う。「矢で止める時間、ちょうだい。二拍。長くて三拍」
「二拍で通す」と俺。「三拍目は俺がかぶる」
砂に“拍”を打つみたいに、短い模擬戦を重ねた。俺の半歩に合わせてジャレドが面を押し、ヴェラが矢の音で相手の視線を飛ばす。セリナは視線で四人のリズムを追い、息の合わない瞬間を指で弾く。
「今の二拍目、ドーレイが早い。半歩は“作る”んじゃなく“盗む”」
「了解」
汗が顎から落ちる頃、ジャレドが木剣の柄で砂を二度叩いた。
「よし。……あとは道具だ」
◇
夕刻、南門前の市。砂避けの布が朱に染まり、露店の鈴が風で鳴る。外勤札の更新所でガルマ派の印を受け、首輪の符が一度だけ淡く脈打った。門を越えるための“生殺しの紐”は、今日もちゃんと繋がっている。
装備の最終確認。ジャレドは丸盾の縁に革を巻き直し、剣に油を引く。関節には薄い麻布を噛ませて擦れ止め。ヴェラは細剣の棟を爪で弾き、短弓の弦を新しいものに替えた。矢束は軽量、鏃は二種――穿ち用と刃広。罠具は小さな皮袋にまとめ、腰の外に出ないよう帯に編み込む。
俺は黒鉄のナイフの刃返りを直し、鞘口を締めた。血を喰わせるかは“最後の最後”。最初から頼る線じゃない。
「水は……四人で皮袋六。予備はロバに二」
セリナが指折り確認する。肩のショールは風砂避け。外套は持ってきていない。砂の街の午後に合った格好だ。
「塩と糖も忘れずに。熱の抜け方が違うから」
買い足しながら歩く間、ヴェラが急に立ち止まった。
「……五層に砂哭草。もし本当に生えてたなら、ダストホロウの“呼吸”が変わってる」
「呼吸?」
「生き物みたいなものよ、深い穴って。風の通り、熱の逃げ道、湿り気の場所。植物はそれに反応する。罠も、敵も」
視線が細くなる。「だから、楽しみ。未知は強い人の栄養だから」
ジャレドが乾いた笑いで肩を竦めた。
「未知は腹も減らす。パンは多めに買っとけ」
◇
南門の石影が長く伸び、空の色が琥珀に溶けた。門番が通行札を改め、俺たち四人を上から下まで一度で見た。盾・細剣・短弓・薬嚢。どこから見ても“前衛三・後衛一”に見えるのは仕方ない。だが俺たちの中ではもう、役目は割れている。
門外は砂の匂い。風はまだ冷たい。遠く、砂丘の向こうに黒いへこみがある。ダストホロウ――砂に穿たれた巨大な穴、二十層あるとも三十層あるとも噂される古い竪穴。
「明け方に着いて、一層で呼吸を合わせる。五層の入口までは急がない」
俺が言うと、三人がそれぞれのやり方で頷いた。
セリナは胸の前で小さく拳を作る。「必ず繋げます」
「当たり前だ」とジャレド。
「帰ってくるけど、ひとつくらい謎を持って帰りたい」とヴェラ。
ふと、背後で誰かが名前を呼んだ。
「ドーレイ」
振り向けば、昼の訓練場で見かけた少年――リオルが、搬入口の方から駆けてくる。首輪に下げた掃除札、手には包み。
「これ……干し肉。お礼。昨日、掃き出しの仕事、もらえたから」
「受け取れねぇよ。お前の飯だ」
「ぼく、ちゃんと貯める。……だから、帰ってきて」
細い声。俺は包みを受け取り、片手で少年の頭を軽く叩いた。
「帰る。砂の下がどうなってようが、帰る。約束だ」
少年は何度も頷いて、走り去った。砂が小さく跳ねて、すぐに静かになる。
門の外に出ると、街の喧騒が一枚薄くなった。振り返れば、尖塔の先に夜の最初の星がかかっている。アレナ・マグナの上空にはまだ歓声の余熱が漂い、鐘の音が遅れて二度、風に流れた。
俺は依頼札を握り直し、息を吐く。
「砂の下に、何が眠ってるのか……確かめに行くさ」
誰も笑わなかった。風が一度だけ鳴り、砂の表面を撫でていく。四人の影が長く伸び、やがてひとつの線に重なった。
ゼルハラの夜が、静かに背中を押す。明け方、俺たちは砂の底へ降りる。そこにある未知を、半歩ずつ、盗み取りに行くために。