第20話 覚醒の大剣、勝利の線
轟音。
白と赤黒がぶつかり、砂が面で爆ぜる。衝撃波が円形客席を一段ずつ撫で上げ、掲げられた杯が空で跳ねた。観客の喉が同時に鳴り、音はひとつのうねりになって頭蓋を叩く。
(折れるな。通せ)
エルガの剣が再び白く細る。刃の根から涼しい光が立ちのぼり、円盾の表にも薄氷の膜が張る。
足音は小さい。それなのに、踏まれた砂だけが深く沈む。
「来るぞ――!」
最上段から誰かが叫ぶ。次の瞬間、白。
上段の切り下ろし。盾の面打ちに重なるように、横筋の払い。拍が二重に噛む。
受ける。流す。だが大剣は重い。肩が抜けそうになる。縁が頬をかすめ、熱が走る。
「ぐっ……!」
一手、二手、三手――間髪入れず十手。
切っ先が脇を穿ち、白い突きが肋の間で火花を上げる。腹斜が裂け、温い血が脇腹を伝う。
それでも落とさない。両手の指を食い込ませ、赤黒い大剣を振り返す。
大振り。荒い。だが、重さで白を叩き潰す。
火花。砂柱。客席の息が詰まる。
「当てた! だが……!」
「もらってる、あいつも盛大にもらってる……!」
その通りだ。
肩、腿、背。捌き切れない白の手数が、等間隔の痛みとして刻まれていく。
膝が笑い、呼吸がばらける。口腔に鉄の味。
それでも、振る。痛みは重さに変わる。血の脈は柄に集まる。振るたび、大剣が脈打って俺の骨を内側から叩く。
(耐えるだけじゃない。叩き返せ)
エルガの目が細まる。白がさらに細く鋭く、突きの線に絞られた。
盾で視界を奪い、剣で抉る――二拍三連。
踏み替えの砂音が、拍ごとに耳を断つ。
「はッ!」
白い閃光が喉を掠める。皮が裂け、温い線がつたう。
受け返した刃は盾に吸われ、弾かれた反動で肩が抜けた。
すぐ近く、観客が誰かの名を喚く声。遠い。世界が狭くなる。
(足だ。半歩、内)
ジャレドの声が骨の奥で鳴る。
俺は足裏を噛ませ、半歩だけ内へ滑らせる。
大剣の柄頭で拳のように押しつけ、次の拍を潰す――腰を切る。
赤黒い弧が盾の縁を削ぎ、白い薄皮が剥けて散った。
「おお……!」
場内が揺れた。だがエルガは揺れない。
白が戻る。打点が上がる。さらに手数が増える。
上・下・横・突き――順逆を切り替え、合間に肩で押し、足で払う。
捌き切れない。判っても、身体が遅い。
頬が割れ、耳が鳴る。
脛に白が走り、力が抜けかける。
胸に押し当てられた盾の面で空気を搾り出され、視界が白く跳ねる。
吐いた息が砂を湿らせ、そこへも血が落ちた。
(倒れるな。線は、まだ――)
足をずらす。斜めに受ける。腰を切る。
間に合わない。肩口が開き、白が刺さる。
それでも踏みとどまり、振る。
大剣の大振りが砂を抉り、白い拍の端を食む。
わずかに押す。
押しきれない。
だが――押した。観客がそれを見た。
「まだ押し返してる! あの出血で――!」
腹筋が痙攣する。視界の端で砂が揺れ、遠くで旗がばたつく。
エルガの足が、ほんの刹那、重く地を掴んだ。
決めに来る足だ。白が一点に収束する。
(ここだ)
俺は剣を下げない。――避けない。
白い突きが一直線に腹へ伸び、皮膚を割り、肉を割り、内側で音を立てた。
「ッ……が……!」
全身が反射で退こうとする。膝が勝手に折れそうになる。
逃がさない。おれが、逃がさない。
突き込む腕。盾の押し込み。白の「勝ちの拍」に、必ず生まれる、きわめて短い“静”――硬直。
勝利を確信した刹那の、微細な張り。
見逃すな。
俺は血を吐くように息を吐き、腹に刺さった剣ごと、全身を前へ入れた。
自分の肉で相手の剣を“挟む”。柄を腸で噛み殺すみたいに、逃げ道を潰す。
エルガの目が一瞬だけ揺れる。
白い手首が、極細に止まった。
(今だ――!)
大剣を“振る”のではない。“落とす”。
肩、肘、手首――全部ほどいて、体重と血と痛みごと、上から一本の線に落とす。
赤黒が白の芯を裂いた。
盾の砕ける音。白の皮膜が千切れて宙に舞い、光の屑が砂の上で雨になった。
遅れて響く歓声。音の壁が胸郭を裏から叩く。
静寂。
エルガの身体が傾ぐ。だが倒れない。
膝を一つ、砂に沈め、片腕で地を支え、もう片方の手は――まだ剣を握っていた。
血が滴り、白が霧のように薄れる。
それでも、その瞳だけは濁らない。冷たい湖の底のような静けさで、真っ直ぐこちらを見る。
わずかに、顎が引かれた。
敗者の礼に見えた。
同時に――“まだ終わっていない”という、どこかの筋の張りにも見えた。
砂塵が吹き、担架を抱えた兵が駆け込む。
エルガの肩に布が掛けられ、視線の間をすり抜けるように運び出される。
足跡は深い。だが、途切れてはいない。
(……生きている、か)
俺の大剣が、そこでふっと軽くなった。
赤黒い刀身が霧にほどけ、掌に残ったのは裂けた皮と、自分の血の生臭さだけ。
遅れて腹の痛みが爆ぜ、息が折れる。膝が砂に触れかけ――踏み止まる。
歓声が、名を呼ぶ波になる。
「ドーレイ! ドーレイ!」
熱が、砂から湧き上がる。耳鳴りと混ざり、遠い海鳴りみたいに続く。
(終わった……生き延びた)
指の骨一本一本が、まだ鼓動を覚えている。
胸の奥で、赤黒い脈がかすかに灯り、すぐ、静まった。
⸻
控室。
扉が背中で閉まる前に、白いローブが飛び込んできた。
「ドーレイさん!」
セリナが半ば泣き、半ば怒っている顔で肩を支える。触れた手が熱に跳ねて、息を呑んだ。
「待って、これ……どうしてこんな――」
「大丈夫だ」
掠れ声。だが言葉は落ちた。
セリナの掌に柔らかな光が宿る。腹の裂け目に当てられた瞬間、内側から収縮する感覚が先にやってくる。
彼女が目を丸くする。「また……普通よりも早く……」
壁際。
ジャレドが腕を組んでいる。無言で顎だけ僅かに上がった。
叱責でも、称賛でもない。砂の上で通した線を見た者の、短い肯定。
しばし、息だけが部屋を満たした。
セリナが喉の奥で涙を飲み込み、笑顔を作る。
「……これで、晴れてブロンズ、です。ね?」
やっと、響いた。
錆びた鎖の音の代わりに、金属の輪がひとつ外れる音がした気がする。
「ブロンズか」
自分でも驚くほど、声は平らだった。
嬉しさも安堵もあったが、それよりも、舞台の砂の重さがまだ掌に残っていた。
ジャレドが短く吐く。「明日からも砂は固くねぇ。足で噛め」
それだけ言って、踵を返す。扉の前で、ほんの一瞬だけ立ち止まり、振り返らず続けた。
「……死ぬな」
セリナが慌てて頷く。「死なせません!」
俺は苦笑して、頷き返した。
目を閉じると、腹の奥で、もう消えかけの赤黒い脈がひとつだけ、ぽん、と跳ねた。
それは、檻の鍵穴に触れた指先の微かな手応え――そこから先をひねれば、開くのか、折れるのか。
その境の感触だった。
第二章「覚醒の檻」をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
不死身と呼ばれただけの男が、初めて自らの力で勝ち取り、
ブロンズへ昇格するまでを描いた章でした。
そして血と痛みから顕現した大剣――アルマ・ドローリス。
それは檻を打ち破る鍵なのか、それとも新たな呪いなのか。
次章からも、ドーレイの歩む道をぜひ見届けてください。
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