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第19話 本気の剣、折れない心

白が濃くなる。場内の熱が一段引き、かわりに空気の密度だけが増したように感じた。

エルガの剣と盾に淡い光が宿る。刃の稜線をなぞる白、円盾の面に薄氷の紋。冷たい輝きだった。近づくほど、肺の内側が洗われるように冷え、体温が奪われる。


(ここから――本気)


踏み込み。砂が鳴るより早く、白線が肩へ落ちた。角度を付けて流す――つもりが、刃は弾かれ、円盾の縁が頬骨を打つ。続く突きが鳩尾へ刺さり、内臓を握られたみたいに息が抜ける。胃の奥が噛み潰され、視界に白が弾けた。


膝が落ちかけるたび、砂を指で掻いて体を起こす。受ける、流す、殺す――間に合わない。二拍目がわずかに早い。読みの外側を叩かれる。


「終わりだ!」

「不死身も白には勝てん!」


賭け声が割れ、硬貨が飛ぶ音が耳を掠めた。肩口が裂け、温かい血が鎖骨を伝う。肋の上へ白い面打ち。足払い。砂が視界ごとひっくり返る。頬が砂に擦れ、塩辛い血が口に入る。立つ。


(落ちるな。落ちたら終わりだ)


――喉に鉄の味。目の端が黒く欠ける。片膝をついた姿勢で、剣を杖みたいに地に着いた。掌が滑る。血と汗。柄が冷たい。


白が、さらに強く点る。エルガの瞳がわずかに細まり、測る目になる。決めに来る。俺は歯を食いしばり、半身を深く落とした。


そのとき、胸の奥で何かがひび割れた。


――社畜時代の音が、耳の裏に戻ってくる。


深夜二時。大口契約を取った翌週、納品した新システムが止まった。常駐先のデータセンター、警報。カード決済のゲートが落ち、顧客の売上がリアルタイムで消えていく。

「復旧までここにいろ」

夜通しの“対策本部”。会議室の窓は朝まで黒い鏡だった。相手も帰れない。監視卓のランプが赤く脈打ち続け、誰かの溜息が蛍光灯の下で乾く。

俺は眠らない。ログの海を掻き分け、仕様と現場の齟齬をノートに書き起こす。視線は痛いほど刺さるが、助けは来ない。部長はチャットに「進捗」とだけ打ち、上席は「いつ直る?」とだけ訊いた。ベンダーの責任も、社内の政治も、全部が俺の机の上で一つの山になっていた。


その頃から、腹が痛み始めた。最初は空腹の刺すような痛み。やがて、何もしていなくても鈍い鉛玉が入っているみたいに重くなった。会議室の椅子に座っているだけで、腹の内側を誰かに握られているみたいだった。

病院に行く時間はなかった。障害報告、原因分析、パッチ、再発防止。机の下に常備した胃薬で一時しのぎを繰り返し、最後の客先レビューが終わった日の夜、俺はトイレで吐いた。黒いものが混ざっていた。検査結果は、胃潰瘍。

医者は言った。「よく破れていませんでしたね。普通はここまで我慢できません。痛み止めで誤魔化して働けるレベルじゃなかったはずです」

俺は笑った。笑うしかなかった。翌朝にはまた会議があったからだ。


(我慢して、耐えて、立った。あの時も。今もだ)


現実に戻る。白が迫る。腹筋に走る古い痛みの記憶と、新しい痛みが重なる。肩、脇腹、脛、眉――小さな裂けが増えていく。汗に混じる血の匂いが濃くなる。


エルガの白線が、眉上を細く切った。視界の片側が赤く滲み、瞬きをするたび世界がざらつく。耳の奥で自分の呼吸が波のように反響する。


(視えない――でも、線は消えていない)


砂の上に、頭の中で一本の線を描く。受け・崩し・斬りを一息で――牙の届く間合いでやるしかない。


白い斬り下ろし。受け流す拍が遅い。肩に食い込み、血が噴く。温かい筋が腕を流れ、柄へ落ちる。掌の中で、血と柄巻が混ざってぬるりと滑った。


そのぬめりごと、握り込んだ。


掌の下で、別の鼓動が泡立つ。心臓の拍とは違う、切り傷の端が打つ微細な脈。その小さな拍が、掌の中心へ、腕の骨へ、胸骨へと集まっていく。痛みが寄り合い、芯を持ちはじめる。


白の面打ちが口の端を裂いた。血が舌に落ちる。鉄の味。歯茎が痺れ、頬の内側が熱い。片耳がジンジン泣き、音が遠くなる。膝に蹴り。視界が一段低くなる。


「立つな!」

観客の叫びが、願いか呪いか分からない熱で飛んでくる。白の突き。腹に入る。背中から空気が絞り出される。内臓が揺さぶられ、胃の旧い痛みが今の痛みに重なって爆ぜる。砂が遠い。


――倒れろ、って言葉は知っている。誰よりも、聞き飽きている。


俺は砂を掻き、足指で地を掴み、膝で立ち上がった。首の後ろに汗がつたう。汗は血と混ざって塩辛く、目にしみる。


エルガが剣を引き、白が膨らむ。最後の一閃。終幕の形。

俺は折れかけた剣を投げ、両手を前に差し出した。


掌の中心で、赤黒い霧が弾けた。


血と痛みが渦を巻き、砂粒が巻き上げられて眉間を刺す。渦は太り、重みを持ち、形を選ぶ。俺の背丈に匹敵する刀身。内側を赤い脈が走り、外側は墨を塗り込めたように鈍く光る。


観客席が総立ちになる気配が、空気の層ごと押し寄せた。


「なんだ、あれは……!」

「呪いの大剣……!」

「血が刃になってる……!」


握りは熱い。いや、熱というより、痛い。握るほど、皮膚が裂け、裂けるほど、刀身が脈打つ。燃料が何か、身体が理解している。


エルガの白い斬りが落ちる。俺は両手で大剣を構え、腰から線を通した。


白の縁がわずかに揺れる。エルガのまぶたが一瞬だけ震えた。冷えた湖面に投げ込まれた小石の波紋――そんな微細な変化だ。それでも、彼は見逃さない男だと分かっている。だからこそ、その目が初めて揺れたことが、俺自身への“許し”になった。


「お前…何者だ」

エルガの声は低く、澄んでいた。恐怖ではない。確認の声だ。

答える言葉はない。俺はただ、両手の痛みに歯を立て、柄を更に深く握り込む。裂けた皮膚の継ぎ目から血が滲み、柄に吸い込まれていく。吸われるほど、刀身の脈が太る。


(あの会議室でも、俺は名乗れなかった。肩書きは盾にならず、実績は剣にならなかった。ただ、立って、書いて、謝って、治した。――なら今も同じだ。名じゃない。線だ)


観客席の最上段で、旗が一本折れ、布がはためいて舞台へ落ちた。警備の兵が慌てて回収する。その些細な騒ぎさえ、今は時間を伸ばす雑音にしかならない。砂粒一つの跳ねも見える。肺の奥で、呼吸が一拍ごとに薄く切れる。


白が再び大きく脈を打つ。大剣の中の赤黒い脈が、それに応えるようにふくらむ。二つの拍が、どこかで重なり、どこかで反発する。


(勝手に震えるな。合わせろ。俺の拍で、俺の線で、合わせろ)


足の指が砂を掴む。かかとが沈む。半歩、払う。わずかに前へ。

エルガの剣がわずかに上がる。その代わり、盾が俺の視界を遮る位置に滑り込む。白い面が夜の月みたいに近い。俺はその“月”の下縁を、柄頭で小さく突いた。


カン、と石を弾いたような音。白が薄く歪む。そこだ。


肩が悲鳴を上げる。四十度を超える熱のような痛みが関節を焼く。それでも振る。腰で通す。背中の筋が裂けそうになる一拍に、社畜時代の“朝”が重なった。徹夜明け、朝日がビルの隙間から差し込み、俺だけが会議室に取り残されていた朝――誰も讃えない完了報告。机に残るコーヒーの輪。震える手でキーボードを打った拍と、今の拍が、一つになった。


観客の叫びは遠い。白と赤黒の境界だけが、世界の中心に残る。


――ここで終わらせない。ここで終わるなら、俺は何にもなれない。


膝を絞り、腰を落とし、肩を落とし、腕を伸ばす。線は胸から砂へ、砂から空へ。一本で通す。


白と赤黒が衝突する直前、世界の輪郭が一度、音ごと吹き飛んだ。光が爆ぜ、砂が浮き、歓声が真空に吸い込まれて止まる。次の拍で、すべてが戻ってくる――その刹那までが、永遠みたいに長かった。


骨が鳴る。耳の奥の水泡が弾ける。胸骨の裏で、古い痛みと新しい痛みが絡まりあってほどけ、そこに一本の扉が開く感覚があった。

赤黒い拍が白へ向けて伸びる。白い拍が赤黒へ深く入り込む。二つの刃が中心で噛み合い、砂が舞台の天井まで走る。


視界が白黒に反転したところで、意識が一瞬だけ切れた。


――落ちるか? 落ちない。ここで、終わらせない。


光の中で、俺はなお、柄を握り込んでいた。”””


こんな駄作をここまでお読みいただき、本当に感謝しています。ありがとうございます。


物語はいよいよ第二章クライマックスです!

作者も社畜として日々働きながらの投稿となり、更新時間がかなりバラついてしまいます。


続きが気になる、更新のタイミングが知りたいという方はぜひブクマお願いします!


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