第13話 生き残る道、死ぬ道
訓練を終えて牢へ戻された夜。
懐にはまだ、ヴェラを倒した報酬が残っていた。
小袋に入った数枚の金貨と、木札の食券。
そして翌朝。
俺はその木札を手にし、控室を抜けて食堂へ向かった。
鉄格子をくぐり、続く廊下を抜けると、鼻を突く鉄臭さが少しずつ遠のいていく。
代わりに漂ってきたのは、煮込んだ肉の匂い、焼きパンの香ばしさ、そして数百人分の汗と喧騒が入り混じった、食堂独特のざらついた空気だった。
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広間には長卓が幾列も並び、すでに奴隷剣闘士たちで埋め尽くされていた。
大半は鉄の首輪を嵌めたアイアン、所々に銅色のブロンズ。
稀に銀色のシルバーを見かけることもあるが、彼ら以上の階級は街で自由に食事をとることが許されている。
つまりここは、檻の中の底辺だけが群れる場所。
天井は高いのに、空気は濃く重い。
椀を叩き合う音、皿を奪い合う怒声、下卑な笑い声。
それは戦場の残響を煮詰めたようなざらついた騒音だった。
配膳台に木札を差し出すと、無愛想な給仕が皿を押し出した。
黒パンはいつもより一回り大きく、スープには豆や根菜が浮いている。
さらに焼き焦げた肉片が二切れ。
それが、勝者にだけ与えられるわずかな贅沢だった。
「……勝った味、ってやつか」
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長卓の端に腰を下ろすと、周囲から視線が突き刺さる。
ひそひそ声がざわめきとなって耳に届いた。
「おい、あいつが噂の“不死身”じゃねぇか……?」
「ラガンを倒したってだけでも信じられねぇのに、今度はヴェラまで……」
「本当に同じ檻にいるのかよ、あんな奴が……」
名前を呼ぶ声はなかった。
だが、“何度倒れても立ち上がる奴”として、俺は確かにここで噂になっていた。
嘲笑と畏れが入り混じった視線。
スープを口に運ぶと、熱と塩気が喉を焼いた。
パンを浸して噛み締めると、硬さの奥から素朴な甘みが滲み出す。
そして肉片の脂が舌の上で弾けると、空腹の体が本能的に歓喜した。
――勝てば、飯が旨くなる。
ただそれだけのことが、生き延びる理由に変わっていく。
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午後。控室に入ると、そこには数人の剣闘士がたむろしていた。
首輪は皆アイアンやブロンズ。
目に光のない連中が、石壁にもたれてだらしなく座り込んでいる。
俺を見るなり、ひとりが鼻で笑った。
「不死身さんよ、調子に乗るな。俺らみたいに、十年も二十年もここで生き残る方法は一つしかねぇ」
「……試合に勝ち続けることじゃないのか」
その言葉に、笑い声が返ってきた。
「バカ言うな。試合に出りゃ、いつかは死ぬ。
俺たちは“仕事”をこなすんだよ。掃除、荷運び、下働き……闘技場の裏でいくらでもやることはある。
それをこなしてりゃ、そうそう試合に回されることはねぇ」
「そうだそうだ。客が求めるのは派手に死ぬ奴と、化け物みたいな勝者だけだ。
俺たちみたいな雑魚は、裏方で使われてた方がよっぽど長生きできる」
まるで刑務所の囚人が雑役で刑期を消化するように。
彼らはすでに、戦いを諦め、“檻の中で生き延びる術”だけを選んでいた。
(……だから何年も、アイアンやブロンズに留まってる奴らがいるのか)
不死身だと囃し立てられても、まだ名前すら覚えられていない俺とは対照的に、
彼らは「誰にも覚えられず」生き残る道を選んだ。
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そのとき、控室の扉が軋んだ。
鎧姿の兵士が入ってきて、俺を指差す。
「ドーレイ。ガルマ様がお呼びだ」
通路を進み、執務室の扉が開かれる。
重厚な机に葉巻を燻らせる大男が座っていた。
片目を光らせる、興行主ガルマ。
「座れ」
低い声に従い、椅子に腰を下ろす。
ガルマは笑みを浮かべ、指先で机を叩いた。
「ラガンに続いてヴェラまで倒した。客はお前を“面白ぇ玩具”だと見ている。
だから次はもっと派手に稼いでもらう」
葉巻の煙をくゆらせながら、片目が鋭く光る。
「今回は“特等席”からのご指名だ。
帝都から来ている上客が、お前とシルバーとの一戦を望まれた」
胸の奥がざらりと粟立つ。
檻の中の駒である以上、貴族や豪商の気まぐれが生死を決める。
「安心しろ。これに勝てば、お前は晴れてブロンズ昇格だ」
ガルマの声が冷たく響いた。
「つまり……次で死ぬか、這い上がるか。その二択だ」
燻る煙の向こうで、嗤う口元だけが鮮やかに見えた。
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